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2017年5月

認知症が減っていく?

「これから認知症は減っていく」は本当か

「2025年の認知症者数は推定で675万人となり、65歳以上の5人に1人の割合まで増える」(九州大学、二宮利治)という久山町研究の予想報告に異論を唱える人はいないでしょうし、だからわたしみたいにモロにその世代に突入する者は戦々恐々としています。そこへこの「欧米では認知症有病率が減っている」という報告の紹介・・・ちょっと浮き足立った気分で読ませていただきました。米国、英国、オランダ、ドイツ、スウェーデン・・・分析の仕方に問題のあるものもありましょうが、これだけ多くの国が減少報告をしているわけだから、「認知症は減少する」で間違いないように思います(思いたい)。

「これまで日本では認知症患者が増加する推計ばかりが大きく取り上げられ、生活習慣病や食事、運動、精神面に対する介入により、発症時期を遅らせられるかもしれないという視点は持たれていなかった。認知症の発症予防や進行を遅らせる方法を模索するためにも、過去のデータを読み解く必要がある」(国立長寿医療研究センター、遠藤英俊)・・・つまり研究する上での前提にバイアスがかかっているという指摘は重要なポイントかも知れません。そして、「認知症の発症を抑えるために特に有用とされているのが社会活動と運動、そして食事だ」(筑波大学、玉岡晃)というきわめてありふれた常識的な結論が出されるとなると、これは本当に現実味をもって、今の生活習慣病改善のための取り組みが福音になる可能性が高い、と云えるではないかと感じました。

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背筋(せすじ)

最近、インスタにハマって何でもスマホで撮るようになった妻に、散歩中に横からのわたしの写真を撮ってもらいました。

1週間ほど前に遠目に撮ってくれた散歩している自分の姿がとても猫背で、見るからに”年寄りじいさん”姿だったのがショックだったのです。だから、あれ以降、ことあるごとに背筋を伸ばすように意識してきました。その成果を確認したかったのです。

「『もうこれ以上できません』って感じに、思いっきり胸を張ってみて!」と妻に云われて撮った写真・・・「ふーん、目いっぱい頑張ってこんなもんなの?」と鼻で笑われた写真は完全に猫背。ショックでした。

「ほら、もっと肩甲骨を折り曲げるようにして」
「もっと肩を後ろに反らして」
「そんなに胸出したらわざとらしいよ。ジャイアント馬場みたいだよ、『うっぽー!』」
「顎を引いてもわざとらしいから、引いたらダメ」
「あ、そうそう、それ。そんな感じ」

口うるさい臨時コーチに指示されたとおりにやって撮った写真は、たしかに背筋真っ直ぐ・・・「こんなにふんぞり返って偉そうにしてる格好をしてやっと真っ直ぐなんだ?」・・・かなりな違和感だけど、姿勢を正すって、こんなに大変なんだなと実感しました。

頑張るぞ!

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点数とモチベーション

先日、国民的アイドルのようなフィギアスケーターが引退しました。惜しむ声もありましたが、概ね「おつかれさま」「ごくろうさま」という慰労の声ばかりが聞かれ、最後は皆が「ありがとう」と云って締めくくる。本当に国民全員が実の娘のように応援してきた子の引退でした。

やっと他人から点数をつけられて極限で生きる世界から解放される安堵感が本人にも観ている私たちにも漂っています。彼女には天性の魅せる力が備わっているので、競技スケートよりもプロスケーターとして生きていく方がきっと光ると思ってはいるのですが、もしかしたら点数で評価されるからこそギリギリまで自分を追いつめて、自分を磨き上げようと努力し、競い合うことで昇華できていたのではないか?とも思います。 どうせネームバリューだけで観客は皆が満足してくれるはずだから、点数のつかない人生の中で自分をより高められるものなのか? ちょっと心配ではあります。

競技スポーツの世界と対極にあるのが舞台に立つ役者や歌手なのかもしれません。彼らのパフォーマンスの原動力は何か? 「お客様に感動を与える」という目的は同じでも、それは競技スポーツのような競い合いではありません。基本的には自己満足の仕事であり、自分を自分の価値観でどこまで高められるかの問題ではありながら、入場数だったり興行成績だったりで評価されて何らかのランクづけをされてしまうと、結局ヒトは高い評価を求めてしまって、自己達成感とのギャップに悩むことになります。それがアマチュアとプロの違いなのかもしれません。

勝ち負けの存在、他人からの評価の存在は、ヒトを強くするのか弱くするのか。彼女の引退について考えながら、そんなことを思ったところです。

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病院の空気

お昼休み。職場である病院の廊下を運動のために歩き回ってみることがあります。二階から階下の外来フロアを眺めると、今日もたくさんの患者さんやその家族、あるいは付き添ったり説明したりの病院スタッフが行き交っています。でもやはりそこに流れる空気は一種独特で、同じような賑わいだとはいえ休日のショッピングモールのような華やかさはありません。それは、当たり前といえば当たり前。このフロアで大きな笑い声や明るい笑顔があちこちで見られる方が違和感がある。具合が悪い人だけがここに集まってきているのだから。

「ここの病院は、玄関を入っただけで空気が暗いなあ」とか感じることがよくあります。もちろん逆のことも。病院は、体調が悪い人が集まってくるところだからこそできるだけ明るくありたいと、スタッフは色々工夫します。華やかな花をかざったり、電灯の明るさを明るくしたり。ナースの制服の色を明るいピンクやブルーにしたりするのも、それが目的だと思います。

でも・・・昼下がりの廊下を歩きながら思うのです。病院に明るさや華やかさを求めようとするのはどんなもんだろう?と。「病は気から」とは申しますが、場違いな華やかさはかえって煩わしく、もっと静かで厳粛であっても問題はないのではないかと。静かなクラッシックやジャズなどのバックグラウンドミュージックがそっと流れるくらいがいいかもしれない。

傍から眺めていると、そこにはそれぞれの人生が見えてきます。だからこそ一種独特な空気が漂っている病院という空間。可能ならば、経験しないまま人生を終われるのが良いな、と思いながら通り過ぎました。

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毎日のワンの散歩コースにあった大きな旧家が解体されました。トラックが何台も入って、毎日少しずつなくなって行って、とうとう1週間もしないうちにすべて壊されました。古い畳が重ねられ、大きな柱が何本も並べられているだけ。

そんな光景を見てしまったからでしょうか。ふと、我が家のことを思いました。夫婦二人のどちらもが居なくなれば、もちろんこの家は主を失うから解体するしかないだろう。そんな時は誰が解体指示をしてくれるのだろう。その前に、どちらか一方が死んだらどうするだろう。残されたひとりで、この大きな家に住むだろうか? 早々に売りに出してもいいが、特殊な間取りの不経済な空間ばかりの我が家は、普通に住むには住みにくいと思う。売れないかもしれない。

自分たちの人生ですらこれからどういう終活をしたらいいのか悩み始めているというのに、そんなハード面のことまで考えないといけないのかと思うと憂鬱きわまりない。『存在がなくなる』ということの大変さまで思いを巡らすと、もはや絶望的な気持ちになります。

ちょっと、疲れていますね。

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何も考えない焦り(後)

(つづき)

わたしは父の子、カエルの子。わたしも、しなければならない仕事は職場で仕上げてしまいたい、というか、「勤務時間内に仕上げられないような仕事はしない」と割り切ることにしました。わたしに与えられている仕事量は決してわたしの能力以上のものではありません。わたしよりも優秀な若いスタッフたちや同僚の医者たちが与えられている仕事を羨ましいとも思いませんし、間違っても横取りしたいと思いません。

先日地震の後の補修工事に来てくれた職人さん方は、その多くが関東から派遣された若者たちでしたが、彼らは決まった時刻になると何をしていてもすっと居なくなります。休み時間と昼休みと、呆れるほどにキチッと取って、そして、時が来たらどこからともなくサッと現れて、何事もなかったかのように仕事を再開し、そして決まった時間に決められた行程をきちんと仕上げて帰って行きました。今の労働者はこれが常識だと聞いています。これです。仕事時間内に仕事が終わらないのだとしたら、それは最初の工程表作りに誤りがある。昔のように、できなくてもとにかくやるべき内容をまず詰め込めるだけ詰め込んで、溢れた分を夜に残業したり持ち帰ったりすることを美徳とする時代ではありません。

自分の実力にあった内容で、身の丈の仕事をする。理想と完璧なる達成を得るためにかえって疲労困憊するようなことは、すべて自分で行わずに他人に任せる。もう、この歳になったら、そういう生き方でも、給料泥棒とは云われますまい。と、ここまで達観してしまったわたしに焦りなど微塵もありません。

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何も考えない焦り(前)

物心がついてから半世紀以上の間、わたしはいつも何かに追われて生きてきました。今日しなければならないこと、明日までにしなければならないこと、来週までに、来月までに・・・いつも頭の中はそんなスケジュール帳の管理で一杯でした。

それがここ数ヶ月、ほとんど何もありません。することがないわけではないけれど、あえて考えないようにしています。少なくとも夕方家に帰ってからは仕事のことを意図的に考えないようにしています。「いつも先のことを考えて頭を常に働かせて生きなさい」と云うのは、今は亡きわたしの職場のボスの口ぐせでした。「それをしないと人間はすぐに怠惰なブタになる」「どんどん退化して堕落していく」と教わりました。だから、最初は焦りと不安に苛まれていましたが、今は慣れました。こんな生き方ではクリエイティブにもアカデミックにもなれないかもしれないけれど、おかげさまで大して腐ってはいかない印象です。うちのようなアカデミカルな施設ではそんな輩が中間管理職にいては本当はいけないのかもしれませんが。

小学校の教師をしていたわたしの父は、夕方定刻にはきちんと帰ってきていましたが、一度も家で仕事をしている姿を見たことがありません。仕事を一切家に持ち込まず、定刻に帰ったら早々に風呂に入り、浴衣に着替えて茶の間から見える庭の季節の移ろいを眺めながら自分で料理した肴で熱燗をいただき、夜9時前には床に就き、翌朝は5時には起床する。そんなでした。「一体この人はちゃん仕事をしているのだろうか」と、同じように小学校教師をしていた母が夜中まで採点やら通知表作りやらしているのを手伝っていたわたしは、そのあまりの違いにいつも疑念を抱いておりました。彼が家で小説や盆栽の教本以外の書物を読む姿を見たのは昇格試験の前だけだった気がします。それなのに、きちんと仕事をこなし、多くの教え子たちから慕われていました。 (つづく)

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脳内活性の性差

男性より女性が減量に励む理由 脳内活性の性差が要因か

2017/5/23に配信されたCare Netの記事に、「モノを食う時の脳の反応に男女差がある」ことが書かれていて興味を持ちました。米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のMRIを用いた研究報告です。太る人は食べることに対してどのような脳内神経伝達物質(ドーパミン)の活性パターンを示すのかという研究。ひと言で云えば、ドーパミン活性が低い人は食べることへの感受性が低下して食べ過ぎてしまう。食べることへのこだわりが少ない人ほど食べ過ぎてしまう傾向があることだそうです。

それとともに、「モノを食べるという行動に対して脳内の反応が男女で全く違う」ことも分かったというのです。女性の脳は食べものに対して感情を司る脳領域の神経活動が活発化する(「女性は男性に比べて食物への渇望(food craving)を口にすることが多く、過食などの摂食障害に苦しむことも多いほか、気分を落ち着けるために砂糖や脂肪分の多い食べ物に手を伸ばしてしまいがち」)が、男性の脳は嗅覚や温度感覚、味覚を司る脳領域の活性と関連していて、食べることで得られる満足感に焦点が当てられる。

何となく、書いてあることは分かるんですけど・・・だから「女性が食べ過ぎを防ぐには運動が強く勧められる」というの、妻に話してみようか。でも、彼女は「わたしは運動では太るからどうしても食事制限をしないとダメなんだ!」と自分に云って聞かせてがんばっているのだから、そっとしておこう。

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アタマにくること

アタマにくること
走行中の直前の割り込み。自分の前の車ではなくて、どうして自分なのか?

気分がいいとき
渋滞の中で割り込みクルマを入れてあげた時

アタマにくるとき
入れてあげたのにパッシングもせず当たり前の態度の時

シャクにさわるとき
早く通り過ぎてあげたら入れると思ってアクセルを踏んだら、後ろの車が止まって割り込ませてあげた時

そして何より情けないこと
こんなことに一喜一憂しながら、運転している自分。

まだまだ悟りを開けません。いやいや、開く気がございません。

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理想の体型

ゆるゆるの脇腹のたるみがみっともないので、先週から一念発起してフィットネスジム通いを再開しましたが、予想していた通り、意図的にカラダを痛めつけ始めると必ず太ってくるのがわたしのボディです。

プロスポーツ選手のきらめくボディにため息をつき、人気アイドルの魅力的な体型に憧れを持って、自分もあんなカラダになりたいと願望する。自分がそんな姿になったことを想像して妄想に浸る。そして次に自分の脇腹をみて、現実に引き戻される。私も含めて、一般庶民の皆さん、こぞってそんな感じでしょう。

でも、某トレーニングシステムのCMに映し出されるビフォアーとアフターのこの両極端な体型のどちらもが、おそらく人間としては理想的とは云えません。神様がニンゲンを創りたもうたとき、筋肉美に酔いしれるような筋骨隆々なカラダが理想だったとしたら、今ほどブヨブヨなカラダになりうる脂肪の予備など準備しておかなかったはずです。存在の必要があるから存在する。皮下脂肪の少ない若いタレントさんのカラダも、体脂肪率一桁台のアスリートのカラダも、飢餓の世では最初にくたばってしまう。

美的センスは時代とともに変化しますが、カラダにとっての理想は本来大きくは変わらず、武道の構えに似て、いつでも何にでも対応できる位置が理想。だから、ニンゲンとして一番理想的なカラダつきは、飢餓にも飽食にも対応できる、ほどほどに肉も脂肪も付いた一般庶民のソレなのだと思います。

・・・決して、負け惜しみなどではありません。

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専門医監修?

昨夜、テレビ番組を見ていました。某タレントさんの肩こりや背中の痛みや手のしびれなどが心筋梗塞の前兆だったこと、それに気付かずに心筋梗塞になることがあるという警鐘を鳴らす健康番組でした。この時に、「心筋梗塞は命に関わる危険な病気です。数年前にはJリーガーの松田選手が心筋梗塞で突然死しました」というナレーションを聞きながら、「それは違うぞ」と独りで突っこみました。松田選手が心筋梗塞だったことも突然死したことも間違いはありませんが、彼の場合はちょっと状況が違う。ここで引き合いに出すべき名前ではないと思いました。他にも心筋梗塞に罹った芸能人はたくさんいるのに、ほとんどが生存しているから、命を落とした松田選手が一番インパクトが強いと考えたのでしょうか。

「この番組、ちょっと詰めが甘いんだよね」と妻も批判していましたが、今、世に氾濫している健康番組は、どれもいかにインパクトが強いか、重箱の隅をつつくかのようなきわめて特殊な病気の例を紹介できるかを競っている気がします。こういう番組で重要なことは、ちゃんと専門家が内容を監修しているのかどうかなわけで、そこに有名な専門病院の名前が出ることで内容が担保されています。でも、概ね、名前の挙がる専門病院の医師はいつも大忙し。番組の内容の細かなチェックなど、おそらくしていますまい。

うちの職場でも、ある企業のお客様向け機関誌の健康コーナーの監修を依頼されています。月に一回原稿が回ってきます。最終チェックを医師がしますが、ほとんどインターネット記事からコピペして並べただけのその文章は、決して質の高い内容だとはいえません。でもだからと云って全てを書き直してあげるほどの余裕は到底ない。「ま、間違ってはいないからいいか」という妥協の仕方で印鑑を押すのですが、この行為によって、「この文章は専門家のお墨付きをもらった内容です」というより、「専門医が書いた内容です」と勘違いされてしまうことになりかねません。とっても不本意で不名誉なことだから、極力関わらないように逃げていたい、といつも考えています。

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忘れたふりをしてみた。

昨夜は宴会でした。母の34回目の命日だからではなく、月遅れのわたしの〇歳の誕生日祝いをしてもらったからです。しっかり飲んで二日酔いだったこともあり、今朝は忘れたフリしてブログ書きをサボりました。

サボってみたらとっても楽だった。今日はいつになく忙しく、午前中に出勤する予定だった非常勤の先生が急きょ休まれて彼女がする予定だった読影を全部代行しなければならなかっただけでなく、午後の結果説明もいつもより20人も多い、という怖ろしい仕打ちを受けました。だからその後もすっかり忘れていました。

このまま、忘れたふりを通しちゃおうかな~と思ったけど、妙齢なので書かないと読者のみんなが心配するかなと思って、とりあえずご挨拶まで。

まだ、元気です。

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思い出の整理

昨日、二階の書斎の床に積んであった30年前の医学書を全部まとめて紙ゴミに出しました。有名な内科学の本や生化学の本や・・・大事に取っておいたけれどインターネット全盛の今どき、これを開けることなどないだろうと思ったのです。学生時代や研修医時代に書き込んだのであろう赤線やラインマーカーがたくさん入っている医学書はどれもとても重くて、所定のゴミ捨て場まで息を切らせながら何往復もしました。

あの大地震から1年あまり。一度元に戻した直後に襲った本震で再び飛んで行った荷物・・・戻す気力を失ってそのまま床に積んだだけのたくさんの荷物のカタマリの中で大きなスペースを占めていた医学書を除けたら、それなりにスッキリしました。何気なく久しぶりに見る床面と残った荷物を眺めていた時、ふと湧いてきた思いがあります。

「ここに残っているもの・・・アルバムだったり、旅先で買ってきた人形だったり、夫婦の健診の記録だったり、ポスターだったり、車屋さんからもらった景品だったり、そして大量の本だったり・・・これをこのまま持っていて何か意味あるのかな?」

大地震で放り出されるまでは整然と書棚にはまり込んでいた諸々は、長い人生の間にたまっていった思い出の積み重ねなのだけれど、少なくともこの1年、一度も見なくても困らなかったものだから、きっとこれからの人生でも一度も眺め直すことはないだろうと思われるものばかりなのです。子もいないし近い親族もあまりいない我が家で、夫婦の各々が亡くなったとき、形見の品として大事にとっておかれることもなく、きっと捨てられるであろう品々。自分には意味も思い入れもあるけれど、他人には何の価値もないのが『思い出』。この機会に、ここにあるもの全部を捨ててしまっても、きっと後悔などしないのではないか。そろそろ終活に取り掛かって身軽にしておいても損はないのではないか。そんな思いです。

面倒くさがらずに、ちょっとマジメに考えてみようかな、と思いました。

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「JPHC研究」

「JPHC研究」(Japan Public Health Center-based Prospective Study、主任研究者:津金昌一郎氏)ということば、きっとこれからあちこちで聞くようになるのでしょう。これは、「日本人を対象に、さまざまな生活習慣と、がん・2型糖尿病・脳卒中・心筋梗塞などとの関係を明らかにする目的で実施されている多目的コホート研究」・・・欧米人ではなく、日本人の生活習慣と病気の関連を確認する研究ですから、当然、外国のどんな権威のある論文よりも当てになる、自分たちによる自分たちのためのデータということになっていくのでしょう。奇しくもこんな記事が並んでいました。

欧米化された食事でも死亡リスクは低下

『健康的な食事パターン』で塩の摂取が多いにもかかわらず全死因と心血管疾患による死亡の低下が相関したのに加えて、『欧米化された食事パターン』でも、塩の摂取量が少ないためか、全死因、がん、心臓血管疾患による死亡リスクとの逆相関が示された。一方、『伝統的な日本の食事パターン』はこれらに何の相関も見られなかったというもの。日本人の生活習慣病の根源は「食事の欧米化だ!」と云ってきた理屈を覆す結果に困惑している人も少なくはないでしょう。

1日1時間の活発なウォーキングが脳卒中などのリスクを30%低下

日本人でも毎日の身体活動を続ければ、脳卒中や冠動脈疾患(心筋梗塞や心臓突然死)などの循環器疾患を予防できるということを証明した報告。ありがたい結果です。もともと”運動欲”の存在しないニンゲンにとってモチベーションにはなるでしょう。ただ、1日1時間も運動するの、かなりの覚悟が要りますから、できる範囲で意識しましょうかね。

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冠動脈石灰化と認知症

冠動脈カルシウムが認知症に関連

心臓の筋肉を栄養する冠状動脈の壁に石灰沈着が増加するほど心筋梗塞のリスクが高いということは以前から報告されており、生活習慣病管理のための重要な所見と云われています。冠動脈の石灰化があるということは、動脈硬化が進展していてすでに壁が壊れているレベルであることを示しています。壊れたモノを適宜修復しているから大事に至らないでいるけれど、修復が追いつかないと突然詰まって心筋梗塞になる、という理屈。だから、石灰化面積が広いほどそのリスクが高くることになり、そういう人ほど厳格に生活習慣病の管理を行わないと危険だと云うことになります。

そこに、今度はこの報告です。動脈硬化や脳卒中の既往とかに関連なく、冠動脈石灰化が強いほど認知症のリスクが高くなるという。これはCirculation: Cardiovascular Imagingに掲載されたアメリカの研究報告です。

トホホです。以前にもカミングアウトしましたが、わたしの冠動脈石灰化スコアは病的レベルの400を超える値で、「いつでも心筋梗塞で倒れる危険性がある」と云われているのに、さらに「生き延びたとしたら認知症だな」と云われてしまった・・・くそう、負けるもんか。

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「ただ歩くだけではダメ!」

ウォーキング:ウォーキングの新常識は「ただ歩くだけではダメ!」

やる気スイッチがなかなか入らないままに、お腹周りが重くなってきた昨今。妻は、一念発起の食事療法で確実に効果が出てきたと喜んでいますが、わたしはむしろ食事療法よりも運動が有効であることは経験値としてわかっていますから、やる気になればいつだって絞れるんだ!と思いつつ、やる気にならないまま時が過ぎていく・・・当たり前の経過にそろそろ喝を入れたいところ。

そんなわけで、日頃は見向きもしないこんな記事に目が行きました。専門領域ではあるので知っていたことばかりではあるのだけれど、運動を『ダイエットの道具』と捉えるのに抵抗があって、健康運動指導士さんやスポーツドクターが「ただ歩いてもムダ!」「せっかく運動するなら効率的に痩せられる方法で歩きましょう」と得意げに話しているのを見かけただけでそっぽを向いてきました。痩せるとか、生活習慣病の治療だとかそういう目的でやる運動は治療の一環なのだからそれでいいとしても、健康維持の目的やメンタルケア、あるいは認知症予防の目的の運動に、運動効率だとかちんたら歩くのは愚の骨頂だとかいうニュアンスを感じさせるのは好きではありません。

ただし、今のわたしは前者ですから、しっかり耳を貸します。はい。

●インターバル速歩
●運動量より運動強度と質
●プラス10センチ歩幅歩行
●坂道、階段の利用

はいはい。メモメモ。目指せ、10歳若い身体年齢!

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ヨーヨーダイエットの危険

「ヨーヨーダイエット」を防ぐために 短期間の体重の変動は危険

おもちゃのヨーヨーの様に体重が乱高下するダイエット(急激に減量したと思ったらすぐにリバウンドして元に戻り、一念発起して減量してはリバウンドを繰り返す)が返って危険であり、体重が乱高下するくらいなら最初から高いまま維持された人の方が長生きだ、というデータをここで紹介したのはもう10年近く前ではなかったかと思います。

「体重変動幅が最も大きい人では、変動幅が最も小さい人に比べて、死亡リスクは24%、心筋梗塞リスクは17%、脳卒中リスクは36%、それぞれ上昇した」 「極端な体重変動がみられる人は、心血管疾患や心筋梗塞、心停止、血行再建術の施行や閉塞性動脈硬化症、狭心症、脳卒中、心不全を起こしやすい」 などの報告が書かれているので、読んでみてください。そして、リバウンドしてしまう原因が、「ホメオスタシス」「レプチン」「腸内フローラ」・・・いずれもここで紹介してきました。

まあ、かく云うわたしも「今度こそ人生最後のダイエットだ」「もう二度と太ることはないだろう」と確信しながらすでに7回ほど10キロ前後のダイエットを繰り返してきています。あまり偉そうなことは申せません。

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アルバム

先月末に我が家の補修工事をしてもらいました。一年前の瓦が落ちたための大雨漏りの大惨事を除けば、おかげさまで大事に至らなかった我が家ですので急ぐお宅を先にしてもらっていました。何しろ築25年に近い老朽家屋、地震のせいなのか経年劣化なのか区別がつかないところも多数あります。

剥がれたりひび割れたりした内装クロスを張り替えてもらうために細々した小物をまとめて移動させたまま放ったらかしていたので、ゴールデンウィークの休みを使って整理しました。実は、大地震で棚や書棚が倒れて以降、本や小物は全部床に積み重ねたままになっています。それに若干の小物が上乗せされた状態。あの時倒れてしまった多数の額に入った写真類や写真立に飾っていた写真もそのまま積み重ねただけになっていましたので、この機会に全部アルバムに貼り直して収めることにしました。結婚式の後教会から出てきた時の大写し写真やら先代の愛犬を知人の写真館で撮ってもらった記念写真やら。このまま埃にまみれて積んでおくのも寂しいし、かといっていまさらもう一度壁にかけることもないなと思った次第です。

思えば、最近はみんな電子データだから写真を写真屋さんで現像してもらう機会はほとんどなく、撮っている枚数は今の方が計り知れないほど多いのに、「これ、この間の◯◯の時の写真。現像したから焼き増ししてきた」とかで写真の束を手渡してもらうことはありません。大きいものから小さいものまで、古い写真の数々をアルバムに挟み込みながら、時の流れを感じました。そして、「また再び災害にあったとして、この写真はアルバムに収めておいた方が助かる確率が高いのだろうか、それとも額のままの方が良いのだろうか?」と、壊れた家屋から昔のアルバムを探し出して涙ながらに安堵する光景をテレビで見たことを思い出しながら、意味のないアンニュイな思いにふけった休日の昼下がりでした。

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自転車通勤

自転車通勤者は徒歩通勤者より全死因死亡リスクが低い

我が家の玄関を開けると目の前に埃をかぶったロードランナーが鎮座しています。先日、家のクロス補修工事の時に動かして自転車の車体にかぶった埃を拭きながら「きちんと整備して、もう一度これで出勤しようかな」と思い立ちました。ガソリン代が急騰した年にしばらく自転車出勤に目覚めていました。それを止めざるを得なくなったのは深刻な頚椎症の痛みでした。上を向くことができず、ロードランナーの運転姿勢がとれなくなったのです。そのままそれを言い訳にしてマイカー通勤に戻ってしまいましたが、最近の頚椎症はさほど悪くない。散髪屋でひげ剃りのために仰臥位になることすらできなかった時期がありますが、今はそのまま居眠りだってできる。今なら、パンクしたタイヤを替えて、パーツを全部分解して掃除してもらったら、復活できるんじゃないか? そんなことを考えていた所でこの報告を読みました。

「英国・グラスゴー大学のCarlos A Celis-Morales氏らによる、前向きコホート研究の結果、自転車通勤は、全死因死亡、がん発生・死亡、CVD発生・死亡とも有意に低下した」という報告です(BMJ誌2017年4月19日号)。徒歩通勤は心血管疾患の発症率と死亡率は改善するが、全死因死亡、がん発生率、がん死亡率には有意差が見られなかった、という結果はちょっと残念でした。通勤手段であることを考えると、長時間はできないから、徒歩という手段はどうしても活動量が十分得られないことになるためでしょうか。

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シネマセラピー

久しぶりに荒田 智史先生の『シネマセラピー』を読みました。

Care Netで今回紹介されたのは、2015年6月3日に公開された『CM「サントリー角」【対人魅力(女性編)】』・・・角ハイボールのCMに見る、もてる女性の条件とは。

「初代の小雪さん、2代目の菅野美穂さん、3代目の井川遥さんの振る舞いから、女性の3つの魅力についていっしょに考えていきましょう」というコトバに釣られて、長~いのに最後まで読んでしまいました。小雪さんで見える”気配り美人”、菅野美穂さんで見える”甘え美人”、そして井川遙さんの”癒やし美人”。いいところを突いています。そのそれぞれのプラス面とマイナス面の解説を加えながら、どうやったら職場でもプライベートでも魅力的になれるかを分析しておりました。どうぞ、ご覧あれ。まあ、うちから醸し出される魅力は持って生まれた素性と子どもの頃の生活(しつけ)にかかっていますから、下心満載で付け刃の対処をしても見え見えになる気がしないこともないですが、でも努力は大事。大なり小なり報われると思います。

ちなみに、【対人魅力(男性編)】は『CM「あたらしい英雄、はじまる。」』・・・auの人気CMシリーズでした。このCMシリーズももうかなり長く続いています。

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5分間の幸せ

わたしの枕元に、わたしが絶大なる信頼を置いている2つの目覚まし時計(1つは昨年の大震災の後に代替わり、もう1つはすでに秒針が落ちているけどバリバリ現役)が鎮座しています。

毎朝6:00に静かに電子音が鳴り始めます。その脳天を叩くと、次に6:03に2つ目の目覚まし時計がけたたましく鳴り始め、そいつのへそを摘んで静かにさせると、すかさず6:05 に最初の目覚まし時計のスヌーズ機能が作動して再び電子音。ここで起き上がってきちんとスイッチを切る。ここまでが平日、休日を問わず、毎日のわたしのルーチン儀式です。最初に鳴ってからの5分の至福の時間。本当は起きてもいいけれど、起きずにまどろむ贅沢な時間。とても得した気分に浸れるから好きです。

ところが、最近、ちょっと様子が違うことがあります。夢の中で遠くの方に目覚ましのアラーム音が聞こえ始め、2つ目のけたたましいベル音で夢の世界から引き摺り出されて初めて正気。このまま二度寝すると遅刻するかもしれないからと、眠い目を擦りながら起き上がる、不愉快な朝。こんな仕打ちが頻回になり始めています。夜の眠りが浅くて朝方の睡眠が深くなっているのか、それとも眠りのピークが朝の方にシフトしているのか、はたまた睡眠時無呼吸などの病的状態か。

もう若い頃のような朝のアタマの切れ味は期待できないけれど、今一度生活を見直して、せめて朝の5分間の幸せを何とか取り戻したいものだと思うております。

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「抗微生物薬適正使用の手引き」

最近は、「風邪引いた」とか「お腹が壊れた」とかでクリニックを受診しても抗菌剤/抗生剤の予防投与をする先生はほとんどいなくなったと思うのですが、中には昔ながらの『風邪薬+予防的に抗生剤』がセットで出されているところもまだあるのでしょう。患者さんの方も、抗菌剤を出さないと何かケチられた気分になったりするひともいるようで。厚生労働省が今年5月以降に公表する予定という「抗微生物薬適正使用の手引き」は、これのことでしょうか。実は、風邪やノロはじっと嵐を通り過ぎるのを待つしか手立てがないのであります(運悪く自分の所に竜巻が発生してしまったんだと諦めて)。

「手引き」は外来診療を行う医療従事者を対象にする。日本では抗菌薬の1日使用量の92.4%を経口抗菌薬が占めるためだ。第一版では急性気道感染症(感冒、急性鼻副鼻腔炎、急性咽頭炎、急性気管支炎)と急性下痢症(サルモネラ腸炎、カンピロバクター腸炎、腸管出血性大腸菌腸炎)に焦点を当て、原則として抗菌薬の投与を行わないよう求めている。」とのこと。ウイルス感染に抗菌剤は無意味である上に、無用の処方で耐性菌を生み出す温床になっていることを懸念しているようです。

そう云いながら、簡単そうで簡単でないのが感染症。わたしは処方することがないから気が楽ですが、単なる症状だけではウイルス感染か細菌感染か区別が付けられないことは少なくなく、特にご高齢の方は肺炎になっていても大した症状でない事はままあること。「初期治療を誤った」とか非難されるとたまったものではありません。かなりしっかりとした手引きを発行してもらいたいものだと思います。

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白米と緑茶

米の多摂取による糖尿病リスク、緑茶が抑える可能性

いろいろ研究されているのですね。でも、最近こういう相互関係の研究が増えてきていることはとても良いことだと思います。あれがいい、これが悪い、の単体の研究はやりやすいし因果関係が明確なので報告が多いですが、実生活ではひとつの事象に対して肯定的な食材と否定的な食材を一緒に摂るのが普通(そうでないとただの”偏食”になってしまう)。だから、一緒にしたらどうなるのか?ということが、実生活では重要です。

この九州大学の研究は、白米の量と糖尿病リスクが正の相関で緑茶の量と糖尿病リスクが逆相関を示す中で白米と緑茶を一緒に摂ったらどうなるか調べたら女性だけはリスクを軽減させられた、というものです。「白米大好きな人はせめて一緒に緑茶をたくさん飲みましょう!」と。白米は噛まないと食後高血糖を助長し、緑茶は食後血糖の上昇を抑える・・・まあ、当たり前の結果と云えばそれまでしょうか。ただし、白米大好きで大量食いする人は基本的に噛みません。噛まずに飲み込む米の喉ごしが大好きらしい。そんな人にお茶を与えると一層流し込むのじゃないかと、そっちの方が心配です。それにしても、どうして男性には白米摂取量と糖尿病発症リスクの正相関すら認められなかったのでしょう? 男の方が噛まずに流し込む人が圧倒的に多いはずですが。

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類は友を呼ぶ

わたしの同級生にSNSによく美味しそうなランチや居酒屋さんの料理写真をアップしている人がいます。どれもとても美味しそうです。毎日こんなところで外食ばかりしてるのか?と周りからやっかみ半分のからかわれ方をしますが、実際にはそんなに頻回の外食ではない(本人談)そうです。まあ、必ず寝落ちするまで飲んで、代行で帰っているようですが。

そんな彼なのに、グルメおやじにありがちなメタボのお腹はしていません。なかなかスリムでカッコ良い。昔の写真はもっとふっくらしていた気もするけれど・・・炭水化物を控えたり、定期的に運動したり、かなり気を遣っているんだといつも云っていますが、彼と飲んだりすると本当の理由がすぐに分かります。地元の街中には彼の行きつけの飲み屋さんがたくさんありますが、いずれもお店の大将やママさんが作ってくれる料理がヘルシーでおいしい。魚料理も肉料理も洋食も中華も創作料理もなんでもありますが、そんな料理が、少しずつ良い感じの量で絶妙な頃合いに出て来る(一人で切り盛りしている人気店だから一人で順番に作っていればどうしてもそうなるのだろう)。その合間には必ず店の人や常連客との会話を楽しみ、ちっともガツガツしてない。小食なわけでもないけれど決して大食漢なわけでもない。「せっかく食べるんだから美味しいものを食べなければもったいない」が口ぐせの彼が口にするものは、決して高級グルメではない。「値段がリーゾナブルでないと意味がない」も口ぐせ。

「この歳になると、そげえいっぱいは食えんで当たり前やわ」と思わず口走った彼のコトバが正解だな、と思います。彼の舌は彼が意識するしないに関わらず、ちゃんと自分の身体の本分をわきまえている。アタマの欲求とカラダの要求とがきちんと一致している。そう思いました。そして、とても不思議なこと(当然のことなのかもしれないけれど)ですが、彼の行きつけのお店に来ている常連さんが、みんな同じような体型をしていることに先日気づいたわたしです(店主はでかい人が多いですけど)。同じようなものを食べているから当たり前、と云いたいところですが、逆にそういう飲み方を求めている人たちが同じところに集まって来ている結果なのかもしれないと思った次第です。

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化学反応

生活習慣病の行動変容に関わる情報は溢れるほどあります。ガン予防のための食生活などについても毎日のように報道されています。高血圧にはこれがいい、あれが悪い。善玉コレステロールを増やすには何を食べると効果がある。悪玉コレステロールが高いのは何を食べているせいだろう。血糖値をゆっくりあげる食べ方はこうだ。運動するとこんな効果があって・・・。

わたしたちも、そんな云い方をして受診者のやる気スイッチに刺激を与えるわけですが、でもホントはそのほとんどは正しくないだろうと思っています。ヒトの身体のカラクリは、そんな一対一対応の単純な化学反応や数学の関数のような理路整然とした理屈ではないはず。「これをすればこうなる」なんて単純なはずはなく、公式通りにはいかないし、公式そのものがないかもしれない。そもそも、化学者や栄養学者は、数多ある物質の中からひとつを取り出して、それがどのような効果をもたらすのか実証し、さらにその中の何という成分がその効果をもたらしているかを研究しているわけですが、その結果を生活指導の根拠にしています。でも、これは現実の体内のように色々な要素が入り混じって干渉しあっていることを前提にしていません。今流行りの腸内フローラがそうであるように、あれがいい、これが悪いと云っていじくりまわした結果として、体全体としてのバランスを損なう結果になってしまっているのが現実だとしたら、本当に申し訳ない。

これをよくするためには具体的に何をしたらいいんですか? 何を食べたらいいんですか?に即答できる人は、そんなことを何も考えていない無責任な人なのかもしれない。困った。

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マイペース・ユアペース

仕事中に、時々不思議に思うことがあります。私たちは、人間ドックの結果説明や診察や検査の読影・判読などを午前中のうちに効率的にこなさないといけないので、その日に勤務するドクターで毎日仕事の分担表を作っています。そして、各業務がどの程度進んでいるかをパソコン上のリストで確認することができます。もし何らかの事情で業務が滞っていたら手助けをしたりしなければならないからです。

そんなリストを仕事の合間に眺めていると、9時になっても9時半になっても一枚も読影済みにならないドクターがいます。今日は読影以外何も仕事がないはずなのに、何をしているんだろう?10時になったら抜けられない仕事が割り当てられているのだから、今のうちに済ませないとあとあと大変になるんじゃないのかな? いらん世話ですけど、妙に気になります。かと云って「何やってるんですかね?」と診察室を開けて確認するわけにもいきません。他人の部屋を覗いてみたい好奇心にはかられるのですが、ぐっと我慢しています。「どういう時間配分にしていようと、最終的に仕事をこなしてしまうなら何の問題もないのだから」と云って聞かせながら。「後にしなければならない仕事が山済みなんだから、余裕があるときにさっさと残りの仕事を済ませるべきだろう」なんて、どこかのお節介上司みたいなことを云うのはナンセンスだということもわきまえているつもり。

そんなことを考えていると、突然読影済みの表示が走り始めます。一気に業務モードがオンになったようです。「よかった、よかった」と胸をなでおろしているときに気づくのです。「しまった、他人のことばかり気にしていたら、自分の仕事が全然進んでいない!」と。

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有意差

新しいクスリを開発する、あるいは治療機器を売り出すと云う場合、その効果のほどを実証するために行われるのが臨床治験であり、効果があったかどうかを示すのが統計学的有意差というものです。わたしの知人に、痛みを和らげる機器を開発している人がいます。「痛み」という主観的なものの効果を証明するのはとても難しいのですが、症状日誌だけでなく、生理学的検査や神経学的検査などで検証しています。その彼が、云うのです。「普通、臨床治験といえば何百、何千人のデータを集めた上で効果に有意差が出るかどうかを競っているのだけれど、自分たちの機器はまだ二十人弱しかやってないのにすでに有意差が認められている。すごいことでしょ」・・・確かに素晴らしい機器の開発をしているなと思います。

でも、一方で、彼は典型的な理系人間だなとも感じました。有意差検定が必要だということは、つまり効かない人がいる、少なくとも効かないと感じている人がいる・・・高い機器を買っても無駄買いになる人がいる、ということです。クスリもそうですが、有意差検定はイコール確率論ですから、医薬品として認められたら、中にたまたま効かない人がいたとしても「それは仕方のない」こと。「万人に効くのは理想だけどそうはいかない。でも残りの人に効くだけでもそれは素晴らしいではないか」という当事者ならではの理屈はよくわかる。でも・・・例えば体調が悪くて病院を受診して、処方されたクスリをきちんと服用したけどほとんど効かなかった時、そのクスリ代を全額返金してくれたりしない。それは、その確率論で有意差があることを認めて多くの人に効くクスリだと国がお墨付きを出したものだから、効かないのは運が悪かっただけだから諦めなさい。他に効きそうなクスリを見繕ってあげるから、それで効くなら良いでしょ?ということです(無料ではありませんけど)。

乱暴な云い方ですが、「すごい有意差が出た」と自慢している彼が、「コンビニで売っている○○というサプリを飲んだら老眼が治った」という人に、「そんなのはただの気のせいだ」と笑ってバカにしている姿を見ると、どっちも似たようなものではないの?と思ってしまうわたしです。

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たった?

階段運動はコーヒーを飲むより効果的 たった10分の運動で活力が向上

米国のジョージァ大学で行ったユニークな研究、『コーヒーを飲むよりも、身近な場所で10分間の階段の昇降をした方が、眠気覚ましや活力を得られる効果が増す』という報告です(ジョージア大学パトリック オコナーら、Physiology and Behavior)。

「将来の介護予防のためにも平地のウォーキングよりも階段昇降を勧める」というのはスロージョギングの田中先生のコトバですが、たしかに昼下がりのまどろみを打破するのに、コーヒーを飲むよりちょっとオフィスを散歩した方が目が覚めてアタマがスッキリするというのは実感としてよく分かります。

ただ、気になることが一点だけ。「本格的な運動のために着替えたりすることもなく、階段昇降なら雨が降っていても気軽にできる」と研究者は得意げなのですが、なにしろ被験者が若い女子大生です。「良い方法だな」と読み進めているうちに、”階段昇降10分間”ってかなりハードだということに気付きます。わたしも運動のために職場のビル内を歩いたり階段昇降したりしますけど全部合わせても10分使うかどうか。階段だけで10分間もやっていたら、息切れして疲れてしまう、というのがわたしの実感です。よほどストイックな性格か運動好きでないと続けられないかもしれません。

とはいえ、『オフィスの階段3、4階まで一往復』だけでも全然違うんじゃないでしょうか。お試しあれ。

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グチの真意

「信じられない! 何で今日だけ雨なの? アタマにくるよね!」

「あなた、そんなに痛がっているのに仕事に行って大丈夫なの?」

「何でこんなに渋滞してるのよ! わたし、急いでるんだから何とかしてください!」

どこぞのわがままタレントが云っているのではなく、全部うちの奥さんのグチ。「そんなことをわたしに云ったって何も解決しないだろうが!」と怒鳴り返したくなるような物云いでかなりアタマにくるのですが、どうも彼女に他意はないようです。アタマにきたから云ってみただけ。「別に解決させたくて云っているわけじゃないのだし、解決なんてどうせしないことだし」と涼しい顔で嘯く。「それなら、周りを不愉快にさせるから口にするなよ!」と思うのだけれど、この口にする行為が大切なのだと云う。これで不満を発散できるのだと。

はいはい。それはよございました。わたしはここでグチをぶちまけながら発散させることにいたします。

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日本の威厳

宙に浮く受動喫煙対策、今国会の法案提出難航

つまらんはなしです。まあ、ヒトの健康云々より利権と地位確保が優先なのは政治の世界では必定。もともと『受動喫煙』云々という法律ができた時からこっそり詭弁の逃げ道を作りたい(「健康」に言及しつつ、吸っているヒトではなく周りにいるヒトが迷惑だから、という遠回しな規制で何とか察してほしい、みたいな)感が見え見えだったから、曖昧でいい加減な対応のツケも含めて、今になって慌てている大の大人たち。今回はオリンピック絡みで世界中が『喫煙規制』という直接的な政治的取り組みを禁煙後進国の日本にできるかどうかを注目して見ているから、政府(厚労省)としてもいい加減な逃げ方ができないわけでしょう。小さな店は禁煙にしなくていいとか、店に喫煙不可と喫煙可を表示しておけば客が選ぶから問題ないとか、そういう姑息な逃げコトバでは世界は許してくれますまい。<飲食店完全禁煙>て打ち出したって、店は潰れませんよ。吸う常連がいなくなっても店自体に魅力があれば吸わない新しい常連客であふれるはずなのだから。

そうは云っても、おそらく政府はうやむやの妥協策で落としどころを見つけられれば御の字なのでしょうね。先日は科学雑誌Lancetに全死因に占める喫煙の割合とやらが発表されていましたが、ああいうデータもこの日本の論争には何の役にも立ちません。完全に世界の常識からかけ離れていても、自分の利益のためには黒いモノを白と云い張って押し通す、そんな連中が国会の中枢部を牛耳っている国ですもの。役人さん方も大変だ。

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