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2017年12月

フラリーマン(後)

(続き)

わたしの上司たち、あるいは先日退職された病院の幹部の先生など、医業の世界で名をあげて多くの業績をあげている先生方、あるいは研究所や大学で夜中まで研究に没頭して偉大なる成果を上げた方々が過去を回想したときに必ず出てくるエピソードは、「子どもたちが小さかったころ、ほとんど家に帰らなかったし、日曜や祝日も出勤していたから、たまに早く帰ってくると出かける時に『おとうさん、今度はいつ来るの?』と云われた」というはなし。それぐらいのことをやらないと世に残せるような業績は得られないのだ、と教わりました。「子どもは親の背中を見て育つ」が彼らの大義名分。

わたし? わたしは定刻帰りのポリシーを一生通した父親を持つ男、明るいうちにタイムカードを切ってそそくさと帰ることに何の罪悪感も持っておりません。共働きですから、先に家に帰ればやることはたくさんあります。「自分は仕事でヘトヘトなのだから、家に帰ってまで家事なんかできるか」「家に帰ったら休ませてくれ」という考えが根底にあって、早く帰ってゴロゴロしようと思っているから家族に煙たがられるのであって、帰って家事をして犬を散歩に連れて行って風呂沸かして食器洗って洗濯物畳んで(これは年頃の娘のいる家ではNGか)・・・夕飯前にできることなんて大量にあるのです。わたしは世間様からみればちょっと変人ですが、それでも家事で仕事のストレスなんて簡単に払拭できる至福の時間を得られると感じられる幸せ者です。働き方改革は考え方改革。「どうしたのあなた?会社で何か悪いことでもしてきたの?」と勘ぐられるくらいに生活態度を変えてやったら面白い。そのためには、まず自分の持っている意味のない常識と中身のない自尊心を捨て去りましょう。

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フラリーマン(前)

先日、朝のテレビ番組で『フラリーマン』とやらの街頭インタビューがあっていました。『フラリーマン』とはオトコがブラジャーすること? あれは”ブラリーマン”か(笑) 働き方改革の煽りを受けて早々に定刻で会社を追い出されるものの、そのまま家にも帰れずに街をフラフラ彷徨っているサラリーマンのことをそう呼ぶらしいです。「帰っても家に居場所がない」「帰ったら妻に指図される」などなど。まあ理由はわかるけれど、それで大の大人が2時間も独りでベンチに座ってコップ酒飲んでたり、ゲームセンターに入り浸っているのでは、あまりに寂しい。

そういえば、医者の世界も変わりました。若い頃は、夜7時、8時より前に帰ろうものなら「お前はやる気があるのか?」「給料泥棒か!」と叱られていました。産業医研修に出るために5時前に帰っているわたしを見つけた某病院幹部が「あいつはもう帰っている、けしからん!」と堕落者のレッテルを貼ったのがわたしをアウトローにした最大の原因だといまだに思っているわたしです(笑) そんな時代もあったのに、今や「できるだけ早くタイムカードを切ってさっさと帰れ!」といわれます。7時より前に帰路につくと「こんなに早くに帰っても本当に大丈夫なのかな」と不安になったりする人も少なくないだろうと思います。まあ、建前はそうだけど、「タイムカードさえ切ってしまえばその後に自分の意志で残る分には自己責任だから・・・」という言外のコトバが隠れていることは百も承知ですが。帰りたくても重要な会議や会合が詰め込まれて帰れない重役たちや、従業員を定刻で帰すためにその分まで残業を余儀なくされてうつ病や重病に陥る中間管理職もたくさんいるのですから、早く帰らせてもらえる連中(わたしもその中のひとり)は、もっとありがた味を深く噛みしめて与えられた時間を有効利用しましょうよ。 (続く)

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職場の断捨離

2017年の御用納めだった昨日、夕方になってから医局の机まわりを大掃除しました。

あてがわれた猫の額ほどの書棚が一杯になったので、思い切って断捨離することにしました。学会誌はもう何年も前から捨てることにしています(どうせ、読まないし、読みたかったら学会に入っている誰かが持っているから)が、それでもいっぱいになった書棚。今回は大事に取っておいた運動や栄養の資料、連載雑誌の切り抜き、循環器疾患のガイドライン、いつかまとめて勉強しようと思ってファイリングしておいた雑誌記事や学会資料などを、片っ端から思い切って全部捨ててやりました。

とても興味のある資料なのですが、今まで仕舞っておいて読まなかった資料なんて、今後開ける可能性は限りなくゼロ。依頼講演も今年から断るようにしているし、これから新しいことを系統だって整理する可能性も限りなくゼロ。そう考えたら、思いっ切り全部を捨てることができました。

書棚の3割がスッキリ空いてしまってとても気持ちいいのだけれど、その一方でなんか妙にさびしい風も吹き抜けます。「もうわたしは勉強しません」と宣言してしまったようなものだから・・・。ま、いいか。

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ブログの誕生日

昨日で、とうとう丸10年になりました。

いつやめるか、どうやってやめるか、と思いながら、気付けば10年。長いようで短い10年でした。

1度書いたことは重複しないように、と題名の一覧表を印刷していつも監視していた当初の1、2年は大変でしたが、「たかが個人のブログ、何度同じことを書いても問題ないや」と開き直ってからは気が楽になりました。

それでも、文章の質が落ちたこと、アタマに浮かんでくるボキャブラリーが極端に減って簡単な文も書くのが大変になったこと、もともとコラムのネタ手帳の意味で始めたのにあまりネタ的な内容になれていないこと・・・悩みは尽きません。

そもそも、不特定多数に向かって無責任に発信するこのブログを読んでいただいている方がどれだけいるのかもわかりませんし戴くコメントも多くはありませんが、少なくともこれまで批判的なコメントをほとんど戴かなかったのは書き続けても問題ないと云うことだと考えています。

とはいえ、本当にやめる潮時をいつも探している今日この頃。某女性歌手の引退宣言や女子プロスポーツ選手の引退の多かった今年、わたしも『丸10年』というのはカッコいい節目だったのですが、何となく勇気がなくて、とりあえず11年目の最初の朝を迎えてしまった次第です。ニフティが「ココログを終了する」とか突然宣言してもらえると簡単なのですが(笑)

申し訳ありませんが、もうしばらくこっそりと続けさせていただきますので、よろしくお願いします。

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実感が大事

生活習慣病の予防という意味ではなく、人生を楽しく生きるために必要なことは、綿密な計算式や理論ではなく、やはり何よりも”実感”だと思います。自分の感覚を磨きましょう。

腹が減ってもいないのに時間が来たからといって食う必要はないし、腹が満足しそうなら少し余っているからといって食べる必要もない。理論なんか信じていたらろくなことにはならないと思う。「わたしは腹いっぱいにならないと満足できない人」と主張する人はアタマがそう云わせているだけでカラダは満足していたりする。「並べるご飯とおかずを半分にして、その量だけで腹いっぱいになるまで食う」というのが理想的な食い方・・・”腹八分目”ではなく”腹いっぱい”に食う。何も残らないように舐めるように食い尽くす・・・それが理想ですから、ちゃんとやれれば少ない量で腹いっぱいにはなるんです。なって当たりまえ。「腹いっぱい」という実感を得るのに大量の食べものが必要だと思っていること自体が愚の骨頂。おそらく、食い切れないほどの食材をむさぼり食ったとき「ああ、満足~」と口に云わせているのはアタマ。本当はちっとも満足感は得られていないと思う。某国の国民がインタビューでココロにもない将軍様礼賛のコトバを並べるのに匹敵しますね。

「運動しても汗が出ない」という人は意外にいます。「いい汗をかいた」という実感のない人。うちの妻もそうでしたが今はちゃんと汗をかくことができます。運動しても汗をかけないのは代謝が低いから。そして水分が少ないから・・・運動習慣が元々なくて水も飲まない人に多い状況です。日頃からわざと水を飲んでから運動すると徐々に汗をかけるようになるものです。汗をかけると冷却装置が作動しますから爽快感も得られますし、一層「もっとがんばろう!」という気持ちになれると思います。

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贅沢云ってるんじゃねえよ!

「イヤです。わたしは長生きなんかしたくない!」というコトバ、ほんとほぼ全員が口にします。アディポネクチン(NHKが”長生きホルモン”として特集を組んでいた、脂肪細胞から分泌される超善玉ホルモン)が20~30μg/ml以上(正常は4.0μg/ml以上)の人は生活習慣病に罹りにくいので「100歳まで生きる」とテレビで云ってましたよ、と話したときの相手の反応です。

「あなた方は決まって『長生きなんかしたくない』と口にしますけどね、わたしに云わせりゃ『贅沢云ってるんじゃねえよ』て感じですよ。0.5とか1とかしかない人もたくさんいるんですからね」

先日、とうとうわたしはその選び抜かれた受診者の女性に悪態をついてしまいました。ホントに大人げないことをしたと反省しております。ちゃんと助言してあげれば良かった・・・「今から人一倍努力して不摂生しまくったら何とかなるかもしれない。並大抵の不摂生ではダメだと思うけれど・・・どうかな、それでも早死にはできないかもしれないなあ」とか。

そんなことを考えていたら、この選ばれし人々はある意味”今世の修行僧”・・・大変な宿命を負わされて生まれてきたのかもしれない、と思うようになりました。普通にしていたら健康で長生きさせられてしまう。死にたくても死なせてもらえない。よほど前世で悪行を重ねてきたのでしょうね。わたしのアディポネクチン値はまさしく凡人中の凡人・・・そんな凡人に生まれて本当に良かった(笑)

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加齢臭

あまり気にしてなかったのだけれど、最近になって自分がとてもシッコ臭い気がして、そうなるとそれが気になって気になってしょうがないのです。

「シッコのキレが悪くてねえ」とグチったら、「もうこの歳になったらしようがないよ」と妻が慰めてくれた。でも、キレが悪いから何度も振っているうちに少しずつズボンの繊維などに飛沫が不着するんでしょ。下着は毎日替えるけどジーンズや制服は数日はそのまま着るから、臭ってもおかしくはないと思う。ときどき、矍鑠とした老紳士がオシッコ臭くてとても意外に思ったりすることがあります。あれって、これなのかなと思います。きっと自分でも気付いているから、とても気にしていたんだろうな、とも。

そういう歳だからそれはそれでまあしょうがないと思うのだけれど、やっぱりブライドというものがあるんです。同僚や若いスタッフに、「小便を漏らすジイさんになった」とは思われたくない。そんなこと考えると、凹んでいく。いかんいかん、ヒトはこんな感じでうつ病になっていくんだろうなあ。歳をとってから香水プンプンさせてるヒトたちの気持ち、わかる気がするなあ。

 

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酒では太らん!

「年末年始は宴会の機会が多くて太りやすくなるから注意してください」などと保健師さんから云われる人も多いのではないでしょうか。わたしは、「忘年会が多いのに体重コントロールがきちんとできていて素晴らしいですね」とよく云われますが(笑)

自慢しているのではありません。この歳になると「宴席が多いからといって太るはずがないじゃないか!」と思うわけです。そりゃたらふく食って飲んだ翌朝は少しは重くなるでしょうしむくんでいるかもしれませんが、その値は知れています。翌日とその翌日くらいをいつもの生活に戻せるならすぐに元に戻るはずだと思います。「いやいや、それが毎日宴会続きなんです」という、いまだに景気のいいバブル生活を送っているみなさんもおられましょう。でも、そんな人ほど本当はやせるはずです。アルコールは基本的に脱水を誘発しますから、毎晩水分が抜けていったら、それは炭水化物抜きダイエットと同じようなものなのだから、確実にやせる(正式には”しぼむ”)はず。だって、アル中のオヤジに太った人はいないじゃない。

それでなくても、『宴会効果』なんてな現象もあるのですから、この季節は宴会には積極的に参加して大いに飲んで食って騒いでくださいな。まあ、わたしはどちらかというと宴会派ではなくて独りチビチビ派だから、宴会の機会はそう多くは作りたくないというのが本音ですが。

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血圧がおかしい

最近のわたしの血圧、なんか変なんです。ちょくちょく測定しては首をかしげていたら、それを見ていた妻が「どうしたの?」と聞いてきました。
「いや、何度計っても血圧が正常なんだよね。130とか120とか、下は70とか80とか」
「良い値なのになんで首なんかかしげてるの?クスリが効いているってことなんじゃないの?」
「いや、150とか160とか、下も100とか普通だったんだもの。クスリは変わってないし、生活も変わってないのに。おかしいでしょ?」
「云ってる意味が分からん。そこいらの神経症かうつ病の人と話しているみたい」
最後はあきれられてしまいました。でも、やっぱりおかしいよなあ、この気持ち悪いくらいの正常値・・・。

人間ドックでは毎日のように血圧が高い人がやってきます。「最近高くなってきたのが気になる」と問診では話しているのに、意地でも病院受診をしたがりません。「これ、もう高血圧の診断がすっかりついていますからね。今すぐ治療しろ!という意味ですからね」と強く云うと、決まって「ついさっき看護師さんに計ってもらったら130/80くらいでしたよ」と口ごたえするんです。「ん?だから、何?」とアタマの中で舌打ちしてから、「下がることがあるということはまだ血管に弾力性が残っていると云うことですね。だからこそ今しっかり治療しないと元に戻せなくなりますよ。ガチガチになってから治療を始めてももうどうしようもありませんからね」と撃沈のヒトコトを食らわしてあげる。自分が高血圧のくせに、人にはとても厳しいわたしなのであります。

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麻薬と同じですな

電子たばこは若者を喫煙に導く

おもしろいことを研究するものですね。『喫煙者の禁煙に役立つとされる電子たばこだが、一方で喫煙経験がない若者が使用した場合、喫煙に導くのではないか』ということを検討した結果、『紙巻たばこの喫煙経験がない若者が1年半後に喫煙者になるリスクは、電子たばこ使用者では非使用者の約7倍に上った』というものです。

電子たばこによる禁煙効果を否定

一方、国立がんセンターからは禁煙手段としての電子たばこの効果を禁煙外来受診者と比較検討した結果を発表。『電子たばこの使用者は非使用者よりも禁煙成功率が37%低く、電子たばこでは禁煙の成功率が約3分の1低下した。一方、禁煙外来を受診しニコチンを含まない薬物療法を受けた人では、禁煙の成功率が約2倍に上昇した』というものでした。禁煙したい人が電子たばこを使っても、禁煙には到達できないから止めておけということです。

ま、しょうがないですよ。もはや電子たばこ包囲網は完璧になりつつあります。たばこを止めようとしている人やたばこなんか吸ったこともない若者に、「電子たばこは普通のたばこと違って安全だから試してみなよ」と声をかける・・・麻薬やモルヒネの勧誘コトバと一緒ですね。おそろしや、おそろしや。

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汚い空気

交通量の多い道路でウォーキング、心肺機能に悪影響

ウォーキングでもたらされる有益な心肺機能効果は、大気汚染度の高い商業街路を短時間でも通過すると阻害されることが、英国国立心臓・肺研究所のRudy Sinharay氏らによる無作為化クロスオーバー試験によって明らかにされた』『通常速度のウォーキングにおいて大気汚染が健康に与える有害作用』を示し、これは『慢性閉塞性肺疾患(COPD)や虚血性心疾患の患者、健康な人を問わず認められ』たというもの。

そりゃそうだ。ことはイギリスの話だけれど、まあPM2.5天国の中国だけでなく日本の大都会でも同じような結果でしょう。「このような健康への悪影響を考慮して、商業街路の大気汚染度の規制を目指す政策が必要だ」という根拠に使っていただけるとありがたいですね。わたしの活動のホームグラウンドは広い職場内と近くの自然公園とゴルフ場。なかなか恵まれた生活環境に生きております。

最後に、歩くの大好きニンゲンの皆さんにご注意情報をご紹介。ご参考まで。
冬のウォーキングの効果を高める5つの方法
1.冬のウォーキングが体の基礎代謝を高める
    ・ 筋肉を増やせば基礎代謝が上がり、エネルギー消費量も増やせる
    ・ 冷えやすい体質を改善するためにも運動が効果的
2.冬に多い「冷え」に対策する
    ・ ウォーキングで血行を改善し、筋肉を増やしエネルギー消費を増やす
3.寒い冬の運動はウォーミングアップが重要
    ・ 冬場は血圧が上昇しやすいので要注意
    ・ 体を急に冷やさないようし、ウォーミングアップを十分に行う
4.冷たい外気を遮断し体温が下がるのを防ぐ
    ・ 帽子、手袋、マスクなどで体を冷やさないようにする
5.厚着を繰り返さないで、吸湿・速乾性の素材を上手に使う
    ・ 体が温まるにごとに1枚ずつ脱げるように、重ね着をする
     ・ 衣類内に湿気がこもるのを避ける

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霊長類と尿酸

ほ乳類の中で霊長類だけが高尿酸血症を有する。その理由は尿酸を分解する尿酸酸化酵素が霊長類には欠如しているから。その理由は尿酸が持っている抗酸化作用を必要としているから。

CareNetに掲載された『尿酸こぼれ話~人類の進化と尿酸』のお話。

尿酸が抗酸化作用を有する重要な物質であると云うことを、わたしは低尿酸血症の概念が出てきて初めて知りましたが、激しい運動などで生じる酸化物質を中和させる作用がある尿酸は、霊長類にとってはなくては困るものだそうです。ところが皮肉なことにそのために社会環境や食べものの影響で高尿酸血症が生じて痛風や動脈硬化の原因になるようになったそうです。でもわたしは、最近の霊長類(ニンゲン)に高尿酸血症が増えている理由は、世の中に酸化ストレスが増える一方だからそれに対抗するために理屈抜きで体内に多く蓄積させるようになっているのではないかと解釈していますが、どうでしょうか、室原先生?

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語録の備忘録:運動教室の弊害

各地で運動教室が行われています。スポーツジムの運動だけでなく、病院の施設や公の運動施設やあるいは運動場を使って、『生活習慣病予防』だとか『介護予防』だとかいう名目で、地域の老若男女が集まって、定期的に運動教室が行われています。すばらしいことだと思います。人間には”運動欲”という欲がないから、こうやって無理やり集めないと人は運動なんて自発的にはしないですから。

こういう運動教室のいいところは、こうやって運動習慣のない人に楽しんで運動させることができるだけでなく、否が応でもコミュニティができ、話し下手の人も周りとコミュニケーションがとれることだと思います。ヒトは周りとの関わりがなくなると一気に老化し、うつ傾向にもなることがわかっています。

でも、その反対の部分(デメリット)もあります。「この運動教室の2時間をみっちりこなせばそれでお勤めは終了!」とばかりにその後はゴロゴロしている人が少なくないこと、あるいは、教室で友だちになった連中と帰りには必ず甘味処に寄ってたっぷり甘いものを食べてしまうから、結局運動で減らしたカロリー以上のものを食べて帰るのが日課になること。

まあ、それでもやはり運動教室はしっかり参加して楽しい時間を満喫するのが良い。これは間違いないことでありましょう。

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語録の備忘録:減塩

いまだに「冷奴には味がない」と思い込んでいる人がいます。

わたしが冷奴に醤油をかけないことは有名です(そうでもないかしら)が、先日そんなことを人間ドックの結果説明をしている時に話したら、「信じられない」という顔で「あんなもん、味なんてないでしょ!」と思わず叫んだ男性。

遠い昔、わたしの職場の同僚に「健康のためにとはいえ、おいしくもない食べ方をするのは愚の骨頂だと思う」と云われたことがあります。今思えば、彼の云っていることは蓋し正論だと思います。ただ、間違っているのは、「おいしくもない食べ方」だと思い込んでいたことでしょう。この味がわからないとしたら、それは味覚が鈍麻していることに他なりません。

何度も云います。冷奴(絹ごしのことではありません。わたしはあれを豆腐とは呼んでいません。あくまでも木綿豆腐のことです)は、それ自体が甘くてとても深い味わいのある美味しい食べ物です。是非とも、最初から「味がない」と思い込んで口にするのではなく、できるだけ味わおうという想いを持って甘い大豆の味を少しずつ意識して味わってみていただきたい。必ず、その味の虜(とりこ)になると思います。

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タバコと筋骨格系損傷

喫煙が筋骨格系損傷リスクを増大

米国陸軍兵士を対象に喫煙およびトレーニングに関連した筋骨格系損傷についてメタアナリシスを行った結果、喫煙者では非喫煙者に比べて筋骨格系損傷のリスクが約30%高いことが分かった”というアメリカからの報告

米国軍人の中で調べたところ、男女とも非喫煙者に比べて喫煙者で筋骨格系損傷のリスクが高く、喫煙強度が高い人ほどリスクが高かったそうですし、数カ月間の喫煙でもリスクは増大していたそうですから、カラダを使う仕事をするヒトやアスリートは喫煙でかなりパフォーマンスを落としていることが証明されたということになるのでしょう。 『一般成人の高強度の運動においても喫煙は筋骨格系外傷の中等度リスクとなる可能性がある』という締めくくり方は、そういう警鐘だと思われます。

トップアスリートが喫煙すればそもそも心肺機能を明らかに落としてパフォーマンスに大きな影響を与えるので吸わないヒトの方が多いでしょう(中にはいますけど)。さらに骨や筋肉まで侵すとなると、「喫煙で動脈壁が塩をまぶすかのように傷つけている」と云われるよりはるかに心を動かすことでしょう。ただ、軍人の喫煙率が一般社会よりはるかに高いのと同じように、肉体労働者の方がタバコを吸う人が多いのが現状。痛くも痒くもなくて実感もわかないし、そのために仕事がはかどらなくなって非喫煙者より給料が安くなるとかいうわけでもない以上、禁煙へのモチベーションとしては、どの程度のインパクトがあるのでしょうね。

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プラトー

住民の皆さんに行う健康講演でも、専門職向けに行う講義でも、かぶりつきの席に座ってひとつひとつ頷いてくれているのはおそらく保健師さんか栄養士さんなどの健診業務関係者だと思います。でもそんな彼女たちが頷かずに決まって渋い顔をするのは、わたしが体重の理論を話すときです。

そう、昨日の記事の最後に書いたあのこと・・・「生活習慣病予防や健康を念頭に置いた場合の”減量目標”は、綿密に計算された値ではなく、単に結果として体重がプラトーになるところの値であり、それが各人の理想値である」という話です。栄養学の理論を否定する話なのに何の証拠もない、ただの一医師の感想。でも講演する医師の立場でそれを話せば、それは大きな意味を持つ。「みんなががんばらなくなるのではないか」と懸念するのかもしれません。

でも、誰が何と云おうとこれは真実。人間の身体を単なる分子の集合体モデルで考えて質量保存の法則に従って理論的に計算して、その通りにやったらそれなりの成果が出るという根拠があるから学問が成立しているのですから、その理論計算を真っ向から否定されるとやっぱりイヤな顔をするだろうなと思います。でも理屈と違うのは、人間は各々違う体質であり、違う筋肉組成であり、違う代謝だということ。だから、生きとし生けるものは実験モデルのようにはいかなくて当たり前ではなかろうか。体重に関するトライアルがうまくいっているかどうかの基準は値がプラトーになるかどうかだけ・・・そしてそれこそが、自分のカラダ自身が認めた唯一の答なのだと思っています。だから、「目標値までもっと必死に頑張れ!」と叱咤激励するのも意味がないし、「妙に下がりすぎたから、少し食う量を増やして微調整した」というのも危険な発想だと思います。

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やせるのが一番?

「先生、やっぱり生活習慣病を良くするためには、やせるのが一番なんでしょ?」

40歳半ばを過ぎたわたしのゴルフ仲間の男性が、先日のゴルフコンペの待ち時間にそんなことを云いました。腎臓を患っている彼はしっかり7キロも減量して、採血検査の値や血圧を正常に戻すことができたそうです。

「そのとおりです。よく頑張りましたね。すごいですね」と即答してあげるだけの裁量があるとわたしも一流医療人なのでしょうけれど、つい口ごもってしまいました。「やせるのはいろいろ取り組んだ結果であり、体重が軽くなれば錘(おもり)が無くなって血圧も下がるかもしれないけれど、単に『やせたらいい』と云う問題じゃないんだよね」とつい(屁)理屈をこねてしまうのがわたし。

「でもボクの主治医はいろいろ計算した挙げ句に『目標はさらにあと7キロ減量すること』とか云うんですよ。『勘弁してください。そんなに減らしたら仕事になりません』と云ってやりました。今が限界です」といつものように面白く話をまとめながら笑っていましたが、でもその通りだと思います。日頃から休むことなしにカラダを使って仕事をしている彼ですら、今以上の減量を試みたらおそらく筋肉が減り始めるはず。あるいは脱水。いずれにしても腎臓機能の改善を目標に置くなら、それはあまりに危険をはらんでいる計算式。QOL(生活の質)を考えるなら、彼の云う通り、「今がベスト」で良いんじゃないでしょうか。むしろ、今の状態を維持することの方が大変だと思います。

とにかく、「生活習慣病予防や健康を念頭に置いた場合の”減量目標”は、綿密に計算された値ではなく、単に結果として体重がプラトーになるところの値であり、それが各人の理想値である」というわたしの持論。決して間違ってないと思うんです。

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アイコス神話崩壊

加熱式たばこも血管に有害―従来たばこと同程度に影響

iQOSの蒸気に曝露したラットの血管内皮機能は、一般的な紙巻きたばこの煙に曝露したラットと同程度に低下していた”というデータの『一般的な紙巻きたばこ』というのがマールボロ。マールボロとは、またかなり強烈な紙巻きたばこを選んだものだ。「たばこ葉を摂氏600度で燃やす通常の紙巻きたばこは有害物質を含んだ煙を発生させるが、摂氏350度で加熱するiQOSではニコチンが含まれた蒸気は生じるが煙は出ないため、従来の紙巻きたばこよりも安全」というのがフィリップモリス社の云い分なのですが、それを真っ向から否定するデータをアメリカの大学が出したことはものすごく意義が大きいのではないかと思います。

もはや、アイコスに居場所はありません。肺がんに関連するタールはカットされるとしても、そのほかの化学物質は何ら変わりません。このデータはニコチンの影響ではないだろう、と結論付けています。「具体的にどの化学物質が問題なのかははっきりと分かっていないが、最大の問題はニコチンではないとみている」、「独立した適切な研究に基づいて判断することが最も重要であり、事実による裏付けがないにもかかわらず従来のたばこよりも害が少ないと謳うべきではない」・・・アイコス包囲網はとにかく厳しそうです。

わたしの友人に禁煙外来受診中に主治医のアドバイスを求めることなく「うつ病になりそうなので止めた」と云い、その後アイコスに転向した人がいます。「アイコスならタバコじゃないから」とこれ見よがしにスパスパやっていた彼。最近胸部症状が出てきたそうですが、それでも「アイコスは大丈夫」と云い張っていました。彼は、きっと近い将来に心筋梗塞になって突然死するパターンでしょう。アイコスに明日はない・・・止めるための過渡期の人生経験としてしか生きる道はない・・・そう思いますよ。

ところが、昨日の朝、大手テレビ局の番組を見ていたら「加熱式たばこは健康被害も少ないし煙も出なくて周りにも影響を与えないから各企業が開発に努めているというのに、これにも課税するのはおかしいのではないか」とコメントし、何故課税されるのかという質問に「第三のビールと同じで、取れるところから取れということでしょうね」と答えた某氏。「こいつら、バカばっかり!」と叫んでスイッチを切りましたが、このテレビ局がこれからバッシング受けるのは必至でしょう。

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マインドフルネスと認知行動療法

今年の日本ポジティブサイコロジー医学会学術集会(横浜)で一番楽しみだったテーマは、マインドフルネスと認知行動療法・・・今が旬の話題でした。

マインドフルネスと瞑想と禅・・・共通用語は『気づき』~”現実をありのままに受け入れる”・・・刹那刹那で体験する現象を”判断”せず(先入観を持たず)に注意を向ける(観察する)ことなのだそうですが、仏教と医学の融合をシンポジウムで語り合うのを興味深く拝聴させてもらいました。日本テーラワーダ仏教協会長老が「次元の違う問題」と一蹴するのも、元医師の臨済宗住職が医学との橋渡しとして接点を見つけようとするのも、心理学者の先生が普遍的な学問として確立させることの重要性を語ろうとするのもとてもよく分かる。気を遣いながらも本音トークしているのが面白かったと思います。でも、結果として分かったことは、まだまだ自分はマインドフルネスの概念をうわべだけしか理解できていない、という現実でした。

最後に認知行動療法の日本の第一人者、大野裕先生のレクチャー『こころのスキルアップトレーニング』を拝聴。いただいたレジメから「こころのスキルアップ、10のヒント」というのを写しておきましょう。これを1つずつ丁寧に説明していただきました。

1.ストレスを味方にしましょう
2.自分の強みを生かしましょう
3.できた感を大切にしましょう
4.しなやかに考えましょう
5.しなやかに問題に取り組みましょう
6.一人で頑張りすぎないようにしましょう
7.こころに寄り添いましょう
8.自分のための時間をもちましょう
9.自分に優しい生活を送りましょう
10.笑顔と夢を大切にしましょう

最近の自分を眺めてみると、この10のポイント、意外にできている気がします。できていなくても”できている感”を感じられるのは大事なのだと学びました。

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幸せのものづくり

今年も日本ポジティブサイコロジー医学会学術集会に行ってきました。昨年の京都の大会は前日に山陰で大きな地震が起きたために参加を断念しましたから、2年ぶりの参加になりました。とても小さなマニアックな学会ですが、それでもわたしは自分が参加する学会のうちでこれが一番好きです。やっぱり、もともと精神科医になりたくて医者になった人間だものな、と思います。

関西福祉学大学島井哲志先生の教育講演で印象に残ったのは「日本人は高齢になるほど『幸福感』は上昇する。『人生の意義を探す』ことが日本人では幸福感を高めている」という話。

わたしのこころを一番動かしたのが大会長の慶應義塾大学の前野隆司先生の会長講演『幸せとポジティブサイコロジー』でした。思わず彼の著書『幸せのメカニズム』(講談社現代新書)をその場でamazonに注文してしまいました。『幸福学』という分野の奥の深さを身に染みて感じ、『健康=幸せ(Well-being)である』ということだから、これこそ今のわたしの仕事に直結する話であると分かりました。幸せを充たす4つの因子:やってみよう因子(自己実現と成長)、ありがとう因子(つながりと感謝)、なんとかなるさ因子(前向きと楽観)、ありのままに因子(人の目を気にしない独立と自分らしさ)を充たすことのできるサービス作りこそが、人を幸せにするものづくり・まちづくり・組織づくりにつながる、というコトバがとても印象に残りました。「この4つを充たすものを作れれば必ず幸せになれる」という。そして、ものづくりをするヒトは使う人を幸せにしたいと思って作るからこそ、この4つの因子に叶うものを考えようとする。

うちの職場で新しいサービスを考えるときに、必ずこの4因子を考えるべきであることを知ったことが最大の収穫。わたしが前野先生の話を聞きながら最初に思い出したのは、夏に訪問した大分県国見町の街づくり。分かるヒトにしか分からないかもしれないけれど、まさしくあの街は、「やってみよう」「ありがとう」「なんとかなるさ」「ありのままに」のすべてを満たしている人たちの集まりです。彼らのことを考えるとまさしくその通りだなと思うとともに、自分たちにも必ずできる!と思った次第です。

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こういうのはどうしたものか:スタチンと糖尿病

スタチンで糖尿病リスク増大“高リスク患者でも”

高コレステロール血症治療薬であるスタチン系を服用すると糖尿病になるリスクが増加するというのは、もはや常識化してしまった感のあるデータですが、”2型糖尿病リスクの高い人において、長期のスタチン使用は、既知のリスク因子や潜在的交絡因子を考慮しても、約30%の2型糖尿病リスク増加と関連する”という報告が出されていました。

その警鐘を鳴らした上で、「個別の患者について、糖尿病リスクのゆるやかな潜在的上昇を、スタチン治療に関連する心筋梗塞、脳卒中、心血管死の一貫したきわめて大きな減少と比較する必要がある」と締めくくるのもこれまでの報告と同じ。糖尿病リスクは高いけれど、スタチンを止めるより使っていた方が心血管疾患を予防する効果は高いだろう、というわけですが、それなら、この類のデータの扱いをもっと全体的にトーンダウンさせては貰えますまいか。しかも、「スタチンの糖尿病誘発効果の根底にあるメカニズムはほとんどわかっていない」となると、なおのこと。

『糖尿病や耐糖能異常に伴う食後高血糖が起きている時、インスリンスパイクによって血管壁の隙間が広がってその隙間を通して酸化したLDLコレステロールが壁内に入り込んでくる』というのが、動脈硬化の第一歩。つまりは、脂質異常症と糖尿病は常に同じスパイラルを形成する同じ穴のムジナ・・・「心血管疾患予防のためにスタチンを処方されている糖尿病の高リスク患者においては、血糖状態をモニターし、健康的な生活習慣を強化するべきである」とかいう当たり障りのない云い方は、自分が当事者ではないから云えることで、命に関わる病気の予防のために治療を受けている患者さんの中にはかなり心配している人が多いと聞いています。

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こういうのはどうしたものか:ピロリとPPI

ピロリ除菌後も胃薬PPIで胃がんリスク上昇か

ヘリコバクター・ピロリ菌(H. pylori)を除菌した後であっても、胃痛や胸焼けの治療に用いられるプロトンポンプ阻害薬(PPI)を長期的に使用すると胃がんリスクが上昇する可能性がある”という研究結果が、香港大学のWai Keung Leungらによって報告されたそうです。

さてさてどうしたものか。もちろんわたしたちは治療するわけではないけれど、こういう報告がでると患者さんから「どうしたらいいでしょうか」と相談されるのです。「そんなこと、主治医に聞け!」と思うのですが・・・。そもそも、ピロリ菌は食道には肯定的に働いているので、除菌すると総じて逆流性食道炎は起こしやすくなるもの。そして、そもそも逆流性食道炎の治療薬であるネキシチウムなどはずっと使うのが基本であると思っていたのに、「PPIの使用で胃がんリスクが2.44倍に上昇」し、さらに「使用期間が長いほど同リスクが上昇し、1年以上で5.04倍、2年以上で6.65倍、3年以上で8.34倍になる」とか云われたら、そりゃ飲みたくなくなるでしょうね。いくら、「胃がんリスクのわずかな増大を理由にPPIの使用を中止する必要はない」とかコメントされても、5倍とか8倍とか書かれたら気が気ではないでしょうね。

わたしは激しい逆流性食道炎持ってますし、ピロリ菌除菌治療を受けてもう10年以上になりますけれど、おかげさまでクスリを飲む気が根本的に皆無なので、対象外ですけど・・・(笑)。そうか、「胃酸の逆流がみられるだけの患者に対してはPPIを処方する前に生活習慣の是正や食事の改善を促す努力」をすべきであるという点から患者さんを説得する良いデータになる、と考えればいいのか。

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名前を思い出せない

昼休み、スタッフルームで弁当を食べていると、部屋の入り口のドアが開いて若いスタッフたちが続々と入ってきます。弁当を食べながら、「この人の名前は○○さん、この人は△△さん」・・・ひとりでこっそりと確認しながら口の中で唱えてみる。「あれ、この人の名前、何だったっけ?」・・・突然出なくなる。昨日は普通に云えていたのに、いつも話をして、昔から居るのに・・・名前が出てこない。「あれ、あの人の名前も・・・」表情は何も変えずに黙々と咀嚼しているけれど、どんどんパニクってくる自分。それでも必死に思い出そうとすることが大切だと脳科学者は口を揃えて云うから、わたしも必死に考えるけれど、一向に浮かばない。浮かばないどころか、新しい不明人のリストがふくれあがる一方。

最近、本当に名前がすぐに出なくなっているのが分かります。数年前、過労で突発性難聴に罹ってステロイドを服用していたときに一度こんな感じで、身近のスタッフの名前が一切浮かばなくなって救急外来に連れて行かれたことがあったけれど、あのときに似ています。違うのは、今回は体調はすこぶるいいということ。やむを得ず、職場のホームページにある組織表を拡大してチェック。「ああそうだった、あの娘は●●さんだった」「あの人は××くんだったね」・・・確認できて安堵はするのだけれど、ちょっと凹むエピソードなのであります。

そんなことがあるからこそ、わたしは脳トレの意味を込めて、毎日昼休みには弁当を食いながら入り口のドアを眺めてモゾモゾ独り言をいうておるのであります。

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ヘルシー弁当

昨日、覚え書きとして書きかけたけれど、どうしても単独で書きたくなりました。

最近は、インスタグラムなどに、「今日のランチはヘルシーメニュー!」とか「ヘルシー弁当作ってみました」とかいうノリで写真がよくアップされていますが、一体何をもって”ヘルシー”と云っているのでしょうか。皆さんがこの単語を聞いて思い浮かべるのはどんなメニューでしょうか。

まあクックパッドなどを”ヘルシー弁当”で検索して覗いてみるとかなりオシャレなレシピが並べられていますが、世間でいう”自分で作ったヘルシー弁当”は総じて地味で、お世辞にもあまり美味そうではない色合いをしているのが普通。 青物野菜にお煮しめのニンジン、シイタケ、サトイモに湯がいた豚肉などが並び、たんぱく質はあっても小さな鶏唐揚げが申し訳なさ気に1、2個なんてのか、あるいは昔ながらの一汁一菜かじゃありませんか。『低カロリー=ヘルシー』と思っているわけではないでしょうが、そんな精進料理もどきの写真を見ていると、なんか”ヘルシー”の使い方を間違っているのじゃないかという気がしてなりません。

”ヘルシー”は『健康的な』ということなのだから、見た目、おいしそうで思わずヨダレが出そうでないとダメ。アブラこってりボリュームメニューやファストフードメニューを求めはしませんが、せめて彩りはもっと派手目でいいんじゃないの?とか、写真見ながらよく独りツッコミします。自分が「食べたい!」と叫びたくなる料理を作ってください。それを”ヘルシー”に仕上げたければ、量を半分にすればいいだけのこと。簡単なことだと思います。

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講演覚え書き

「健康とは」

それを”幸せ”と感じること。
ゴキゲンなこと。
ガマンの向こう側に健康はない。
健康かどうかを評価するポイントは、「その行動が楽しいかどうか」。

「がんばる」

やりたいことではないのに一生懸命「がんばる」ってことに意味はあるのだろうか?
やりたいことでもないのにガマンして「がんばる」のでは、ダメだと思う。
でも、そんな理由で「がんばらない」と、みるみる堕落する気もする。 ちがうのかな。

「ヘルシー弁当」

「今日はヘルシー弁当です」「ヘルシーランチです」とコメントしながら写っているインスタ写真を眺めながら思う。
まるでおいしそうじゃないのに、これのどこがヘルシーなのか?

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労災認定?

企業健診の一環として人間ドックを受診する人もたくさんいます。彼らは、受けたくもないのに無理矢理検査されている、という認識の人が少なくありません。

先日は空腹時血糖400台の40歳代前半の男性が受診しました。毎年血糖値が300~400で推移しています。毎年必ず『要治療』の判定で紹介状が発行されていますがずっと”放置”。うちの施設はかなりしつこく受診勧奨しますが、必ず『忙しいから』という理由で受診を拒否されてきました。きっと、何の症状もないし、受診したら治療させられたり食事制限させられたりするに決まっているから鬱陶しいのだろうと推測します。

そんなデータを眺めながら(労安法の法定健診は簡単な項目ばかりですから結果が出た頃にはすでに帰宅しています)、この人はおそらく遠くない将来、何らかの病気で倒れるだろうと思いました。大した前触れもなく心筋梗塞や脳梗塞になるやもしれんし、高血糖に伴うケトアシドーシスとか意識障害とか心不全とか、それがなくても将来は人工透析だろう、と。

で、どうなのでしょう?そんな時、こういう人も労災認定を受けるのでしょうか? 従業員の健康管理は雇用者の義務なのだから、無理に病院受診させなかったのは会社の怠慢だとも云えるし、本人は「仕事が忙しくて」と云っているのだからこんな値なのに仕事を休ませなかった会社が悪い、と訴えたらやっぱり訴えが認められるものなのでしょうか? 個人情報だとは云え、会社からの依頼でうちで健診をしている以上、結果は雇用者に伝えられ、会社からも何らかの勧奨があっているはず。うちのスタッフの勧奨を拒否しているのと同様に、会社にも「大したことはない」「自分の勝手でしょ」と拒んでいる可能性はかなりあります。それでも、何か起きたら、個人の責任ではなくて会社の監督責任の問題になり、給料保証や治療費保証をさせられるのだとしたら、なんか理不尽だなあと思ったりします。

まったくもって、要らん世話ですけど。

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コピペ

先日テレビを見ていたら、「東大生の75%がレポートでコピペしている」という話をしていました。「東大生なのに」というインパクトを与えたいのでしょうが、まあコピペもセンスだから、継ぎ接ぎをきちんとできるのはアタマの良い証拠なのかもしれません・・・”きちんとできる”ならね。

ワタシも最近はコピペする機会が増えました。このブログでも面倒くさければすぐにコピペで1回分ごまかしたりすることは茶飯事。記憶力と語彙力が低下してきた昨今、自分のコトバで書こうとすると当を得たコトバが浮かばなくて自信がないのです。以前は、パソコンの画面を前にして紙にきちんと書き写してネタ帳を作ったりしながら、同じ継ぎ接ぎでも一回必ず文章構成を考えていたものですが、このコピペという作業が当たり前になると、単語の一つ一つを吟味したり接続語がこのままでいいのか考えたりすることがほとんどなくなった気がします。そんな文章だから、数ヶ月後に自分の書いた文章を読んでも「オレがホントにこんなこと書いたのか?」と驚いてしまう(まあ実際、自分の文章じゃないのだから当たり前ですが)。たしかにアタマを使っていない・・・「バカになったなあ」と実感する今日この頃です。

わたしが依頼される文章校正や記事内容チェックでいつも感じること(特に最近多くなった気がする)は、コピペで育ってきた若い世代の文章は総じて文章を理解していないということ。内容は合っていても(間違っていることも多い気はするが)つなぎ合わせる段階で起承転結になっていない。継ぎ接ぎするとしても文章全体の構成と何を伝えたいのかを自分のアタマでしっかり固めていないと、文章として成立しないということが、たぶん分かっていないのだと思います。『正しいこと』と『正しいこと』を繋ぐ時に接着方法を間違うと、できあがったものは『正しいこと』ではなくなる、というか、正しい、正しくないなどのレベルではない、意味のない文字の山になるということが分かっていないのです。もっとも、彼らがコピペする元の文章そのものがこれまた内容のないコピペ文だったりするからスカスカの内容でも致し方ないのかもしれませんが・・・。

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深夜フィットネス

最近は24時間営業のフィットネスジムが流行りだとかで、昨日は朝の番組で深夜にフィットネスジムを利用しているヒトたちへのインタビューをやっていたのを見ました。

仕事が多様化して夜遅くまで働くヒトたちにとって、あるいは昼間は仕事が忙しかったり急な打ち合わせや残業があったりして時間を自由に使えないヒトたちにとって、カラダを鍛えたいと思うなら深夜しかないというのはよく分かりますし、企業もそういうヒトたちのニーズに合わせて良いところに目をつけたな、と思うのですが・・・。

大丈夫なのかしら? 医者としてはニンゲンのカラダのことが気になります。「日頃が不健康だから、健康になりたくてこの時間に運動」「もやしのような貧相なカラダだったけど、この時間に筋トレができるようになって10キロも体重を増やせた」などというコメントを聞きながら、心配になっているのは、サーカディアンリズムの問題。ニンゲンのカラダは本来、夜は十分な睡眠を取り、その間に傷んだ細胞を修復したり、肝腎などの臓器を休めたり、あるいは脳内情報の整理をしたりするシステムになっているはずなのに、その時間帯にその逆のことを必死にやっている。さらに睡眠時間確保のためにほとんどすべての人が運動後に(たぶんシャワーなどを浴びて)すぐに床に就いているけれど、それは睡眠の質確保に逆効果ではないのか? 交感神経や副交感神経の日内リズムを完全に無視したカラダの酷使は、アタマで考えている以上にダメージを与えているのではないのか? 夜中に筋トレして朝から一日働いてショートスリーパーを決め込みながら、「充実した健康的な生活ができるようになった」と思い込んでいる現代人の生き方は、本当に『健康』なのだろうか?

専門家ではないから、単なる杞憂なのかもしれないけれど、深夜フィットネスジムのヒトたちが皆満足感に浸っているのが、返って心配でなりません。専門家の先生方にいつか質問してみたいものだと思っています。

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統合失調(*)の世界やん

映画『DESTINY鎌倉ものがたり』の番宣動画をテレビで見ていた妻が、

「こんなの全部、統合失調症(*)の話やん。統合失調症の人の目にはこんな風に見えてるんだろうなって思うよね」と平然と云いました。

「そお? ボクはこれ、面白そうやなあ、観に行ってみたいなあ、って思うけどなあ」
と云ったら、
「この光景を目の当たりにして平然としていられる人もきっと統合失調だね」
と断言する。

ちょっと反論しかけたけれど、よくよく考えたら、たしかにそうかもしれんと思い始めました。昔読んだ『家守綺譚』『ぐるりのこと』やその延長上には『となりのトトロ』にも共通するこういう世界観って、わたしはとても好きなのだけれど・・・そうか、これは統合失調の感覚なのか。

統合失調は、一般庶民である人間には異次元の病気のように見えるけれど、実は自分たちの世界とは比べ物にならないほどのすごく次元の高い所にある世界なのだと思っているわたし。誤解を恐れずにあえて書くならば、それはそれで憧れ。だからわたしは、そんな人たちとつながりたくて医学部に入ったんだったなあ・・・なんて、そんなことにまで思いを馳せた昨日でした。

(*)最初は実際の会話で使った「(精神)分裂病」の単語で書きましたが、今は「統合失調症」が正式な用語なので、それに書き変えました。

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粛々と師走

いつの間にか、師走になってしまいました。

しかも、今日からちと寒くなってきました。

職場の内部監査も一段落、1週間後の講演のスライド準備も一段落・・・。

ほんの少しですが、少しだけココロに余裕ができてきました。

だから、そろそろ、少しだけアタマを巡らすことを再開させてみますか。

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