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2018年4月

番外:還暦祝いの挨拶(5/7)

(つづき)

そんなわけで、とりあえず健診センターに異動して頃合いを見て地方の病院に就職するのがいいかなと目論んだのですが、なんやかやとありまして、結局そこから17年間、しがらみの中で働くことになってしまいました。この間に、父親の急死や家庭内別居やうつ病に苛まれる時期を経験することになりました。

人生初めての”うつ”はかなり辛かった記憶があります。1、2時間しか眠れない日が1、2ヶ月続きました。円形脱毛症になり噴門部に大きな胃潰瘍ができ、いろいろな人の言葉がリフレインしてきて、「自分はこの組織に必要な人間なのだろうか?」と悩みながら、悶々として眠れないまま朝を迎える日々。この職場を辞めようと何度も思いました。でもこのとき、わたしの心の中に大きな波が襲ってきたのです。「自分は、何のために医者になった?」という初心の確認。組織がどうだとか、自分が組織にどう見られているとか、誰が自分を誤解しているとか、そんなことはどうでもいいのじゃないか。自分が医者になった理由・・・目の前にいる患者さんに寄り添って、良い人生になれるように手助けをしたい、という強く純粋な想い。それをいつの間にか忘れてしまっていなかったか。今の自分は、自分自身をその原点に立ち戻らせるべき時だと神様が教えてくれているのではないのか・・・そんな想いが一気に押し寄せてきて、気付いたら辺りに立ちこめた霧がウソのように晴れていました。

私の医者としての転機。医学部を卒業して地元に帰ったこと、大学を辞めて今の病院に就職したこと、最も信頼していたボスが志半ばにして逝かれたこと、予防医療の世界に移ったこと、そして、うつ病になったこと・・・幸いなことに、どれも私を前に前にと押し出してくれることばかりでした。今思えば、すべてが必然。優秀な科学者になることもなく、何か大きな功績を残すこともなく、誰かに自慢できる技術もないけれど、それでもここまで大きな力で導かれた結果のような気がしています。 (つづく)

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番外:還暦祝いの挨拶(4/7)

(つづき)

東京の病院で内地留学をした後、熊本に帰ってきて数年後に、病院が今の地に移転しましたが、その直後にボスが脳腫瘍になりました。入院して3日目、ボスは闘病を始める前にひとりひとりを病室に呼び出して想いを託しました。その時私がボスに云われたのは、「相手に逃げ道を作ってやってほしい」ということでした。キミは何もかもきちんとやることができるし、キミの云うことはいつも正論だから反論のしようがない。でも、周りの人たちは皆がキミのようにきちんとできるとは限らない。むしろできない人の方が多い。その時、できない人は反論ができないから逃げ道を失ってしまうのだ。キミのやっていることは全て正解で正義だけれど、これから上の立場になって部下を持つようになると、それでは反感をもたれたり煙たがられたりするようになる。それが心配だ。だから、いつもそっと逃げ道を作ってあげる努力をしてほしい。キミにはできるはずだ」・・・それまで、尖がりまくっていた私は、ミスをした担当者を呼び出して大声で怒鳴ったり、カテ室でカテを投げ捨てたり、上司でも約束を守らなかったら「バカにしているのか」と叫んだりしていました。それが少しずつ変わってきたのは、そんなボスとの約束があったからです。最初は不本意でしたが、やってみたら目の前の世界がバーッと広がっていくのが分かりました。これは私の人生の大きなターニングポイントになりました。

そんな私に次の転機が訪れたのは、何度目かの地方の病院への単身赴任中でした。平成12年冬。亡くなったボスの後を引き継いだ部長からの電話が、アパートの部屋でくつろいでいたときにかかってきました。「健診センターに循環器の枠が1つできそうなのだけれど、キミ行く?」と。その頃、病気になるもっと前から動脈硬化を予防することが大事だということに私が興味をもっていたことをどこかで聞きつけたのでしょう。私は、予防医療の世界への興味とは別に、うちで先進的治療を受けた人がおそるおそるの人生を送っているのを見守りながら、そんな患者さんにもっと人間らしい生活を送ってもらうリハビリの仕事を地方の病院でしてみたいという想いも膨らんでいました。どっちにしようかな、と悩んでいた時にかかってきた電話だったのです。「わかりました。考えておきます」と答えたら、彼が云うのです。「あした返事をしないといけないから、今決めて!」  (つづく)

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番外:還暦祝いの挨拶(3/7)

(つづき)

半年後、研修を終えて地元に帰る前日、当時のボスにご自宅に招いていただいて一泊しました。「循環器はとてもダイナミックでドラマティックな世界だったろ? 心臓が止まって真っ黒なカラダになって担ぎ込まれた患者さんが、元気に笑いながら歩いて退院していくんだよ。しかも心臓には癌がないから一生の付き合いになる。患者さんが亡くなるまでずっと寄り添ってあげられるんだ」「どうだい、あと1年、うちで働いてみないか?」静かに夢を語っていたボスが、急にこっちを見つめてそう云いました。彼も精神科医出身です。研修医時代に患者さんとキャッチボールをしながら、「オレの人生これでいいのかな?」と自問自答した挙句に、突然思い立って東京女子医大の循環器内科の門を叩いた人です。

その旨をそのまま大学に帰って医局長や教授に話しましたが、OKは出ませんでした。当時は研修の2年が過ぎたら『お礼奉公』と称する医局の関連病院での1年間以上の勤務が習わしでしたが、今の病院を「関連病院にするつもりはない」と云われました。私だけやりたいところで1年を過ごすという前例を作るのは、今後の研修医に示しがつかないから、もし行くのなら大学を止めて行ってくれ、と云われました。だから、私は大学を辞めて今の病院に就職しました。当時から私は、どっちにするか悩んだ時は後から悩み始めた道を選択することにしていたからです。きっとそれの方が後になって後悔しないという考えでした。  (つづく)

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番外:還暦祝いの挨拶(2/7)

(つづき)

私が医学部を受ける決心をしたのは、というか私が医者になろうと思った理由は、精神科医になりたかったからです。私の母方の親戚には統合失調症のいとこや神経症で日本中を流浪した叔父などがいます。彼らが社会のいろいろな人との関わり合いの中で傷つき疲弊する姿を見ながら、彼らと社会の橋渡し役になりたいと思ったからです。

でも、医学部に入ったら、精神科は医学界から仲間はずれにされていて、精神科の先生方が「精神科は科学だ」ということを示そうと躍起になっていた時代でした。教授が「精神分裂病(=統合失調症)は分子レベルで解明できる時代が来た」と興奮した顔で講義しているのを眺めながら、「ここは自分の求めている世界と違うな」と思った次第。あの時そのまま初心を貫いて精神科の門を叩いていたら、今では超売れっ子精神科医になっていたかもしれません(笑)

ちょうど私が医学部に入学した年に私の生まれ故郷にも医大が新設され、私が卒業する年に医大の一期生が卒業しました。地元に帰るつもりでしたから大学卒業後にその大学の研修医を申し込み、入局しました。精神科医を諦めた私は、一旦は神経内科医を目指そうと思いましたが、研修していると神経内科の病気は画期的な治療法がなく、診断がついたところですべてが終了する感じだったのでココロが付いていけず、次に呼吸器内科医になろうと思いました。その頃、「内科医になるなら循環器救急ができないといかん! 第一戦病院でそれを習得したい!」と同僚が云い出しまして、彼が医局長に働きかけてそれが実現しました。その病院が、今働いているこの病院です。もう三十数年前のお話。で、私がその研修医第一号なのですが、私のくじの順番は3番目だったので本当は研修を受ける権利がなかったのです。いろんなご縁と運がありまして半年間の研修をさせていただくことになりました。 あの時、神様がイタズラしなければ、私はどう間違っても今ここにはおりませんし循環器内科医にもなっていません。もちろん、今の妻とも結婚しておりません。 (つづく)

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番外:還暦祝いの挨拶(1/7)

先日の職場の還暦祝いの会で、もっとしっかりと話そうと思ったのに、想像しない所で感極まったりしてグダグダだったので、話したかったことをここにしたためてみました。番外編と云うことで・・・。

*************

本日は、お忙しい時期にわたしの還暦祝いのために多数ご参集いただきまして、ありがとうございました。

私はこれまであまり自分のことは話さないできました。10年半毎日書いたブログの中ではカミングアウトしたことは何度もありますが、あまりこういう場で話すことはいたしませんでした。あまり意味のあることだとは思えないからです。でも今日は節目の日ですので、少々長く話させていただきます。本当は定年退職したときに、と思っていたのですが、あと5年も生きて居るか分かりませんので、本日話すことにいたしました。

満60歳の節目を迎えるにあたって、実はあまり大した感動は湧いてきておりません。先に節目を迎えられた先生方がおっしゃっていたような沈むような気分になることもありません。おそらく、その感情は55歳頃にすでに通り過ぎてしまっています。2度の流産を経て、私ども夫婦は残念ながら子どもを授かれませんでした。妻は一人っ子、私も先日大腸がんの手術を受けた姉が一人いるだけです。ですからこれからがとても不安です。事故か大震災にでも見舞われない限り必ずどちらか一方が残されることになります。私たち夫婦はどっちも社交的でないし自分から積極的に自分を晒す性格ではないため、残った後、独居老人の行く末としてどうやって終活したものかと悩みました。それが55歳頃。最近は知人や友人たちが還暦を迎えて定年退職し、これからの生活や年金のことや保険のことや細々と算段している話を聞くにつけ、「うちは大丈夫なの?」と妻に云われ、何も考えていない自分におののくのでありますが、なんかそういう時期も通り過ぎ、ちょっと”ケセラセラ”な気分です。とりあえずクビにさえならなければあと5年は先延ばしできる悩みだからです。  (つづく)

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お礼

本日、晴れて満60歳の誕生日を迎えることができました。

先日、お書きした通り、今日をもってこのブログ『やせればいいってもんじゃない! ~屁理屈医師の元気人生応援ブログ』は連載を終わりにさせていただきます。10年と4ヶ月の間、ほとんど毎日続けてこられた自分を褒めてあげながら、長らくお付き合いいただいた読者の皆さまにもお礼を申し上げます。さすがに第1回目からの読者の方はほとんどおられないでしょうが、まあこんなウソともホントとも分からぬ怪しい屁理屈にお付き合いいただいて感謝、そのご縁にも感謝でございます。

もともと、連載コラムのネタ帳として発したブログですので、今後もメモ程度の覚え書きやコラム発行時の転載くらいはするかもしれませんが、このまま何も更新されないかもしれません。閉じることはありません(やり方を知りませんから)ので、時々覗いてみていただけると幸いです。

ホントに、長い間、ありがとうございました。

なお、同時進行で続けている日記帳代わりのブログ『なかなか悟りをひらけません!』はそのまま続けます。日記ですから医者とは全然関係ない徒然ですけど・・・とりあえず生存の証として(笑)。

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有終の美?

さて、実質的に今日がブログ連載の最後になるのだけれど、何を書こうか?

区切りというのはなかなか悩むもので、一応、ネタ帳を見ると、
●運転手の心理~「正義」の後ろ盾、瞋恚(しんい)
●デジタルヘルス
●「諦める力」~勝てないのは努力が足りないからじゃない(為末大氏の著書の感想)

などの題名が並んでいます。もっと他にも考えていた気もしますし、やっぱり10年も続けたブログの集大成だから何かかっこいいので締めた方が良いのかしら、とも思ったけど・・・やめました。大学時代に演劇部だったわたしは、これでもか!と云うくらいに大見得切って大感動の中お涙ちょうだいで終わる脚本よりは、フェードアウトして何気なくスーっと終わってしまうやつ(「え、もう終わったの?」みたいな)の方が好きだったから、このブログもそんな感じで終わりましょう。どうせ、また時々書くのだから(上のお題が日の目を見ることはたぶんないでしょうけれど)。

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休憩室

病院のナースステーションの奥には小さな休憩室があって、バタバタと食事を取ったり休憩時間に仮眠を取ったり・・・昔から、それが当たり前でした。うちのような救急病院では、患者さんの急変は日常茶飯事で、夜勤の時などは休憩中でも手助けに飛び出たりすることは少なくありません。こんな休憩室はナースだけではなくてドクターも利用していましたから、コミュニケーションの場でもありました。

そんな休憩室は、医療現場の設計では常識だったので、今の病院に移転する時も似たような場所に似たように作られているのですが、今、それがちょっと問題になっています。感染患者さんや高齢者が入院している病室のとなりでモノを食べるというのは衛生観念としておかしいのではないか、休憩を職務中の同僚のすぐ横で行っているのでは、心身を完全にオフさせることはできないのではないか・・・働き方改革の一環として、休憩の在り方についても、これまでの『日本の病院の当たり前』を見直す時期が来ているのではないか、と云われ始めています。

「休憩室はナースステーションや病床と完全に離れたところに広いスペースを作って、その中で十分リラックスできるように改装します」・・・先日、病院幹部がそう云っていましたから、労働環境はこれから良くなるのでしょう。昔ながらの狭い環境に身を置く習慣が染みついているワタシは、返って落ち着きませんけれど(笑)

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猫背

「あら、先生、お久しぶり~!」

臨床医だった頃に同僚だった師長さんに久しぶりに出会いました。大きな病院ですから部署が違うと滅多に会うことはありません。相変わらず、元気いっぱいです。

「先生、元気ですか?」
「はーい、元気ですよ」
「なんか、背筋が曲がって病気のじいちゃんみたいになってますよ」
「そうですか? まあ来週には還暦になりますからね」
「あーそうでしたね。でもまだまだ若いんだから、元気でいてくださいよ~」

豪快に笑いながら、颯爽と去っていく彼女を眺めながら、「そうか、猫背になると年寄りに見えてしまう歳になったってことなんだろうな」と思い、10年以上前、かつての上司の還暦祝いの会(退職壮行会だったかも)に出席した時のことを思い出しました。ご夫婦で各テーブルを回る上司の姿を見て、わたしのテーブルに来た時に、「先生、背筋がすごく曲がってますよ。意識して伸ばして歩かないと、ものすごく年寄りに見えますよ」と忠告しました。

健康を語る仕事をする立場上、いつも胸を張って歩いているつもりでしたが、傍から見るとあの時の上司のような姿にわたしもなっているということですね。もっともっと意識して、誰が見ても「今日も元気そうだ」と思ってもらえるようにがんばりましょう。

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配置換え

自分に何の断りもなく、突然自分のまかせられていた仕事の担当を他のヒトに回されてしまうようなこと、たまにあります。うちの部署でも頻回に組織変更が行われて、突然今までとは違う部署に異動させられたりすることがあります。

突然担当を換えられたり、責任者が他のヒトに変更になったりすると、自分に何か足りないことがあったのか?何かヘマをしたのか?と疑心暗鬼になって独りで落ち込んでしまうものです。それが単に自分の負担を減らしてあげようという親切心だったり、優秀だから他の重職を与えるためだったりすることもあるのでしょうけれど、前もって伝えてもらえないとそんな思いは本人には伝わりませぬ。「さあ、今年度はこんなことにトライするぞ!」と意気込んで計画している最中に突然配置換えされることを知らされたら、かなりココロが折れてしまうヒト少なくないのじゃないかしらね。さらに春は昇級の季節でもあるから、「自分が今のままなのになんであいつが昇級?」なんてことでショックを受ける人もきっといる。悶々としていることでしょう。この時期になると、いつもそんな心配をしてしまうわたしです。

わたしにもこういう仕打ちは何度もありました。これを「新しいことに挑戦させてもらえて、ラッキー!」と思うよりも、「どうしてオレには任せられないの?」と落ち込んでしまう後ろ向きな性格のわたし。こういうときに何でも楽観的に捉えられるようになれるといいがなあ。

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コトバ選び

先日、ブログのコメントに、わたしが若い頃に勤務していた病院の院内雑誌に寄稿したコラム(というよりただの作文)の話題を書いていただいて、懐かしい思いになりました。今の職場になってから正式に出したコラムは院内、院外を問わずにほぼこのブログの中に納めたつもりですが、外の病院で働いていた頃や今の病院の院内誌に当番で書かされた文章などはたしかに失念していました。

むかしは、もっとコトバ選びが丁寧でした。たまに依頼される原稿はわたしにとっては晴れ舞台ですから、まるで初めて好きな人にラブレターを書いたときのように、何度も書き直し、いくつもある単語の中からここに選ぶのはどれが良いかひとつひとつに悩み、冗長になっている文章を引き締めるためにはどの単語を省いたら良いかといろいろ試行錯誤し、未熟者なりに吟味し尽くした完成作品として提出したものです。

このコラムも最初の頃はそうだったんです。アップされた後でも気に入らなければ何度も訂正して、自分で何度読み直しても感動できるくらいに納得できるまで磨き上げました(磨きすぎて返って毒のない陳腐な文章になってしまったものもありましたけど)。そんなことやってたから、むかし世に出した文章は全部好きです。それを考えると、最近は書き続けることだけに必死になって、コトバ選びが若干いい加減になってきてしまったなあ、と今になってちょっと反省しております。

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義務で書く文章

うちのセンターが監修を引き受けているある企業の広報誌。時々ここにもグチを書いてきましたが、毎回日本語とは思えない文章を随所に盛り込んできます。今月号の文章は特に酷かった。依頼原稿や公文書の類なら、二度と依頼はこないだろうと思えるほどに酷かったけれど、結局、自分の会社で発行するから何の報酬もないし、どうせ後からわたしたちにチェックしてもらえるのだからとネットで検索した記事を適当にコピペして適当に並べ替えてそのまま提出しているのが一目瞭然です。第2章と第3章の冒頭にまったく同じ文章を書いているなんて、絶対にどっちかがコピペミスなのだけれど、それすら気付いてないところからして、担当者はよほど面倒くさくてしょうがなかったんでしょうね。

ところが、この原稿、うちのセンターの担当者の何人もが一通りチェックし終わった最後にわたしのところに回って来たにもかかわらず、上に書いた明らかなコピペミスに気付いたヒトがひとりもいない、ってどうよ。監修の名の元にチェックする以上、専門スタッフがOKを出したというお墨付きを与えなければならないのに、こっちもまた、「きっとだれかがきちんとチェックするだろう」と思って皆が皆、まともに読まないままサインして回していく。面倒くさいし、一生懸命読んでも報酬をもらうわけではないし、チェックミスがあっても自分の責任ではないし・・・という感じなのでしょうか。

これだけの悪文はそう滅多にお目にかかれません。こういうのを、自分だったらどういう風に訂正してまともな日本語に書き直せるかな、とか考えて作文の勉強ができる絶好の教材なのに、ホント勿体ない。日本人になることを自ら捨てているようなもの・・・。

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甘酒かぁ

「甘酒」を飲んでコレステロールを低減、便通を改善 プロラミンが作用

甘酒を”飲む点滴”と呼ぶということなんか聞いたことはない(きっと興味がなかったからだろう)けれど、たしかに風邪を引いたり体調が悪いときには甘酒をのむという風習はむかしからありましたし、甘酒に肥満抑制効果や腸内改善効果があるというのも聞いたことはあります。今回はこれを金沢工業大学のグループが検証したそうです。

『米に含まれるタンパク質のうち、10~15%程度を占める「プロラミン」』という物質が、『ヒト消化器官内で消化・吸収されにくい「レジスタントプロテイン」と呼ばれる難消化性タンパク質の一種で、食物繊維に近い機能のある物質で、便秘改善やコレステロール排出促進、肥満抑制効果などの生理作用がある』ことから、これが甘酒にどれくらい含まれているのかを研究したようです。

結果はまあ読んでいただくとして、甘酒には、『「米麹と米のみから製造されている甘酒」「米麹と酒粕のみから製造されている甘酒」「酒粕のみから製造されている甘酒」「米麹のみから製造されている甘酒」』という種類があり、この順にプロラミン含有量が少なくなることも解明しました。一言で”甘酒”と云っても、いろいろ種類はあるのですね。今度買うことがあったら(ないかな)、原材料をきちんと確認するのがよろしかろう。

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運命

先日の日曜日、いつものように大分でサッカー観戦してその足で熊本に帰るべく自家用車を運転しておりましたが、いつになく激しい睡魔が襲いかかってきまして、危険を感じたので県境に近い道の駅に駐車して仮眠を取ることにしました。前日はホテル泊でしたが独りだったので22時半には寝たし、朝6時半に起床するまで1回くらいしか小便に起きていないから、睡眠不足感は感じていなかったのですが・・・。

車のエンジンを切って運転席で仮眠を取り、途中2回ほど居眠り運転をしそうになる夢で目覚めましたが、まあまあ爆睡して睡魔を追いやることができました。で、ふと目覚めたら辺りは薄暗くなっており、周りにたくさん停まっていた車はほとんどいなくなっていました。15分くらいの仮眠のつもりがどうも小一時間寝てしまったようです。だから驚いて大慌てで阿蘇の峠を下ったわけですが・・・運転しながら、2年前に崖崩れに巻き込まれた大学生のことを思いました。わたしがこの仮眠で想定より長く眠ってしまったことで、遭遇するはずのない大災害に見舞われる可能性もあれば、遭遇するはずだった災害に遭わずに済む可能性もあるんだな、と。運命といえば運命で、災害に遭遇する運命の人はどんなハプニングがあっても遭遇するのだろう。「あのとき寄り道せずに帰ればよかった」とか「けんかしてでも止めればよかった」とか、そんな後悔はしても意味はないのだろうなと思うわけですが・・・。とりあえず、このわたしの想定外の長い仮眠は、その後の居眠り運転を予防できたことと夕飯が遅くなったこと以外には特段の影響はなかったようです。

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健やか親子21と鷹の爪団

『健やか親子21と鷹の爪団のみんなで子育て大作戦』

厚生労働省では『健やか親子21と鷹の爪団のみんなで子育て大作戦』と題し、動画やポスター、リーフレットで妊娠や育児、思春期の悩みに寄り添う取り組みを始めた”

ぼーっとネットを泳いでいたら、こんな記事を発見しました。子どもがいない我が家では、平成13年からあるという『健やか親子21』の取り組みなんか知るよしもありませんが、これを見ると厚労省もなかなか柔らかいお役所に変貌してきましたね。厚生労働省では『健やか親子21と鷹の爪団のみんなで子育て大作戦』と題して、「妊娠中の喫煙対策」「育児期間中の両親の喫煙対策」「産後の心身の健康」「体罰や暴言によらない育児」「思春期の悩み」の5つの骨子で子育ての手助けに取り組んでいるそうなので、是非のぞいてみてください。

「健やか親子21×鷹の爪団 みんなで子育て大作戦」特設サイト

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コーヒー好きのヒトに

コーヒーは予想以上に代謝に影響する

Journal of Internal Medicine」3月15日オンライン版に掲載された米ノースウェスタン大学ファインバーグ医学部での研究は、日頃からコーヒーを飲む習慣のあるフィンランド人に絶飲1ヶ月後と毎日4杯飲んだ1ヶ月後とさらに毎日8杯飲んだ1ヶ月後とに採血をして代謝系の物質を採血して比較したものです。733種類の物質のうち115種類に影響を与えたそうです。想定通りのものもあれば想定外の結果もあったようですが、総じて悪い影響はなかったようです。

残念ながら、わたしは「コーヒーなしでは生きていけない」というほどのコーヒー飲みではありません。キライではないけど、緑茶で十分、あるいは普通の水でも十分、という感じ。なので、コーヒーが如何にカラダに良いかという研究が細かくなされても、だから日常生活で「わざわざ健康のためにコーヒーを飲む」などという行動は今後も取らないでしょう。でも、コーヒー好きには有り難いこと。まあ、カフェインが絡む以上は、「飲めば飲むほど良いこと尽くめ」というわけにはいかないでしょうけれど、コーヒーブレイクの時間を有意義に楽しんでください。

「コーヒーを毎日8杯も飲んだら、睡眠と精神面の悪影響が懸念されるから注意しろ!」と栄養士さんが忠告しているのが可笑しい。そんなことを無理矢理するヒトは、コーヒー中毒のヒトか、飲みたくもないのに健康になると云うから無理して飲もうとするオタクかのどっちかですから、世間の良識人には心配は無用だと思いますけどね。

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こだわらない

右肩の痛みが再燃し、近くの整形外科に行って『肩腱板断裂』の診断をいただきました。まあ、それがたとえ五十肩や頚椎症の再発であったとしても、それはそれなりに運動範囲の制限を余儀なくされます。ハンドルを切るのにも支障を来すこの右手。そのうち治るだろうと思いながらも、方向によっては滅法痛くて思わず悲鳴をあげる程度なわけで、日常生活のみならず仕事の日常業務も今まで通りとはいかないことが少なからず出てきました。

そんなとき、若い頃なら、痛くても頑なに今までのやり方を踏襲させて頑張ってきていましたが、今回はそんなプライドはさっさと捨てました。痛いのに無理して右手を使うことはない。今まで両手でやっていたことを左手主導でやるにはどうしたらいいか、試行錯誤しながらやっています。不自由だけれど、慣れればそれはそれで何とかなる感じ。脳梗塞を患って右手が使えないとか、骨折して使えないとか、そういう状態だと思えば済むことですから。

もっとも、腱板断裂の診断をいただいて、「この程度ならインナーマッスルを鍛える運動したら治りますよ」と先生に云われて理学療法士さんにいろいろ指導していただきました。「痛い痛い痛い」「痛いですよね~。はーい、がんばってくださ~い」って、何? 「痛いときには無理しないでください」というのがストレッチとかコンディショニングとかの基本なんじゃないの? 急性期なのに痛くなることしていいの? と疑問符だらけのわたし。「どうせ切れた場所は治りません」と引導を渡されたことは理解できますが、今これだけ痛いのに、痛み止めも使うことなくただリハビリだけするとその痛みがなくなる、という概念が全く理解できません。なのに・・・毎日やってたらどんどん可動範囲が増していく・・・やっぱり、餅屋は餅屋だね。専門家のいうことには疑念を抱かずにしっかりと従って頑張るのがよいということを学びました。

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考えなくなる

おもしろいもので、あと2週間で投稿をやめると決めた時点から、ネタ探しをしなくなった自分がいます。別に何も意識していないのに、日常の中から何か話題を探そうをしてきた10年とどこか違う毎日を送っています。

まあそんなもんでしょ。そろそろゆっくりと準備しながら、ソフトランディングいたしましょう。

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ニコニコとヘラヘラ

どんな窮地に立っても笑顔を絶やさず、常にチームメイトのプレイを褒め合う姿勢が清々しくて、ずっとしかめっ面の他国チームとのコントラストが著しかったために、オリンピックが終わってもあちこちで賞賛された女子カーリングチーム(LS北見)。フィギュアスケートの羽生結弦選手も同じ。彼のニコニコした顔は世界中の万人のココロを癒してくれる。

ところがこのニコニコ顔に対して、「真剣勝負の世界でヘラヘラするな!だから負けるんだ!」と非難する人もいたのだそうです。

ニコニコとヘラヘラの違いは何なのでしょうか。わたしは、見ている自分たちの余裕の有無なのではないかと思っています。少なくとも普通の心理の人間(わたしもその一人)には、彼女たちや羽生選手の姿を見て「ヘラヘラ」と感じたことは一度もありません。日常生活の中でいろいろなストレスに襲われている人には、何を見てもイライラする光景に見えるのではないでしょうか。以前、うちの施設のフィットネスジムでわたしと面談をしていた男性が、たまたまその後ろを通ったスタッフに「笑われた!」と突然怒って帰ってしまったことがありました。出勤してきた男性スタッフが、「こんにちは」といつものように笑顔であいさつしただけなのですが・・・。

余裕のないヒトのことはいいとして、何とかわたしも彼女たちのような安定した笑顔をいつも周りに提供できる人間になりたいものだと思います。

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視点の違い

ひいきのサッカーチームの応援のために熊本から大分まで何度も自家用車で移動します。国道57号線が地震被害で崩落して以降、迂回路走行を余儀なくされてはいますが、大分側には立派な自動車道が整備され今でもさらに道路を延ばす工事が行われています。

そんな自動車道を走っていると、時々ガードレールから下の一般道が見えてきます。上を通っているとどういう方向に走っているのかわからなくなりますが、時々見えるそんな風景を確認しながら、「ああ、今この辺りを走っているのか~」と思うわけです。そんな中、先日ちょっと時間に余裕があったので自動車道に上がらずにそのまま国道を走ってみました。久しぶりに通る道、そうそうこんな町並みだったなとかこんなところにコンビニができてる!とか、感動しながら通っていたら、突然目の上に道路が現れました。ここに自動車道ができていく姿を眺めていたのはいつのことだったか・・・と思い出にふけっていたときにふと気づいたわけです。こここそが、いつも自動車道の上から見下ろした時に見えていた一般道の風景だ!

下から見た時の上と上から見た時の下が、ずっとそこにあってわかっているのに頭のなかで一致していなかった。当たり前の、どうと云うこともない事実関係なのだけれど、こういうことって時々あって、それに気づいた時に自分だけひとり感動したりなんかします。以前東京で、妻が時空を超えて自分を眺めた時のとはちょっと次元は違いますが、でも、「あーこれか!」と感動することに悪い気はしません。まあ、その次からは同じものとして認識してしまうから、感動は一切なくなりますけれど。

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怒りの矛先

わたしは、いまだに会議が苦手で憂鬱。

前もって出されている議題を眺め、「あれだけ理不尽だと云うことを説明したのに、それでもこの話題を出すのか?」・・・アタマに来る内容の議題が出ていたりなんかすると、会議の前の晩にベッドに入ってから反論を吐き出している自分をシミュレーションして、何度もやっている間にムカムカしてきて、どんどん目が冴えて全然眠れなくなったりなんかする。

昔はそんなだったのですが、最近は年老いたせいか、横になりながら考えるのにすぐに疲れて「ま、明日考えよう」と思って眠ってしまいます。そして、翌朝になるとどこか気持ちがトーンダウンしてしまっていて、真っ向から対決する話し方からもう少し優しく建設的な話し方で意見をまとめようという気持ちに落ち着いている自分にちょっと驚きます。まあ”皮肉を込めた”話し方とも云えますが・・・そしていざ本番では、完全にトーンダウンして、「ま、いいか」と思ってむしろそれを行うときの注意点なんかを話しながら、いつの間にか完全に肯定している自分。

しぼなえているねえ。

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あいさつ

診察の合間、たまたま1階の事務所に降りたら、4月から病院に入職した新人が7~8人連れてこられて皆の前であいさつをしていました。大学を卒業したばかりのフレッシャーズですが、さすがに最近の若いモンは話すのがうまい。きちんとギャラリーの笑いをとるウイットにも富んでいる。感心です(まあそんな優秀なヒトが選ばれて入職しているのでしょうが)。

で、そんな彼らのあいさつを聞きながら、たぶんこの集団のままあちこちの部署に回って、同じようにあいさつさせられているのだろうなと思いました。きっとあの聴衆に受けたセリフはどこに行っても同じで、一緒に並んでいる連中や案内のスタッフは「あいつまた同じことを云っているよ」とか思っているのかもしれません。そんなことを思ってなくても「思っているんじゃないかな」と考えながら同じセリフを話すのはとても恥ずかしいものです。

わたしも講演を2、3回に分けて依頼されたときに悩むんですよね。まるで今気付いたかのようなギャグ・・・聞く人は毎回別の人で初めて聞くのだけれど、横に座っている主催者はスタッフは毎回聞いているから・・・どうしても気恥ずかしくて同じことを話せない。おそらく、そんなことを一々気にしなくなるようになれなければ、プロのしゃべり人にはなれないのだろう。ま、しゃべりが仕事ではあるけれど、講演で給料をもらっている身ではないから、気恥ずかしい思いをする感覚があることの方が人間として大切なのだと思っています。

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なるほどね。

CareNetに2018年4月4日付で配信された『第1回 外食で陥りがちな“1人前”の落とし穴【実践型!食事指導スライド】』・・・管理栄養士・浅野まみこ氏のスライド解説を読みながら、「なるほど」とあらためて独り感心しておりました。

「1人前にしてるよ!」と思っているのに、知らないうちに食べ過ぎているヒトの落とし穴について解説しています。『並盛り丼』~日常で家で食べる1人前はご飯1膳150g(3単位)、うどん(茹)1袋200g(2.5単位)、そば(茹)1袋170g(2.8単位)なのに対して、お店で食べる量は、牛丼(並盛り)1人前=ご飯約320g(6.4単位)、うどん1人前約420g(5.3単位)、そば1人前約240g(4単位)。そう、外で食べるときの1人前は、家で食べる1人前よりもはるかに多いのであります。店では急いで食べるから大量に食っても満足感が得られずにさらに大盛りにするヒトも多い。浅野まみこ先生のアドバイスは、「食行動変化を起こさせるポイントは、「トッピングをすること」です。トッピングとしては、低カロリーでビタミンやミネラル食物繊維を含むネギやほうれん草、わかめ類、タンパク質が豊富な卵などがお薦めです。ご飯や麺の量を増やすのではなく、トッピングをすることで栄養バランスが整うほか、噛みごたえや食感の変化が生まれ、満足度を高めることができます。」とありました。

まあ、商売している以上、「あそこの並盛りは少ない。ケチな店だ」となったら客が来ないわけで、ちょっと多めに設定するのは当たり前ですわね。ごはんやうどんは単価が安いから、こんな部分でけちってちゃ商売にならん。だから、食うヒトが「これは1人前じゃなくて1.5人前~2人前食わせてもらってるんだ(ありがたやありがたや)と認識して食うことですね。肝に銘じておきます。

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批判はつまらん

サッカー日本代表の親善試合が思うように勝てず、やれ「ふがいない」だの「監督の責任だ!解任!だ」だの殺伐とした批判ばかりなので、極力そんな意見は見ないようにしています。もともとそんなに実力があるわけじゃないということは選手たちも分かっているんだから、こないだの試合を材料にして改善する努力すればいいんじゃないのかしら。なんか、勝っても負けても陽気に飛び跳ねているアフリカの国の選手たちやそのサポーターたちが最近とてもうらやましくなってきました。トトカルチョでもしていない限り観ている連中には金はかかってないんだから、にわか評論家が批判ばかりしててもっちっとも楽しくない。

文科省、財務省、防衛庁と立て続けに公文書の改ざんや隠蔽が明るみなって紛糾する中、意地でも「わたしがさせたことではありませんから」と突っぱねる政府の政治家さんたちのニュースを毎日見てても何の得もない。「どうしたら先に進めるか」ということよりも「誰の責任か」という勢力争いばかりしていて、どうもつまらん。だからみんなが意地を張ってばかりで不毛の時間の無駄遣いをしよる。「はい、わたしの不徳のいたすところです。本来なら辞めて責任をとるのがスジでしょうが、今はそんな時期ではないので、不本意ながら次の選挙まではわたしが政権を握らせていただきます」と云っておけば、そのあと野党がどれだけ文句を云ってもきっと世論は野党を「つまらん」と云い始めるに違いないんだがなあ。

ま、こんなことを書いているわたしの文章も批判だらけで、つまらん。

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終活に向けて

先日、妻が突然の激しい頭痛と繰り返す嘔吐発作を起こし、このときに「わたしはもうこのまま死ぬな」と思ったそうです。まあその後動けるようになって近くの脳神経外科を受診して問題ないことを確認して事なきを得ましたが、もはやわたしたちはいつ何が起きるか分からない世代。「いやいや、まだ若いからそんなこと考えてちゃダメだよ」なんて云う人は勝手に云わせておけばよい。

その苦しい発作の最中、妻が考えたのは、あれは誰にあげたらいいかとか年老いた母をどうしたらよいかとかこれから事業を始めるために手続きを取ったことは迷惑のないようにちゃんとキャンセルしてくれるだろうかとか、そんなことだったそうです。そうなんです。がんなどで余命宣告を受けたらまだ余裕はあるけれど、突然死はその余裕がない。突然残された者(わたしが当事者なら残るのは妻)が困らないように、そろそろ身近なものの整理をしとかなければいかんな、と思うわけです。

使ってもいないパソコンもすでに7、8台はあるから処分しなければならないけれど、とりあえず、まず手を出すべきは大量にある本だな。わたしは決して読書家ではないから、一度読んだ本をもう一度読み返すことはたぶんしない。なのに単行本も文庫本も大量に本棚にある。東京生活の時代から何度か古本屋に持っていったり捨てたりしたけれど、まだまだたくさん。興味があるから買った本ばかりだから、古本屋さんに売って、もっと多くの人に読んでもらえたらいいな。そして本を整理して余裕の空間が生まれたらまた新しい本を買って新しいライブラリーにする(なんじゃそら)(笑)

ちなみに、いつどうなるか分からないから、「古くて薄汚れた下着は着ないようにしよう」と誓って注意しています。服は着古しでもいいが下着だけはきれいに。

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6時55分

わたしが出勤するために家を出るのは朝7時(が目標)。最近ちょっと遅れ気味ではあるけれど、一応目標は常に7時出発。それに合わせて6時に起床してからの行動をスケジューリングします。

で、いつもはゴミを指定の場所に出しに行った後、朝6時50分から洗面所で歯を磨き始めるわけですが、先日ふと腕時計を見たらすでに6時55分くらいを指している。「やばいじゃん!遅刻するじゃーん!」と大慌てで洗面所に降りて支度を始めようとしたところ、洗面所に置いてあるデジタル表示の電子時計は6時52分を指している。「なーんだ、まだ50分過ぎか!」と安堵の溜息。

こういうことよくあります。アナログ時計の長針と短針の織りなすアバウトな感覚と、デジタル時計の寸分違わぬ数値表示のギャップ。わたしは明らかに前者の方が好きだから、真実の値などどうでもいい。6時50分でも55分でもない、「6時52分」という数値が「どうだい、これが真実なんだよ」と威張ってこっちにドヤ顔をしているのがキライ。長針と短針の世界には周辺の広場(文字盤)に時間と空間の余韻が存在するから好き。2つの針がこれまで動いてきた軌跡に歴史が刻み込まれているから好き。

大したはなしではないけれど、ま、わたしは決して理系人間でないという証拠です。

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60歳の自覚

わたしの診察室は建物の4階にあります。だから、いつも1階の事務室(医局)と4階の診察室を行ったり来たり。その移動手段が非常階段なわけですが・・・どうも最近、手すりを持たずには階段を上れなくなりました。時々ふらっとして後ろ向きに倒れそうな錯覚にとらわれるので(実際には仰け反っていませんが)怖いのです。4階ごときで階段の手すりを握るなんて・・・と思ってかなりの間抵抗していましたが、今では迷うことなく手すりを握ります。手すりは基本登る場合は左側に付いているもので、右側通行を励行するなら上から降りてくる人の方が優先ですが、わたしはそれを押しのけてでも手すりを譲りません(笑)

大学受験で一浪したわたしは、入学直後に20歳になりました。ちょっとした手違いで(笑)演劇部に入部し、毎日運動部に入ったのではないかと云うくらいにカラダを鍛えられました。30歳になる前日に入籍しました。30歳になったら、カラダが20代とは全然違うものに変わったことを実感しました。「歳を取る」ということを初めて実感しました。40歳を過ぎてからゴルフを習い始め、厄明けした辺りからいろいろなことが起き始めました。父の急死、自動車事故に伴う頸椎・腰椎ヘルニア、炎天下でのゴルフがたたって小脳梗塞発症・・・一旦壊れたものは元には戻らないことを知りました。45歳頃にバスケットボールをやったら膝を傷め、50歳頃に自転車通勤を始めたら頚椎症の症状が酷くなりました。55歳頃から少林拳を習い始め、日曜日の練習の翌日、週の初めはいつも足を引き摺って出勤しています。

そろそろ、年寄りの冷や水状態は卒業した方がいいのかもしれないな、と自覚するようになりました。若いときからやっているのじゃない運動は、やってもいいけど、ほどほどがよかろう、と思うわけです。じっとしているつもりはありませんけどね。;

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五十肩の武勇伝

土曜のゴルフの最中から突然痛くなった右肩が、なかなか深刻です。周りの人たちは寄ってたかって”いわゆる五十肩だ!”と囃し立てます。でも、90度まで外転する場合だけとても痛いけれどその他の方向にはどうもないのです。普通に拳上もできます。だから、「これは”五十肩”ではないよ」と云い切りたいのだけれど、もともと肩関節周囲炎の症候群であるこの病名は、定義はハッキリしないのではなかったかしら。

とにかく、一方向だけとはいえ鎮痛剤が効かないほどに痛いので日常生活には何かと支障をきたします。一番困るのは車の運転です。ハンドルを持つ手が中途半端な位置なので痛くてハンドルまで手が挙げられない。キーも鍵穴に入れられない(わたしの車はキーレスエントリーではありません)。それとドアを開けて車の乗り降りをするときにも悲鳴を上げます(右ハンドル車の運転席の話です)。その他に、洗面所で手を洗う、冷蔵庫を開ける、仏様に線香をあげる、洗濯モノを干す、など・・・こういうことは、痛みがないときには全然気にもならないことばかり。聴診器を当てるのもちょっとコツが要ります(右の肘に左手を添えて拳上させれば上がります。上がりさえすれば問題はありません)。

”五十肩はね・・・” 「自分はこうやって治した」「いろいろ試したけど、この方法が間違いなく一番有効だ」~五十肩の経験者は世の中に山ほどいて、その各々が自分流の治し方の武勇伝を持っていて、わたしに教えてくれます。この各々が初めて罹患したときに他のヒトから同じように教わった方法についてはちょっとだけ試してみて、「わたしにはあまり効果がなかった」とすぐに結論付け、自分なりに研究した成果が一番だったと云って新たに教えてくれるので、後になればなるほど、「世界で一番」の治療法はその数を増すことになります。

ま、わたしも御多分に洩れず、きっと教えてくれた友人知人が気を悪くしないようにほどほどに試してみるけど、「どれも今ひとつだな」と見切りをつけて、昔やった方法(以前にも同じような症状を起こしたことがあります)のみをこっそり試すことになるのでしょうね。そのうち治りますよ、きっと。わたしは腰やら足の裏やら、ほかに深刻な痛みの箇所はたくさんあるんだから、そうひとつにかまってはいられないのです。

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東京タワー

昭和33年生まれで今年60周年を迎えるという東京タワー。昭和34年の皇太子様(平成天皇)ご成婚を祝福するため、前年の12月23日の誕生日に合わせて完工したといううわさの東京タワーは、わたしの同級生(まあわたしの方がはるかに田舎もんですけど)。

ここ数年、東京タワーをよく見かけます。たまたま学会出張の度に泊まるホテルが東京タワーに近かった(この界隈しか予約できなくて)からなのですが、そのおかげで何度も東京タワーまででかけました。あるいは、遠目で映えるタワーの夜景を何度も写真に撮りました。もっとも、タワーの周辺や中は、隣国の大量の観光客や若いラブラブカップルばかりで、どうもおじさんの一人旅は「お呼びでない」という空気。毎回早々に退散ばかりしておりましたが。

そんな東京タワーが私たちの世代と同い年で、高度成長の日本の象徴だったことは誇りではあります。今は新しいアトラクションなどもたくさんできていると聞きます。よそよそしく隅の方でこっそり自撮り写真を撮って悦に入っているオヤジではありますが・・・東京スカイツリーにも行ってみましたがやはりわたしは圧倒的に東京タワーの方が心が落ち着きます。

東京タワーがいつまでも元気であることが、わたしの大きな励みになることでしょう。

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