番外:還暦祝いの挨拶(3/7)
(つづき)
半年後、研修を終えて地元に帰る前日、当時のボスにご自宅に招いていただいて一泊しました。「循環器はとてもダイナミックでドラマティックな世界だったろ? 心臓が止まって真っ黒なカラダになって担ぎ込まれた患者さんが、元気に笑いながら歩いて退院していくんだよ。しかも心臓には癌がないから一生の付き合いになる。患者さんが亡くなるまでずっと寄り添ってあげられるんだ」「どうだい、あと1年、うちで働いてみないか?」静かに夢を語っていたボスが、急にこっちを見つめてそう云いました。彼も精神科医出身です。研修医時代に患者さんとキャッチボールをしながら、「オレの人生これでいいのかな?」と自問自答した挙句に、突然思い立って東京女子医大の循環器内科の門を叩いた人です。
その旨をそのまま大学に帰って医局長や教授に話しましたが、OKは出ませんでした。当時は研修の2年が過ぎたら『お礼奉公』と称する医局の関連病院での1年間以上の勤務が習わしでしたが、今の病院を「関連病院にするつもりはない」と云われました。私だけやりたいところで1年を過ごすという前例を作るのは、今後の研修医に示しがつかないから、もし行くのなら大学を止めて行ってくれ、と云われました。だから、私は大学を辞めて今の病院に就職しました。当時から私は、どっちにするか悩んだ時は後から悩み始めた道を選択することにしていたからです。きっとそれの方が後になって後悔しないという考えでした。 (つづく)
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