« 2018年10月 | トップページ | 2018年12月 »

2018年11月

まだ食べられる

先日、突然我が家の冷凍庫が壊れました。妻が冷凍食品を山ほど入れているために、やむを得ずすぐに電器屋に走り、ほどほどの値段の型落ち冷蔵庫を買ってきました。想定外の出費でしたが、まあちょうど10年目、寿命だったと諦めることにしました。

冷蔵庫を入れ替えるにあたって、中の食材を取り出してみると、まあ出るわ出るわ。こんなに突っ込まれていたのかと呆れるほどに冷凍庫にも冷蔵庫にも古い食材が一杯。上から新しいモノを投げ込むからか、それとも好きなものを大事に隠したまま忘れていたのかは分かりませんが、すでに期限切れのモノがたくさんありました。

「そんなの捨てたら良いんじゃない」と云うと、 「いや、勿体ないよ。火を通したらまだ食べられそうなんだよ」と妻。 義母も同じ事を云うらしい。「食べられるのなら、食べたらいいんじゃないの?」と返事すると、 「あなたのお弁当に入れようかな」とか云う。 「いやいや、ボクは食べたいわけじゃないし。食べられるとしても、もともとボクが食べたくて仕舞っていたものでもないし・・・お義母さんが『火を通せば食べられるよ』と云うんだから、お義母さんにあげたらいいんじゃない」「だめよ、年寄りでアキレス腱まで痛めてる(アキレス腱を切って現在装具を付けています)んだから、もしお腹壊してトイレに行かなきゃ行けなくなったら大変でしょ」「ボクなら良いんかい!」 ・・・みたいな、漫画のような会話をしまして、結局、潔く捨ててもらうことに決着したわけです。今回まさぐったから出てきたモノは存在そのものを忘れていたモノばかりなのだから、そのまま記憶からも現実の冷蔵庫の中からも姿が消えたとしても何ら問題はないでしょう。

だいたい、みなさん、必ず云う。「まだ食べられるものを捨てたら勿体ないよ」と。でも、「じゃあげるよ」と云うと「わたしは別に欲しくはない」と拒否する。他人事は、無責任。自分はそんな無責任なことを云わないようにしようと誓った今回であります。

| | コメント (0)

階段のふらつき

ここ3年くらいでしょうか。職場の階段を上っていると、3階あたりから急にふらっと眩暈がして後ろに倒れるのではないかという錯覚に襲われるようになったので、可能な限り手すりを握りながら上がるようにしています。わたしは、これは10年以上前くらいに起こした小脳梗塞の後遺症だと思い込んでいました。小脳梗塞があるから、時々急に平衡感覚がおかしくなるのだ、と。

でもなんか、違う気がしてきました。症状が起きるのがいつも3階以上になってからなのです。たぶん、下肢筋力の衰えと足の裏の筋肉低下による平衡感覚の衰えが原因だと思うのです。まっすぐ立っていてふらつくことはあまりないけれど、階段で前のめりに歩き続けていると普段使わない筋肉の力が補えなくなって、ふらつくのではないか。これこそが、スロージョギングの田中先生が昔からおっしゃっていた、老化のメカニズムそのものではないのか。

いかんいかん、こりゃ単なる老化だ。本当は絶対に後ろに倒れることはない のだと思うけれど、やっぱりなんか怖い。どうしたものか。単に体幹トレーニングを頑張っておけば良くなるモノなのだろうか。誰か教えてほしいわ。

| | コメント (0)

将来の夢

小学校時代の還暦同窓会を開催する気運が急に高まり、今月末に開催されることになりました。わたしは中学から地元を離れたので、なんと半世紀ぶりに会う人ばかりです。そんな中、「卒業の時に文集を作ったよね」という話になり、その文集に『将来の夢』を書いたことを思い出しています。

わたしはたしか、『パイロットになる』と書いたはずです。「将来の夢とか特にないなあ。きっと普通のサラリーマンになると思うなあ」と云ったら、「男の子なんやからもっと大きな夢を持たんね! わたしは、パイロットになって世界中を飛び回る人になってほしいわ」と、母が云ったのです。だから、「将来の夢はパイロット」と書いたのです。子どもの頃からわたしは”超”が付くほどの高所恐怖症で、田舎の小さな川にかかった橋の上から下を見ることもできなかったというのに、です(笑) 

「高所恐怖症なんてなりたいという想いが強ければ鍛えて克服できるものよ」と母は豪快に笑い飛ばしましたが、その後も高所恐怖症はひどくなることはあっても軽くなることはありませんでした。最近は少し軽くなった気もしますが、これは歳を取って若干鈍感になったせいではないかと思います。飛行機の窓から下を見ても全然大丈夫になりましたが、阿蘇の山越えをしているときに眼下に広がる町並みが目に入った瞬間から眩暈と動悸に襲われて生きた心地がしません。崖側の目をつぶって前だけ注視して早くその場を通り過ぎるのが常であります。

あのとき、母の夢だった『パイロット』を自分の将来の夢として書いたわたしは、もちろんパイロットなどには到底なれず、あの時ココロにもないことを書いたのを少し後悔しています。まあそれでも、子どもの頃の夢なのだから、『ただのサラリーマン』と書くよりは良かったのかもしれません(結局今は広い意味でのサラリーマンですけれど)。

| | コメント (0)

« 2018年10月 | トップページ | 2018年12月 »