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諦観

『諦観(ていかん)』といえば「あきらめること」。「あきらめる」といえば、想いを断念し、「まあしょうがないさ」「こんなものかな」と自分に云って聞かせて忘れること、と思っていました。わたしは最近、何かと『あきらめること』ができるようになってきて、煩悩を調整できるようになってきたと自負しているところなのですが・・・。

仏教用語の『諦観(たいかん)』は、まったく違うことなのだそうですね。「あきらめる」とは、正式には「あきらかにみる」・・・何を明らかにするのかと云えば、因果、因果の道理。何かが起きたらそれには原因があり、その原因を明らかにして、解決するために対策を実行すること、なのだそうです。常に、自分の行動を客観的に見つめ、反省し、前向きに生きることを『諦観』というらしい。

ん~、深い話じゃ。

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