要るのか、その云い訳
うちの職場のタイムカードの打刻器が移設されました。もともと出退勤管理をするための機器ですから、どこの職場でも通用門の近くやロッカーの前に設置されることでしょう。うちもそこにあったのですが、各勤務部署の持ち場近くに移設したわけです。なぜか? それは、勤怠管理上、仕事が終わって帰るまでのタイムラグが大きい(仕事の後に学会準備をしたり非公式のミーティングをしたりする頻度が多い職場なので)ことが労基に指摘され、改善を要求されたことに起因します。その時間に職場にいた、というアリバイ作りではなく、実際に正式な勤務として働いた時間を正確に把握しなさい、と。そのために、仕事を開始する直前に打刻して、仕事が終わり次第速やかに打刻することで実態把握をしようとしているわけです(と云い切っていますが担当者ではないので真実は存じません)。と云うか、「業務としての仕事時間以外は『勤務時間』とは認めないぞ」ということなのだと思います。
ところが、その移設の告示には、「より打刻しやすい環境を整備するため、打刻器を移設しました」と書いてある。何度も読み返しました。「何云ってるのか?」と何度でも突っ込みたくなります。どうしてそんな見え見えのウソの云い訳をするのだろう? 打刻しやすいのは明らかに今まで通り通用門の近くかロッカーの前に決まっています。着替えに行って、まだ打刻していないことに気づいて、何度持ち場に引き返したことか。目的はそれではないことくらい皆が知っていますし、それを隠す必要もないと思うのですが・・・。そんな、思ってもいないこじつけを文字にして書いてしまっても大丈夫なのだろうか?
割とこういう後付けの云い訳文は世に氾濫しています。「そんな良くわからないあやふやな云い訳でなくて、本音は何なの?」と問いただしたときに渋々答えてくれる内容って、いつもちっとも大したことではない。気を遣いすぎなのではないかと思うことの方が多い気がします。
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