ちっとも成長してないということか
この季節は、玄関のヒメコブシの落ち葉を掻くのが日課。晩秋の落ち葉ほどドサッとは散ってこないけれど毎日少しずついつまでも散ってきます。夏の落ち葉はそんなもの。
で、これを出勤前と出勤後に掃きながら毎年思うのです。こうやって律儀に掃いているからキレイを保てるけれど、わたしが毎日それをしていることなんて周りの家の人は誰ひとり知らないのだろう。散ったままの枯れ葉が道を塞いでいるのを見ている人はそれがキレイになったのを確認して「ああ、ちゃんと掃いたんだな」と思ってくれるだろうけれど、最初に汚かったことを知らない人は、わたしがどれだけ汗水垂らして掃いていたとしても、別に何も変わってないと思うだけだから。
誰も見てないところで善行やっても誰からも認めてはもらえないんだよね、とか愚痴る。でも、神様はいつも見ているのよ。誰も見ていないようで、ちゃんと誰かが見てくれているものよ。駐車場の向こう側のアパートの住人とか、近くの家の二階の窓からとか・・・。でも、善意は見返りを求めたら善意ではなくなるモノよ。なんてなことを考えていること自体、まだまだ人生の修行が足りんな。
そんなことを思い、書き記してみたモノの、いつか同じことを書いたような気がして検索してみたら、やっぱり3年前の夏に書いてあった(『夏の落ち葉』 )・・・還暦過ぎても、ちっとも成長してなかったことだけが確認できたわけだ。なんか、3年前より打算的な考え方が板についてきている気がしないでもない(笑)
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