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2018年10月

休みをもてあます

本当に問題意識というものが最近一気に欠如し始めた私。考えること自体を放棄し始めているのに、「それで良いのか、自分?」という焦りがなくなってきているのであります。

昨日も月に一度の土曜完全稼働日。平日と同じ勤務をしました。時間外申告ではなくて振替休日で穴埋めしないといけません。そんなこんなで私の休日は極端に多くなりました(それと引き替えに給料は大幅ダウン。妻も仕事をやめたから、二人合わせると新人社会人1人の給料分くらい減っています)。今月末にも飛び石の5連休、年末年始には10連休、年度末にも6連休が待っています。

困った。することがない。「健康長寿の秘訣は食事や運動ではなくて、本をたくさん読んで好奇心に任せて自分の興味のあることをどんどんすることなんですってよ!」と先日の宴会の席で友人が語っていました。「そんなことは抗加齢医学会では10年も前から云ってきているわ!」と思いながら、当時は気にも留めなかったことが今はそれが重い命題。そうなのよ。これからどんどん時間だけが余り始めてくるのよ。定年退職後に自分のやりたいことをやり始めた人と、やりたいことが見つからずに何となくぼんやり日々を過ごす人の行く末は、火を見るより明らかなのですよ。「ボーッと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られそうだけれど、私、なんか明らかに後者になりそう。10年前にはやりたいことなんて一杯あったのに、今、何にも浮かばないよ。大好きな家の掃除や庭の草刈りを1日やったところで、もう2日目からすることなくなるからね。

やっぱり、好奇心の塊の妻のアシスタントを務めるのが得策かしら。でも、ワシ、不器用だからなあ・・・。

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『ヘルシー メニュー』

定期投稿のコラム、本日発行されました。

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『ヘルシーメニュー』

あちこちの食堂の入口に『ヘルシーメニュー始めました!』の文字が踊り、「今日はヘルシーラ ンチ♪」というコメントと一緒にアップされるインスタグラムの写真。今や“ヘルシー”は最強の トレンドです。健康志向の風潮の中で現代人は“ヘルシー”の単語に滅法弱い。健康を扱う仕事 の私たちもついこの呪文に負けてしまいがち。先日そんな『ヘルシーメニュー』とやらを食って みましたが・・・想像以上でも以下でもない。野菜中心で、あっさりした味付け、量もカロリーも抑 え目で、煮物や湯通し食材や鶏肉に雑穀米。「まあ、こんなもんでしょ」と思いながら美味しくい ただきましたが、これを「物足りない」と感じる人は少なくないでしょう。地味な見た目にため息 をつきながら、「これは“ヘルシーメニュー”だから。健康のためにがまんするのは当たり前だから」 と自分を納得させようとした人が絶対にいると思います。

“ヘルシー(=健康的な)”って何だろう? 私の考える“健康”の定義は、「幸せを感じること」です。 私は「がまんの向こう側に健康はない」と信じていますから、健康的かどうかは、楽しいかどうか で評価します。だから、料理を目の前にしてワクワクした気持ちになれないものはヘルシーとは 言えない。カロリーもバランスも大事だけれど、“ヘルシーメニュー”は見るだけで思わずヨダレ を垂らしそうなものであるのが必須条件であり、脂こってりボリュームメニューやファストフー ドに“ヘルシー”の称号は与えられないとしても、少なくとも作る人自身が心から「食べたい」「食 べさせたい」と思う料理にしか“ヘルシーメニュー”の名を付けてはなりませぬ。

以前読んだ本に、「糖質を抑えるための代用品である人工甘味料をどれだけ食べてもヒトは絶対 に満足感を得ない」と書いてありました。人間の身体は血糖値が一定値を超えた時に初めて「食 べた」と認識する様に作られているから、血糖値を上げない人工甘味料ではその代わりは務まら ないのだそうです。つまり、気持ちをごまかすために偽物をたくさん食べるくらいなら、本物の 砂糖を少量口にした方がはるかにヘルシーだということです。一方、糖尿病治療食の記事で、有 名な管理栄養士さんが『高血糖を起こさない料理』を提示し、「工夫さえすれば治療食でもそれな りにおいしく食べられる」と言い、「これこそが健康食だ!」と結論 づけていましたが・・・それはおかしい。だから、「ヘルシーメニュー の割においしいね」とかいう間違った使い方がまかり通るのだと思 いました。

食べる時間が一日の中で一番楽しいトキであってほしい。目の前 に並んだ料理をみて「こんなの食べたらダメになる」と罪悪感に苛 まれるのではなく、食べる前から幸せ気分に浸れるような究極のヘ ルシーメニューをいただきたいものです。

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やる気宣言

ちょっときついけど、少しやる気が持ち直してきているところ。 

毎年12月から3か月間頑張るまめ太郎トライアルや、来年3月末に中学還暦同窓会があるなどの目標点があることはあるのだけれど、そこまで待ってたらどんどんぐうたらになってしまう気がしてちょっと不安になってきました。そんなことを思っていたら、渡りに船で1ヶ月半後に小学校同窓会の話が降って湧いてきた。これもまた運命。このチャンスを活かしてみようかなという気になってきました。

「ずっと続けられないことをして成果が出ても意味がない」と言い訳して逃げていたけれど、別に1ヶ月限定メニューでもいいんじゃない? 成果云々より、目標持って頑張るモチベーションさえ再起させればいいのだから。

ということで、日々のやることチェックを始めます。
1.アルコール:マイオリジナル2単位まで(1単位は缶ビール1缶、日本酒徳利1本、焼酎コップ1杯)
2.21時以降の飲食しない
3.夕食後1時間はソファに座らない
4.病院内散歩2往復以上
5.夕方のワンの散歩(行けない日は自分だけで1時間ウオーク)
6.騎馬2分+弓歩10本+腹筋(少林拳メニュー)
7.体幹トレーニング+ストレッチ
8.22時~23時までに就寝(朝5時から散歩できるとベスト)
9.ベッドでスマホをいじらない

自分だけで決意するとすぐ自分で誤魔化すので、とりあえず公表してみる。あまり意味はないかもしれないけれど。

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恐るべしBCC

ある企業で、ひとりの若い従業員が複数の上司に対して社内のセクハラ・パワハラ絡みの告発文に近い内容のメールを出しました。当人は退社覚悟のようですが、内容が内容なだけに、当事者たちが対処に右往左往してざわついていることが想像できます。ところが、その、メールの内容を社内の第三者が知っているのです。なぜか? その従業員がメールを送信するときに、BCCを使って違う人にも送ったからです。BCC(Blind Carbon Copy)の相手は、CCと違って、送られた方には気づかれません。当事者たちは自分たちだけしか知らないこととして、自分たちの中だけで内密に処理したいかもしれないけれど、すでに違う人間がその事実を知っています。まあ、文書の存在自体を抹殺されないように意図的にそうしたのかもしれないし、そのいつも相談に乗ってもらっている第三者にも知ってもらいたかったから送ったのかもしれませが・・・とうことは、このメール、本当はBCCを使ってもっと大量に出回っている可能性も否定できません。

わたしは、自分宛くらいにしかBCCを使うことがないので、そんなこっそりメールを横流しするようなことはしたことがありませんが、今回のことを聞きながら、「恐ろしいなあ」と思いました。自分にだけ出されたメールだと思い込んでいたら、他のひとにも”情報共有”と称して送られているかもしれない。ビジネス文書ならともかく、プライベートな約束や意見が勝手に陰で広まっているかもしれないのです。

今回のように、こっそりばらまかれた爆弾はどんな結末になるのでしょうか。もっとも、勝手に爆弾を送られた第三者のスタッフが一番怖いのかもしれません。知らなくてもいいことを知ってしまって・・・。

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虹が見える!

先日の夕方、日課の愛犬の散歩をしていて、公園の前の交差点で信号待ちをしていました。お利口にお座りをして私の顔を眺める愛犬と時々目を合わせながら、目の前の信号を凝視していたら、一緒にいた妻が「わあ、きれいな虹が出てるよ!」と云って持ってきたカメラを構えていました。「え、虹? どこ?」と東の空に目をやると、たしかに大きくて太い虹がくっきりと出ていました。

あんなに大きくてはっきりとしているものなのに、妻に云われなかったら、絶対に気づかなかった・・・そのことにちょっと衝撃を受けました。別に物思いに耽っていたわけでもなければうつむいていたわけでもない。私は散歩中はできるだけ胸を張って前を向いて歩くように心がけています。なのに、全然気づかなかった。なんか、とても損をした(というか得をした)気持ちになりました。自分の人生の中で、すぐ横に存在しているのに自分の視界の中に入り込んでないために全く気づかずに通り過ぎてしまうことなんて、数え切れないほどあるのだろう。気づいていたら全く違う行動を起こして全く違う人生を送っていたかもしれない。今回、それを気づかせてくれたのは妻。逆のこともあるでしょう。そんなことを思うと、人生をひとりで歩んでいても得るものは限られていることに気づかされます。多くの仲間や家族や友人たちの中に一緒にいる方が、凝り固まった考え方や見方ではないものを得ることができるだろう。各人各様が皆同じ方向を一心不乱に向いていたのでは同じモノしか見えない。でも、各々があちこちよそ見しながらアンテナを張り巡らしていたら、全く違った目で全く違う情報を得ることができる。

そんなことを考えていたら、せっかくの虹だったのに願い事を祈るのを忘れました。

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インシデント

先日の休日、夫婦で買い物に行ったついでに久しぶりにお好み焼き屋に入りました。小さなテーブルの中央に鉄板があって、昼間から注文した生ビールのジョッキが卓の左端にちょこんと置かれました。やっとお好み焼きが焼き上がって皿に取り分けようとしたときに左腕がジョッキに触ってしまって・・・卓の縁から半分方落ちそうになったのを大慌てで押さえて事なきを得ました。狭い卓の向こう側でお好み焼きにソースを塗りつけたりするのに一生懸命だった妻は、わたしがココロもカラダも大慌てだったことに何も気づいていません。 最近はこんなことが相次いでいます。朝ご飯をよそうために左手に取ろうとした茶碗が一瞬宙を舞いそうになって必死に押さえて事なきを得たとか、スマホを取り落としそうになったとか、風呂の湯船から立ち上がろうして滑っておぼれそうになったとか・・・どれも独りのときの出来事だから、周りの誰も知らないし、わたしも他人に話そうとはしない。何事もなかったかのようなフリをしているけれど、内心ドキドキなのであります。

何か大きなアクシデントが起きる前に未然に防げた事象、というより、これがもしかしたら重大事故に繋がったかもしれない事象のことを『インシデント』と云います。医療現場ではむかしから『ヒヤリ・ハット』という云い方で定着しており、「何も起きずにふ(運)が良かった」というのではなく、この時点で対策を練って、「今後同じようなことを起こさないようにすることが大切だ」という概念です。それに従って考えたとき、わたしの一連のインシデントはどうしたら今後再発防止できるのか? 「注意して落ち着いて行動すればよい?」・・・いやいやこれはほとんど老化のなせる業だから、決して注意散漫だったとか焦っていたとかそういうわけではないことは自分が一番分かるから、ことはもっと深刻なのであります。

先日、もうすぐ10歳になる我が家の愛犬が家の階段を生まれて初めて踏み外して、ものすごいショックをうけていました。あれと一緒だよな~。今後踏み外さないように慎重に上ろうとしても同じことを起こすだろう(先代のワンたちがみんなそうだった)。後ろ足の力が衰えてきているからです。結局、どうしたら大事に至らないか? 狭い場所にこぼしそうなものは置かない。取り落としそうな作業を立ったままで行わない、そして階段を上らない・・・そんな方法しか残っていないのです。老化って、寂しいモノですね。

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