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2018年7月

味が落ちた?

「昔なつかしいあの定食屋、今もあるらしいけど、最近味が落ちたと云う噂を聞くようになってちょっと寂しい気もします」
先日、そんな話が出てきて、若いころに遅くまで働いては帰りに同僚や先輩方と行ったお店のことを思い出したりしました。もう30年以上前のこと、そりゃ、当時店を切り盛りしていた店主も高齢化したり代がわりしたりいていることでしょう。それでも長く続くというのは大したものです。

老舗の食べ物屋の「味が落ちた」ということばは他でもよく聞きます。「先代までの味が懐かしくて久しぶりに行ってみたら全然味が変わっていてショックだった」とか。「できる限り先代に教わって語り継がれた味を再現したつもりなのに、やはり同じ味を出すのは難しいです」と恐縮する若大将。

そんなことを考えていた時に、ふっと違うことを思いました。「味が変わった」と嘆く、自分の味覚が変わったということはないのだろうか。味覚が鈍くなったというだけでなく、当時若かったころには好んでいた味が歳とともに好きでなくなるということはある。自分の記憶の中の味はあくまでも当時の若かった自分が覚えている味(味覚)…それを思い出しながら現実の今の料理を口にすると思い出の味には到底かなわない。そんな要素がないわけではないだろうと思うのであります。もちろん、時代とともに社会の求める味の潮流も変わってきますから、意図的(無意識かもしれないが)に現代人の舌に合う味にアレンジするのは有って然るべきことです。でもそれ以上に、自分の舌も長い年月の間に感性を変えてしまっていて当たり前だと思わねばなりますまい。

そう考えると、30年前の味が今と変わっているかどうか、作り手が変わっていれば尚のこと、比較なんてできないのかもしれません。昔の馴染みの店に行ったとしても、昔を思い出して懐かしいメニューを作ってもらったとしても、比較はしない方がいいのかもしれない。

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納豆アレルギーとサーフィン

海に潜む納豆アレルギーのリスクとは?

Medical Tribuneから配信された第67回日本アレルギー学会(6月22~24日)からの記事。横浜市立大学大学院環境免疫病態皮膚科学教室からの報告で、食物アレルギー患者のうち納豆アレルギー患者は非納豆アレルギー患者に比べて、マリーンスポーツの経験者(92.3% vs 11.4%)特にサーフィン経験者(84.6% vs 1.6%)に有意に多く、納豆アレルギー患者は一夏に2週間以上はマリンスポーツをするというものです。

犯人はクラゲ。「海中に生息するクラゲなどの刺胞動物は納豆と同様にPGA(納豆アレルギーに含まれるポリガンマグルタミン酸)を産生する。サーフィンなどのマリンスポーツ実施者はクラゲに刺される頻度が高いため、PGAに感作されるリスクが高いのではないか」と推測されています。

まあ、これは何を注意したら良いのだろうか。「サーファーは納豆食うのは諦めろ」「納豆食いたかったら夏の海には入るな」みたいなことだろうか。

わたし、意外に納豆食います。大好きではないけれど、キライでもないので、この歳になるとカラダにいいものが目に前にあればとりあえず手を出しますもんね。良かった。若い頃からそんなに海に浸かるのが好きではなく(前世で船底に取りのこされて溺死したみたい)、色白で(いいとこの坊ちゃんだから)すぐに真っ赤に日焼けしてしまう体質(やけどして往生した経験あり)だったので、クラゲなんかに刺されて経験はたぶん、1,2回しかないはず。

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ナイチンゲール

「今朝来た看護師さんが、初めて『カーテン開けましょうか?』と声をかけてくれたよ」

抗生剤の副作用による出血性腸炎で緊急入院していた妻がLINEにそんなメッセージを入れてきたのは、入院から4日目の朝でした。水を飲んでも激しい腹痛と下血に襲われてプレショック状態で救急外来を受診して、そのまま病棟の個室に入院した彼女は、点滴スタンドを押しながらトイレとベッドを往復するばかり。朝になっても窓のカーテンを開ける気力すらなかったわけですが、それまで部屋を訪問して処置や検査をそつなくこなして行ってしまった若いナースの誰一人として、分厚いカーテンが締め切られて薄暗いことに何も言及しなかったわけです。「ここの病院の看護師さん、特に若いナースは見るからに余裕がなさそうで、記録を書き落とさないこととルーチンワークをミスなくこなす事に精一杯な感じ」というのがOBである彼女の感想。だから声をかけることもなく薄暗い病室の中(部屋の電灯のスイッチの位置も教えてもらったのは入院2日目の夜だったそうです)で悶々とベッドに寝ていたら、Mさんというナースが「おはようございます」と元気に部屋に入ってくるなり、「暗いですね。朝だから中庭のカーテン開けましょうか?」と声をかけてくれたのだそう。「なんかすごく元気をもらえた気がした」と夕方部屋に訪問したらそんな感想を妻は語っていました。友人にLINEしたら、「やっとナイチンゲールが現れたって感じだね」と返事が来たそうです。

もちろん最近は必要のない事には立ち入らないのが暗黙のルール。「結構です」「開けたい時には私が勝手に開けるから放っておいて」と答える患者さんも多いのかもしれませんし、必要なら患者の方から「カーテン開けてくれますか」と声をかけるもの、なのかもしれません。それでも、緊急入院して薄暗い個室で独りでいる心細さと不安感といったら尋常ではないでしょう。ナーシングの概念からすれば、命に関わるいろいろをミスなくこなせることと同等に、患者さんの心の不安をきちんと察知するのも仕事であることを忘れてはいけないぞ、とそんなことを感じた次第です。

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価値観~ウンチとバラ

連載するコラムの7月号が発行されたので、転載します。これは2008年2月に初めて書いたものを編集したもの。「奥さんはこれを読むんですか?」とスタッフに聞かれました(笑)

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『価値観~ウンチが見える人、バラが見える人~

「みて、みて。きれいなバラの花が咲いたよ!」

若い頃、妻はたくさんのバラを丹念に育てていました。ある日、そんな彼女の弾んだ声が庭から聞こえてきたので、その声につられて庭に出てみました。 「なんじゃこらっ!」 私は、我が家の愛犬が庭にした大きなウンチを足元にみつけて悲鳴を上げました。××という顔をする妻を後目に、私は急いでウンチを片づけ始めます。「どうしてこの汚いものを放ったらかして平気なのだろうか。花どころじゃないだろ。なんでオレがこんなことしなきゃならないんだ!」と不平不満を並べて処理していたら、もう花を眺める気分ではなくなりました。

こんな心境から卒業したのはいつの頃だったでしょうか。ある時ふと気づきました。彼女には、きれいなバラの花の姿がまず目に飛び込んでくるのです。そこにウンチがあってもなくてもバラの価値に変わりがないのです。私には、汚いウンチが見えるのです。そこにウンチが見えるだけでバラの価値がなくなってしまうのです。とても単純な話です。見えない人に「なぜ見えない?」と不平を言っても始まりません。ウンチは、見えて気になる私が片づければいいことで、ウンチがすっかりなくなったら私の目にも庭に咲いたきれいなバラの花がしっかり見えてきます。そうすれば、二人とも気分良く同じ“きれい”を共有できます。妻はいつも前向きです。良いものばかりを見る目を持っています。悪い面ばかり見つけていく私には到底真似できない、うらやましい性格です。私は掃除が好きです。整理してきれいになるのが好きです。妻はクリエイターとして、きれいなものを作り出すのが好きです。ただ、それだけの違いのように思えます。「自分が損をした」と苛つくのは自分の価値観に相手が合わせてくれないことが不満だからです。「価値観が合わないから」といって離れていく人たちは、価値観を必死に合わせようとして疲れてしまうのではないかと思います。休みの日、「せっかくの休みなのだからもっとゆっくりしたらいいのに」という妻に向かって、「せっかくの休みなのだから何かしないと勿体ない」と言い返して早朝からひとりで動き回る私・・・価値観を相手に押しつけさえしなければ何も問題はないように思えます。

現実にあるものは一つですが、みんなが自分と同じように見えているとは限りません。むしろそんなことはほとんどないでしょう。たとえ見えていても同じ様に感じるとは限りません。「なぜできない?」と相手の行動にイライラしている人は、自分の価値観が相手の価値観とどう違うのかちょっと俯瞰してみてはいかがでしょうか? 「信じられん!」と苦笑いしながらも、意外と気持ちが落ち着く自分に気づくと思います。

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思惑の違い

先日、紙巻きたばこをグローに替えたという人が人間ドックを受診されました。最近は、電子たばこや加熱式たばこがコマーシャルに乗っかって急速に普及しており、乗り換えした愛煙家も多いようです。「私は数ヶ月前からたばこはやめました」と胸を張って云う御仁。「今はもっぱらアイコスです」とか「グローにしました」とか悪びれずに云い足すのは、それが「たばこではない」(紙巻きたばこよりはるかに健康的で、周囲の人にも迷惑をかけていない)と信じているからでしょう。

医療者は、その理屈がほぼ否定されていることを知っています。日本禁煙学会などから論破データが続々と紹介され来ているからです。くだんの受診者にそれを知らせてあげようと思って、結果説明の前にインターネットで『グロー』で検索してみました。ところが、驚いたことに、否定的な記事が1つもヒットしません。いかに害が少ないか、試してみたけど問題なさそうだ…そんな記事だけが出てきます。いやそれはおかしい、世界的にも医学的に完全に論破されていることはわかっているのだから、普通に検索したら、せめて肯定的な記事と同数の否定的な記事があって当然である。

明らかに作為を感じました。検索の一覧の順番はどれだけ記事を読んでいるか、ヒット回数の順だから、何度も読みに行くと上の方に上がって行くと云うことは知ってはいましたが、ここまで極端だとちょっと怖い。最近は、何でもかんでもネット検索、医療情報を医療者自身もネット検索して確認している現代。しっかりしておかないと、医療者でもウソ情報を信じてしまいかねません。因みに、検索ワードに『グロー』だけでなく『日本禁煙学会』と付け足すと、今度は否定的な記事ばかり。これはこれで、なんか怖いです。

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水を飲まない

この1週間、一人の生活をしてみて分かったことがあります。私、独りでいると意外に水分を取らないんだなということ。毎日あれだけ頻回に起きていた夜間のおしっこがほとんどない。午後の仕事中にも何度も小便で抜けていたのにほとんど行かない。小便の色が異常に濃くて、血尿じゃないかと思うくらい。そんなに生活が変わった感じはしない。火を使いたくないからおかずはスーパーで惣菜を買ったけどご飯は自分で炊いたし冷奴や納豆がメインなのも前とは変わらない。独りだからといって酒の量が増えるでもなく減るでもなく、夜更かしするでもなく(テレビも見ないからする事がなくて、むしろいつもより早めに就寝)。でも、確かに毎日一本は消費していた2リットルのペットボトルが1週間もったから、水分を取ってないのは事実なのだと思います。

頑固な咳が続いて長いこと散歩ができず、雨が降って出られない日もあり、久々に出たらあまりの暑さに愛犬の方がへばって自ら近道を選択したりしたから、たしかに活動量が極端に落ちました。職場で無駄に歩き回っていたのも、風邪をひいた上に愛犬の下痢や妻の緊急入院などが重なるうちにどうでもよくなって動かなくなった。それは事実。だから喉が乾かなかったというのはわかるけど、その分汗のかき方も全然違うから、おしっこの回数の変化にはあまり関係がなさそう。

なんか、歳とって、独りの生活になったらこんな感じで気づいたら脱水症や腎不全に陥ったりするんじゃないかしら。世のお年寄りたちが救急車で連れて来られるたびに、「こんなになるまで喉が乾かなかったのかしら?」「 無駄にガマン強いからな」とか思っていたけれど、そんなんじゃないのですね。よほど意図的に飲まない限り、そこに水があっても喉が乾かないから飲もうとは思わない。実感。でも、そんなことに気づいた感動よりも、自分がそんな年寄りになってしまったことのショックの方が大きいのであります。

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対岸の火事

「やっぱり、『対岸の火事』なんだよね。大地震のときもそれを強く感じたけれど、今回の病気の宣告を受けたときも、同じ事を感じたよ」と妻がしみじみ云いました。

東日本大震災のとき、心から痛ましいと思い節電にいそしんだけれど、結局は他人事だったことは、自分たちが二度の未曾有の大地震を経験してよくわかった。まさか自分たちにこんな災難が押し寄せるなんて考えもしなかったから、自分が生きるか死ぬかの思いで逃げ惑ったときに初めて東日本大震災の被災者の方々の気持ちがわかった、と。それと同じように、「質の悪くないがんだから大丈夫だよ」「手術なんて大したことないよ」などと客観的な目で友人や知人にアドバイスしていた自分が、いざその当事者になると、全然違う風景になって見えてくる。今からいろんなことを体験しなければならない。麻酔をかけられて手術を受けて、100%うまくいくとはだれも保証してくれていないし何が起きるかわからない。大きな傷ができてしかも一生ホルモン剤を飲み続けなければならなくなった、なんてことが自分に降ってかかるなんて、今でも信じられない。「あ、あれはなにかの間違いでした」って頭を下げられるのではないか?とかいまだに思ったりする。

そんなことを云っておりました。先日、職場のスタッフに話したら、「●●病院はすごく成績が良いらしいですよ」「大丈夫ですよ、あの組織型は大部分が静かだから」と冷静に、いとも簡単に受け流されました。そう、その程度の病気なんだよな、そんなことはわたしも知っている。でも、そんなことを云いながら去って行ったくだんのスタッフさんが、いざ当事者になったら、同じ事をさらっと云って軽い思いで手術を待つことができるのだろうかな、なんてなことを考えました。

本当は今日から入院して明日が手術の予定でしたが、妻は思いがけない違う病気で緊急入院してしまいましたから、手術は延期になりました。まだまだ何が起きるか分かりません。

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自律神経のこと

妻が甲状腺を患って、今度手術を受けることになりました。自覚症状は何もなくて、まったくもって青天の霹靂。激しい頭痛発作を起こして脳神経外科を受診してCTに何も問題がないことを確認し、その足で整形外科を受診して頸椎でもないことを確認したものの、「念のために一度は脳のMRI検査を受けておいた方がいい」と勧められたから家族健診のときに脳ドックを申し込んで、そのときの頸部血管エコー検査でたまたま甲状腺腫瘤が大きくなってきていることを指摘され、念のために専門医受診を勧められ、5年ぶりに受診した専門医で念のために行った針生検で悪性所見が発見されたわけです。

「最近、妙に蕁麻疹が出るのよね。これって、この病気と関係あるのかしら?」と先日、一緒にワンの散歩をしていたときに妻に云われました。もともとアレルギー体質ではありますが、最近はイヌの散歩ひもを強く握ったとかバッグのひもを握ったとか、そんなことで赤く腫れ上がるようになってきて、ちょっと尋常じゃないのだと。

もちろん、ホルモンの異常があるわけでもないし全然因果関係のありそうな話ではない、と専門家は思うのかもしれませんが、わたしはふと以前読んだ『心臓の暗号』(ポール・ピアソール著、角川書店)を思い出していました。身体中をパトロールしている自律神経がどこかでうごめいている体内の異常を見つけ出し、それを違う形で表現するというもの。悪性腫瘍がまだ細胞レベルで増殖していることを知らしめすために「心臓が泣いてる」と感じるいろいろなことが起きるとか。こういうことを考えると、妻の突然の頭痛や突然の尋常ではない蕁麻疹は、たしかに自分の体内から自分に発する警告灯だったのかもしれません。

「今度手術して、アレルギー症状が軽減するようなら、シグナルだったのかもしれないね」と答えました 。

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散髪屋で血圧管理

先日Medical TribuneのDoctor's Eyeで慶応大学の香坂俊先生が紹介していた<床屋で血圧は下がるのか?>はとても示唆に富んでいて面白かったです。アメリカからの報告で、52の理髪店に参加してもらい、高血圧を有する理髪店の常連客319人に対して血圧測定をし、理髪店で店主が紹介する薬剤師によって血圧管理をしてもらった場合、単に店主が生活習慣改善の指導や医師の診察予約をすることを促した場合よりも3倍も降圧効果が得られたというものです(N Engl J Med 2018; 378: 1291-1301)。参加した常連客は低所得者が多く、肥満や喫煙などの人も多くて普通の比較試験の対象に選ばれない様な人が多かったのも特徴だそうです。

このように、医者などその場に直接介在しなくても、信頼できる人(理髪師)の勧めがあって、その人のいる場所に専門家(薬剤師)が常駐して、直接管理してくれるならば、患者さんはきちんと治療を受けるのだということ。毎月必ず顔を出す理髪店が医療機関の出張所扱いになれればいいだけのことです。当たり前かもしれないけれど、「病気だから病院に行く」が事の始まりだと定義する限り病人は絶対に減らないのです。おそらくAIを駆使して自分でさせようとしてもうまくいかないと思います。もっとも、そんな出過ぎたお節介をする輩は絶対に法律が許してくれない。「何かあったら誰が責任を取る?」の答がないことに誰もが尻込みをするからです。

たしかに、地域の人間との信頼関係というのは、いろいろな理由を付けて病院に行きたがらない人たちの心を開かせてくれる大きな力を持っていますね。こういう人間関係がなくなってきて、利害関係と責任問題だけが表に出る社会をだれも望んではいないでしょうに・・・。お金を安く上げるために大量の店員が流れ作業でカットしてくれる店や評判のカリスマ美容師のいる店では、この研究は成立しないでしょう。医療は自然科学!と意地を張らず、”人情”が大事なアイテムだということを今一度再認識させてほしいなと思うばかりです。

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むっちゃ体力が落ちた

今夜、医師会の産業医研修会に行って路面電車で帰ってきました。最寄りの電停で電車を降りて自宅まで、いつもなら10分から15分のウオーキングコース。もうこの地に自宅を建ててから20年以上、街に出かける時にはいつも使っている電停までの行程です。

どうということもなかったこの道を、昨夜初めて「この道、遠いなあ」と思いました。別に、息切れするわけでもないし、所要時間がいつもより長くかかったわけでもないんですが、何か、歩いても歩いても前に進まない感じを実感しました。

10日ほど前に風邪をひいてそのまま頑固な咽頭炎、夜間咳嗽の激しさで眠ることもできず話すこともできずという状態から、抗菌剤や咳止めを処方していただいて昨日くらいからやっとこさ落ち着き始めたわけですが、それでなくても腱板断裂を起こしてからの2ヶ月間激しい運動をする気になれず、ゴルフの回数も激減し、続けていた筋トレや体幹トレーニングも取りやめにしているのに加えて、必ず毎日続けていた職場内のウォーキングもここ数日は全くやっていません(毎日早退していますし)。ワンの散歩すら、続く梅雨でまともにできていないのに・・・。

人間には”運動欲”という欲は存在しないから、できない理由を並べる限り絶対に運動はしなくなるし、それによって歳を取れば取るほどに筋肉は簡単に無くなっていく・・・あちこちの講演で云い散らしてきたわたしですが、いつの間にかその渦中の人間に自分自身がなってしまった、というおはなしです。

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