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叱咤激励

昨年12月から携行している『まめ太郎2017』を3月初めに返さずに3ヶ月間のレンタル延期をしてもらったのですが、その期限が来ました。半年間の付き合いになりましたが、やっぱり愛人との蜜月は3ヶ月がいい。6ヶ月も寄り添っているとそこに居て当たり前の存在になるからワクワクしなくなる。

そして、なんかメリハリがないのは、単なる慣れだけではないみたい。保健師さんが週一回応援メールをくれていたのがなくなったことも大きく関係していることが実感できます。別に叱咤激励なんて要らないし、「それが仕事なんだから自分のことは自己分析してちゃんと対処できるさ」と思ってはいるのです。それはそうなのだけれど、叱咤も激励も要らないけれど、やはり“見てもらっている”ことが重要なのだとわかりました。自分で歩数を眺めて「今日は20000歩も歩いたぞ、すごいぞ!」とニンマリしたり、職場の更衣室に鎮座する体重計に載って「ヤバい!」とこっそり呟いて”もうひと頑張りする”という行動は楽しいのだけれど、それだけではやはり続かない。続けられるけれどどこか虚しくなる時があるのです。たしか、昔自分の腕にJawboneを巻いてやっていたころはそれでも良かったんだけど…これが歳というものかしら。

自己満足だけじゃない何かが欲しい。評価してくれなくていいから、あるいはとても陳腐な心のこもってないコメントでも良いから、「いつも見てますよ」的な眼差しが他にあるだけで(これはやはり身内ではない人がいい)値に対するモチベーションが変わってくるものなんだ、とわかりました。国の施策である特定保健指導(特保)の意義はここにあるのでしょうね。だから軽いメタボだからほとんど放置プレーになる“動機づけ支援”より、危険だから保健師さんがべったり寄り添ってくれる“積極駅支援”の方が行動変容するのは当たり前だ。

職場では先頭に立って掃除や整理をしてスタッフに一目置かれているらしい妻が家の掃除をほとんどしないのは、「しても褒めてもらえないから」「私は褒められて伸びるタイプなんだからね」と自ら云っていたのを思い出しました。

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