怒るということ
なかなかむずかしのですが、できるだけ『怒る』という行為をしないで済むように日々意識しています。「あいつ、こんなこともできていない」「なんであんなことをする?」・・・政治家の言動やテレビ番組の記者の言動や、あるいは身内や職場の職員の態度にブチ切れそうになることは日常茶飯事。そういうやつらに限って「わたしは間違ってない」「これが正義だ」という顔をして嘯くので一層アタマにくるわけですが、そこでグッと抑えられる自分でありたいと日夜訓練中です。
我慢しているのではダメ。我慢は一番ストレスがかかる対処法です。わたしのように若くして高血圧で冠動脈の石灰化が強くなった人間は、カーっとするのが一番危険。他人に云っているからちゃんと理解しています。だから、我慢するのではなく、容認するのが一番。でもこれは余程の悟りの世界。とりあえず、見て見ぬ振りをする(スルーする)か諦める(こいつらはバカだからと思う)のが手っ取り早いので、そうできるように頑張っています。おかげでだいぶ怒りの感情がコントロールできるようになりました。それでも収まらないときはブログでこっそり(ブログだから、こっそりではないけれど)吐露してスッキリする(書いているときの血圧はマックスかもしれない)ことを覚えました。
「怒っても何の得もないんだぞ」と先人の誰もが教えてくれたこと、最近やっと理解できるようになりました。『怒り』はおそらく、「当事者が間違っているから改めさせたい」という正義感ではなく、「自分が正しい」ということを世間の人にわからしめたいという欲求の表現にすぎず、結局は『自分』。自分に返ってきてほしい賞賛の欲求が何も満たされない行為が『怒り』なのだと分かれば、つまらぬことはするだけ損・・・そんな損得勘定で生きているから、結局まだまだ悟れないでいるのかもしれません(笑)
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