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アプリとパターン認識

スマホの普及により、健康管理のためのアプリケーションもたくさん開発されています。自分の日々の生活で食べているもの、感じていること、活動量、起床時間、睡眠時間など、目的によって違いこそあれ、ボタンを押していくだけで診断をしてくれて各々の診断に従った生活のアドバイスをしてくれます。この手のプログラムがちゃんと普及できるかどうかのポイントは、入力が簡単であることとアドバイスが適切であることだと思います。

わたしたちの施設でも大手メーカーの協力を得て活動量のアプリの使用を始めましたが、あれはちょっと扱い方が面倒なのでうまく普及できるかどうかは疑問です。ただ、そういう世界に関わってみて感じることは、結局診断もアドバイスもすべてが単なるパターン認識に過ぎない、と割り切られているのだということです。この条件とこの項目が合わされば診断はこれである可能性が一番高く、こういう生活パターンの人にはこういうアドバイスをしておけば良い。10年以上前に「こんなもの、単なるパターンですよ」とゲスに笑っていた理系男子のイヤな顔をふと思い出しました。

こういうことは、単純に割り切ることが肝要だということはよくわかっています。大事なことは診断よりもその後の実行できる細かい個別のアドバイスだけれど、そこに人は割けない。だから出来るだけ機械が答えてくれて人間が介在しないで良いようにしないと採算が合わない、ということも理解しています。わたしのように、「人間はパターン認識だけでは分類できない行動を取る。例外があるからこそ個性なのだ」と思っている人種には絶対に携われない世界だということも自負します。

学校教師をしていた父が生徒たちを数種類にパターン分けして単純にパターンごとの指導法をしながら「教育なんて簡単だ」と云い切っていた横で、子どもたちの各人の個性に悩み「どうやったらこの子の性格を活かせるかなあ」と毎晩頭を抱えながらいつに間にかうたた寝をしていたこれも学校教師の母の姿を思い浮かべ、結局父の生き方が勝ち組なのだろうかなあと思う今日このごろです。もっとも、母以上に不器用に育った自分、全然キライではありませんし、これからもそんな自分の想いを大切にして行きたいものだと思っております。

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