「さようなら、ありがとう」
緩和ケアを受けるために東京から身内のいる熊本に帰ってきた同級生が、昨日安らかに逝きました。fbに「いよいよ最後が近い実感がある」と最期の挨拶をしたのが土曜日(10/1)。病室に訪れてくれた人と全部記念撮影してfbにアップしていた彼が最後にアップしたのが翌日の夜(10/2)。カーテンコールのようなこのアップに「生き延びた ありがとう。」というメッセージを加えたのが最期でした。見事に最期のステージを終えてマイクを置いたさすらいのロックンローラー。家族も友人も皆が静かにいつまでも拍手を送るが、緞帳は二度と上がらない。
見事な生き様でした。そして、見事な逝き様でした。
同じような知人がもうひとりいます。わたしのゴルフ仲間ですがもういい歳です。ここ数か月、食べ物が入らない、食べても吐く、と云って見る見るやせていきます。本人は逆流性食道炎だと思っていますが、たぶん末期の胃がんではないかと思われます。でも彼は検査をしません。「検査をしてもどうせ治療をする気がないから」という理由です。癌相の顔を見せながらゴルフコンペに参加する彼は「もう今回が最期かもしれません。みなさん、さようなら。ありがとう」といつも云っています。大好きなゴルフをしているか釣りをしているかパチンコをしているか・・・彼の徹底した生き様もまた見事だなと思います。
闘病の末に無念な顔をして亡くなっていく人たちしか見てきていないわたしたちには、こういうひとたちにどう対処したらいいかわからないところがありますが、心配要りません。相手の方がはるかに達観しているからです。昨日亡くなった同級生と2週間前に病室で会ったとき、「定年してからどうしようかなと悩むよ」「あと、7年か。まあ何とかなるよ」とか会話しながら、こんな話して良かったのかなと思った記憶があります。でも、そんなこと、考える必要もない・・・普通のように普通のたわいない会話をするのが相手のためにもベストに違いないと思ったことを思い出しました。
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