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普遍化はパターン認識とは違う(後)

(つづき)

でも、それが一番困るのだと云われます。医者によって指示する内容が違うとその後の説明をする保健師も事務方も混乱するし、フォローアップのときにミスが起きる元凶だそうです。大きな組織が常に一定水準を維持させるには、できるだけパターン認識しやすいシステム作りを追及する・・・やむを得ないことなのかなあ。

わたしは、医療のような千差万別のパターンがある世界で『普遍化』を考えるなら、皆が同じ水準になるまで学習し、経験し、考え方のベクトルを同じ方向に向かわせられるだけの努力をしなければならない、と思っています。例えそれが人間ドックのような決められた検査の評価であっても、『能力の違い』を云い訳にせず、もっと医療人としての検討会を重ねれば水準の維持はできると感じています。医師からの指示待ちをする風土ではなく、自分ならこうするといつも考えているなら、パターン化させなくても水準は保てるはず。団体スポーツの選手が毎日練習に練習を重ねる理由は、自分の技術を磨くとともに、自分の考え方が周りと同じ方向に向いていることを確認するためです。健診現場も、同じように団体競技なのだから、そういう日々の練習が重要なのではないかと思うております。

そんな組織になるといいな。

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