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2017年9月

無駄な検査~糖負荷試験

人間ドックのメニューの中に75グラム糖負荷試験があります。空腹時の血糖採血やヘモグロビンA1cなどでは異常がないのに、インスリンの出方が一歩遅く(インスリン初期分泌不全)て食べた後だけ血糖が上昇する『食後高血糖(耐糖能異常)』を呈するヒトが日本人にはたくさん隠れています。いわゆる糖尿病予備群というやつで、「この時期に動脈硬化が一気に加速度を増すので、この時期から生活習慣病の改善に心がけましょう」ということで行われている検査です。検査は75グラムのブドウ糖を飲用して、その1時間後と2時間後に採血検査をするだけです。

この検査、糖代謝異常(インスリン反応の異常)の体質があるかどうかを調べる検査であって、その時点での糖尿病の程度を確認する検査ではありません。以前も書いたことがありますが、日々精進した成果を糖負荷検査で確認しようとする人(「これだけがんばっているのにどうして正常にならないのか」と悩む人)がいますが、それはこの検査ではわかりません。前回検査したときに正常だった人は、歳を取ってから表に出るかもしれないから何年かに1回は受けても意義がありますが、一旦糖代謝異常の確認ができた人にとっては、その後何度受けてももはや何の意味もありません。お金を払って受ける権利があるから断ることなく行っていますけれど、あんな甘いジュースを無理矢理飲まされた挙げ句に2回も針を刺されて痛い思いをさせられる分、損だと思います。人間ドックのメニュー、イヤだったら受けなくても良いんですよ(企業からの必須指示でない限り)・・・お金は戻りませんけれど。

日常生活をする上で、自分の生活療法がうまくいっているかを確認するなら、通常の生活をした上での食後2時間血糖をヘモグロビンA1cと一緒に外来で測定してもらうことだと思います。

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カットオフ値は11個

「1分間に思い出せる動物の名前の数」でインスリン治療の可否を判定

CareNetの配信記事を続けます。『「1分間になるべく多くの動物の名前を思い出す」という簡単な記憶力テストの結果で、高齢の2型糖尿病患者がインスリン治療を自己管理できるかどうかを判定できる可能性があるとする研究結果を、横浜市立大学大学院分子内分泌・糖尿病内科学教授の寺内康夫氏らの研究グループが発表した。』というもの。

このテスト、脳ドックの前頭葉機能検査で必ずやるやつなのでよく知っています(言語流暢性課題(verbal fluency test)というらしい)。わたしなんて、5、6年前に脳ドックを受ける前日に練習していったのに15個めの名前が出てこず(順調だった「花の名前」、ところが30秒目のところで頭に浮かんだ「ユリ」の単語が出てこないままその後30秒間沈黙しました)にとても凹んだ思い出のあるテストです。『1分間に動物の名前を「11個以上」思い出せると、その患者は1週間以内に自分でインスリン治療を管理できると予測される』とのことなので、一応わたしもインスリン自己管理をする権利を得ることはできたみたい(もっとも、60歳以上が対象だからわたしが検査した歳ではもっとたくさん云えないとダメだったのかもしれないけれど)。

とりあえず、『カットオフ値は11個』というのを覚えておきましょう。

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マグネシウムの効果

食事からマグネシウムを多く摂るほど心筋梗塞になりにくい

日本人を対象に行った『多目的コホート研究(JPHC Study)』は今が旬。その解析のひとつが報告されています。『魚や果物、野菜などのマグネシウムを多く含む食品をよく食べる人ほど、心筋梗塞などの虚血性心疾患を起こしにくい可能性があることを、国立がん研究センターと国立循環器病研究センターらの共同研究グループが発表した』『マグネシウムが不足すると血圧の上昇や脂質異常、動脈硬化の進展などがもたらされるため、摂取量を増やすと虚血性心疾患の予防につながる可能性がある』というものです。

マグネシウムが虚血性心疾患予防に有効であることは欧米からすでに報告されているので周知の事実でしょうが、これがアジア人、とくに日本人の住民調査で実証できたところが重要なのだそうです。

で、このCareNetの本文に何度も出てくるところの、『食事からのマグネシウム摂取』というのが気になるのですが、これはもちろん調査自体が食事の解析しかしていないからなのでしょうが、言外には「あくまでも食事から摂った場合のことであって、これを安易にサプリか何かで補充しても同じ効果になるかどうかわからないぞ」というコトバが隠れていると読み解きました。

で、具体的には何をたくさん食っている連中が良い結果をもたらしたのでしょうか。

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好きなものリスト

ここでも何度も云ってきました。

「食いたくもないものは、食うな!」

優秀な栄養士さんや保健師さんのおかげで”食べず嫌い”を克服できたとして、それがホントに単なる”食べず嫌い”で、食べてみたら飛びつくほどに美味しかったというのであれば別ですが、「キライで食べられなかったものがちゃんと食べられるようになった」というレベルで、その後どこかのお店で数あるメニューを並べられたときにその中からあえてそれを選ぶなんてことはありえないと思うのです。少なくとも、わたしはそんなことはまずしません。

どんなに「カラダにいいよ」と云われても、食いたくもないものを大量に並べられたって、食べるはずがないじゃない・・・ため息ついて食べるくらいなら食べない方が健康だというのがわたしのポリシー。料理を理屈で食ったり作ったりするのは最初のお試し期間だけで十分だと思います。そのときに心踊らないものは、きっとその後も絶対に自分の好きなものリストの中に並ぶことはない・・・それが真実ではあるまいか。

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独りよがりの正義

うちの職場では、当番の事務員さんが朝一番に診察室のパソコンを起動して回ってくれます。定刻にドクターがすぐに仕事を始められるように、です。でも診察室によって若干仕様が違っていて、特にわたしの部屋のパソコンの立ち上げルールはちと複雑です。パソコンが二台あって、一方は電子カルテと心電図判読用システムが、もう片方のパソコンには人間ドック業務用のシステムが入っていて、その各々で準備が違うのです。

最近はほとんどみなさん間違わずにできていますが、一方しか立ち上げてなかったり、立ち上げ方が逆だったりして、一からやり直さなければならないことが、1、2週間に一回くらいあります。

「あらあら、今日は新人さんが担当したのかな」とか独り言を云いながら再起動します。昔は、「どこがどう間違っていたから気をつけてね」というメモを残したりしましたが、今はそんなことはしません。本来の自分の仕事でもないことをしてくれているのだし、たまに担当になって特殊な起動パターンを覚えるのは大変だもんね、と思うと申し訳なくて・・・。

「何だよ、こんなこともちゃんとやれないのか!」と目くじら立てて怒鳴る、某会社の社長さんや管理者のご歴々がおられますが、エネルギーがあるなあと感心します。わたしのような下っ端の中間管理職のオヤジには経験がないからよくわかりませんが、あれは、部下を支配下に置いておけていることへの優越感を味わいたいためのパフォーマンスなのかしら。でも、たしかに若いころのわたしも声を震わせて叱っていました。「この程度のことができずにどうするんだ。こんなことすらできずに、まともなことができるはずがないじゃないか!」と思っていたし、だから自分は憎まれ役になって、教育のために𠮟ってやっているんだ、という自負がありました。そんな自分の信じていた『正義』が、独りよがりだったのではないかという想いに至るようになった今日このごろです。

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何のために生きる

健康のためには、10000歩歩くのがいいのか8000歩がいいのか、それとももっと少なくていいのか?

炭水化物を摂ると心筋梗塞になるけど脂肪を取るとかえって脳卒中は減るというデータが発表されたらしい。ということは、炭水化物をゼロにして脂肪ばかり取れば健康になる!ということか?

歳を取ってから退化する筋肉は平地歩行では使われない筋肉だから、平地をいくら歩いても老化防止効果はない。階段や坂道を歩くかジョギングしないのなら、運動するだけ無駄だということになる?

今の健康情報は徐々にマニアックになり、アンチテーゼも強烈なので、健康情報を集めれば集めるほど、「健康になるためには何をしたらいいのかわからない」という輩が急増している気がします。わたしたちも、「どっちが本当なんですか?」と受診者に詰め寄られる経験は幾度となくあります。

でも、ちょっと気持ちを緩めて、自分の姿を俯瞰図で眺めてみましょう。なんか、バカげてると思いませんか。皆さん、一体何のために生きてるのでしょうか。努力してガマンして「これをすると健康になれる」という理論に右往左往する・・・健康を得るためにそんなガマンをしても、その先に本当の健康があるとは到底思えませんし、そんな「健康」って、何?という気になる今日この頃のわたしです。

わたし、病んでますか? まあ、健康オタクの皆さんに比べたらはるかに健康だと自負しています(笑)

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続・思い出の整理

バッテリー消耗が速くなったのを機に、スマホを新しいのに更新しました。そのデータのバックアップの作業をするにあたり、撮りっぱなしだった写真を整理しました。今のiPhoneを使い始めた2013年3月から約6500枚の写真。一枚一枚確認しながら削除して、結局1000枚ちょっとまで削りました。

削除したのはほとんどが酒の写真や料理の写真。「あってもなくてもいいな」と思って削除。あちこちのお店に行ったときのお店の看板も削除。結局、日々ことあるごとに玄関先で写した自撮り写真とワンたちの写真(2014年に亡くなったワンの写真もありました)、そして去年の出雲大社旅行と今年の姫島・国東旅行の写真だけになりました。

すっきりはしたのだけれど、この残した写真を眺めながら、「これも、あってもなくてもいいな」と独りごと・・・この写真を残しておいたところで、見返す可能性は極めて低いと思うのです。パソコンにはもっと前からのモノもすべてバックアップしてありますが、これもおそらく起こしてみる可能性はほとんどない。今や、紙媒体のアルバムも引っ張り出すことはない。子どもや孫でもいれば将来見返してくれることもあるかもしれないけれど、遺品として残しておいても意味はなく、夫婦でスマホを覗き込みながら思い出に浸る光景など想像しようとしても微塵も浮かばない。

世の中が便利になって、何でも残すことができるようになったから残してみてはいるけれど、そろそろ身辺整理していかねばと思う今日この頃、ふと家の中を眺めていると、何もかもが要らないものに見えてきます。過去の記録など何も意味がない。今必要としているモノ以外、全部捨て去っても何も困らない・・・そんな気分であります。

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雨音

夕暮れの湖畔の道を散歩する。猛暑の夏が過ぎて、陽が落ちるとしっかり秋らしい。

歩いていたら雨がパラパラと降ってきた。疲れていたからゆっくり歩こうと思っていたけれど、傘を持っていないので、かえって早足になる。まあ大した雨ではないので、そう焦ってはいないのだけれど、ちょっとだけ走ってみたりなんかする。そうしていると、公園の中に木立ちが密集する場所があったので、雨を避けるためにちょっと木陰に入ってみた。そしたら、雨音が激しく響き始めた。雨脚が強くなったのではないようだ。広い公園の小径を歩いている間には聞こえなかった雨音が、木々の葉に当たって響いて聞こえるのだ。この雨は、意外に強いのだということを、その時初めて知った。

こういうことって、実は世間にはたくさんある。自分は大したことではないと思っていたのに実は世間では大騒動になっていたり、あるいは逆に、実は大したことではないのに世間が騒ぐので一緒になってココロを騒がせてみたり・・・この世のすべてのモノが本当は主観的で相対的なものだということを思い知らされた気がした。

また一歩、悟りの方向に歩を進めたようだ。

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清潔の概念の戦い

「大丈夫か、現代日本?」

スーパーの惣菜の大腸菌騒ぎで、再びこんなことを叫んでしまったわたし。これをきっかけに、再び必要以上に極端な滅菌生活が強化されてしまう。「手にどれだけ菌が付いているかを目で見ることができるスマフォアプリが開発された」という話をTVニュースで見ました。そんなものダウンロードしようものなら、気持ち悪くてどこもかしこも「滅菌、滅菌!」・・・家中で消毒液をぶちかまし、下手をすると消毒液を飲むヤツまで出てくるのじゃないかと心配になります。

どことかの町で小中学校の給食弁当に異物混入が続いていた、なんてことは次元の違う論外さがありますが、今の衛生概念は根本が間違っている気がします。人間(あるいは動物)は、もともとそんなヤワな構造にはなっておりません。細菌やウイルスとは常に共存してきました。腸内フローラで有名な腸内細菌叢もそのひとつ。今回の問題になった大腸菌は、決して特殊な形のやつではないのに・・・。利用者が感染したのは、利用者の抵抗力がおかしいだけなんじゃないの?なんてことは、医療者は決して公では云えないけれど、絶対アタマの中では思っていると思う。宿主側の抵抗力が落ちているから感染する。でも、感染例が出るとさらに極端な滅菌指導が始まり、一層各人の体内に共存してきた細菌群が消えて行き、その都度各人の抵抗力が低下し、そしてまた大したことでもないことで感染の集団発生が起きる。

悪循環の典型だと思います。おかあさん方、きっと何かが間違っています。子どもたちをこれから強い子に育てようと思うなら、滅菌攻勢で守ってあげるのでは逆効果だと思います。この考え方、間違っていますかねえ。

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運動をしない理由

昨日、ワンの散歩の後に小一時間、本当に久しぶりに一人で散歩をしました。ワンが工事の音を怖がって近付かなくなった公園の池のほとりを、日暮れ時に歩きながら、1年前まではここを毎日歩くのが日課だったなあ、などと思い返しながら。でも、正直、きつかった。途中から雨も降り出して、ここまで来たことを密かに後悔しました。

人間にとって、「運動をする」ということは、簡単なようで意外に大変なことです。もともと「人間には運動欲はない」から、しないで済むなら絶対にしない。言い訳が思いつける限り絶対にしない。それが”運動”であり、それが”人間”なのであります。

などと、エラそうにその理論を逆手にとって、「しょうがないもんね」とばかりに運動しなくなっていました。1年前に活動量計を抱えていた頃は毎日意地でも10000歩歩きたくて、職場の病院を用もないのに隣りの棟まで日に2回も散歩しに行ったりしていたのです。なのに、たしかに、今は超面倒くさい。「しなきゃな」という気持ちにもならなくなって・・・診察室のある4階までの階段はさすがに毎日使っていますが、それ以上「ムダに動く」なんてことしたくない。全然そんな気にならないんだもの、だってほら、人間には運動欲という欲は存在しないのだから。

”人間には運動欲という欲はない。ただし、動かないと退化する。面倒くさくなった瞬間から年寄りになる” 

そんなこと、百も承知なんだがなぁ。

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アドバイスはどっちが妥当?

人間ドックの結果を説明していると、コトバを選ぶのに悩むことがたくさんあります。

更年期を迎えて、女性ホルモンが動き始めた妙齢の女性。「これからいろんなことが起きてくるお年頃だと覚悟しましょう」と云ったら、神妙な顔をして「はい」と答えてくれましたが・・・。「そんなことには負けずに頑張りましょう。『もういい歳だし、こんなもんやろ』と思った瞬間から歳をとり始めますよ」というべきか、あるいは、「自分の生き方が悪いのではなく、そういう時が来たのだから、暗くなったり抗ったりしようとせず、うまく受け入れましょう」というべきか、と悩むことが多くなったわたし・・・どちらのアドバイスの仕方が、良いのだろうか? 『アンチエイジング』とは、どちらのことを云うのだろうか?と。

「カラダの中にエネルギーが余っているのだから、食べなくても生きていけます。無理して食べないようにしましょう」というか、「食事は理屈ではありません。キライなものは食べずに大好きなものだけをしっかり味わって食べましょう」というか・・・脂肪肝や糖尿病の高齢者にはどちらのアドバイスが妥当なのだろうか?

筋肉は破壊させたものが再生するときに大きくなるのだから、筋トレは限界を越えてしないと意味がありませんが、やりすぎると筋肉はただただ衰えるだけ・・・その理屈を、頑張りたがる高齢者に指導するには、何と云ったらいいのか?

相手にもよるのでしょうが・・・。

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ポケモンGO、その後

先日、愛犬の散歩をしていたら、公園の橋の近くに大人数のおじさんおばさんが集まって異様でした。明らかにみんな赤の他人の群衆なのだけれど、手にはスマホ。「これは、ポケモンの何かのイベントだね」と冷たく俯瞰的なコトバを吐いて通り過ぎる妻。去年はあんなに熱中していたのにな、と苦笑い。コンプリートしてしまうと熱意が一気に失せてしまう様だし、自宅周辺でゲットできないものは諦めるしかないし・・・この手のゲームは、簡単でもむずかしすぎても飽きてしまうのでしょう。それが、今でも続けられる人たちのモチベーションってすごいなと思います。

そんなポケモンGOについての学問的な効果の評価がでてきました。

「ポケモンGO」は働く人のメンタルヘルスに有効 初の科学的な検証

・スマホゲーム「ポケモンGO」を1ヵ月以上続けてプレイした労働者は心理的ストレス反応が減少したという調査結果を、東京大学医学系研究科精神保健学分野の研究グループがまとめた。
・日本に在住している正社員・正職員の労働者2,530人を対象に、2016年11月から追跡して調査。2016年12月にインターネットを用いて、「ポケモンGO」を1ヵ月以上継続してプレイしたことがあるか、および心理的ストレス反応の程度について調査した。
・「ポケモンGO」を1ヵ月以上継続してプレイした労働者(9.7%)は、そうでない労働者(90.3%)に比べ、1年後の心理的ストレス反応が有意に減少していた。
・「ポケモンGO」をプレイしなかった労働者の心理的ストレス反応はほぼ横ばいだった。性別、年齢、喫煙習慣、飲酒習慣、および仕事のストレス要因の影響などを調整した上で比べて、統計的に明確な差があった。

この東大の研究は、「ポケモンGO」がメンタルヘルスの改善に及ぼす効果を示した、世界で初めてのものなのだそうです。 簡単に飽きてしまった妻は、残念でした。

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診察室はおもしろい(2)

くだんのカッコウつけ坊やを診察した日、もうひとり印象に残った人がいました。

それは地元の老舗デパートで働く男性。わたしより5歳ほど若い彼は、診察室に入って来るなりどこか上から目線。身のこなしは上品ではあるけれど、「よろしくお願いします」と云ったら、「よろしく!」と返され、「診察をしたいので前を開けてください」と云ったら、不機嫌そうな顔で一呼吸おいて、めんどくさそうに紐を解きはじめました。

別に、”横柄な口の利き方”というほどではないのですが、明らかに「おれはお客様なんだぞ」という空気が湧き出ています。職場では役職のあるお偉いさんの部類なんだろうなと思います。でも、わたしは彼の名前を見て、この人が以前我が家が外商に入っていた頃の担当者のひとりだったことを知っています。あまり利用しないし、家に来るときはたまたま妻が居るときしか会わないだろうから、彼は気付いてもいないのだろうけれど、わたしが彼の名前を憶えているのは、「デパートで宝石特売の企画があっているらしくて、今日来た外商担当者が『奥さま、ひとつお願いしますよ。ご主人に時計なんかもどうですか?』とすごいしつこかったのよ」といって妻が指し出した名刺に書かれていた名前だったからです。

客商売しているから自分が逆の立場になったら仕返しのように上からの態度を取ってみたいのかもしれないし、元々お客さま相手のときとそうでない相手のときとで態度を使い分ける人なのかもしれない。ただ、地方の小さなコミュニティの中で生活していると、わたしのように、担当者が逆の立場で相対することはよくありますし、プライベートの姿をどこからみられているかわかりません。彼の姿を見ながら、自分も注意しなきゃな、と思いました。

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災害報道

台風18号のためにこの三連休の予定が散々な方も多いでしょう。熊本は直撃コースの候補だったので、わたしも一泊の大分行きを断念して自宅で静かにすることにしました。1時間ごとに気象庁の台風情報を確認し、いつ来るのかと固唾を飲んで見守っています。

そんな中、NHK以外のTV放送は決まって沖縄や宮古島の激しかった嵐の画像を出し、一番激しい暴風雨が襲ったらどんなにひどいかの実験をし、こんなのが来るんだから早く避難しろ!と煽る。まあ、用心するに越したことはないし、最近は未曽有の被害が出るから、やっていることは分かるのだけれど、当事者であるわたしたちが見ていてもちょっとやり過ぎ感を感じます。そして、正直、過去の被災の報道はどうでもいい(現地の被災者には申し訳ないが)。今直面しているわたしたちの知りたいことは、今からの我が家の周りの情報であって、大雑把な情報は要らないのですし、明らかに他人事の野次馬的報道を神妙な顔で行うのは、違うんじゃないかなと思う・・・そんな感覚が、年々強くなってきます。

先日のJアラート、これから何度も聞かされると思うと憂鬱ですが、あれも、「通り過ぎて着水した」ことが確認されたら、あとはNHKだけの報道に切り替えるという取り決めにしてもらえないでしょうか。「危険性がほとんどなくなった」と分かったら、突然軍事評論家や大学教授に電話でコメントを求めるのを我先にと各局が始めると、急にうんざりします。知りたいのは、軍事評論家のマニアックな理論を嬉々として語るのを聞くことではなく、もう動いていいのか、まだ何を注意するのかの情報提供だけで十分ではあるまいか。

未曽有の災害が起きれば起きるほど、報道に求めたいことは他局を出し抜いて三面記事的な不安感の煽り方をするのではなく、目の前に直面している当事者に特化した具体的な情報であります。陳腐で浅はかなディレクターの感性では絶対に対処できません。報道関係者はもっと日頃から災害に対する本当の重要性を深く勉強して、遠くで他人の不幸を観たがっている人を食いつかせる陳腐な番組作りではないものを見せてほしいと思います。

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診察室はおもしろい(1)

健診や人間ドックでは原則として内科診察が必須です。「あんなもん、有名無実だからやめた方がいい」という医者も多々おりますが、何のためにしているのかは以前ここでも書いたことがあるのでご参考あれ。そのポイントを押さえることなく、「義務だから面倒臭いのに形だけしている」なんて人はやらない方がいい。今や、診察時に見落とした病気(甲状腺腫大やリンパ節腫大や弁膜症など)で大事に至ったら、訴えられるかもしれない時代ですから。

そんな診察を毎日やっていますが、高々数分の密室の付き合いの中、いろんな人がいて、意外におもしろい。人間ドック受診者よりも一般健診受診者の方がおもしろい。

某建設会社の若い社員。何か気に入らないことがあったのだろう。名前を何度か読んだら、無愛想な上に、わざとらしくゆっくりとふてぶてしく歩いてくる。昔なら、「何という態度だ!」と頭にくるか、「何をしでかすかわからない」と緊張してしまうのだけれど、わたしも歳を取りました。単に、その姿が滑稽でおかしい・・・いい歳して、駄々っ子みたい(笑) この会社の社員はもう1人来ていて、こっちもやはり憮然とした態度で診察室に入ってきたから、会社として何かトラブルがあったのかもしれません。でも、少なくともその人は診察中は無愛想ながらきちんと受け答えできていたから「社会人(大人)だな」と感じました。それに対してくだんの彼は、挨拶しても無視。聞いてもボソっと最低限。まあ本当にお子ちゃまでした。

そんなカッコつけてるボクちゃんを診察しながら、とてもおかしくて笑いを堪えるのに必死。こんなお子ちゃまに何かの弾みで別のお子ちゃまが相対すると、「なんじゃこら!」ってなるんだろうな。ちょうど、今の某隣国のお子ちゃまと某大国のお子ちゃまのケンカみたいなもので(笑)

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新型タバコ

ドック受診者の中にも、iQOSに換えたという喫煙者がたくさん出てきました。最近はそんなヒトたちも「iQOSもやっぱり害があるんですかねえ」と自ら質問するようになってきて、一時期のように「これで文句はなかろう!」的な胸の張り方をするヒトは少なくなりました。

MedPeerの朝日新聞ニュースの記事<受動喫煙 「新型たばこ」でも問題

先の日本循環器学会で「ストップCVD~禁煙・受動喫煙対策は循環器疾患予防の原点~」をテーマにメディア向けのセミナーを開催し、そこで講演した岐阜県総合医療センターの飯田真美先生のコトバを引用して、「無煙のため受動喫煙がないとされている『新型たばこ』も『決して安全ではない』と述べ、従来の紙巻きたばこと同様に受動喫煙は問題となるとの認識を示しました」と切り捨てています。

発がん性物質やCOPDを誘発する有害物質が減っているはずもなく、日本たばこも売り上げを落とさないために新しい商品の開発に躍起になってはいますが、ムダだと感じています。むしろ免罪符を手にした気分で前より吸いすぎるから健康状態が悪化するだろうことは容易に想像できます。

ただ、正直なところ、副流煙がないから受動喫煙の問題は解決するとわたしも思っていました。だから、「火種から煙が立ち上らないにしても、(エアロゾルを)吸引して吐き出すので、受動喫煙の問題には関わる」というお話は、「たしかにそうだわな」と感心しました。喫煙室に行ってきた人が部屋に帰ってきたり、タクシーの運転手さんが外で吸って車内に入ってきたりしたときと同じようなもの。残念ながら、逃げ道はなさそうに感じました。是非iQOSは、禁煙のきっかけ作りにだけ利用してください。

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ヒトのフリみて

運転時に思った事を、この機会にもうひとつ書いてみます。

車載カメラを搭載してから、独り言をできるだけ慎むようにしていたわたしだけれど、いつの間にか慣れっこになってきて、いつの間にか思わずグチってしまうようになった今日この頃。

やはり一番多いのは、
「あ、あぶねえなぁ!」
「おいおい、そこで入ってくるか?」
みたいなつぶやき。

信号機が全赤どころかすでにこっちが青になっているのに交差点に入ってくる右折車両。確信犯もいいところ。あるいは自分の直前の車、信号機が黄色になっているのを承知の上でかなり手前から加速度を増して突っ込む気満々。当然、交差点に入る頃には完全に赤。

「ばっかじゃないと~」とか最後につぶやいて〆。事故が起きないでよかったなあと思う(突っ込んでいくバカはどうなってもいいけど、巻き添え食ったかもしれない相手の車両のこと、あるいは目の前で大事故になったら流石に無視して通り過ぎるわけにはいかない職業である自分。そんなことにまで思いを巡らすわけであります)。

と、その日の夕方。いつも混んでいる幹線道路の右折車線。時差式信号機だからこのタイミングなら行けるなと思っていたら、直進する対向車が赤になっても突っ込んでくるものだから先頭車が躊躇。おかげで想像以上に流れない。「げ、オレ、取り残されるじゃん」と思った瞬間、アクセルに足が。黄色から赤に変わっているのに前に習えとばかりに交差点に突っ込むわたし。

信号待ちの先頭車両の運転手が睨んでいるのが雰囲気でわかるので、目線を合わせないようにしてさらなる加速。もしや、睨んでいる運転手の顔をそっと覗き見たら、その顔は朝のわたし自身だったりして。あーこわっ。

 

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火に油?

昨日、もうひとつのブログでグチった”期限切れ惣菜”について、続きをこっちに。

どうせ『うっかりミス』か何かなのだから、これはもうどうでも良い。いつまでも文句云っても怒っても、なんの得にもならない。そう思うから、たとえ相手が反省すらしていなかったとしても、全然気にせず心穏やかでいられるのだと思います。ただ、自分としてそういうときに思うことは、自分たちの仕事ではちゃんとできているのだろうか?という自戒の念です。

トラブルは、起きた時の初動が大事だけれど、実はそのことよりもその次の対応が重要なのだといつも教わってきましたし、自分もそう思います。今回の妻の電話は苦情ではなく単なる注意でしたが、それがクレームであっても、当事者は最初に対応した人にほとんど吐き出すことによって徐々に冷静さを取り戻します。その頃になると、「これ以上云ってもしょうがないな」と思うポイントが当事者自身でわかるものです。だから、本来ここで終結するものなのに、話を複雑に捻れさせるのは、次に対応した人の対応の拙さでしょう。あれだけ切々と苦情を話して「はいはいごもっとも」と相槌を打った人が、対応のために担当者にバトンタッチする、そのやり方が拙いと今回みたいなパターンになります。お役所に行ったり、メーカーに問い合わせたりしたときによくあるのは、「担当者に繋ぎますから」と云われて待っていたら担当者らしき人が出てきて「はい、なんでしょうか?」と切り出すやつ。なーんも伝言してないか、簡単な引き継ぎしかしてないから、「なんで、おまえにまた一から話さなきゃならんのか!」と、一旦消えそうになった火に油を注がれる羽目になるのであります。

クレームの対応は本当にストレスフルでイヤなもの。理不尽なクレームは頭を下げて聞き流すしかないけれど、云ってることすべてごもっとも、というやつは、やっぱり最後まで責任持って引き継いであげたい。

ちなみに、昨日の東京モノレールの停電トラブル。大幅に遅れて飛行機に間に合わなかった人が多かったのに、みんな文句を云うどころか対応した職員への感謝や恐縮の反応ばかりでした。ああありたい(トラブらないのが一番ですが)ものです。

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自分に余裕があったら

日曜日、日曜勤務の妻を職場まで送って行った帰り道、いつも通り慣れた住宅街を運転していると、突然左の小道から目の前にワゴン車が飛び出てきたので思わず急ブレーキ。そんなわたしに気づいているのかいないのか、その車はさらに2つ目の交差点の黄色信号を無視するかのように突っ込んで右折して消えて行きました。その次の交差点では、前を行く軽トラがウインカー点けることなく突然の左折。「おいおい、勘弁してよ」とさすがに声をあげてしまったわたし。

この日はお昼に惣菜を買いに近くのスーパーにお買い物。駐車場では突然に割り込むように突っ込んで来たおじいちゃんの自家用車に肝を冷やし、店内では通路を塞ぐ家族連れ。なんだかなあ。「今日はみんな、なんでそんなに自分勝手なの?」とつい呟く。

自分がいかに正当か、周りがいかに自分勝手か、自分がいかに不運に見舞われているのか、そんなことを分析しながら、興奮冷めやらぬまま帰路を運転中、ふっとどこからか新しい天の声が聞こえて来ました。

「そんなことを感じるのは、自分に余裕がないからなんじゃないの?自分が疲れてイライラしているからじゃないの?」

「そんなことねえよ! おれのせいじゃねえよ!」といつもなら、自分に反論するところなのに、なぜかスッと入ってきました。そうかもしれん。自分に余裕があったら、こんなこと自体起きなかったかもしれん。起きたとしても気にならんかったかもしれん。くだんのワゴン車は何かよほど急いでいたのだろう。運転手は私の車にも気づいていて、今なら問題ないと判断したのだろうし、もしかしたら自分が気づいてないだけで相手はわたしにアイコンタクトしたのかもしれん。軽トラの運ちゃん、考え事して後ろに車がいることに気づいてなかったかもしれん。スーパーのじいちゃん、年寄りだから視野狭いのだから、こっちが気づいたのなら気遣いすべきはこっちやわ。

そんなこと考えてたら、家に着いた頃には、どうでも良くなった。昼飯食ったらすっかり落ち着いた。単に、腹減ってただけだったのかもしれん。

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進化は退化(後)

(つづき)

現代社会の便利さは電子マネーにとどまりません。むかしは誰でも10件以上は覚えていた電話番号は、携帯電話やスマホに覚えさせた時点でアタマの中から消えてなくなりました。カーナビは、地図をくるくる回しながらあーだこーだと道順や現在地を想像する作業を奪い取りました。運動欲のない人間、たとえ2階に用事があっても遠く離れたエレベーターを探しに行きます。方や認知症予防のために運動が奨励され、電子マネーを駆使する都会人はいつも歩きまわっていると主張し、毎日通うフィットネスジムのフロアまでは階段ではなくエレベーターを使う現代人。基本的に、健康のための運動は決して健康に導かれず、便利を追い求める限り人間はますます退化を加速させるのだろうと感じます。

かといって、認知症予防を目的に小銭入れを持ち歩き、携帯やスマホを持たず、とことん階段を使う人間は、現代社会においてはかなりの変人です。一番大事な周りとのコミュニケーションの維持にどう影響するだろうかとも懸念するところ。

「考える」「動く」という努力をしないと、「要らなきゃ捨てますよ」とばかりに簡単に破棄されてしまうのが自然の摂理です。昔から想像されていた頭でっかちな宇宙人のような未来人の予想図はホントは間違いで、頭も小さくて空洞になっていたりするのかもしれません。

認知症など何ら興味ないであろう若い世代のみなさん、お気をつけあれ。

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進化は退化(中)

(つづき)

ところが、世の中には小銭入れの強烈な敵が蔓延(はびこ)ってきました。電子マネーです。チャージさえしておけば、レジや改札口でカードをかざすだけで事足ります。今やスマホでもできます。ずっと頑なに拒んでいたわたしもコインロッカーのほとんどがICタイプに換わって不便なので、先日の東京出張の時にPASMOを購入しました。JRのSuicaと並ぶ代表的な交通系電子マネーです。それはそれは便利。JRだろうが地下鉄だろうが私鉄だろうがバスだろうがコンビニだろうが、どこでもこの1枚で用が足ります。そして何より、経路図を見て運賃を確認して財布から金を取り出して券売機に入れる作業が一切要らない。「何を今さら」とバカにしないでください。こんなに便利になっているとは思いませんでした。もちろん九州内でも、熊本の市電でも使えます。とても楽しいのでおもちゃを与えられた子どものようにいつも持ち歩くようになりました。それを機に、スーパーのカードやコンビニのカードも積極的に使うようになりました。

それが、くだんの健康番組を見たときにハタと気づいたのです。「まったく頭を使わなくなってる!」・・・正直、ゾッとしました。長蛇の列のレジや電車の券売機の前でモタモタしないで済むメリットと引き替えに、失っていくものの如何に大きいことか。 (つづく)

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進化は退化(前)

   あなたは、小銭入れを持ち歩いていますか?
     小銭入れがパンパンに膨らんでいませんか?

“小銭入れ”が認知症の予防や早期発見のキーワードだと、先日テレビの健康番組でいっていました。実際、『小銭入れ、認知症』で検索すると大量にヒットしますから試しに調べてみてください。わたしも数年前に新しい財布を買ったときから、別に小さな小銭入れを持つようにしています。テレビでも売れっ子になった某予備校講師が「小銭入れには最低限の小銭しか入れないように注意している」と云っていたので、わたしも実践しています。最低限というのは1円玉、10円玉、百円玉なら4枚まで、5円玉、50円玉、五百円玉なら1枚まで、ということです。たとえば674円の買い物をしたとします。面倒くさいのでレジに千円札を出すと326円がおつりとしてガヤガヤと返ってきて一層小銭入れを窮屈にさせます。もしこの時に小銭入れに1年玉4枚と10円玉が2枚、さらに百円玉が2枚だけあったら1224円出します。おつりは550円、五百円玉と50円玉が1枚ずつ。小銭入れの中がすっきり片付きます。こういうことです。こうやって頭を使うことを放棄して、「面倒くさい」と思い始めたときから認知症が始まる、と警鐘を鳴らしているのです。 (つづく)

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健康長寿

よく、「健康長寿の秘けつを探る」と云って、いわゆる『百寿者』の方々の生活習慣や食べているものの分析をする健康番組があるけれども、あれって意味があるのでしょうか? 百寿者の方々というのは、もともとに生き延びる因子を持つ人であって、自然淘汰されてきた人たちだから、失礼な云い方かもしれないけれど、彼らは特殊な人種だと考えるべきで、70歳くらいで元気いっぱいな集団の分析の方が意味があるのじゃないかしら。あるいは百寿者の方々の世代で早く亡くなった人たちと比べて何が違うか、とかね。もちろん、食べているものも参考にはなるけれど、彼らがみんな肉食って酒ばかり飲んでいるぞというのを口実に若い頃から暴飲暴食しても百寿者にはなりますまい。先日、どこかのテレビ番組で云ってましたが、先日大往生を遂げられた日野原重明先生のちょっと特殊な食生活を皆が真似しても意味はなく、「それが、彼の生活パターンに一番合った食べ方だというだけで、そこだけ真似しても失敗します」というのが蓋し正論。だからわたしも、意図的に朝飯を食わないことを他人に強要する気は毛頭ありませんが、やめる気もありません。

健康長寿に対して一番大切なことは、おそらく、どんな食べ物が良いとかどんな運動の仕方が良いとかということではなく、いつも健康でいたいと思って努力を惜しまないことなのではないか、という気がします。人間は、『面倒臭い』と思ったときから歳を取り始めます。そして、『まあこんなもんやろ』と諦めたときに全てが終わります。わたしは別に長寿でいたいとは思いませんが、少なくとも「えーもうそんな年齢なんですか? お若いですね~」と云われたいがために、日々メリハリにある生き方を続けておりますのです。

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食事は理屈ではない

大地震で罹災して大規模半壊のために自宅に住めなくなった男性。止むを得ず、息子夫婦の家に転がり込んだはいいが、若いのでおかずが肉ばかりで辟易していたそうです。秋には自宅を建て直して住めるようになれそうで、「早く野菜中心の食事に戻さねば、身体がおかしくなる」と云うておりましたが・・・。

健診結果は前回と比べてもなんら変わっていませんでした。むしろ体組成や血糖・脂質の値などは今回の方が良かったりなんかするわけです。確かに若いもんの食事は揚げ物が多くて胸焼けしやすいし、肉も肉より脂肪の比率が多かったりするものが多いのでしょうけれど、肉はむしろそれなりの年齢になったら積極的に摂るべき食材の筆頭ではありますし、野菜だけ食ってると筋肉がなくなっていくのも真実です。『健康食』とか『身体にいい食材』とかの理屈に極端にとらわれすぎない方が良かったりする場合も少なくありません。

単身赴任になって奥さんの栄養管理下から逃れて好きなものだけ食べていたら、健診結果がものすごく良くなった人もよく見かけます。『バランスのとれた食事』が自分の体に必ずしも合うとは限らない、といういい例だと思います。

 

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最近の私の仕事中の楽しみは

最近の私の仕事中の楽しみは、強面(こわもて)の仏頂面で入ってくる受診者をどうやって笑わせるかということ。別に冗談を云ったりシャレを云ったりして笑わせるのではありません。結果説明をする中で徐々にココロを開いてもらえて、打ち解けてきた証が笑い顔。「はっはっは」と声を立てて笑ってもらえれば、一応ココロを開いてもらえたと思うことにしています。

どうやったら笑ってもらえるか。昔に比べたらその確率はかなり高くなったと思うけれど、これはハウツウの問題ではありません。少なくとも自分が相手の立場だったらどうしたいか、どうしてもらいたいかを考えるように心がけています。対面した指導者でいる限り、自分は相手のココロには入れません。

構えていた表情がふと壊れて、苦笑いから本当の笑いに変わっていくのをみるのが好き。嬉しい気持ちになっているのを悟られないように気をつけながら、ポーカーフェイスで話を続けながら、診察室を出るときには友達のような近さになれたら、より嬉しい。

今の仕事の楽しみは、それくらいかな。

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頸椎症

「右肩のしびれが徐々に手先まで進行し、箸も持てなくなったので止むを得ず整形外科を受診しました。頸椎の変形をみつけて内服加療を始めたら、症状が落ち着いて来ました。主治医は、『野球やソフトみたいに上を向いたり急に首の位置を変えたりする運動は避けてください』と云うのですが、そんなものでいいんですかね?」

先日、人間ドックの面談をした受診者の言葉を聞いていたら、ここ数年わたしを悩ませ続けてきたわたしの頸椎症人生のことを思わずにはいられませんでした。花見の季節、桜の花を見上げることすらできず、仰向けに普通に寝ることもままならなかったあの時期。ヒゲを剃ってもらうのに散髪屋さんで平坦な高さに頭を下げたら10秒ももたなかったこと。

「自分で経験してない人にはわかりませんよ。『あれはダメ』『こんな運動は避けて』などとアタマで考える必要はありません。自分に何ができるかは自分のカラダが分かっています。結局、『できるものはできるけれどできないものはできない』のです」と助言。ただ焦らないことと発病前の状態に戻ることを期待しすぎないことは大事。『試すことだけはするな』とわたしの主治医からは忠告を受けました。どうしても回復の程度を確認したくなるものですが、なるようにしかならないのですから、自己チェックなんかしないことをお勧めします。いつの間にかできるようになりますから。

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目が眩しいから

義理の母が先日白内障の手術を受けまして、「世の中がとてもよく見えるようになった」と云っていましたが、「眩しすぎるからサングラスを買いたい」と騒ぎ始め、「あと1ヶ月したら正式にメガネを買わないといけないのだから」と娘が躊躇している間にさっさとメガネ屋さんに行って立派なサングラスを購入してきました。

「どこか韓国か台湾のマダムみたいなサングラスかけてるのよ」と呆れ顔の妻。実は、お義母さんの本心は眩しさだけではなかったのです。突然世の中がクッキリ見えるようになった時、最初に見るのは洗面所の鏡に映る自分の姿。そのあまりの年寄り顔に愕然としたようです。「こんなみっともない汚い顔で外を歩けない! ハダカで歩いているようなものだ!」・・・帽子を目深にかぶり伏し目がちな表情には術前の明るい笑顔の面影など微塵もありません。なんとかサングラスで見えないようにしたいみたい。

でもお義母さん、手術を受けたから急に老けたのではありません。周りの人間にはなんら変わらない以前からのお義母さんの顔です。サングラスをしても変わりませんし、かえって注目を浴びるだけなんじゃないかと懸念しています。そうですよね。頭に描いている昔のままの自分の姿とあまりにギャップがあるとショックです。わたしも、エレベーターの鏡に映る白髪頭の老人が自分の姿だと最初に気づいた時には「何かの間違いだ!」と自分に云って聞かせたものですし、若者ぶっていた自分が恥ずかしくてたまらなかった。「何云ってるの? あなたはいつもそんなだよ」と妻に冷たくあしらわれるのも認めたくなかった。

あれと同じだと分かっています。でも、メガネは1ヶ月後にどうせきちんと作らなければいけないのだし、サングラスは自分のココロを隠すだけ。ハダカで目隠しして歩いているようなものなんだけど、いいのかなあ。乙女ゴコロだから、黙って見守ることにします。

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当たり前だと思っていたこと~エスカレーター

「エスカレーターはそもそも歩行禁止なんだぞ!」というフェイスブックの記事を読みながら、「あ、確かにそうだ!」と手を叩きました。

駅やデパートなどのエスカレーターで縦一列に並んで、急ぐ人のために一列を開けるのがルールだとかその必要はないとか、最近色々云われていますが、利用者が勝手にルールを作り出す前に、このエスカレーターという器具の設計自体に『歩くこと』が想定されていないのだということを忘れていました。

確かに子どもの頃、親に連れられて街中のデパートに行ったときに、「エスカレーターは歩いてはダメ」と教わったことを思い出しました。そもそもエスカレーターという装置は、ヒトが階段を歩いて上がるのが大変だから、歩かなくても上れる機械として発明されたもの。『歩かない』ことが前提で作られていることはあまりに明白。普通のジェットコースターが立ち上がらないことを前提で作られているのとなんら変わらない。

ということで、わたしもこれから都会に出張しても、エスカレーターではじっとしていることにします(そもそもほとんど使いませんが)。くだんのフェイスブック記事で、『歩かなければ間に合わないんだ』という人に、『動いているベルトの上を歩いたって大して変わらないから、どうせ間に合わないよ』『急ぐなら階段を走った方が早いぞ』とか、『歩くのを前提に設計しない方が悪い』という人には、『それが実現するまで、お前が使わなければ良い』とか・・・絶妙な切り返しが、好き。

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当たり前だと思っていたこと~夏休み

小学校の夏休みといえば当たり前に40日間だと思っていたら、今年は一週間前倒しで二学期が始まった都道府県もあるし、自治体によっては来年から夏休みが16日間に短縮される予定だというニュースも見ました。国の『ゆとり教育』見直し政策によって必要授業時間数が足りなくなったことと教師の残業増加防止のためだそうな。

まあ、ゆとり世代ではない私たちとしては、別に私たちの時代のカリキュラム組みをすれば普通に夏休みは取れるんじゃないの?という印象はあるのだけれど(土曜以外毎日6時間授業だったし)、まあ夏休みそのものの存在価値が薄れてきているということでしょうか。そもそも、夏休みや冬休みは厳しい暑さや寒さの時期を家で過ごさせるとか、自然の中で自由に遊びながら学習するとか、そういう目的であるのだと教えられたのですが、単に教育要領に従ったカリキュラムを組んだ時の余り時間を休みにしているだけだそうですね。その理屈からすれば、予備の時間が減ったのだから休みも減っておかしくはない。営業成績が落ちてボーナスが減るようなもの(違うか)。

最近は共働きの家庭が多くて、平日の昼間に子供がいると働けないという悩みはうちの職場でも良く聞かれます。さらに最近は野山で遊ぶ子は少なくて下手をすると一日中ネットかゲーム三昧する子ばかりなのだし、昔と違って学校の方がエアコン完備で快適なのだから、「夏は長期の夏休み」という常識をなくしてしまえば、10年後には「2週間も休める夏休み」をありがたく思うようになるかも。日本の社会全体が欧米人ように1ヶ月丸々長期の家族旅行したり避暑に行ったりする社会風土にならない限り、ちょうど良いタイミングかもしれません。

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当たり前だと思っていたこと~ラジオ体操

夏休みと云えばラジオ体操。それなのに、巷では、朝6時半からのラジオ体操がなくなっていっていることを新聞記事で知って、何か寂しい気持ちに襲われました。別にラジオ体操自体に思い入れはなく、もともとかんぽ生命か何かの補助金が出る企画だったとかいうことを聞いたこともあります。もちろん優等生であったわたしはほぼ皆勤賞でしたし、朝きちんと早起きすることで夏休みの間の生活リズムの乱れをほとんど経験しなかった記憶があります。当時からラジオ体操は義務ではなく、サボっても何のペナルティも課せられませんでしたが、それでも「夏休みの朝はラジオ体操をするのが当たり前」でした。

除夜の鐘や盆踊りと同じように「朝早くから、うるさい!」という地域住民の苦情に合わせて取りやめたり録音して時間をずらしたりする状況は、おそらくこれから変わる事はないでしょう。日本文化としての風物詩が加速度を増して消えていくのを眺めているしかないのがもどかしい限り。でも、夏休みのラジオ体操が消えていく理由はそれだけではないと云う。少子化で子ども会加入者が少ない、スポーツ活動の早朝練習がある、共働きが多い中で保護者の負担感が強い、そしてとうとう日本でも子どもたちを朝早くから一人で行かせるのに不安感を感じさせるほど物騒な時代になったこと・・・。

社会の変化、生活環境の変化だとはいえ、何かとても寂しい。

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