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2018年9月

タバコは日本人労働者を蝕むらしい

喫煙が日本人労働者の死亡率に及ぼす影響

こういうデータを堂々と公表できるのは日本が健全な国家であることの証でしょうか。

”わが国の職域多施設研究(Japan Epidemiology Collaboration on Occupational Health Study:J-ECOHスタディ)で、労働人口における喫煙・禁煙の死亡率への影響を調べたところ、喫煙が全死亡・心血管疾患(CVD)死亡・タバコ関連がん死亡のリスク増加と関連していた。また、この死亡リスクは禁煙後5年で減少していた。”という報告がCirculation Journal誌オンライン版2018年9月12日号に掲載されたそうです。

●現在喫煙者の非喫煙者に対する全死亡・CVD死亡・タバコ関連がん死亡影響度は順に、1.49、1.79、1.80(1から離れるほど影響度が強いことを示します)。
●現在喫煙者の全死亡・CVD死亡・タバコ関連がん死亡のリスクは、吸う量が多いほど有意に増加。
●過去喫煙者の非喫煙者に対する全死亡の影響度は、禁煙期間が5年未満で1.80だが、5年以上で1.02に減少した(つまりタバコを止めて5年以上経ったらほとんど吸わない人と同じ死亡率に戻るという意味)。

まあ分かっていたことだけど証拠の数値がないと反論されるのだから、大事な報告のひとつでしょう。もっとも、電子たばこや加熱式タバコに換えて「もうタバコは止めたから自分には関係ない」と誤った逃げ口上を掲げる連中には馬耳東風かもしれませんが。

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女は強し!寿命の話

母親が長寿の女性は健康に長生きできる?

このCare Netの記事は、「母親が90歳を超える長寿だった女性は、本人も同じように長生きできる可能性が高いことが、米カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)家庭医学・公衆衛生学部のAladdin Shadyab氏らによる研究で示唆された」というもの。「大規模コホート研究である女性健康イニシアチブ(Women's Health Initiative;WHI)に、1993~1998年に参加した2万2,735人の閉経後女性を2017年まで長期にわたり追跡し、両親が健康で長生きすることがその娘である女性の健康や寿命に及ぼす影響について調べた」のだそうです。その結果、母親が90歳以上生きた場合は健康的に長生きする率が25%増加し、両親とも長生きならそれが38%に上るのだそうです。でも、父親だけが長生きの場合はその傾向がないそうだから、オスの存在価値なんてその程度なのかもしれません。アディポネクチンの値に大きな幅があるのと同じように、遺伝の要素が関与していることは容易に想像できますが、「母親が90歳以上まで生きた女性は学歴が高く、結婚相手の収入が高いなど経済的に恵まれていたほか、日常的に運動し、食生活も良好だった傾向がみられた」というところから、生き様の教育の影響も決して少なくはないような気がします。

さてこの傾向、男性にも当てはまることなのかしら。きっと一定傾向がないんだろうな・・・男なんて、そんなもんよね。

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眉間のしわ

「眉間のしわ」は心臓病のサイン?

久しぶりにCare Netの記事が面白かったので紹介します。 「眉間のしわ=心臓の状態が悪い徴候である可能性」についてトゥールーズ大学病院センター(フランス)労働衛生学准教授のYolande Esquirol氏らが研究した(欧州心臓病学会(ESC 2018、8月25~29日、ミュンヘン)で発表)そうで、”年齢の割に眉間のしわが深い人は心臓病が原因で死亡するリスクが高く、さまざまなリスク因子で調整後でも、眉間にしわのない人と比べて最も深いしわがある人では心臓病で死亡するリスクが10倍近いことが分かった”というものです。その理由について、”「しわの形成と動脈硬化にはいずれもコラーゲンの変化や酸化ストレスが関与している。また、額の血管は極めて細いため、プラークの蓄積による影響を受けやすい可能性がある。このことから、しわが血管年齢の上昇や血管の硬化の初期徴候として現れると考えられる」”と説明されています。

昔から、「眉間に縦皺ができるとカラダを壊す」とか「突然死する」とかよく云われていました。突然死した有名な俳優さんの何人かもいつの間にか眉間の皺が深くなっていたものです。学問的な意味づけはよく分かりませんが、歴史的な事実としても重要な所見なのかもしれません。不愉快なことがあって眉をひそめていると「眉間の皺が深くなってるよ。意識して作らないようにしないと急病になるよ!」と、若い頃よく妻に諌められたものです。

最近は老眼のために近くのものがよく見えなくなってつい眉をひそめてしまいます。ま、どちらかというと眼瞼下垂気味の目を引き上げようと必死になってしまって、自分の写った写真を見ると眉間の皺よりも額の皺の増加の方が気になる今日この頃ではあります。

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アタマに浮かんだモノが逃げていく

先日、Eテレでお笑い芸人のピース又吉さんがMCをつとめる番組を見ていましたが、そこで彼が発した言葉がとても腑に落ちました。

「過去の事を思い浮かべながら文章をしたためるときはパソコンでワープロに打ち込んでも十分書くことができるのだけれど、アタマの中で湧き出てくる構想を追いかけながら記録するときにワープロを使っていると、とんどん取り残されていって結局最後まで記録できないままアタマから消えていくことがよくある。だからそういうときはメモ用紙に走り書きしたり、ペンで箇条書きして書き留めたりするしかない」というような内容でした。

これ、本当によくわかる。しかも歳を取るほどにひどくなる。「あ!」とひらめくことはよくあるし、内容を文章としてアタマにすらすら浮かべられるのに、その文章がどんどん走って逃げていく。その場でメモにしたためない限り跡形もなく走り去ってしまって、その後で思い出そうとしても何一つ思い出せないということ、わたしはよくあるのです。運転中だったりしてその場でメモできないときにはアタマの中で何度も反芻して覚えておこうとするのだけれど、そんな努力をしたことは覚えていても、何を覚えようとしたのかを断片すら思い出せないのであります。そういうことに前は凹んでいたけれど、いまは諦めています。脳細胞と一緒に刹那刹那に消えて無くなってしまったモノ・・・日に日に加速度を増して増えているようです。まあ、その刹那に「自分が躍り上がるようなすばらしい何かを思い浮かべたのだ」という事実を喜ぶことにしています。何も残らなくても、決してボーッとし生きていたんじゃないという意味で。

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実在する病名?

「内視鏡検査室から、『問診結果を読むと、受診者に心臓病の既往があるようだが、胃カメラ検査をしてもいいものかどうか循環器科医師に確認しろ」という指示がきています」と、担当ナースがわたしのところに助けを求めにやってきました。

「”心臓病”って、正式な病名は何なの?」
「問診をとった人間ではないのでよく分かりません」 ということで問診票の記録を見ると、
”心臓内大動脈瘤で治療中” という文字が躍っていました。
「これのことですか?」
「たぶん、そうだと思います」
「あなた、『心臓内大動脈瘤』って病名を聞いたことある?」
「すみません。勉強不足で、存じませんでした」

当たり前です。そんな病気なんてあり得ないのだから。そもそも大動脈は心臓の出口にある大動脈弁より外側の臓器なのだから、心臓の中に大動脈などあり得ない。ないものなのだからが心臓の中に大動脈瘤ができるという概念そのものがあり得ない。それを、世間の素人さんではなくて普通の医療者であるナースが、疑念を抱くことなく書き記すということ自体が信じられません。最近、こうなんです。別にうちの病院の悪口を書こうとしているわけではないので補足しておきますが、うち以外でも基本的にこんな感じ。知らないことを聞いたら、「なに?」と思って調べればいいのに(スマホかパソコンさえあれば簡単に検索できるでしょう)、「とりあえずよく分からないものはそのまま云った通りに書いておこう」と思うみたいで。特に循環器内科の病気はもともと自信がないから、できるだけ触れないようにと思うのかしら。

ナースだけでなくドクターも、知らない単語を聞いたときには必ずその場で調べるクセをつけてほしいと思います。

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前頭葉機能テスト

『脳ドック』は、MRI検査や頸部血管エコー検査などの画像診断だけでなく、認知症のチェックのための前頭葉機能検査というのを必ず行います。やり方はいろいろありますが、現在わたしの勤務する施設では、1分間に花の名前を思い浮かぶだけたくさん云ってもらうとか、提示した文章を読んで内容を理解しながら『あ・い・う・え・お』の仮名拾いをしてもらうとか、あるいは検査官が唱える数字を復唱してもらうとかいうのを行っています。

これ、意外にできないんです。MRI検査で脳に何の異常もない人でも意外にできない。まあ、できなくてショックを受けてもらうためにあるような検査(脳は使わないと退化する、ということを実感してもらうためにある)で、「日頃”脳トレ番組”に一生懸命参加してください」と説明しています。

ただ、これが若くていつも最前線で仕事をしている人でもできないのは、もしかしたら最近の風潮が影響しているのかもしれないと思うのです。「そんなことして、何か意味があるの?」「これを覚えて、将来本当に何かの役に立つの?」みたいなことを子どもの頃や学生時代にたくさんやらされていましたが、最近は自分の将来に必要のないと思えるものはやらない、ということがまかり通る時代になってきました。興味があることだけやっていても社会生活はやっていけるし、不要なことに向かっていた時間を他に使えば有意義である、とまことしやかに語る御仁も少なくない。本や活字を読むことも減り、必要最低限の知識はネット検索で十分・・・そんな時代だから、こんな簡単な検査がまともにできないのじゃないかと思う次第です。

昔、ゲーム機で脳トレに挑戦していたら、みるみるアタマが冴えてきたことを思い出しながら、もともと準備された機能は使わなければ急速に退化する・・・その事実を目の当たりにしてわたしはちょっと困惑しています。

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少しくらいなら?

「『結局、お酒を止めることが必要なんですね』と聞いたら、わたしの主治医の先生は『あなたの場合は止めるとストレスが溜まるでしょ? 少しくらいなら飲んでもいいですよ』って答えてくれたんですよ」 ・・・先日の人間ドックで膵のう胞を外来フォローしてもらっている受診者の方がそんな話をしました。

医者って、ほんと、簡単にそんな云い方をしますね。なんか「人間味のある洒落た云い方ができたかな」って自分で悦に入っているんじゃないのかしら。でも、その医者はきっと大して酒好きではないことが読み取れる。なぜなら、酒飲みにとって、その”少しくらいなら”が大きな足かせなのですよ。医者が思っている”少し”がどの程度なのかが、自分の尺度では推測しきれない。「止めるとストレスがかかる」ような酒飲みにとって「少しで止める」ということが本当にストレスを溜めない方法なのかも疑問。本来、”適量”というのは、”ほろ酔い気分になれる一歩か二歩手前=あと一杯ほしいなというところで止める”というレベルですから、これは酒飲みにとっては生殺しもいいところ・・・よほどのアル中でない限り、「そんな仕打ちを受けるくらいならいっそ全く飲まない方がはるかに楽」と思っているヒトも少なくないはずです。

ゴルフやテニス好きな人が、「頑張りすぎずに楽しむ程度ならやっても良いです」と主治医に助言をもらったところで、何の励みにもならないというのと同じ。本当のゴルフ好き、テニス好きは、ちゃんと結果を出したいから、きちんとプレイしたいから、あるいは相手に負けたくないのだから。「形だけ道具を持って現場に行ければほどほどに気が紛れる」と思っているのは、そんなことに興味がない医者や看護師の机上の空論ですわ。

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