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普遍(後)

(つづき)

わたしが循環器内科で今は亡きボスの元で学会発表の準備をしていた頃は、100人200人に及ぶ患者さんのカルテ(今のような電子カルテではないので)を引っ張り出して事細かに確認していました。半分くらい済んだところで新しい疑問点が生じてきて、一旦返したカルテをもう一度借り直したこともあります。そんなことはデータベースさえしっかりしておけばパソコンに登録されたデータで確認できるからそれは無意味な労力だ、と鼻で笑われそうですが、〇か×か、有りか無しかで篩い分けられない微妙なニュアンスをカルテから見つけ出す作業だったりするわけです。「そんなの『普遍』ではない。そんな重箱の隅をつつくようなことではなく、誰もが簡単に当てはまるもっと大きな法則を求めるんや」という。その割に、出てくる法則は微妙なものばかりで、有意差検定したら有意だったということだけを免罪符のように掲げるけれど、実臨床で通用するのか?と疑いたくなるものばかり。その法則に従って日常の診療を本当に自信持って行えるのか? 単なる学会発表のための研究ではないか?という疑問が付きまといます。

なぜその検討をするのか、それは自分の実績作りでもなければ、検査や治療をすることの妥当性を証明することでもなく、それに従うことで受診者や患者さんのすべてに恩恵が得られる法則を見つけ出すことのはず・・・わたしはやはり研究者ではなく臨床医だなと思う瞬間なのですが、有意差検定をしなくても一目瞭然な法則でないと万人に当てはめられないし、その法則から漏れる少数派にも明確な利益が得られなければ法則の存在意義はないに等しい、と思ってしまいます。

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