« 2018年2月 | トップページ | 2018年4月 »

2018年3月

還暦を機に

やっと決心がつきました。わたしは、今年4月25日に満60歳になります。その日をもって、このブログを終わることにします。

この10年、常に頭の中で文章を考えていた気がします。いつもネタを探し、いつのまにか医療論文記事を読む時も普通の本を読む時も、それがネタになるかどうか考えながら読む習慣になっていました。書くことが生業(なりわい)でも生きがいでもありませんが、文章を書くことは好きなので別にそんな生活はイヤではありません。いつも頭を使って情報や生き方に目を張り巡らせていることも若さを保つ良い方法だと思いますし、だからこそ、張りのある毎日を送れてきたと自負しています。

ただ、そのために切り捨ててきたことはたくさんあります。本を読むこと、朝の散歩、自転車通勤、ストレッチ、食後の団らん、睡眠などなど。別にブログをやめたからと云ってそれらを復活させるわけではありませんが、限られた人生、その時間を他に使ってみたい思いが強くなってきているのは確かです。

わたしの運気は今年の春から一気に低下し、人生最悪の時期が今から数年続くそうです。この期間には間違っても新しいことに手を出さず、地道に充電するのが望ましい、と云われております(ちなみに、妻の運気は人生最高になるからやりたいことは積極的に取り組むべし・・・「ここ3カ月の間に人生最大の転機が訪れる」のだとか)。ですから、この新しくできた時間を有意義に使って何か勉強するなり、有意義に使わずぼーっとするなり、何か考えてみようと思っています。

なんか、とてもスッキリした気分です。

| | コメント (3)

おののく

先日、パピーウォーカーとして仔犬が初めてやってきた家庭の番組を見ました。

番組を見ながら、我が家のインディ君(初代ベアディ)が町田から飛行機に乗ってやってきた時のことを思い出しました。暗闇の中でゆられながら着いたら知らないヒトに連れて行かれ、さらにそこにこれまた朝まで育ててくれたお父さんやお母さんではない知らない男女がやってきて、ニコニコしながら自分を抱いたと思ったらそのまま車に乗りました。知らない家に着いたら、兄弟や友だちもだれもいない寂しい家で、狭いケージに独り詰め込まれてとてもショックを受けました・・・彼が、その環境の変化を理解できずにおののいて戸惑っている姿を思い出したのです。彼は、一晩中寂しそうにケージの中で啼いていました。

彼らは、生まれた時からそれがサダメなのだろうけれど、なんか「申し訳ないなあ」という気持ちを抱きました。この子、たまたま私たちに選ばれてしまったからこんなところに連れて来られたけれど、タイミングが一つ前か一つ後だったら時々はお父さんに会いにつれて行ってもらえるような近場に貰われていったかもしれなかったのに。なんか、自分の意志とは関係ない所に連れてこられて、訳も分からず厳しくされて、泣きたくなったんじゃないのか。今でも、優しそうな顔で目線を逸らすインディ君の顔を思い出すたびに、ちょっと切なくなります。

| | コメント (0)

1週間で若返る

「こないだテレビを見てたら、『ブルーチーズを1週間食べるだけで血管年齢が若返る』っていうので、今日デパートに行ったついでにチーズ売り場見に行ったのよ」

近くの公園で花見をしてる最中に、満84歳の義母がそう話し始めました。

「ちょっと高かったから、今日はやめておこうと、思い止まったけどね」
「でも、すごいと思わない?  1週間食べるだけで血管年齢が若返るのよ! わたしはブルーチーズとか好きじゃないけど、でも食べない手はないでしょ?」

嬉々として喋る義母を眺めながら、わたしは忠告しておきました。

「お義母さん、勘違いしてませんか? 1週間食べ続けたら血管年齢が若返るかもしれんけど、食べるのやめたらすぐ元に戻ると思いますよ。その嫌いで高いブルーチーズとずっと付き合っていかないと効果は続かないんじゃなかろうか」
「えーそうかな。そんなことテレビでは云ってなかったけどな~」

まあ、食べて悪いことは何にもないから、成果の検証はむずかしいとはいえ、食べることには賛成ですけどね。

| | コメント (0)

電子たばこと脂肪肝

先日も、「もうたばこは止めたもんね。タールが入ってない電子たばこに変えたけん心配ないわ」と胸を張って云っている受診者さんがおりましたが、いまだにそんなこと云っている人がいるのが不思議。タールがカットされて肺がんの率が少し下がったとしても、ニコチンを初めとする化学物質はさほどの減量効果がなく、むしろ慢心と目に見えないエアゾルで周りに曝露させる分、紙巻きたばこより害は酷いのではないかというのがほぼ通説になった昨今。

それが、脂肪肝の方向で責めてこられたのはちょっと意外でした。動脈硬化、心筋梗塞、脳梗塞、認知症、肺気腫などの方向で責めてくると思っていたからです。

ニコチン入り電子たばこで脂肪肝の恐れ

米・Charles R. Drew UniversityのTheodore C. Friedman氏らが発表した報告(第100回米国内分泌学会、ENDO 2018、3月17~20日、シカゴ)によると、マウスを「血中ニコチンレベルが喫煙者および電子たばこ使用者と同程度になるまで電子たばこのエアロゾルに曝露させた」群と「生理食塩水のエアロゾルに曝露させた」群とに分けて観察したところ、「電子たばこに曝露されたマウスにおける脂肪肝の発症や進行に関係する433の遺伝子変異が見いだされ」、「概日リズム(体内時計)に関係する遺伝子変異も発見」された(概日リズムは、脂肪肝を含む肝疾患の発症を促進)そうです。

ま、こういう研究は枚挙にいとまがなくなるでしょうが、『たばこの害』の報告と同様に、きっと、吸いたいヒトと売りたい人はあえて耳を閉ざすのでしょう。

| | コメント (0)

街並み

熊本地震からもうすぐ2年。揺れることもほとんどなくなって、平穏を取り戻しつつある我が家の周辺を散策していると、ちょっと新しいことに気づき始めました。

先日の東日本大震災の7年目の日、あちこちで流れた津波の写真や動画がまるで昔の記録映画のように見えたのと同じように、あのこの世のものとも思えないほど歪んでしまった熊本の風景もまた、写真で再現されてもあれが夢だったかうつつだったかすら自信がなくなってきている昨今です。

そんな中、多くが更地になり、向こう側にあって見えていなかったものが現れてぎょっとしたり、いつも目印にしていたビルが無くなって目的地にたどり着けなくなったりした時期を経て、再び今、街が変わろうとしています。まだまだ取り残されたままのブルーシートの家(まだ順番が回ってこないのか、補修を放棄しているのか)がある一方で、更地に少しずつ家が建ち始めています。そこにある風景は、もはや一年前のものとも二年前のものとも違う、みたこともない新しい景色。それだけ前に向かって前進していることだと思えばいいことなのでしょうが、何か原風景が壊されたような、そのまま自分の辿ってきた人生の一部が侵されたような、そんな変な気分に苛まれております。

「えーこここんなに変わったの?」などと、久し振りに遠くまでの散歩に付き合ってくれた妻が何度も叫んでいましたが、日に日に変わりゆく街並みの中で、少なくともこれが、仮住まいではない本当の日常である状態に早く戻れるように祈るばかりです。

| | コメント (0)

パソコンとネットの存在

還暦を機に、7年間愛用の何代めかのVaioを新しいのに買い換えたいという思いを昨年から抱いていて、いよいよその日が近づいてきたな、というところなのですが、ここへきてハタと躊躇の心が芽生えてきているのであります。

わたしの夜の生活の質を落とさせているのは、もしやパソコンとネットの存在ではないかと思うわけです。パソコンとの付き合いは研修医時代からだから長いけど、昔はあくまでもデスクトップのパソコンを立ち上げなければ何も始まらなかったし、ワープロや統計計算やデータベースとしての活用しかなかったから、影響はそれなりに知れていました。インターネットに恐る恐るアクセスするようになったのは我が家を新築してワンが新しく家族の一員になった頃だったけど、それでも有線の電話線から繋ぐだけだった。無線LANのインターネットを使えるようになってからも、あくまでも自宅や職場のパソコンの前だけだったから、10年続けたこのブログも、旅先で題材を思いついたら紙にメモして帰ってきてから書き写していましたし、長期出張の時には当然ブログはお休みしていました。

ところが、今やスマホやiPadなどというオモチャを手に入れて、あちこちでWi-Fiなんてものがフリーであるものだから、暇さえあればいつでもどこでもネットに繋いで何かをするようになってしまいました。紙にメモするくらいなら直接端末に書き込んだ方が無駄がないし、仕事をしようとパソコン開けても、とりあえずメールを確認してフェイスブックやネットニュースに飛んで行ったが最後、もうその晩には離陸した元の位置には戻ることなく泳ぎまくり。酒など片手に飲酒運転してすぐに酩酊状態に突入する始末。

もはや「それはしょうがないことだから、この世界から脱出できないもの」と諦めていましたが、タバコをやめるのと同じように、この際、自分を取り戻すためには、パソコンとスマホの世界から離れる決心が必要なのではないか、とか考えてしまう自分がいるわけです。パソコンとネットがなければ、もっと思索にふけることだってできる気がするのです。でも、できるのだろうかそんなこと。それをした瞬間から、おそらく仕事以外の一切の社会とのつながりが消えてしまって(まあ今でもほとんどないようなものだけど)その存在証明すらできなくなるのではないか、という不安がないわけでもない。その不安に耐えられるのか、自分?と自問する。

| | コメント (0)

何か楽しいことはないかしら

いや、ほんと。

「何もないってことはないだろ!」という思いで考えてみたのよ。「何かあるだろ楽しいことくらい」って。でも、ホントに何もない。「何もないと思ってしまうから何もかもが面白くなくなるのであって、面白いことなんかあちこちに散らばって落ちているものさ」なんて、ヒトは云うけれど、そんなもの、落ちてないさ。少なくとも、今のわたしの周りには落ちてない。

しなければいけないことがない、ってこんなに辛いんだ? 不思議なものです。しなければならないことがあると、それを逃避するためにいっぱいいろんな楽しいことを思いついてそっちに逃げていくんだけど、逃げなきゃいけないことがないと、全然やる気が起きない。楽しいか楽しくないかは相対的な問題。美味しいか美味しくないかとかと同じですね。家に帰ってワンとの散歩、春の訪れ、晩酌、ゴルフ、サッカー観戦、運動、仕事、テレビ、いや~ホントに何してても芯からは楽しくなんかない。大好きな掃除や草取りや洗濯はまだ少しは気が晴れるけど昔ほどは楽しいと思わないし、友人と宴会、家族で食事、旅行、無理やりやっても刹那の楽しさは知れている。みんなそんなものなのかしら。

いや、冗談抜きで、「楽しいこと」とか「今したいこと」とか、あるのが普通ですか?

| | コメント (0)

高齢者とコレステロール

85歳以上では高コレステロールが認知機能低下を抑制

今回CareNetに紹介されたのは、米マウントサイナイ・アイカーン医科大学のJeremy Silverman氏らの研究結果で、「中年期と比べてTC(総コレステロール)値が上昇すると、75~84歳の高齢者では研究登録時から10年後までに認知機能が低下するリスクが50%高くなったが、85~94歳の高齢者では同リスクが32%低くなることが明らかになった。また、スタチンの使用が認知機能低下の抑制に関連することも分かったが、加齢に伴いその効果は低下していた」というもの。つまり、超高齢者では、コレステロール値が高い人の方が認知症にかかりにくく、脂質異常症に対するクスリは高齢者になるほど認知症抑制効果が乏しくなる、ということです。

ま、賢明な方はおわかりでしょうが、だから高齢になったらコレステロールの多い食材や高カロリー食を取った方が良い、という意味ではありません。研究者のSilverman氏のことば、「85歳になると、突然コレステロールが健康に良いものになるわけではない。高コレステロールというさまざまな疾患のリスク因子がありながらも85歳まで長生きできるような人は、高コレステロールによる悪影響から身を守ってくれる何らかの因子を兼ね備えている可能性が高い」というのが妥当な見解でしょう。生き延びた人に学ぶもの、それは、真似できない本人の体質を除けば、生き延びた人の若かりし日の生活習慣と社会環境を模することでしょうかね。

| | コメント (0)

団らんあっての夕食(後)

(つづき)

それでも、やはり、そこには「家族全員が必ず顔を合わせる場」としての”食卓”がありました。だから、可能な限り時間がかけられるような料理が並び、「一日ご苦労様でした」「今日はどんなことがあった?」「こんなことがあったけどどうしよう」そんなはなしをする場があったはずなのです。少なくとも、サザエさんの家庭のような夕食の団らんこそが、基本的夕食風景だったはずです。ところが高度成長時代を迎え、「亭主元気で留守が良い!」とばかりにお父さんが残業だらけになり、受験勉強の子どもたちは塾通い、食事を済ませたらさっさと自室に入り何をしていることやら、あるいは夫婦共働きで鍵っ子たちが冷えたご飯を冷蔵庫から出して食う、などということが当たり前になってしまい、家庭に『団らん』がなくなってから久しい。

だから、『団らん』がなくなった時点で、夕食なんて最低限のエネルギー補給で問題なくなっているはずなのです。「これだけ遅くまで仕事してへとへとになりながら帰ってきているのに、何じゃんこの手抜き料理は!」と亭主に切れられ、「これが育ち盛りの子どもたちに食べさせる料理なの?」と姑にぼろくそに云われ、それを理由に自分も食べたいものを並べて腹いっぱい食ってストレス発散をして・・・今があるのよねぇ。「夕飯なんて大したものなくても大丈夫だよ」と云っても「そんなわけにはいかないのよ、そんなことしたら身体に悪いでしょ」と妻に一蹴されるわたしも御多分に洩れません。幸せ者なのかもしれませんが・・・。

| | コメント (0)

団らんあっての夕食(前)

メタボや糖尿病や脂肪肝の原因は、夜の食い過ぎ。遅くに帰ってきて、「ごくろうさま」と準備された大量の料理を口の中に投げ込んで、カッと酒を搔っ食らってさっさと寝る生活を続けているからそうなるのさ。

そんなはなしをしながら、「夕食は一日の食事の中で一番ごちそうを食うもの」と皆が当たり前に思っているけれど、いったいいつからこんなに夕食が多くなってしまったのだろうと考えました。朝飯は今から活動するのだから大事だとしても、夜は寝るだけなのだから、少なくとも栄養補給の意味はあまりないはずです。

遠い昔、食事は一日二食が当たり前だった頃、朝の涼しいうちに仕事をして帰ってきてからちょっと遅い朝食(ブランチみたいなもの)を食い、炎天下では仕事にならないから昼寝をしたりウダウダしたりして、お日様が傾いてきてから午後の仕事をする。日が暮れて帰ってきてから夕食を取って就寝するというものだったと聞いています。ヨーロッパなどで昼食の時間がめっぽう長く、皆が一度家に帰ってゆっくりたっぷり食って昼寝してから再度出勤する習慣も、そんなことの名残なのかもしれません。ただ、どちらの場合も云えることは、食事は家族皆が集まって団らんの中でゆっくり時間を取っているということ。たしかに静かに黙々と食器の音だけが響くヨーロッパの夕食の様子を映画などで見たことはあるし、儒学の教えの元、食事中は私語を慎み、しゃべることなくひたすら食べることに集中すべし!が戦中戦後の日本の夕食のあり方でしたから、これは『団らん』と呼べない、と云う人もおりましょうが・・・。 (つづく)

 

| | コメント (0)

忘れてしまう(後)

(つづき)

基本的に、毎日行っている無意識の行動(たとえば玄関ドアの戸締まりとかガスの元栓閉めとか)は、無意識のうちにやっているのが当たり前でしたし、その自信がありました。家を出て、「あれ、カギ掛けたかな?」「ガスの元栓閉めたかな?」と不安になって引き返したことは何度もあるけれど、かけ忘れ、閉め忘れをしていたことは一度もありませんでした・・・以前は。

でも、最近は本当に自信がありません。やった記憶のないことは、たぶんやってない。やった記憶があっても、それがさっきだったか昨日だったかの部分が定かでない。こういうことが、毎日のように押し寄せてくるので、何がうつつで何が夢か? 何が今日で何が昨日か? 妄想したことか現実にあったことか? そんなことまでよく分からなくなってくるのであります。

「そんなこと、自分もあるから大丈夫だよ」と云ってくれる御仁は、決まって同年配だから、どっちもどっちだわ(笑) 最近は「もしそんなことになっても、しょうがないな」と思うことにしています。「しまった、忘れた」と気づいたら(あるいは不安になったら)、「忘れてたとしてもしょうがない。特にそれで困ることはないだろうし、たまたまカギをかけ忘れたときに空き巣に入られるわたしなら、きっとかけてあっても入られるだろう。ガスの元栓が閉まってなくて事故が起きるならそれは大災害の時だけだろう」なんてなことを思うことにしています。

今まで、仕事から帰ったら玄関のカギが開いていたことも、庭のサンルームのドアが開いていたことも何度かあります。誰が忘れたのかわかりません(わたしか妻か、あるいは留守中に来た義母か)が、まあ大事には至っていませんから、そんなもんでしょう(愛犬が庭を勝手に走り回っていた光景が異様だったとの話はお隣さんから聞いたことはありますが)。

| | コメント (0)

忘れてしまう(前)

昨日、いつもズボンのベルトホルダーに引っかけているライフコーダー(まめ太郎2017)を付け忘れて職場に行きました。ごくたまにこれをやらかします。朝、部屋着のズボンを脱ぐときに外してベッドの上に置いて、「このまま忘れてしまわないように、出勤用のズボンを穿いたらすぐに装着しなきゃ」と自分でしっかり指先確認までして、その場でズボンを穿き替えたというのに、次に気づくのは出勤途中・・・「あ、付け忘れてきた!」となるわけです。

ズボンから外すのを忘れているわけでもなく、すぐに穿き替えたにもかかわらず、ふっと意識の中をかすめるように消えていく。目の前の存在と行為を記録した脳細胞が、細胞ごと暗闇の中に消えていく感じ。怖いでしょ。以前はもちろんこんなこと絶対なかったし、理屈上忘れるはずがない(「忘れる」という概念を使用できるような時間経過でもない”刹那”のこと)はずなのに・・・。

こういう忘れ方をすることが明らかに増えました。顔を洗うときに邪魔だから脱いだフリースが夜歯磨きするときまでそこに放ったらかしてあったり、持っていこうと思って玄関に出しておいた書類をそのまま忘れて行ったり。「そんなことあるはずないやろ! 気が緩んでいるからだよ」とか云われるけど、気を緩ませないようにすればするほど細胞が消える。「忘れないように、わかりやすいところに出しておこう」と思って置いたのに持っていくのを忘れ、そのうち置いた場所を忘れ、そして置いたことを忘れる・・・こういうことは特段珍しいことではありません。ここに書こうと思った内容を次の刹那に跡形もなく忘れ去っているのもこの類いでしょう。 (つづく)

| | コメント (0)

でも、

「コレについてどう思われますか」
「でも、わたしはいいと思います」 とか、
「でも、やっぱり楽しいのが好きです」 とか、
もう誰も何も云わないくらい市民権を得た云い方なのですが、
「何に対して『でも』 なんだよ?」という想いはいつもある。
「『でも』は最初に使う言葉じゃないやろ! おまえはそれでも日本人か?」
とか思ったりする。

でも、最近ちょっと考え方を変えました。彼らの「でも」は、単に「えーと」とか「あの」とかいう感動詞ではなく、頭の中でいろいろ思案している流れの後で、その続きとして、「でも~」と口にしてるのに違いない、と。

違うかしら?

| | コメント (0)

きわめて高いHDL-C

きわめて高いHDL-Cは心血管死リスク? EPOCH-JAPAN

余って血管壁に残ったコレステロールを肝臓まで回収する仕事をしているので、通称”善玉コレステロール”と呼ばれているHDLコレステロールですが、最近、「HDLコレステロールは多すぎても危ない」という報告がちらほら出始めています。今回の報告は、日本の循環器疫学コホート研究の統合データベース共同研究であるEPOCH-JAPANという大規模なプール解析により、extremely highレベルの HDLコレステロールがアテローム(動脈の粥状硬化)が原因の心血管病による死亡率に悪影響を及ぼすことを示した、というものです。

「extremely highレベルの HDLコレステロール値」というのは90mg/dL以上のことを示すようです(基準値は40以上)。もともと家族性高HDL血症は数が多いだけで善玉効果はあまりない、ということは云われていましたが、それでもそんな特殊な集団を除けば、「HDLコレステロールはできたら多い方がいい」と考えられてきました。それがどうも、高すぎると冠動脈疾患および脳梗塞リスクを増加させ、これらによる死亡リスクと相関するというわけです。ちなみに、わたしの今年の職員健診でのHDLーC値は85ですが、90を越えることは10年以上前から少なくなく、2年前は102(LDL-Cは133)まで上がったのを自慢していました。たしかにCT検査の結果、わたしの大動脈と冠動脈は石灰化だらけであることが分かっています。ちと凹みます。しかも、『extremely highレベルのHDL-Cのリスクは、現飲酒者でより顕著であった』という報告もご丁寧に付け加えられていました。摂取エチルアルコール濃度とHDL-C値は直線的な正の相関関係にあることは遠い昔からの常識で、。「酒は飲めば飲むほど”善玉”を増やす」と教わってきた(”健診は語ってはいけないタブーのデータ”)というのに・・・。

| | コメント (0)

食塩過多による高血圧

食塩による昇圧は他の栄養素で相殺されず~栄養と血圧に関する国際共同研究INTERMAP

アメリカのNorthwestern Universityからの報告。『1996~99年に4カ国17集団の成人4,680例を対象に実施された栄養と血圧に関する国際共同研究INTERMAPのデータを解析。その結果、食事によるナトリウム(Na)摂取が血圧に及ぼす悪影響は、血圧にとって好ましい他の栄養素を摂取しても相殺されない可能性があるとHypertension(2018; 71: 631-637)に発表した』というもので、この4カ国は日本(4)、中国(3)、英国(2)、米国(8)のことです。

簡単に云えば、「どんだけ食塩リッチな食事をしても一緒に野菜バリバリ食っておけば大丈夫」という考えは大きな間違いだぞ!ということですかね。K(カリウム)が多いものを食べると細胞内で競合してNa(ナトリウム)が体外に排泄されるというのは有名な話ですが、今回の研究によると、もともと適正な尿中Na排泄量の人は『K摂取量の増加に伴いNaと血圧の関連が弱まった』けれども、Na排泄の過多な人(たくさんNaを摂取している人)ではK摂取量によるNaと血圧上昇の改善関係が少なかったというから、日頃からNaを大量摂取している人では、K摂取の追加は予想したほど高血圧の改善に寄与しないということです。

わたしは塩辛い食材が好きだけれど、最近は、昔から好きだった塩せんべいなどが露骨に塩分の味しかしなくなっている感じがして、昔ほど心躍らなくなってきました。舌(味覚)が拒否するようになってきたのでしょうか。野菜の方はますます素材の味が感じられるようになってきて嬉しい限り(もともと、ドレッシングや調味料はかけません)。

| | コメント (0)

わたしは日本酒が好き

 『アンチエイジング医学』(日本抗加齢医学会雑誌)2018年1月号の誌上ディベートは『日本酒vsワイン』でした。

たとえ、ワインにポリフェノールがたくさん入っていようがレスベラトロールが入っていようが、わたしはワインより日本酒が好きです。”酒は百薬の長”といわしめるのは日本古来から日本酒をたしなむ者のことだと信じて止まない男なのであります。だから、どう考えても分が悪そうな『日本酒vsワイン』の日本酒推しの滝澤行雄先生の記事だけを舐めるように読み干しました。
・日本酒(清酒)には中枢神経抑制作用がある。鎮静(麻酔)効果、消化液分泌亢進、タンパク質の消化促進、皮膚血管の拡張作用
・心臓病、老化、骨粗鬆症などの予防作用
・認知症予防作用
・がん細胞増殖抑制作用

和洋中あらゆる料理に合わせられる日本酒の種類は多種多様、常温、冷、熱燗と飲み方も季節や好みによっていろいろ楽しめる。「味わいのバランスを崩すことなく、長時間ゆっくり飲んでいられること、ほろ酔いが持続することも食中酒-日本酒の特徴である」というくだりが好きです。「酒を飲むと脳が溶けて認知症になるぞ」と言われていただけに、逆に「認知症予防になる」というデータは心強い。

ちなみに、適正飲酒は2合らしい。そうかそうか。いつものわたしの晩酌量と同じじゃ。「日本酒を飲むと意識を失って暴れ出して危ないから」という理由で日本酒禁止令を妻から突きつけられているわたしですが、やっぱり日本酒が好き♪

| | コメント (0)

花冷え

春に近づくときに必ず訪れる花冷えの時期。昼間は暖かくて長閑だけど、かえって朝夕の冷え込みが身に沁みる、そんな季節。それがこれから約1ヶ月の期間です。そうそう、2年前の熊本地震の時にも寒い中をダウンジャケットを二枚重ねて逃げ惑ったのを思い出します。

そんな季節には、他にも必ず思い出す切ない空気感があるので、毎年思い出してしまいます。大学受験に失敗して福岡の予備校に入学手続き。バスで片道1時間の地にあった予備校指定の古びた三畳一間の下宿屋さん。生まれて初めての一人暮らしで、薄暗い部屋の中はいつまでも裏寒かった思い出。大学を卒業して地元の大学病院で研修医をするために借りたアパート。日当たりのいい部屋だったけど、やっぱり独りぼっちで自室は冷え冷えしていました。そして新婚で東京に出てきた春。石神井の真新しいアパートに着いた日はまだ荷物が届いてなくて、「春だというのに寒いなあ」と部屋の中でオーバーコートの襟を立てて二人で夜を過ごした思い出。新しい生活と花冷えはいつも同居していて、知らない人の中で、期待より不安の方がはるかに大きかったあの頃・・・悪い思い出は何一つないのになんかどれもセンチメンタル。

うちの職場は数年前から定年が65歳に引き上げられましたから、わたしの定年ももうちょっと先延ばしされましたが、四月生まれのわたしは定年退職を迎えるときもきっと花冷えの季節なのだ(誕生月の月末が定年です)。今度の花冷えは、若いときのようなセンチメンタルとは全然違うものになるんだろうな。

| | コメント (0)

できることから

「ライザップとか、実際にはどうなんですか? やってみたい気もするけど、本当にあんなにやせるのかしら? やせたとしても止めたらすぐにリバウンドするかもしれないでしょ。だから、なかなか始められないのよ」

先日、受診者の妙齢の女性がそんなことを云っていました。「みんながみんな成功するわけじゃないけど、『結果にコミットする』わけだからそれなりの成果はあるみたいですよ。各自の生活パターンに合わせて無理させない指導をすると聞いていますよ」と答えてはあげました(別に、ライザップからの回し者ではありません。ケトン体ダイエット系の王道をやっているだけだから想像はつきます)。

というか、そんな、する前に『しないこと』の云い訳を並べないで、何でもとりあえずやってみたらいいのに。とりあえずやってみて、自分にできることとできないこと、あるいはできるけど続けられないことと続けられるけど思ったほど効果がなかったことを確認することも大事だと思いますけどね。 ま、まず『したくない』ありきだから、マジメに答えてもしょうがないか。相槌を求めているんですものね。

| | コメント (0)

インタビュー記事

待合室で雑誌を読んでいました。最近あまり雑誌の記事を読まない(老眼の影響か、読むと疲れるので)のですが、飛行機に乗っているときや健診の待合室などの手持ちぶさたなとき(手元にスマホが使えないとき)に、徒然に読むことがあります。なかなか面白いので、読み始めると読みふけることが多いのですが、そんな中のインタビュー記事を読みながら、ふと思ったことがあります。

へえ、この人はこういう考え方で仕事をしているんだな、とか、これはこういう意味だったのかとか驚くことがままあるのですが、「待てよ、これは本当なんかな?」と勘ぐってしまうのです。なぜなら、わたしも何度かインタビュー記事を書いてもらったことがあるのですが、往々にして、担当者が書いてきたゲラ原稿の内容がわたしの云ったことと大きくかけ離れていて、愕然とした経験が何度もあったからです。担当者や編集者は、初めから目的を持ってインタビュー企画を持ってきます。その時点で自分の考えているストーリーがあるのでそれに沿って流れを考えているフシがある。そして、例えばわたしの場合は医療的なはなしが多いのですが、聞き手の医療知識が乏しくて自分なりに理解したつもりの理論で文章を作り上げる。そんなだから、渡された原稿にはわたしの強調したいことがすべて削ぎ落とされ、どうでも良いことばかり並べてあったり、事実ではない内容をあたかもわたしが云ったかのように書かれていたこともありました。結局、まじめなわたしはゲラ原稿をほとんど原形を留めないほどに真っ赤に校正して、インタビュー形式にしなくても最初からわたしが文章をしたためれば良かったんじゃないの?みたいになったりした経験があるのです。

テレビの医療番組でも、「絶対そんなことはない」と思うようなことをどことか病院の大先生が語ったかのような云い方をして流していることがよくありますけど、わたしのような暇人と違ってそれでなくても忙しい大先生方、できあがった原稿や映像なんてまともにチェックしていないんじゃないのかなとか思ったりします。インタビューを受ける方々に忠告です。自分の知らないところで自分が云ったかのようにウソの記事が出回る危険性がありますから、責任を持ってゲラチェックしましょう。

| | コメント (0)

新人さんのエレベーター

4月のフレッシャーズシーズンにならずとも、職場には今年になって少しずつ新しい顔ぶれが増えてきました。若いお嬢さん方がこぞって当たり前のように職員用エレベーターの前で箱の到着を待っています。

もはや、自宅にある階段を除けば、生まれた時からエスカレーターかエレベーターでしか階上に行ったことのない世代(さすがに、学校は階段かな)。彼女たちにとって(というより、彼女たちのご両親にとっても)、そこにエレベーターがあるのに非常階段を歩くのは変人に見えて当たり前でしょうね。うちの職場で非常階段を上ることがトップダウンで指示されたのは、7年前の東日本大震災で自粛ムードになった時だから、その頃にはまだ学生だった子ばかりでしょ。非常階段なんて裏側の薄暗いところに隠れているのが当たり前だから、親御さんはそんな物騒なところには近づくなと教育しているかもしれません。

「他人事だと思っているかもしれないけれど、本当にロコモやサルコペニアで問題になるのは、あんたらの世代なんだぞ」と云ったところでピンと来ないでしょうし、自分の筋肉が見る見るなくなるなんてこと、想像する人すらいないでしょう。ま、その頃にはどうせわたしはとっくに死んでいるからどうでもいいけどな。待てよ、彼らがわたし達の歳になった頃には、筋肉なんかなくても元気に生きていけるテクノロジー社会になっているんだろう。あるいはすでに、社会が消滅しているか。

ま、どうでもいいや。

| | コメント (0)

シャツはそのままで。

わたしはかなり前から、健診や人間ドックの診察のときに無理にアンダーシャツをめくり上げさせたり脱がせたりはしません。「シャツの上から聴診器当てる医者がいるらしいですよ。いい加減ですよね」と云う人に「わたしはいつもそうしていますけど、何か?」と答えて場をしらけさせたこともあれば、「あの医者は服も脱がせず聴診したが、これは業務怠慢ではないか」と投書されたこともあります。

昔は、「健診の聴診なんて形だけだ」と思われ、どうせポーズなんだから、聴診器の耳当てを一方側だけ耳から外していなくても咎められない(聞こえるはずがないのに相手には気づかれないと思われていたらしい)けど、服はめくらせないと「手抜きだ」と思われていたところがあります。でも最近は、受診者の方もアンダーシャツを着たまま構えて平然としている人が増えてきました。

もちろん、直接肌に当てて聞いた方が良いに決まっています。少なくとも外来受診している患者さんにそんなことしたら明らかに手抜きです。聴診で得る情報以外に皮膚の色や皮膚のできもの・炎症など、視診で得られる情報がたくさんあるからです。でも、健診で心音や肺音を聞くだけならアンダーシャツの上からでも十分。それは、聴診器の性能が良くなった(循環器科医だったわたしの聴診器は昔から高性能ですが)からというよりは、シャツの生地が進歩したからだと思います。昔は冬場になると分厚いシャツを何枚も重ね着しているおじいさんやおばあさんばかりで、あれはさすがに脱いでもらわないとわたしの高性能聴診器でも何も聞こえませんでした。でも、今のシャツはとにかく薄くて温かい。良い時代になったなあ、とつくづく思います。まあ、「シャツはそのままで大丈夫です」と云っても全く聞く耳持たずに薄っぺらい下着をめくり上げる男性は居られますので、そんな方に無理矢理シャツを下ろさせることはしませんが。

| | コメント (0)

まめ太郎の総括

まめ太郎チャレンジ2017が先日の職員健診でひとまず終わりました。

3年前に12キロ、2年前に8キロ、1年前に4キロ減った体重は今年は1キロちょっとでした。前回は、熊本地震のあとに一回10キロ減って少し戻ってからのトライだったから、実質本当に変化しなかったのは今回が初めて。1年目、2年目に、「まめ太郎を携帯するだけでどんどん体重が消えていくんだよ」と云っていたことは、半分は本心だったけど、今年の結果を見る限り、まめ太郎の神通力は、それなりに自分が努力しないと発揮されないんだろう。少なくとも一日中歩いているだけではダメなようだ。

1年目、2年目と体重は激減したけど筋肉もなくなって、鏡に映る我が姿が長期入院中のジイさんのようになってしまったから、とにかく体重減少よりは『切れ味のある腰周り作り』を目標にしたのだけれど、毎日やった体幹トレーニングの成果は出たような出なかったような。最近、朝起きるとちぎれるように腰が痛いのは、もしかしてこれのやり過ぎかも・・・。

”やればできるけれど、ずっと続けたくない”生活トライはしたくない、という発想で始めたため、運動量は昔から多いのだから実質何も変えていないまめ太郎チャレンジ2018だったけれど、食事前に酒を飲まない、うたた寝や夜更かしをしない、という目標は半分くらいしか達成していない。ここはやはり自分にウソをついてはいけない。これから3ヶ月間の追試を受けることにしたので、せめて夜の過ごし方については、もうちょっと格好良くスマートですっきりした気分に浸って、胸を張れる習慣付けにしてみたいものだと思っています。

追試の結果を乞うご期待!

| | コメント (0)

会えるときに。

歌手の北島三郎さんの息子さんが51歳で孤独死をしたニュース。

死後1週間くらいして見つかった痛ましいニュースを見ながら、わたしの父親の最期と同じだなと思いつつ、違うのは年老いた親を残して息子がいなくなったという事実です。わたしの受け持ちの受診者さんにも遠く離れて暮らす娘が40代半ばにして突然亡くなった方が居られますし、昨年末にはわたしの職場のスタッフも30代にして自宅で倒れて孤独死しました。やはり親が残されるのは辛い。それ以上に、闘病中の息子や娘ではなくいつも独りで元気で頑張っていると思っていた存在が突然消え失せるショックたるや、わたしたちの想像を絶するものでしょう。

我が家のとなりに引っ越してきた義母の散歩する姿が数日見えないだけで、「何かあったのでは」と懸念してしまいますが、逆にわたしたちの世代では、私たち自身の方がいつそんな倒れ方をするか分からない。夫婦二人暮らしであっても、片方がちょっと外出したり旅行したりしている間に倒れることはあり得る世代。今回のニュースはまさしく他人事ではありません。

そして、そんな世代だからこそ、「あの人に会いたいな」と思ったら、会えるうちに会っておくことも大切だなと思います。「また、次の機会でいいや」と思っても、”次の機会”がないかもしれない。それは、相手がいなくなる場合もあるし、自分がいなくなる場合もあるし・・・。来月に還暦を迎える身として、切実にそんなことを考えてしまった昨日の朝でした。

| | コメント (0)

「ヘルシーメニュー」

先週末に〆切になったコラムの原稿。がんばって書いたけれど、結局最後には3か月前に書いておいたヤツを選んだから、これ、ボツになりました。しょうがないから、ここにアップしておきましょう。まあ、これが3か月後の投稿コラムになる可能性はないわけじゃないけれど・・・いいや。

*********************************

『ヘルシーメニュー』

食堂の入口に書かれた「ヘルシーメニュー始めました!」の文字。「今日のお昼はヘルシーランチ♪」というコメントと一緒にアップされたインスタグラム。今や“ヘルシー”は最強のトレンドです。健康志向の風潮の中で現代人は“ヘルシー”の単語に滅法弱い。健康を扱う仕事の私たちもついこの呪文に負けて注文してしまいます。先日そんな『ヘルシーメニュー』とやらを食ってみましたが・・・想像以上でも以下でもない。野菜中心で、あっさりした味付け、量もカロリーも抑え気味、煮物や湯通しした食材や鶏肉に雑穀米。「まあ、こんなもんでしょ」と思いながら美味しくいただきましたが、これを「物足りない」と感じた人、多いのではないだろうか? 地味な見た目にため息をつきながら、「これは“ヘルシーメニュー”だから。健康のためにがまんするのは当たり前だから」と自分を納得させようとした人、絶対にいると思います。

“ヘルシー”って何だろう? 私は“健康”とは「“幸せ”を感じること」だと思っています。「がまんの向こう側に健康はない」と信じていますから、健康的かどうかの評価ポイントは、その行動が楽しいかどうかです。料理を目の前にして「うわ、美味しそう!」とワクワクした気持ちになれないものはヘルシーとは言えない。カロリーもバランスも大事だけれど、“ヘルシーメニュー”は見るだけで思わずヨダレを垂らしそうなものであるのが必須条件。脂こってりボリュームメニューやファストフードに“ヘルシー”はないけれど、それを作る人自身が心から「食べたい」と思う料理にしか“ヘルシーメニュー”の名を付けてはなりませぬ。

先日読んだ本によると、「糖質を抑えるための代用品である人工甘味料では、絶対に満足感は得られない」そうです。人間の身体は血糖値が一定値を超えることによって「食べた」と認識できる様に作られているから、血糖値を上げない人工甘味料ではその代用は務まらないのだそうです。つまり、糖質を抑えるために人工甘味料をたくさん食べるくらいなら、本当の砂糖を少量口にした方がはるかに健康的で満足できるということです。一方、糖尿病治療セミナーの記事では、有名な管理栄養士さんが「高血糖を起こさないメニュー」を提示し、それがそのまま糖尿病予防に繋がる“健康食”だと書かれていました。世の中、何かおかしくなっているのではないか?と感じるのは、こんなところです。どこかで“健康”と“治療”が混同されてしまって誰もその矛盾に気づかない。“健康食”の延長上に治療があるならいいけれど、“治療食”の延長上に健康があると考えるのは本末転倒。食べる時間は、一日の中で一番楽しみな時であってほしい。目の前に並んだ料理をみて、「こんなの食べたら駄目になる」とため息をつくのではなくて、「あ~満足!」と思わず吐息が出る。それこそがヘルシーメニューでしょ! 

| | コメント (0)

写真の後悔

先日の日曜日、前日の大雨がウソのように早朝から良い天気で、そのために深い霧が立ちこめました。ちょうど朝から阿蘇越えをしていたわたしは、この世のものとは思えないような幻想的な眺望に出くわしました。あたり一面を埋め尽くす雲海を包むように広がる真っ青な空・・・たしかそこは崖下のはずなのに、ガードレールがなければそのまま雲の上に直進してしまいたくなるような風景。

その絶景を写すために、小さな駐車場は若者の車でいっぱいでした。インスタ映えする絶好の被写体です。わたしもどこかに車を停めて写真を撮りたいなと思ったのですが、残念ながら格好の駐車スペースを得られず、結局そのまま通り過ぎてしまいました。でも、あの風景は、もしかしたらもう一生お目にかかれないかもしれなかったのでは?と思うと、道にはみ出て他の車に迷惑を掛けてでも停車してスマホを掲げた方が良かったのではないか・・・その後県境の峠を越えるまで後悔の念にかられました。SNSに挙げるとか挙げないとかの問題ではなく、「今日、ものすごくきれいな雲海を見たよ」とだれかに話しても、その感動をだれとも共有できない悔しさともどかしさに苛まれるだろうと思ったからです。

『後悔』~しようかしまいかと悩んでいるうちに刹那は粛々と通り過ぎていく。あそこでちょっと勇気を出しておけば、と思うことが人生にはたくさんあって、若い頃には「どっちにするか迷ったら、躊躇せず後に思いついた方に進む。その方が後悔しないから」と思って人生を決めてきたわたしですが、最近は「どうしようかな」と思案しているうちに時も場所も過ぎ去っていって、「ま、いいか。しなくても何も困らないし」といい訳をするようになりました。尻込みするというよりも、瞬発力がなくなってきたのかしら。もともと積極的な人間じゃないので、別に大した変化じゃないのですが・・・今回、後になってこれっぽっちの後悔をいつまでも引っ張っている自分が、ちょっとイヤ。

| | コメント (0)

雨のタイミング

きのうは全国的に土砂降りの雨が降りました。

熊本では一昨日の夜から激しい雷鳴と落雷が繰り返されて、我が家の愛犬はパニック状態(もともと嵐の日に飛行機でやってきたから嵐がキライですが、2年前の地震で決定的に壊れました)。結局一晩中ケージにカギを掛けて落ち着かせました。夜の雨は一旦落着き、早朝に資源ゴミ出し(ゴミ出しは当然わたしのルーチンワーク)をしたときには雨自体が降っていませんでしたが、出勤のために家を出る直前からテレビで云っていた通り”バケツをひっくり返したような”豪雨に変貌。「参ったなあ」とつぶやきながら、濡れても大丈夫なように換えのソックスをバッグに突っこんで車に乗りました。

ところが、運転していると、前が見えないくらいの豪雨になったかと思ったら、突然降り止むといったムラ雲状態。「こりゃもしかしたら、職場の駐車場に着いたときのタイミングでは傘をささなくても済むかもしれないぞ」などと思いながら運転している自分に気づいて、「今日のボクは、意外と体調が良いんじゃないか?」と自己診断しました。

「晴れ男」「雨女」などというのも同じですが、こういうときの根拠のない自信の有無がそのときの体調を体現する気がします。降ったり止んだり・・・「朝のゴミ出しのときだけ止んだくらい運が良いんだから、駐車場で自分が降りるときだけ止むなんてことは朝飯前だろ」と思うポジティブ自分の日と、「さっきは偶々で、手前の信号機で引っかかったがために自分が降りるときだけ土砂降りになって身体中びしょびしょになるかもしれない。そんなこと今までにも何度もあったし・・・」と早々に諦めモードに入るネガティブ自分の日と、わたしのココロはいつも両極端なのです。

さて、きのうのわたしの実際の運命は、どっちだったでしょう?

| | コメント (0)

家族のこと~妻のこと

妻へ

最後に、妻。いろいろなことを乗り越えながら、彼女と作っていく人生はまだこれからも続くのだろうと思います。彼女は母一人子一人だから、義母とわたしが居なくなったら孤独になるのではないかと思う(わたしも似たようなものか)ので、何とかしてわたしの方が長生きしてあげなければとは思うのだけれど、きっとわたしはあっけなく居なくなるだろうという予感がします。クリエイターである彼女はスイーパーであるわたしとはことごとく逆の性格です。

ウンチが見える人、バラが見える人
それぞれの時間

そして、義母譲りの霊感の持ち主です。

霊の良し悪し
天空の視線
霊感のこと
パニック発作

わたしたちに子どもが生まれなかったのは運命なのだろうと思いますが、それは神様が何をわたしたちに求めたからなのだろうか? それは亡くなるまでには解明されるのだろうか。

枯死卵
「産まれた理由」

長いこと、我が家のプライベートにお付き合いいただいてありがとうございました。まだたくさん書いてきましたが、この辺で懐古のブログまとめは終わりにします。

| | コメント (0)

家族のこと~愛犬たち

我が家の初代のワン(インディ)が町田のブリーダーさんの所から初めて我が家に来たのは、今の自宅が出来上がってすぐでした。子宝に恵まれなかったわたしたち夫婦にとっては我が子の様(生年月日の偶然については、明日の「妻のこと」で)でしたから、この子とは富士の裾野や琵琶湖や大山や牛窓や四国など、あちこちに旅しました。とてもこころ優しい男の子でした。

寿命
魂のエネルギー
弔辞
慈しむ姿

この子の子孫が欲しくて宮崎の子と結婚させたことで生まれた娘がベル嬢。そして、インディが亡くなった後でもう一度町田のブリーダーさんから戴いたのが、今一緒にいるセイラ姫。

それは夢?けいれん?
うちの姫様(前)

わたしたち夫婦の人生の支えであり、わたしたちを成長させてくれた子たち。本当は他にももっとたくさんの感謝の文章をしたためたはずけれど、ほとんどがわたしが書いているもう一つのブログに登場してたみたいなので、今回はこれくらいにしておきます。

意外なトラウマ
トラウマのフラッシュバック

| | コメント (0)

家族のこと~姉のこと、など

そんな姉が大腸がんに罹ったのは2年前の秋。進行がんでしたが手術ができました。今のところ問題ないそうですが、人工肛門なので遠出ができず、今年の父親の17回忌には里帰りはできそうにないとの連絡をもらいました。昨年の春に学会で名古屋に行ったついでに電車を乗り継いで亀山の自宅を訪ねました。「次にアンタがここに来るのは、夫婦のどっちかが死んだ時やろうね」と笑った顔が思い出されます。

わたしは今の妻とは父の反対を押し切って勝手に結婚しましたから、結婚式に親族どころか親兄弟も来ていません。わたし達は子宝に恵まれませんでしたが、時々、夫婦で里帰りしていたので、父は少しずつ認めてくれ始めました。でも、姉は心底怒っていて、たまたま里帰りしていた姉に実家で鉢合わせした時は全く無視されたものです。やっと妻を公に親族に紹介できたのは母の何度目かの法事の時ですが、姉が心を許したのもその頃ではなかったかと思います。

カギをかけるか開けるか
誕生日
何が起きるかわからないからこそ

そんな時にいつも仲を取り持ってくれた叔母(父の妹)ももう高齢になり、バイクに乗らなくなってから一気に活動範囲が狭くなりました。母の兄弟姉妹はここ数年のうちにバタバタと亡くなり、毎年のように法事があります。元気いっぱいなのは伯父の奥さんただ一人。彼女は本当に活力がみなぎっていて、いつもどこかに出掛けています。

介護サービス(前編)
伯父が亡くなりました。
私が医者になった理由

| | コメント (0)

家族のこと~父のこと

息子だからかもしれないけれど、大好きな母に比べると、正直に云うと父は好きではなかった。おそらく、自分自身を見るような気がしたからだと、後になって気づきました。父は、母の死後独りの生活が続き、内縁の奥さん(彼が頑なに籍を入れなかったから)もいましたが、最後は独りで自宅の居間で頓死しました。亡くなって1週間くらい経ってから発見されたので、正式な命日ははっきりしません。享年満77歳でした。

父の死
父の人生
お金持ちじゃなかったんだ
6月16日頃

父と母の付き合っていた頃の手紙の束は、父が亡くなった後で姉が見つけました。母が入院した時、ちょうど姉が出産のために里帰りしていました。「どうしてあの時の母の本当の病名をわたしに教えたのか? 本当はもっとゆっくりと我が子を抱いて欲しかったのに、母の顔を見ることができなかった」と、わたしに本音を語ってくれたのも、父の亡くなった後でした。

わたしが子どもだったころ

| | コメント (0)

家族のこと~母のこと

親戚が病気で入院したり友人の家族が亡くなったりが度重なる中で、自分や家族の今後の人生のことに対する不安もさることながら、わたしを今まで育ててくれた家族のことを急に思い起こすようになりました。母であり、父であり、姉であり、祖母であり、いとこであり、そして愛犬たちと妻と。

そんな想いの中で、この10年間のブログで書いてきたいろいろを思い出し、ページをめくってみました。もしよろしかったら、読んでやってください。

母は、わたしが医学部の最終学年の年に胃がんで亡くなりました。まだ満55歳でした。今から色々好きなことをしたいと、少し早めに教職を退いた、そのすぐあとに発病しました。

母のこと
母がくれたもの
家族の仕事
姪浜
命日
母と息子
文法の先生
母の死に目

やっぱり、大好きだった母のブログは、こうしてみると多いなあ。

| | コメント (0)

« 2018年2月 | トップページ | 2018年4月 »