« 標準化と職人技 | トップページ | 常識だと勘違い(1) »

謝り方を知らない

某国の首相が「説明責任を果たす」「国民が納得できるように丁寧に説明する」と息巻いていますが、なんとなくどうでも良い気がします。「自分がやったことがいかに正しいか、間違ったことは何もしていないし、ごり押しをするような指示などひとことも云っていない」と云うことを「責任を持ってお伝えしたい」と云うのだろうと想像するからです。

一般社会の会社や組織の中でもよくあることですが、組織の長になる人の責務は、自分の行為に非がないかどうかということではなく、周りが勝手に誤解して忖度したりする空気を作らせたこと、そういう風土を容認してしまったことに対する釈明です。「わたしの知らないところで勝手にやったことだ」では済まないし、記録があるとかないとか証拠があるとかないとか、そんなことはどうでもいい。というか、大の大人なのだから、それも最高学府を卒業したエリートたちがほんの数ヶ月前までにあったことなんて忘れるはずもなく(忘れているとすればいつもそんないい加減な仕事しているのが官僚だということになってしまう)、世間の人たちはほとんど何が起きたのかは想像できているわけです。本来、政治の世界はこういう感じでうまいこと成り立ってきたし、上の者が何も云わなくても下の者が慮ってまつりごとを行うというのは、太古の昔からやられていた習わしです。

だから、どうしてこんなことになったのかの説明責任の遂行の中で、「わたしが悪かった」と謝ることを絶対に避けては通れません。ただ、いかんせん、今の首長は”言い訳をせず”に謝ることを知りません。「わたしは何も悪いことはしていない、何か問題があったとしたらわたしの伺い知らないところで起きたことだ」と強く主張する。おそらくそういう環境の中で成長して来ていないからやむを得ないし、この人に限らず、国の首長は簡単に謝ってはいけないのだとみえる。それをしたら社会が成り立たなくなるのだ、ということかもしれません。

だから、今となっては国のことはどうでもよい。どうせ、野党も大したことはできないし、子どもの喧嘩のような時間が過ぎて終わるだけでしょう。ただ、この茶番を眺めながら、少なくとも自分たちの現実の組織の中ではこんなことは間違ってもやってはいけないし、今回のことをそんな反面教師のような教訓にすべきだと思っています。

|
|

« 標準化と職人技 | トップページ | 常識だと勘違い(1) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 標準化と職人技 | トップページ | 常識だと勘違い(1) »