使命感(中)
(つづき)
それがいつの間にか病院全体が『断らない救急』をスローガンに掲げ、定刻に病院を出ていると「あいつは遊んでいる」と陰口を叩かれる風潮になり、何日もほとんど帰れない日が続くのは当たり前というか、それが一流の救急医の勲章みたいな扱いを受けるようになりました。わたしの日々のToDoメモはいつも処理できないほどに溢れていて、『しなければならないこと』に毎日追い立てられるようにして生活しておりました。
そんな生活が良いとは思いません。「医者になろう」「救急医になろう」と考えた時から、頭の中にあるのは『命を預かる』ということへの使命感だけでしたから、それさえ満たされるなら、可能な限り人間らしい生き方をするのがベストだと思います。ただ、わたしたちが普通の労働者として割り切って定刻勤務をしても大丈夫なのだろうか? 世間の皆さんはそれを『やむを得ないこと』と割り切ってくれるのだろうか?過酷な診療科を選ぶ若い医師が減っている中で、当然人手は足りませんから、選択肢は1つ、診療時間を短縮することしかありません。夜間救急はやらないのが一番手っ取り早い。具合が悪ければ朝まで待ちなさい、と云うことになる。まあ、遠い昔はそう云う諦め方をしていたのだから、できないことはないのか。「当直明けには帰って休め」と国は云うのですが、そうすると自分の受け持ち患者さんのケアは同僚に任せるわけです。「普通どんな企業でもそんなもんだよ。担当のお得意さんから連絡が来たら違う人が対応するよね。それと同じなんじゃないの?」って云うことで、良いですか? 自分の主治医にそう云われたり、自分が急変したときに自分を知らない他のドクターがケアしてくれるとしてもきちんとやってくれるなら問題ありませんか? ま、『主治医』というコトバがなくなれば問題ないのか。(つづく)
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