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番外:還暦祝いの挨拶(4/7)

(つづき)

東京の病院で内地留学をした後、熊本に帰ってきて数年後に、病院が今の地に移転しましたが、その直後にボスが脳腫瘍になりました。入院して3日目、ボスは闘病を始める前にひとりひとりを病室に呼び出して想いを託しました。その時私がボスに云われたのは、「相手に逃げ道を作ってやってほしい」ということでした。キミは何もかもきちんとやることができるし、キミの云うことはいつも正論だから反論のしようがない。でも、周りの人たちは皆がキミのようにきちんとできるとは限らない。むしろできない人の方が多い。その時、できない人は反論ができないから逃げ道を失ってしまうのだ。キミのやっていることは全て正解で正義だけれど、これから上の立場になって部下を持つようになると、それでは反感をもたれたり煙たがられたりするようになる。それが心配だ。だから、いつもそっと逃げ道を作ってあげる努力をしてほしい。キミにはできるはずだ」・・・それまで、尖がりまくっていた私は、ミスをした担当者を呼び出して大声で怒鳴ったり、カテ室でカテを投げ捨てたり、上司でも約束を守らなかったら「バカにしているのか」と叫んだりしていました。それが少しずつ変わってきたのは、そんなボスとの約束があったからです。最初は不本意でしたが、やってみたら目の前の世界がバーッと広がっていくのが分かりました。これは私の人生の大きなターニングポイントになりました。

そんな私に次の転機が訪れたのは、何度目かの地方の病院への単身赴任中でした。平成12年冬。亡くなったボスの後を引き継いだ部長からの電話が、アパートの部屋でくつろいでいたときにかかってきました。「健診センターに循環器の枠が1つできそうなのだけれど、キミ行く?」と。その頃、病気になるもっと前から動脈硬化を予防することが大事だということに私が興味をもっていたことをどこかで聞きつけたのでしょう。私は、予防医療の世界への興味とは別に、うちで先進的治療を受けた人がおそるおそるの人生を送っているのを見守りながら、そんな患者さんにもっと人間らしい生活を送ってもらうリハビリの仕事を地方の病院でしてみたいという想いも膨らんでいました。どっちにしようかな、と悩んでいた時にかかってきた電話だったのです。「わかりました。考えておきます」と答えたら、彼が云うのです。「あした返事をしないといけないから、今決めて!」  (つづく)

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