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2018年5月

叱咤激励

昨年12月から携行している『まめ太郎2017』を3月初めに返さずに3ヶ月間のレンタル延期をしてもらったのですが、その期限が来ました。半年間の付き合いになりましたが、やっぱり愛人との蜜月は3ヶ月がいい。6ヶ月も寄り添っているとそこに居て当たり前の存在になるからワクワクしなくなる。

そして、なんかメリハリがないのは、単なる慣れだけではないみたい。保健師さんが週一回応援メールをくれていたのがなくなったことも大きく関係していることが実感できます。別に叱咤激励なんて要らないし、「それが仕事なんだから自分のことは自己分析してちゃんと対処できるさ」と思ってはいるのです。それはそうなのだけれど、叱咤も激励も要らないけれど、やはり“見てもらっている”ことが重要なのだとわかりました。自分で歩数を眺めて「今日は20000歩も歩いたぞ、すごいぞ!」とニンマリしたり、職場の更衣室に鎮座する体重計に載って「ヤバい!」とこっそり呟いて”もうひと頑張りする”という行動は楽しいのだけれど、それだけではやはり続かない。続けられるけれどどこか虚しくなる時があるのです。たしか、昔自分の腕にJawboneを巻いてやっていたころはそれでも良かったんだけど…これが歳というものかしら。

自己満足だけじゃない何かが欲しい。評価してくれなくていいから、あるいはとても陳腐な心のこもってないコメントでも良いから、「いつも見てますよ」的な眼差しが他にあるだけで(これはやはり身内ではない人がいい)値に対するモチベーションが変わってくるものなんだ、とわかりました。国の施策である特定保健指導(特保)の意義はここにあるのでしょうね。だから軽いメタボだからほとんど放置プレーになる“動機づけ支援”より、危険だから保健師さんがべったり寄り添ってくれる“積極駅支援”の方が行動変容するのは当たり前だ。

職場では先頭に立って掃除や整理をしてスタッフに一目置かれているらしい妻が家の掃除をほとんどしないのは、「しても褒めてもらえないから」「私は褒められて伸びるタイプなんだからね」と自ら云っていたのを思い出しました。

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ビッグマック

2018年5月14日放送のNHKニュース おはよう日本『世界のメディアザッピング』で、人生3万個目のビッグマックを食ったアメリカ人男性のニュースを取り上げていました。

「64歳のゴルスケさんは人生で3万個目のビッグマックを食べた。1972年に初めて食べてからほぼ毎日2個食べた計算だそうで、ビッグマックの箱もコレクションしている。ゴルスケさんはコレステロール値・血圧も正常で、2万個を達成したときより体重は減っているそうだ。」

というもの。これに対して、MCの和久田さんが「どういう生活を送ったらこれをこれだけ食べても健康でいられるのか、その秘訣を聞いてみたいですね」とコメントしていたのを見ながら思ったのですが、毎日ビッグマック2個だけを食って他にまともに食わなけりゃ、太ることもないだろうし、たんぱく質や野菜やミネラルもバランスよく入っているのだから、『さもありなん』じゃないのかしら。ビッグマックを貪り食う輩がビッグなカラダになってコテコテの生活習慣病になるのは、ビッグマックを食うのを引き金にしてさらにそれ以外の大量のファストフードやお菓子を食い続けるからに他なりますまい。

そして、何よりも、これがアメリカ人だということです。和久田さん、日本人がこんな食い方したら、こうはいかなかったかもしれませんよ。日本人なら、毎日大きなおにぎり2個と味噌汁を45年間食べ続けたら・・・というのと同じかしら。これなら想像つくと思います・・・これで太るはずがない。2年前の大地震の後にわたしが炭水化物(おにぎり)とスープばかり食っていたら短期間で10キロくらい平気で痩せたことでもお分りでしょう。

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踵(かかと)と階段

「若さを保とうと思ったら、平地のウォーキングを長々とするよりも坂道や階段を歩くのがいい」というのは、最近テレビでも云ってくれるのでだいぶ世間に浸透してきました。走るのが一番効果的なのだけど、歳を取ってくると簡単に膝を痛めてしまうし、走りすぎれば活性酸素が発生して返って歳を取るらしいし・・・と、15年前にバスケットボールで膝を痛めてまともに走れなくなっているわたしは、ちょっといい訳なんぞしたりする(笑)

「高齢者の筋肉は、前腕や大腿後部は十分保たれているのに対して、大腿前部(大腿四頭筋)や腸腰筋、大臀筋などが有意に減少しているのが特徴だ」ということを主張しているのはスロージョギングで有名な田中宏暁先生。この筋肉は走ったり坂を上ったりするための筋肉で、平地を歩くだけでは絶対に使われない筋肉群なのだそうです。だから自ずとこの筋肉を使う運動は限られていることになります。

で、もう一つ、骨粗鬆症対策。良いサプリを飲んで牛乳を大量に飲んで日光浴してても骨は若返りはしません。骨を軋ませる必要があるのです。特に踵の骨に刺激を与えないと骨の密度は減少する一方。ということで、踵から接地する運動として、先日のテレビ番組ではジョギングや大股歩きや階段昇降が勧められていました。ただ、毎日仕事中に何度も階段を使って移動するわたしの経験からすると、どうも階段を上るときには踵なんて使いませんね。病院の階段の板の幅からして、つま先から接地したとき踵は中空です。踵で地面を蹴る余地はありません。踵から接地してたら後ろに倒れてしまって危険。だから階段で踵に刺激を与えることができるのは下りる時だけだなと感じた次第。こっちもつま先から接地するけど意識すればその後踵を付けることはできる。

こういうことは理屈じゃありません。日頃から、地団駄を踏んで踵を踏み固める意識を持ちましょう。

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かかりつけ医(後)

(つづき)

インターネットやテレビ番組で、「それは大したことないから様子をみても大丈夫です」と云ってくれることは絶対にありません。同じ症状ならその中で一番重症な病気をまず鑑別診断として並べるからです。「それではないことを”専門医に診てもらって”確認してもらってください」といいます。もともとネットに医療記事を書いている医者もテレビ番組で解説する医者も必ずその筋の専門医であって、ここに普通の名もない町医者先生はまず呼ばれません。「最初に特殊な病気ありき」から論理が始まっていきますから、「いろいろ調べた挙げ句にこいつは特殊な病気ではなさそうだから、しばらくは私が見守ってあげましょう」と云ってくれる人を、この流れの中で見つけ出すのはまず不可能なのであります。

「どうもないのに医者とつきあうのはまっぴらごめんだ!」といわず、何かの病気をきっかけに受診したウマの合いそうな町のクリニックの先生をひとり、『かかりつけ医(ホームドクター)』として確保しておくことを、密かにお勧めします。

こんなことを書いているわたしにもそんな『かかりつけ医(ホームドクター)』がいません。眼科や耳鼻咽喉科や整形外科など、目的のはっきりしている病気の時はツテをを辿って受診しますが、内科的な病気は自分で判断して自分でどこを受診すべきか考えなければなりません。同業者に受診しても「あんた、自分でわかるやろ。自分で処方したらいいんじゃないの?」的な態度をとられるのが関の山・・・カラダに自信がなくなってきている昨今、早くわたしも家の近くに『かかりつけ医(ホームドクター)』を見つけ出さねば・・・。

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かかりつけ医(前)

久しぶりに書いてみました。殴り書きなのでちと文章はおかしいけれど・・・コラムの締め切り間近になると、相変わらずこうやって逃避する(笑)

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先日、人間ドック利用者の男性から相談を受けました。最近、胸痛発作がよく起きるようになり、運転中にガマンできないほどの痛みがあってたまらず救急外来を受診したそうです。後日改めて循環器外来で検査と診察を受けたけれど「特に異常はない」と云われ、自分は逆流性食道炎ではないかと思うが胃カメラは異常はなかった。その後も2、3分続く胸痛発作が頻回にあるので、どうしたものかと困っているというのです。

最近、よく思うのですが、こういう相談をする相手がいなくて”診療難民”になっている人が少なくありません。患者さん(病院受診しないと「患者」ではありませんが)は、自分の症状について自分でインターネットで調べたりテレビの健康番組でみた知識を元に、自分の病気を自分で想定して何科を受診すべきか目星を立てるようです。どうせ受診するなら優秀な、評判の良い専門医に診てもらいたいとばかりに大きな病院を受診しますが、専門医は自分の領域の病気でないことを確認すると、「他をあたってくれ」と追い返すだけ。それでは次にどこに行くべきか、また自分で調べて行ってみる。そして「うちの領域の病気ではなさそうだ」とだけ告げられて追い返される。その繰り返しの中で、途方にくれるわけです・・・いつの頃からか、患者さんもお医者さんも、みんながこんな感じの付き合い方になってしまいました。

むかしは、必ず子どもの頃から診てもらっている町のお医者さんがいて、とりあえず具合が悪いとその先生に相談に行って、それならどこどこの専門に診てもらいなさいと紹介状を書いてくれたり、それが問題なかったらじゃあ次はあっちの医者へ紹介しようとか、しばらくは自分が診てあげようとかして、患者さんの悩みが解決できるまでいろいろ思案してくれる医者がいたものです。それが『かかりつけ医(ホームドクター)』。核家族化して、専門医信仰が蔓延る中で町医者の地位が下がり、「どこにかかるかは病気に合わせて自分が決める」「分からなければネットで調べる」・・・そんな風潮が当たり前になってくるうちに孤独な難民患者が増えているのが現状。(つづく)

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健康長寿代謝制御研究センター

熊本大学の情報だったので、つい読んでしまった。

健康長寿の研究始動 熊本大医学部に拠点

「糖尿病やがん、認知症など関連分野に取り組む約20人の教授らが横断的な研究を進め、老化関連の病気の予防と治療を目指す」のだそうです。

健康長寿代謝制御研究センター

「健康長寿代謝制御研究センターでは代謝に着目した老化・健康長寿研究を推進することで老化メカニズムの解明や老化関連疾患の新たな予防法・治療法の開発を行い、健康長寿社会の実現に貢献します」

どうか、これが研究のための研究センターにならないことを切に期待します。予防法と治療法は全然次元の違う話だと云うことを、先生方がいつも意識してもらえると良いな、と思ってやみません。

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「空腹を楽しむ」

往生際が悪い!と云わないでください。先月発行された連載コラムの転載を忘れていましたので、最後にコピーしました。基本骨子は2016.8.10の記事です。

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「空腹を楽しむ」

人間ドックや健診の受診者さんは絶飲食で臨みますから、中にはイライラしたり覇気がなかったりする人がいます。以前は昼前になると「オレは朝飯食ってないんだぞ!早くしろ!」と怒鳴る人もおりました。でも、私は日頃から意図的に朝食を摂らない習慣なので、腹が減ってもイライラすることがありません。むしろ空腹の感覚を楽しんで生きている“変人”です。

朝食はきちんと摂るべきである。朝食を抜くと動脈硬化が起こりやすい、認知症になりやすい、感染症になりやすい、事故を起こしやすいなど、朝食抜きがいかに身体に悪いかについては昔も今もたくさんのデータが示されていますが、それを承知の上で自分のやり方を変えないのは、単なる偏屈爺なだけではなく、“空腹”な自分を楽しんでいるからです。マジメな私は、食べるべき時に食べないと身体に悪いと信じ、無理してでも食べていました。でもある書物を読んで、食べないことは決して悪いことではないのだと知った後、試してみたら恐れていたことなど何も起こらず、むしろ体調が良くなる一方だったのでそのまま続けている次第。別にこの行為を他の人に薦める気はありませんが、止める気もありません。

そもそも、ニンゲンとペット以外で、「定刻に食べる」という行動を取る動物はいません。腹が減ったら獲物を探し、やっとの思いでありついた餌でも腹一杯になったらもう食わない。“勿体ない”はニンゲンだけが持つ感情です。決まった時刻に規則的にきちんと食事を摂るのが身体に良く、偏食なく腹八分目に食べるのが寿命を延ばし、食事を抜いて空腹時間を作ると次の食事で吸収率が上がるから良くない、などと食事を理屈で唱え始めて以降、規則的にものを食うのが健康的だと信じられるようになり、一部の貧困層を除いて、芯から“空腹”を感じる機会がほとんどなくなりました。“空腹”は不健康であり、みっともないと思っている人すらいます。でも、“空腹”の感覚はとても重要です。朝食を摂らないと朝9時半頃から無性に腹が減り始めますが、その時に初めて自分の身体の真ん中に“胃”が存在することを意識できます。「お~今日もしっかり腹が減ってきたなあ」と感じられる時こそ健康である自分を実感でき、“胃”の存在に意識を持っていくと食べる時にその有り難味がしみじみ分かります。そして、何が本当の満腹感かを実感できるようになる。この感覚、真の“空腹”を知らない人には分からないだろうなあ~。

“空腹”を感じて悦に入るのは贅沢な道楽みたいなものですが、こんな楽しみ方を自分だけのものとして隠しておくのは勿体ないのでご紹介しました。保健師さんが怖いので朝食抜きは薦めませんが、一日一回は完璧なる“空腹”を体験して自分の身体と対話してみてください。皆さんも意外にクセになるかもしれません。

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番外:還暦祝いの挨拶(7/7)

(つづき)

わたしの考える予防医療はもちろん病気の早期発見ではありませんが、病気にならないように努力するのが予防医療だとも思いません。病気なんかに右往左往しないですむ生き方をしてもらいたい。病気と共存してもいいから、毎日の基本的な生活、特に食べることと動くことと寝ることが、努力しなくても一番の楽しみのまま一生を終えられるように導くのが予防医療だと思っています。

だから、保健師さんにも不満があります。みなさん、健診結果表を眺めるときに、良くなったところではなくて悪い所ばかり探しています。良くなっていても判定が同じ区分ならまだ不十分だと云い、もっと努力が必要だと云い始めます。皆さんは若いから分からないかもしれませんが、私たちの世代になると「ちゃんとがんばれば必ず正常値になる」ということはありません。生活を変えること自体がとても大変なことです。受診者の皆さんは口では「何もしていない」と云いながら、必ずこっそり努力している。だから結果を密かに期待しているんです。「何も変わってない」と落胆する受診者に「いや、あなたが努力している結果がここに出ていますよ」と、良くなったところを探し出してしてあげてほしい。「今はまだ変わってないけれど、このままやっていれば今から結果が出てきます」とか「こないだ受診した人は、こんなことを足してみたらうまくいったと云ってましたよ」とか、そんな経験値から繰り出すアドバイスこそが保健師さんの特権だと思うのですが・・・。

ま、いいです。そんな自分の考え方を組織に押しつけたいとは思いません。「そんなことお前の自己満足なだけだろ」「それが良い成果を導き出すという証明はあるのか?」などという人たちと議論をしたいとも思いません。ただ、私の求める予防医療がそうである以上、私は私に関わった人たちにだけには、これからもそんな寄り添い方を続けていきます。そんな偏屈爺があと5年間、居座ることをご了承ください。

本当に今日は、こんな場を設けていただいて、ありがとうございました。 (完)

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番外:還暦祝いの挨拶(6/7)

(つづき)

最後に、あと5年間(クビにならずに元気でいたとき限定ですが)を働かせてもらう上で、どうしても云っておきたいことがあります。

この17年間、予防医療の考え方もここの施設の中も大きく様変わりしましたが、ただとても残念なこと(というか不本意なこと)があります。ここの組織への不満というよりも、今の予防医療界全体に対する不満です。それは、皆さんが、「受診者さんが病気になるのを待っている」ということです。これは私の求めている予防医療とは全く違います。ご存じのように、私は判定5(要精密検査)とか判定6(要治療)とかにまったく興味がありません。「精検受診率」にも興味がありません。しなければいけないからやっているだけです。なぜ紹介状が出るかを説明したら、もう後は本人の人生なのだから、好きにしたらいいと思います。大の大人なんだから、自分で考えろ!と。判定3(要経過観察)や判定4(要再検)も同じことで、要するに「あなたは病気ですよ」と云っている。「さっさと治療を受けなさい」ということです。血圧140/90なんて、今すぐ治療しろという値です。こんなものを予備群だとか云っている方がナンセンスです。でもちょっと面倒なのは、このレベルではくすりをもらえない。くすりをもらえないくらい軽いのではなく、くすりをもらえないのにこの時期に一気に動脈硬化の進展が加速度を増すから、自分の力で努力しないといけない。一番大変な時期なのだということは教えないといけません。そんなことをしてくれるいい先生を紹介する必要はあります。でも、それは私の仕事ではありません。

私がいつも大事にしているのは、判定1(異常なし)や判定2(軽度異常)です。特に判定1は「正常」と判定しておきながら、ちっとも正常でない人がたくさんいる。血糖なんて、たぶん数年のうちに境界型になって10年もしないうちに絶対に糖尿病になる、と分かっている人が「正常」の判定の中にいる。こんな人たちこそが予防医療の最大の対象者。だけど、「正常」だから・・・もっと悪くなってから相手してあげるよ、と皆さんは云っている。それがもどかしくてたまりません。

もちろん、この時期に何かを始めてもどうせ糖尿病になりますし、最終的にはくすりがいるかもしれません。「それなら、糖尿病になってから食事療法をするのと同じじゃないか」という人がいますが、全然違うのです。今、自分の体質を知って、丁寧に好きなものを美味しく食べることを習慣づければ、食べることが「楽しいこと」のままになるし、「糖尿病」の診断が付けられてもそれはただの通過点に過ぎないことになる。食事が”制限食”ではなくなるんです。一生つきあうことになる病気のために大好きな食事を犠牲にしない生き方ができるんです。 (つづく)

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