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”病人”の気持ち

人間ドックの生活習慣病関連の項目の精検(要精査、要治療)受診率が相変わらずとても低い。がん関連も高くはないけれど、やはりがんは死に直結する印象があるのか、7割以上はどこかの医療機関を受診しているようです。でも、生活習慣病、特に高血圧、糖代謝異常(糖尿病)、脂質異常については絶望的な受診率です。

「昨年、『要治療』の評価を受けたが未受診」という問診項目が目につきます。脂質異常はまあ良いとして(良くないか)、糖尿病とか、「どうして病院に行かないのだろう」と首を傾げたくはなるのだけれど、分からないでもない。「どうもないから」というよりは「できたら他人事であってほしい」という気持ちがどこか逃げの方向にカラダを引っ張っていく。病院受診したら『糖尿病』と決められてしまう。もしかしたらクスリなんか飲まされるかもしれない。何ともないのに、他人からも『糖尿病の人』という目で見られるようになるかもしれない・・・。 「テレビでもあれだけ糖尿病の啓発番組がやられているし、糖尿病がどれだけ怖い病気かわかっているだろうに、ほったらかしても良くはならないのに、どうして受診しないの?」と専門職のナースやドクターは思うのだけれど、それは、彼らが「専門家だから」なのではなく「他人事だから」なのではないかという気はします。

ただ、これだけ情報が蔓延している社会だから、糖尿病が悪化するとどうなるかくらいはなとなく分かっているから、「どうもない」かもしれないけど「心配していない」わけでもないはず。それこそインターネットや雑誌を読みあさって気をつけられることはそれなりにしているはず(まあ、ほとんどの人が”それなり”ですけど)。糖尿病の治療の基本は運動と食事と睡眠なのですから、それでコントロールできるなら別にそれでいいのです。ただ、もともと症状がないのだから、成果は血液検査で評価するしかないわけで、それを1年後の健診でこっそり見るのでは、さすがに不十分なのです。

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