思い出の整理
昨日、二階の書斎の床に積んであった30年前の医学書を全部まとめて紙ゴミに出しました。有名な内科学の本や生化学の本や・・・大事に取っておいたけれどインターネット全盛の今どき、これを開けることなどないだろうと思ったのです。学生時代や研修医時代に書き込んだのであろう赤線やラインマーカーがたくさん入っている医学書はどれもとても重くて、所定のゴミ捨て場まで息を切らせながら何往復もしました。
あの大地震から1年あまり。一度元に戻した直後に襲った本震で再び飛んで行った荷物・・・戻す気力を失ってそのまま床に積んだだけのたくさんの荷物のカタマリの中で大きなスペースを占めていた医学書を除けたら、それなりにスッキリしました。何気なく久しぶりに見る床面と残った荷物を眺めていた時、ふと湧いてきた思いがあります。
「ここに残っているもの・・・アルバムだったり、旅先で買ってきた人形だったり、夫婦の健診の記録だったり、ポスターだったり、車屋さんからもらった景品だったり、そして大量の本だったり・・・これをこのまま持っていて何か意味あるのかな?」
大地震で放り出されるまでは整然と書棚にはまり込んでいた諸々は、長い人生の間にたまっていった思い出の積み重ねなのだけれど、少なくともこの1年、一度も見なくても困らなかったものだから、きっとこれからの人生でも一度も眺め直すことはないだろうと思われるものばかりなのです。子もいないし近い親族もあまりいない我が家で、夫婦の各々が亡くなったとき、形見の品として大事にとっておかれることもなく、きっと捨てられるであろう品々。自分には意味も思い入れもあるけれど、他人には何の価値もないのが『思い出』。この機会に、ここにあるもの全部を捨ててしまっても、きっと後悔などしないのではないか。そろそろ終活に取り掛かって身軽にしておいても損はないのではないか。そんな思いです。
面倒くさがらずに、ちょっとマジメに考えてみようかな、と思いました。
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