パソコンとネットの存在
還暦を機に、7年間愛用の何代めかのVaioを新しいのに買い換えたいという思いを昨年から抱いていて、いよいよその日が近づいてきたな、というところなのですが、ここへきてハタと躊躇の心が芽生えてきているのであります。
わたしの夜の生活の質を落とさせているのは、もしやパソコンとネットの存在ではないかと思うわけです。パソコンとの付き合いは研修医時代からだから長いけど、昔はあくまでもデスクトップのパソコンを立ち上げなければ何も始まらなかったし、ワープロや統計計算やデータベースとしての活用しかなかったから、影響はそれなりに知れていました。インターネットに恐る恐るアクセスするようになったのは我が家を新築してワンが新しく家族の一員になった頃だったけど、それでも有線の電話線から繋ぐだけだった。無線LANのインターネットを使えるようになってからも、あくまでも自宅や職場のパソコンの前だけだったから、10年続けたこのブログも、旅先で題材を思いついたら紙にメモして帰ってきてから書き写していましたし、長期出張の時には当然ブログはお休みしていました。
ところが、今やスマホやiPadなどというオモチャを手に入れて、あちこちでWi-Fiなんてものがフリーであるものだから、暇さえあればいつでもどこでもネットに繋いで何かをするようになってしまいました。紙にメモするくらいなら直接端末に書き込んだ方が無駄がないし、仕事をしようとパソコン開けても、とりあえずメールを確認してフェイスブックやネットニュースに飛んで行ったが最後、もうその晩には離陸した元の位置には戻ることなく泳ぎまくり。酒など片手に飲酒運転してすぐに酩酊状態に突入する始末。
もはや「それはしょうがないことだから、この世界から脱出できないもの」と諦めていましたが、タバコをやめるのと同じように、この際、自分を取り戻すためには、パソコンとスマホの世界から離れる決心が必要なのではないか、とか考えてしまう自分がいるわけです。パソコンとネットがなければ、もっと思索にふけることだってできる気がするのです。でも、できるのだろうかそんなこと。それをした瞬間から、おそらく仕事以外の一切の社会とのつながりが消えてしまって(まあ今でもほとんどないようなものだけど)その存在証明すらできなくなるのではないか、という不安がないわけでもない。その不安に耐えられるのか、自分?と自問する。
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