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対岸の火事

「やっぱり、『対岸の火事』なんだよね。大地震のときもそれを強く感じたけれど、今回の病気の宣告を受けたときも、同じ事を感じたよ」と妻がしみじみ云いました。

東日本大震災のとき、心から痛ましいと思い節電にいそしんだけれど、結局は他人事だったことは、自分たちが二度の未曾有の大地震を経験してよくわかった。まさか自分たちにこんな災難が押し寄せるなんて考えもしなかったから、自分が生きるか死ぬかの思いで逃げ惑ったときに初めて東日本大震災の被災者の方々の気持ちがわかった、と。それと同じように、「質の悪くないがんだから大丈夫だよ」「手術なんて大したことないよ」などと客観的な目で友人や知人にアドバイスしていた自分が、いざその当事者になると、全然違う風景になって見えてくる。今からいろんなことを体験しなければならない。麻酔をかけられて手術を受けて、100%うまくいくとはだれも保証してくれていないし何が起きるかわからない。大きな傷ができてしかも一生ホルモン剤を飲み続けなければならなくなった、なんてことが自分に降ってかかるなんて、今でも信じられない。「あ、あれはなにかの間違いでした」って頭を下げられるのではないか?とかいまだに思ったりする。

そんなことを云っておりました。先日、職場のスタッフに話したら、「●●病院はすごく成績が良いらしいですよ」「大丈夫ですよ、あの組織型は大部分が静かだから」と冷静に、いとも簡単に受け流されました。そう、その程度の病気なんだよな、そんなことはわたしも知っている。でも、そんなことを云いながら去って行ったくだんのスタッフさんが、いざ当事者になったら、同じ事をさらっと云って軽い思いで手術を待つことができるのだろうかな、なんてなことを考えました。

本当は今日から入院して明日が手術の予定でしたが、妻は思いがけない違う病気で緊急入院してしまいましたから、手術は延期になりました。まだまだ何が起きるか分かりません。

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