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2016年12月

全否定

植物由来製品による健康被害(疑い)について

厚生労働省から日本心臓病学会宛に送られてきた通達です。青黛(せいたい)を摂取した潰瘍性大腸炎患者において、肺動脈性肺高血圧症が発現した事例が数件あることが判明したというものです。

青黛(せいたい)とは、リュウキュウアイ、ホソバタイセイ等の植物から生成され、中国では生薬、日本では染料(藍)や健康食品などに使われています。「近年、潰瘍性大腸炎に対する有効性が期待され、臨床研究が実施されているほか、潰瘍性大腸炎患者が個人の判断で摂取する事例が認められ」ているとのことで、警鐘が鳴らされたわけです。薬剤=毒物、自然界のモノ=安全というイメージを持つヒトは多いですが、実はどっちもどっちです。健康食品の効果が口コミで広がって自己判断で使うことによるトラブルは以前から後を絶ちません。

ただ、わたしが懸念するのは、「だから健康食品なんて怪しいモノを口にするのは一切止めなさい」と全否定する医師たちがとても多いことです。自分で調べてみて、信じられそうかどうかの知識を得ようとする努力はしてもらいたい。藁をもすがる思いの患者さんは当然自分の病気について可能な限りの情報を集めますし可能性があれば使ってみようとする。どうせ主治医に聞いたら「止めろ」「オレを信用できないのか」と頭ごなしに叱られるから、主治医に相談することなく使ってみているという患者さんはたくさんいます。主治医が一旦受け止めてくれるかどうかは、思いの外重要な要素です。医師は、日頃からこの手の話題に高いアンテナを張り巡らして自分なりの評価をきちんとしておいてほしいと思います。

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上品とは(後)

(つづき)

「お百姓さんが汗水たらして作ってくれたお米なのだから、一粒たりとも粗末にするな」と子どものころから祖母や両親から口やかましく云われて育ったわたしは、お弁当はまず蓋についたごはん粒から食べます。そんなわたしに対して、新婚のころ、「お弁当の蓋にくっ付いたごはん粒なんか食べないでちょうだい、下品でみっともないから!」と都会育ちの妻は頭ごなしにイヤな顔をしました。でもそんな妻も、今ではわたしと同じようにきちんと蓋のごはん粒を食べるようになりました。バブル当時の見栄やプライドの時代と違い、現代社会ではこれを勿体ないと感じられることの方がむしろ当たり前だと分かってもらえたのかなと思っています。

「上品」とはどういうことか? 「下品」とは? あまり考えることはありませんでした。どうでもいいことだと思うからです。一般的に、「上品」「下品」というコトバは周りからみた自分への評価を表すコトバだと捉えられています。だから、「他人からよく見られたい」という想いでつい見栄やプライドにこだわるのかもしれません。もちろんわたしもそれを否定するほど強い人間ではありません。ただ、ちょっとだけ自分の定義と違うのです。陳腐でありふれた(いい加減な発想の)提案をしたり、思いついたことを相手の気持ちも考えずに口にしたり、本当は思ってもいないお世辞を云ったりする行動を「下品」というのであり、自分に正直にマジメに取り組む姿、社会道徳に反しない生き方を普通にできることを「上品」という。「上品」は自然ににじみ出てくるモノだから、日々マジメに一生懸命生きていれば自ずと「上品」になる・・・あえて云えばそんな感じかしら。

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上品とは(前)

いろいろな場で名刺交換をしますが、最近仕事先でいただく名詞はどれもとても文字が大きくてカラフルでかわいいと感じていました。先日お会いした隣町の病院の保健師さんの名刺もそんな名刺。それに引き換え、私の名刺は・・・地味。シンプルで落ち着いているのですが、正直云って文字が細くて小さいので老眼のわたしは自分の名刺なのに文字(メールアドレスやHPのURLなど)をほとんど読解できません。

今回役職が変わったのでやむを得ず名刺を作り直しましたが、うちの施設の名刺はフォーマットの基本が決められていてあまり大胆な変更を認めてもらえません。「名刺はインパクトが大事だからもっと派手にしてよ!」とお願いしたことがありますが、「下品だから」という理由で却下された記憶があります。ハイクオリティ・ハイセンスが施設を作ったときのコンセプトだから「それにそぐわないものはちょっと」ということのようでした。同じ理由で施設内の掲示物もインパクトより品の良さを重んじ、多くのヒトの目に入るような場所でのポップで”下品”な掲示物は禁止なのであります。

名刺は名前と連絡先を確認するときのための覚え書きなのだから、実用的ですぐに探し出せて読めるものであるのがベストだと思っているわたしとは、センスの点で相容れないものがあります。そんな想いを、先日の名刺交換でふと思い出した次第です。見た目がどんなにキレイでも読めなかったら意味がない。わたしの名刺を読むヒトの大半はわたしと同世代かわたしよりむしろ上の年齢なのだから、わたしよりさらに老眼がひどいヒトばかりなのだよ!と云いたいところです。 (つづく)

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納豆の効果

某人気番組でねつ造事件が起きたために、もてはやされた挙げ句に突然全否定された感のある『納豆』。今でも、「納豆がカラダに良い」という話をすると、「それはウソだったんでしょ」と答えるヒトが意外に多いのには驚かされます。 そんな中、岐阜大学発信の『高山スタディ』というコホート研究の成果がThe American journal of clinical nutrition誌オンライン版に発表されました。

納豆が心血管疾患死の低下に関連~高山スタディ

35歳以上の男性1万3,355人と女性1万5,724人についての追跡調査で、「納豆・大豆タンパク質・大豆イソフラボンの摂取量と心血管疾患死亡率との関連を調べたところ、納豆の摂取が心血管疾患死亡率の低減に寄与しうることが示唆された」というものです。

理屈はどうでもいいのかもしれませんが、少なくとも納豆が心血管疾患予防に有効であることが証明されて良かったと思います。私自身は納豆が好きでも嫌いでもないので、毎日食べようとは思いませんが・・・常習的に食べ続けて損はない食材です。ただし、くれぐれも食べ過ぎにはご注意ください。これ、意外に太りますよ。

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誕生日

2007年12月27日が、このブログの誕生日です。書きたいことが溜まって、満を持して立ち上げました。

最初の記事は2008年1月3日の『地デジ対応』でした。久しぶりに読んでみました。

そうだよね。初心に戻るって大事。少しずつ、少しずつ。そんなことを、満9歳の誕生日に思ったのであります。

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再開準備

それなりにココロの準備は整ってきて、新しい思いつきメモが複数枚になってきました。

昨日も帰ってから何か書こうかなと思ったのだけれど、「そんな時間があるんだったら、今、他にすべきことがあるんじゃないの? 年賀状は書いたの? 講演のスライドは作り始めなくていいの?」という声がアタマの中に響くのです。「そらそうだな、そっちが先だな」・・・そう思って素直に断念したわたしです。

これまでと条件は何ら変わりないのに、よくもまあこれまで何年も何年も毎日書き続けてこれたものだなあ、と自分に感心する次第。

断念したからと云って、その時間で年賀状を作るわけでもなく、結局フェイスブックやいくつかのSNSに逃避して時間を費やしただけなのでありますが・・・ま、いいか。

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12月15日

Facebookの『過去のこの日』というのが勝手にアップされていました。その2011/12/15付け投稿が、

”久々に緊急心カテに臨む夢を見ました。練習もしてないのに舞台の本番に出ていたり、勉強もしていないのに試験会場で試験が始まろうとしている夢は今でも年に数回はみますが、心カテの夢なんて10年以上見てません。どうしたのでしょう。もうやり方なんかすっかり忘れたなあ。でも、芝居や試験の夢と同様に、夢の中では何でもできる気がするから不思議です。”

でした。そうだな。台詞すら覚えた記憶のない芝居の本番に突然舞台に立つ夢や教科書すら開けた記憶のない教科の試験の夢をよく見てたなと思う。なのに、5年前にこれを書いたあと、全くこの手の夢を見なくなったことにハタと気づきました。隠れてタバコを吸う夢は時々見るけど・・・どうしたのかしら。こういう夢を見ることの意味も興味はあるけれど、突然見なくなったことの意味を知りたい、と思います。空を飛ぶ夢、亡き両親に会う夢、昔好きだった娘に会う夢、殺される夢、追いかけられる夢・・・こんなエキサイティングな夢も全然見なくなったのは、良いことなのか良くないことなのか。どなたかご存知の方は教えてください。

ちなみに、この年以外の投稿には「宴会で飲みすぎた」ことと「むくんでいる」または「太った」の単語ばかりが並んでいました。こっちは、いまだに何ら変わりがありません。

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「その時は、来ます」

この機関誌冬号の発行はおそらく1月になってからです。今から推敲などが入りますが、とりあえず初稿原稿をそのまま転載させていただきます。

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「その時は、来ます」

「たばこを止めようかなと思った時は、迷わず禁煙外来に行ってください」と言ったら、「ははは。そんな日は絶対来ないと思いますよ」・・・そう答えて診察室を出ていきそうになった40歳前のスモーカー男性に、「そう思うでしょ。でもね、その時は、きっと来ます!」と、きっぱりと言い返してあげました。

たばこを止める理由は「健康に悪いから」とか「家族が懇願するから」とかいう大層なことだと考えている人が多く、自分はそんなこと如きで禁煙する気はないから「そんな日は来ない!」と言い切ろうとします。でも、実際の禁煙理由は必ずしもそうではありません。少なくともわたしがたばこを止めた理由は“健康のため”などではありませんでした。吸うことに何の意味も感じなくなる時が突然やってきたのです。わたしの口癖の「税収以外に価値がない」の意味が「あ、これか」と合点する瞬間。「そんなはずはない!」と自分に言い聞かせても、ただの“けむり”にしか感じられなくなる瞬間。それが突然やってきます。それを感じたときには自分に素直であってほしいと思います。「そんなのは勘違いだ」「プライドを持て」などと脳が必死に拒否させようとしますけど、意固地にならずに、とりあえず一度はこっそり禁煙を試してみましょう。

今まで続けてきた生き方を変えることを『行動変容』と言います。生活習慣病の治療の8割方は『行動変容』です。でも、そう容易くないことは皆さんの実体験でお分かりでしょう。生き方を変える時には何らかのスイッチが要ります。本人や身内の大病でスイッチが入ったり健診結果が想像以上に悪くてショックを受けたのがきっかけだったりすることもありますが、そういうスイッチは脆くてすぐに元に戻ってしまいます。一方で、ある時ふっと目の前に現れて(おそらく自分の体内から湧き出てくる自浄機能で)何となく押してみたスイッチの方が堅固だったりします。何となく押してみた。特別困らないのでそのまま続けてみた。いつの間にか習慣になった。不本意だけど、「ま、いいか」・・・ヒトの生き方は、理屈ではビクともしないのに些細なきっかけでコロッと転がって、その転がった方向から眺める景色を意外に気に入ったりすること、珍しくありません。

「その時は、きっと来ます。もしその日がきたら、その時には禁煙外来に行く勇気を持ってください」・・・しつこく言うわたしから怪訝そうに目を逸らしながら、彼はそそくさと診察室を出ていきました。

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ちょびっとだけ(4)

まだ書くんかい!と突っ込まないでくださいね。

9年間、文章のストックがなくなっていてもいつも全然気にならなかったのは、突然降って湧いたようにいくつもの話題が生まれて来て、さらさらと文章が生まれてくる自信があったからです。そうなることに何の疑問も感じなかったけれど、今思うと、いつもいつもネタのことばかり考えていました。散歩をしている途中の思索の中で思いつくことも、運転中に思いつくことも、あるいは仕事中に思い浮かぶことも、ちょっとしたことでも全てブログの話題にできるかどうか?という想いでアタマの中で整理していました。小説家やエッセイストのように書くことを生業(なりわい)にしているヒト達というのは、みんなこういう感じなのかなと思います。今、「書かなくてもいいや」と思うだけで、何も浮かんでこなくなったのは、結局ここの違いなのでしょう。最近は、同じように思い、考えたいろいろが、覚えていてもしょうがないからその刹那で消していきます。それを無理やりに表現形に作り変えようとすると全然魅力がないものになる。

ブログという形態自体は何の義務もないし単なる自己満足なのだからどうでもいいことだけれど、「考える」ということ、それをさらに膨らませて「意見」と云える内容に創り上げるということ、その作業を9年間も続けてきたので、なにかとても変な感じです。ホントにいいのかなあ、これで?と自問自答。

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ちょびっとだけ(3)

一度やめると、次に再開するときに大それたこと書かないといけなくなるから敷居がどんどん高くなるんじゃないかという恐怖感があるし、せっかく9年も頑張ったんだから何とかもっと続けていたい、という思いはあります。

枯渇したものがしばらく休むと再び湧き出てくるものなのか、あるいは休めば休むほど枯れてなくなってしまうものなのか、この歳になるとそういうことがとても気になります。こんなことは今までの人生になかったといってもいい事件なので、それはこのブログの存続云々のレベルではなく自分の生き様の中に「考える」の項目が枯渇して行こうとしているのではないかという不安も抱えているのです。

という感じの「ちょびっとだけ」の休止の決断です。毎日読んでいただいていた方には申し訳ありません。このまますぐに戻るかもしれないし、年を越すかもしれないし、このまま休刊が続くかもしれませんが、時々確認しに来ていただけると幸いです。とりあえず、最後(明日)は、1月発行予定のコラムをフライングで転載します。

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ちょびっとだけ(2)

ブログを始めて、あと3週間ほどで丸9年になりますが、9年めにして初めて、何も書くことがなくなってしまいました。配信される医療ネタを使ってその場しのぎをしたことは何度もありましたが、それは単に時間がなかっただけ。まとまった時間ができれば幾つでも書きたいネタはあったのです。

でも、それがなぜだか全然なくなってしまいました。書きたいことを走り書きしたネタ帳にももう2週間以上何も書かれていません。むかしは、ふと閃いて書いてはみたけれどすでに以前にまったく同じことを書いていたことに気づいてアップをやめたことも多々ありましたが、そんなことすら浮かびません。なんか、思考能力というか、思索機能を失ってきているような危うさを感じます。

もう一つの日記帳のようなブログと違い、このブログはただ続けるためだけのものになってしまっては意味がありません。だから、休んでみることにした次第です。

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ちょびっとだけ(1)

諸般の事情がありまして、ちょびっとだけお休みします。

ちょびっとじゃないかもしれませんが、とりあえず、ごきげんよう(笑)

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睡魔

昨夜、不覚にも強烈な睡魔がわたしを襲いまして・・・書きかけの文章をほとんど完成できないままに今朝を迎えました。どうも、今回の風邪は次の局面に突入したようです。

それでは、また次の機会に。

とりあえず、今日はおやすみします。

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ひらめきが好き

「ボクは、ひらめきが好き!」

ふと、そんなフレーズが浮かんできました。

若いころからのわたしを知っている友人・知人は、みな、わたしのことを緻密で何かをコツコツとやって築き上げていくのが好きだと思っているみたい。でも、前にも書いたけど、ホントはあまり好きではないです。細かいことをコツコツするのは、むしろ苦手です・・・面倒だから。ただ、ひらめきで生きていけるほどセンスや才能がないから、確実な処世術として、ひとつひとつ積み上げる道を選んでいるだけ。がんばっているほどの成果はないけれど、亀のように少しずつでも前に進んでいくことに、とりあえず保険を掛けているの。

だから、仕事で何か新しい企画を考えたり、次年度の行動目標を考えたり、コラムを依頼されて考えたりするとき、一番キライなのは『陳腐』。でも、結局、最後は陳腐の中の陳腐、『キングオブ陳腐』な企画書を出してしまったりする自分って、きらい。

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面倒くさい

困ったもんです。最近、毎日がホントに面倒くさいんです。風邪ひいて体調が本調子でないことも関係ないとは云いませんが、それよりも遥か前からわたしは『面倒くさい病』に蝕まれているのであります。仕事も生活も遊びも、何もかも面倒くさい。何とかならないかとばかりに、学会や研究会に参加して勉強などしてみるし、毎日配信されてくる医療記事にもエンタメ記事にも時事記事にも目を通してみるのだけれど、最近は何も響きません。どうしたら、ほとばしるような感動が戻ってくるのでしょうかしら。

先日、妻が友人からもらった知恵の輪に頭を抱えていました。「ちょっとあなたもやってみたら」とわたしに渡そうとしたのを、即座に拒みました。できるできないの問題以前に、それをすること自体が面倒くさいんです。むかしよくやっていた脳トレゲームとかも、認知症予防として他人には勧めるけれど自分でやる気が起こらない。まずいですよね~。

知恵の輪にしても難問のクイズや計算にしても、意地でもがんばるヒトっています。自分からお願いしたから「もう、いいです」と云いたいのだけれど、負けず嫌いの性格からか、「いやいや、ちょっと待ってごらん」と諦めてくれない。困ったものだと思うのだけれど、でもこれは『偏屈』ではなくて『若さ』なのだということ、よくわかっています。

わかっていますけれど、でもそんな意地の張り方するのもされるのも、面倒くさい。

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『昭和43年グラフィティ』

昨日、BSジャパンの番組を何気に眺めていましたら、こんな番組が始まりました。司会は武田鉄矢。ゲストは亀渕昭信(オールナイトニッポンだ〜♪)と野沢雅子(悟空だ〜♪)

<昭和43年のできごと>

金嬉老事件
東大紛争
メキシコオリンピック
川端康成ノーベル文学賞受賞
佐藤栄作
三億円事件
心臓移植手術

あしたのジョー
タイガーマスク
ハレンチ学園
ゴルゴ13
アタックNo. 1
サインはV

カール発売
ボンカレー発売

この年って、とんでもない年なんですね。こういう歴史の節目になる年というのがあります。大きな事件や事故があったとか政治的な変革があったとかいうのではないのに、文化の潮流が大きく変わる時があるのです。わたしの本当の歳がわかってしまうので書きたくないのだけれど、この年、わたしは小学校4年生でした。4年3組、小さな田舎の小学校でずっと一学年二組でしたがこの年から三組に増えました。教室が足りなくて4年3組は理科室で授業がありました。目の前に実験用のコンセントがあって、それに何となく銅線を突っ込んでみたい衝動にかられ、授業中にやってみたらショートして火花が飛びました。とてもびっくりしました。昭和43年は4年3組。わたしにとっても、何となく思い出の年でありました。

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もちつき禁止

一瞬耳を疑いましたが、もちつきイベントを禁止する自治体が出てきたのだとか・・・。

いや、最初は、素手でもちを練るから、そのときに杵で叩いてけがをさせるかもしれないという理由なのかと思ったのですが、そんなことではありませんでした。「餅をちぎったり丸めたりして人の手に触れる工程が多いため菌やウイルスが付きやすく、集団食中毒が発生する恐れがある」と保健所から指導されたのだそうです。さすがにちょっと呆れてしまいました。

たしかに、地域の保育園生がこねたおもちを「どうぞ」と手渡されたときに、指しゃぶりしてハナクソいじった手でこねたかもしれないおもちを食って大丈夫か?と自問自答したことがないわけではありません。「他人の素手で握った握り飯なんて絶対食えない」というヒトもいる。でも、もちつき大会のもち食って集団食中毒になった話なんて聞いたことありますか? 生肉食わせようと云っているのじゃないんだし、BBQのトングの扱いを云々云ってるのでもない。普通に手洗いした大のオトナが丸めた、できたてほやほやのもちだもの。これで腹を壊すのは食った側の問題なんじゃないのでしょうか。

最近のこの衛生観念の異常なまでのナーバスぶりは、結局責任問題に絡むからなのでしょうけれど、これじゃ日本人の腸内細菌叢(腸内フローラ)がどんどん乱れていくはずだわ。

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57歳の健康

依頼されていた2回の講話も無事に終わりました。1日目は前日からぎっくり腰に見舞われ、2日目は前日からの風邪で咽頭痛に悩まされながらの1時間でしたが、何とか切り抜けました。

今回の対象になる皆さんは退職前(57歳)の年齢で、退職後のライフプランを考えるための研修会の一環として講師を頼まれました。ここ、4、5年はこの世代を対象に話していますが、2010年までは50歳の節目の世代に話しました。だから今回わたしが話をした世代は7年前にもわたしの話を聞いたことがあるということになります。テーマはどちらも『生活習慣病の予防と対策』~でも、おそらく7年前と同じ受け止め方ではなかったはずです。何が違うかといえば、わたしも対象者も7つ歳を取ったということ。

同じ『生活習慣病』に対峙するとしても、まったく他人事だった30歳、いよいよ自分に近付いてきたのに実感が湧かない40歳、自分のことだと理解しながらもがき苦しむ50歳、その各々で立場は違います。さらにアラカンとなると今さら新しい病気の出現はそう多くはありませんが隠れていた病気がひとつひとつ現れてきますし各々がかなり重大なものになります。でも、決して新たな取り組みを始める世代ではありません。各々が違う体質と生活環境の中に生き、千差万別の生きざまにある世代ですから、ここに「生活習慣病の治療はこうあるべき」などという教科書的な杓子定規な話をしても現実には何の役にもたちません。「病気にならないようにしよう」というよりは「病気といかに付き合うか」「病気もまた生活の一部なり」というスタンスの世代ですから、くどいようですがわたしたちアラカン世代以降が考えるべきは、病気も老いも何もかもひっくるめて「今後の人生をいかに佳きものにできるか」ということでありましょう。

昨日の講話で、少しでもそこのところを感じ取っていただけたなら幸いなのですが・・・。

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