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価値観~ウンチとバラ

連載するコラムの7月号が発行されたので、転載します。これは2008年2月に初めて書いたものを編集したもの。「奥さんはこれを読むんですか?」とスタッフに聞かれました(笑)

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『価値観~ウンチが見える人、バラが見える人~

「みて、みて。きれいなバラの花が咲いたよ!」

若い頃、妻はたくさんのバラを丹念に育てていました。ある日、そんな彼女の弾んだ声が庭から聞こえてきたので、その声につられて庭に出てみました。 「なんじゃこらっ!」 私は、我が家の愛犬が庭にした大きなウンチを足元にみつけて悲鳴を上げました。××という顔をする妻を後目に、私は急いでウンチを片づけ始めます。「どうしてこの汚いものを放ったらかして平気なのだろうか。花どころじゃないだろ。なんでオレがこんなことしなきゃならないんだ!」と不平不満を並べて処理していたら、もう花を眺める気分ではなくなりました。

こんな心境から卒業したのはいつの頃だったでしょうか。ある時ふと気づきました。彼女には、きれいなバラの花の姿がまず目に飛び込んでくるのです。そこにウンチがあってもなくてもバラの価値に変わりがないのです。私には、汚いウンチが見えるのです。そこにウンチが見えるだけでバラの価値がなくなってしまうのです。とても単純な話です。見えない人に「なぜ見えない?」と不平を言っても始まりません。ウンチは、見えて気になる私が片づければいいことで、ウンチがすっかりなくなったら私の目にも庭に咲いたきれいなバラの花がしっかり見えてきます。そうすれば、二人とも気分良く同じ“きれい”を共有できます。妻はいつも前向きです。良いものばかりを見る目を持っています。悪い面ばかり見つけていく私には到底真似できない、うらやましい性格です。私は掃除が好きです。整理してきれいになるのが好きです。妻はクリエイターとして、きれいなものを作り出すのが好きです。ただ、それだけの違いのように思えます。「自分が損をした」と苛つくのは自分の価値観に相手が合わせてくれないことが不満だからです。「価値観が合わないから」といって離れていく人たちは、価値観を必死に合わせようとして疲れてしまうのではないかと思います。休みの日、「せっかくの休みなのだからもっとゆっくりしたらいいのに」という妻に向かって、「せっかくの休みなのだから何かしないと勿体ない」と言い返して早朝からひとりで動き回る私・・・価値観を相手に押しつけさえしなければ何も問題はないように思えます。

現実にあるものは一つですが、みんなが自分と同じように見えているとは限りません。むしろそんなことはほとんどないでしょう。たとえ見えていても同じ様に感じるとは限りません。「なぜできない?」と相手の行動にイライラしている人は、自分の価値観が相手の価値観とどう違うのかちょっと俯瞰してみてはいかがでしょうか? 「信じられん!」と苦笑いしながらも、意外と気持ちが落ち着く自分に気づくと思います。

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