忘れてしまう(後)
(つづき)
基本的に、毎日行っている無意識の行動(たとえば玄関ドアの戸締まりとかガスの元栓閉めとか)は、無意識のうちにやっているのが当たり前でしたし、その自信がありました。家を出て、「あれ、カギ掛けたかな?」「ガスの元栓閉めたかな?」と不安になって引き返したことは何度もあるけれど、かけ忘れ、閉め忘れをしていたことは一度もありませんでした・・・以前は。
でも、最近は本当に自信がありません。やった記憶のないことは、たぶんやってない。やった記憶があっても、それがさっきだったか昨日だったかの部分が定かでない。こういうことが、毎日のように押し寄せてくるので、何がうつつで何が夢か? 何が今日で何が昨日か? 妄想したことか現実にあったことか? そんなことまでよく分からなくなってくるのであります。
「そんなこと、自分もあるから大丈夫だよ」と云ってくれる御仁は、決まって同年配だから、どっちもどっちだわ(笑) 最近は「もしそんなことになっても、しょうがないな」と思うことにしています。「しまった、忘れた」と気づいたら(あるいは不安になったら)、「忘れてたとしてもしょうがない。特にそれで困ることはないだろうし、たまたまカギをかけ忘れたときに空き巣に入られるわたしなら、きっとかけてあっても入られるだろう。ガスの元栓が閉まってなくて事故が起きるならそれは大災害の時だけだろう」なんてなことを思うことにしています。
今まで、仕事から帰ったら玄関のカギが開いていたことも、庭のサンルームのドアが開いていたことも何度かあります。誰が忘れたのかわかりません(わたしか妻か、あるいは留守中に来た義母か)が、まあ大事には至っていませんから、そんなもんでしょう(愛犬が庭を勝手に走り回っていた光景が異様だったとの話はお隣さんから聞いたことはありますが)。
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