自褒めコラム選(5)
さりげないエスコート(2009.12)
先日、学会のために上京しました。電車に乗っていたらJR新橋駅のホームに白い杖を持った目の不自由な女性が佇んでいました。先頭に並んで乗り込もうとしたひとりのお嬢さんが、それに気付いて声を掛けました。彼女はさりげなくその女性の手を引いて一緒に電車に乗り込みました。格好いいなと思いました。さらに有楽町駅に着く少し前に、今度はまったく別の若い男性が声を掛けました。「席が空きましたけど、座りませんか?」・・・声を掛けながら、そっとエスコートします。ことばに恩着せがましさがないのがいいなと思いました。都会では個人主義で他人に干渉しない人が多いと聞きますが、一方でこういう心遣いが日常生活の中でさりげなくできる人もたくさんいるのだということを実感しました。彼らは本当に輝いて見えました。
ある研修会で「ペーシング」という会話の方法を教わりました。これはつまり「相手のペースに合わせる」ということです。同じ視線で、同じ声のトーンと大きさと速さで、あるいは同じ雰囲気で・・・できるだけ相手のそれに合わせて調和させると、相手の心も開きやすくなって会話がスムーズになるというのです。「いつでもゆっくり落ち着いて対応すればよい」というのでは、例えばもし相手が急いで慌てているときならば苛立たせてしまうでしょう。そんな雰囲気を感じ取るためのスキルが「ペーシング」です。私も仕事柄、そういうスキルをいろいろ学んで実践しようと努力しているわけですが、あの電車の若者たちの自然な立ち振る舞いをみてしまうと、何かまったく次元の違うものを感じてしまいます。彼らのそれは仕事でもスキルでもありませんし、だれかに自分を評価してもらうための行動でもありません。スキルとしての対応術を体得することも大事ですが、人と付き合う上で一番の理想はやはり彼らのようなさりげない優しさが自然に出せる人間になれることでしょう。彼らの優しさはどうやって身に付いたのだろう?幼少時のしつけや環境だろうか?それとも職場や仲間の影響だろうか?・・・そんなことを想いながら、私は目的の駅で電車を降りました。
私たちの職場にも多くの若いスタッフがいます。みんながあの若者たちのようになれたら素晴らしいなと思います。初めは仕事のための「スキル」でも、それを繰り返すうちに真のエスコートの心が生まれてくるかもしれません。彼らのような人に出会う。「格好いいな」と思う。「次は自分もやってみたいな」と思う。そうやって優しい空気が溢れるといいな・・・とても柔らかい心になれた旅でした。
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