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「適量」の在り方

CareNetにたまたま並べられた2つの報告の共通するキーワードは『適量』。

飲酒は適量でも認知症のリスク要因/BMJ

日本人の脳卒中予防に最適な身体活動量~JPHC研究

前者は、オックスフォード大学のAnya Topiwala氏らが、30年にわたるWhitehall II研究のデータを用いた縦断研究の結果、「アルコール摂取は、たとえ適量であっても海馬の萎縮など脳に悪影響がある」と報告したもの。後者は、日本人の多目的コホート研究であるJPHC研究(Japan Public Health Center-based Prospective Study)を評価したところ、「日本人では過度の激しい活動は出血性脳卒中の予防に有益ではなく、脳卒中予防には中等度の身体活動量が最適であろう」というもの。

書いてあることはさほど新しい知見でもない気がするのであまりインパクトはありません(前者はこれまで「適量はむしろ何も飲まない人より良い」と云われてきていたから酒飲みには気になります)。ただ、『適量』というコトバが一律な定義になってしまうのが、やむを得ないことではありますが、ちょっと気に入りません。各人各様の『適量』があまりに主観的で(アルコールでは「ほろ酔い気分になる一歩手前」が『適量』だと教わりました)、どうしてもこういう統計学的研究では限界があります。自分に正直に分析したとき、自分にとっての『適量』はやはりあくまでも主観的であるべきで、主観と客観に差があるときに客観的指標に振り回されすぎていると、自分の人生を踏みにじられた気分になります。そんなわたしって、おかしいですか?

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