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2019年1月

やりたいことがないままに

やりたいことがないままに60年。

「自分が若い頃にやりたかったことをどうしてもやりたくて仕事を辞めた」とか、「この歳になって初めて自分のやりたいことが見つかった」と70歳や80歳から色々なことを始めた方々のお話などを聞くにつけ、自分はいまだにやりたいことになど何も巡り合っていないなあとつくづく思うのであります。

小学校の時、卒業文集に「将来の夢はパイロットになること」と書いた私は極度の高度恐怖症児。母の息子に抱いた夢をそのまま書いてみただけ。本当は普通のサラリーマンになりたかったのだけれど、それにも特段の根拠なし。決められたことをきちんとこなせば生きていけるだろうという安易な考えを小学校から持っていたわけですが、それはとても甘い考えだったことを社会人になって理解しました。

精神科医になりたくて医学部を目指した」というのも、後でとってつけたはなし。当時は、「医学部に行ける成績なのに受験をしないのはもったいない」などという風潮があったから。一浪してまで医学部目指したけれど、国立大学以外は私立文系受験の私。もともと化学や物理に全く興味がなかったのだ(理系に進学しておいた方が潰しがきく、と周りの誰かに入れ知恵された気がする。両親かも)から。ま、今でも興味はないけれど、医学部が一番理系に遠い学問だったわけで、一応は妥協の選択か。

大学で演劇部に入ったのは、出身高校の先輩からラグビー部に引っ張られそうになったからだし、卒業後に地元の新設大学の医局に入局したのは、親元に帰るのが当たり前だと思っていただけだし。

還暦を超えて第二の人生の第一歩を踏み出したというところだけれど、さてさて、これからやりたいこととやらに巡り会うことは本当にあるのだろうか、なあ。

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レストランの食事の方が高カロリー?

高カロリーなのはファストフードだけではない/BMJ

以前、日本たばこが、「喫煙だけでは上昇しない発がん率が飲酒と一緒に吸うと有意に上昇する」というデータを出したことがありますが、もしやこれもその類いでしょうか(笑)

『外食のエネルギー量は、フルサービス食およびファストフード食のいずれもきわめて高く、むしろファストフード食のほうが低い傾向がある』
『モデル解析では、中国を除くと、現在のフルサービス食またはファストフード食を毎日1食摂ると、追加食や飲み物、間食、前菜、デザートを摂らなくても、あまり体を動かさない女性に求められる1日のエネルギー量の70~120%が供給される可能性が示唆された』
『一般的な思い込みに反し、ファストフード食のエネルギー量は、フルサービスのレストランの食事よりも3割以上も低かった』

要するに、栄養過多になる原因がファストフードのせいだけではなく、レストランで提供されるメニューのカロリーはむしろファストフードのそれよりも高いことも多い、といっているようです。まあ、外食で金払って食事する以上、最初から低エネルギー食を食べようと思ってレストランを選択しない限り、家で食うものよりおごちそうになるのは当たり前だし、そんな豪華さがないとお客は増えないし、低カロリーで腹いっぱいにさせる料理は割高だけど、低料金で満足いく内容にさせるにはファストフードで使用する材料で作った方が割が良いことも当たり前。最近ヘルシー志向がブームだとはいえ、フルサービスの外食ではこれは致し方ないのではないかと思います。

「だから、ファストフードの方がむしろ健康的なんだよ」と強調されると、本末転倒。「目くそ鼻くそを笑う」ってやつですね。

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ノンシュガー甘味料

ノンシュガー甘味料の健康への影響~メタ解析/BMJ

『ドイツ・フライブルク大学のIngrid Toews氏らによる無作為化/非無作為化比較試験および観察試験のシステマティックレビューとメタ解析の結果、ノンシュガー甘味料(non-sugar sweeteners:NSS)の摂取群と非摂取群とでほとんどの健康上のアウトカムに差はみられないことが示された』とありますが、さて、CareNetに掲載された、この論文は何を云いたいのか? 人工甘味料に発がん性があるとか、かえって太りやすいとか糖尿病の発症を抑えられないとか、そういうアンチテーゼに対する反証研究でしょうか。

過体重/肥満の有無にかかわらず一般的な健康成人/小児を対象に、ノンシュガー甘味料の非摂取/低摂取と高摂取を直接比較した研究のシステマティックレビューで、体重/BMI、血糖コントロール、口腔衛生、摂食行動、甘味の好み、がん、心血管疾患、腎疾患、気分、行動、神経認知機能、有害事象を評価したところ、ほとんどで両者に差がなかったそうです。

これって、どうなのでしょう? 差がないと云うことは、ノンシュガー甘味料は安全で有用な代替物質だと云いたいのか、それともそんな姑息な方法をとらなくても普通にシュガーを食えばいいと云いたいのか? 目的は前者なのだと思うのですが・・・なんとも切れ味が悪い印象で、わたしが長年抱いてきた人工甘味料への不信感(不要感)は少しも拭えませんでした。

残念。

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腸内細菌叢が環境に対応するのは悪いことなのか?

腸内細菌叢の"西欧化"で肥満リスク上昇

”欧米以外の国から米国に移住した人では、腸内細菌叢の多様性や機能が変化して西欧化することが、東南アジアからの移民を対象とした研究で示された。米・University of MinnesotaのDan Knights氏らは、腸内細菌叢の西欧化は肥満などの代謝性疾患の罹患リスクを高める可能性があるとCell(2018; 175: 962-972.e10)に報告した。” (Medical Tribune 2019.1.17配信)

東南アジアの人種がアメリカに移住すると、すぐに腸内細菌叢が変化して太りやすくなる、という研究発表です。昔から、生活習慣病は生まれもっての遺伝因子よりも生活環境の影響の方が大きいことは云われていて、たとえば日本に住む日本人とアメリカやハワイに移住した日本人では、糖尿病や肥満症などの発症が明らかに移民に多いことが示されてきました。これは、もともと農耕民族として飢餓を生き延びてきた遺伝因子がその環境下で本領発揮できるように仕組まれているので、食事や生活が欧米化すると欧米人のカラダのような対応ができないからだと説明してきました。

ま、それを裏付けるデータと云ったら良いのでしょうか。でも、『米国への移民の腸内細菌叢では急速な変化が認められた。移住後最初の6~9カ月間に、食物繊維の分解作用が強いPrevotella属の細菌が優位な状態から、Bacteroides属の細菌が優位な状態に変わり始め、このような変化は米国に移住後10年間続いた』『人は新たな国に移動すると、新たな腸内細菌叢を獲得し、その人が持っている微生物種だけでなく、酵素も変化する。それによって、消化できる食物の種類に影響が及び、食事による健康への影響も変わる可能性がある』ということは、東南アジアの人種のカラダがアメリカの生活に慣れるために腸内細菌叢の入れ替えをする、ということに他ならず、それは環境に適応して生き延びるための防衛本能ではないのでしょうか。だとしたら、「決して悪いことではない」ということになるし、「腸内細菌がアメリカ型に入れ替わったから肥満になった」というのであればむしろアジア人の食事が欧米化したことよりも、欧米食の存在が悪であるということが強調されるべきなのではあるまいか。

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格言の解釈

あれはSNSだったか、どこかの立札だったか、忘れましたが・・・わたしのスマホのメモ帳の中にメモしてあるコトバがあります。

ハードルは高ければ高いほどくぐりやすい

ハッとするでしょ? 「なるほど」と。で、何がなるほどか?と自分を問うてみる。わたしは、「高いハードルに恐れおののいて『到底自分では克服できない』と諦めてしまいがちだけれど、よく考えたら、もっと簡単に抜けられる道は全然違う所にあるものだぞ」という発想転換の大切さの格言だと思いましたが、ネット検索してみると、「行く手を阻む障害も、より大きな目標を立てる事で、新しい解決法が見つかる」とか「大きすぎる目標は、努力をする気力がなくなり、ずるをして結局なにも残らない」とか「目標を掲げ努力し、達成感を味わえる程度のハードルを掲げるべき(身分不相応な目標は掲げるべきではない)」とか、あまり前向きな解釈ではない意見が多くて驚きました。

このコトバは、浄土真宗本願寺派延立寺というお寺の掲示板に掲示されていたものだと紹介されていたので、ふとその延立寺を調べてみたくなりました。「えんりゅうじ」というらしい。東京都八王子市にあるお寺で”他力本願に生きる寺”というページをみつけました。浄土真宗の教えはとても腑に落ちる感覚を抱かせるので好きです。「幻と闘わないでください。あなたが今闘っているのは、あなた自身が作り出した幻ではありませんか。切に願います。幻と闘わないでください・・・」とういう文章に目が留まりました。くだんの格言は、この中の『ちょっと心に引っかかったことば』というページにあります。ご住職が出会ったコトバを集めているようですね。これが門前の掲示板に書かれていたのでしょう。面白そうなので、今度時間があったら読んでみたいと思います。

法話のようなもの』『坊守日誌(ぼうもりにっし) 』・・・ちょっと、ハマりそうです。

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これ以上はムリじゃ

今年のダイエットトライアルも2カ月近くが済みました。

2キロしか減らなかった去年とは違って、今年は腹を引っ込めるために、「とにかくやせる」と目標に始めたのですが、まだ1キロちょっとしか減ってない。昨年末に2キロ減まで達した時には、「チョロいもんだ」と思ったけれど、そうはいかなかったわ。

中間面談で、「これから何かやり直すか」を保健師さんと考えてはみたけれど、これは、「これ以上はムリだな」という結論になりました。たぶん、5、6年前にライフコーダを身に付けて毎日体重を測るだけで10キロも15キロも減ったのは、そういう代謝だったし、それだけエネルギーが余っていたのだと思うけれど、ここ数年はもはや失うべきエネルギーが多くなくなったのだと。それはエネルギーバランスがちょうど均整とれているということなので、もし今から5キロ以上体重を減らしたかったら、毎日20キロ走るとか、夕食のごはんを一切食べないとか、そういうことをするしかないと思う(現に、同僚のドクターでマラソンに目覚めた連中は皆が皆想像以上に細いカラダに変貌している)。夜のワンの小一時間の散歩を止めて職場のフィットネスジムでエルゴメータを30分間走るようにするだけでも体重は減るかもしれない。

残念ながら、自分のカラダを使ってそこまでの人体実験をする気にはなれないのよね。

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ドア

感染予防と言う目で見ると、現代社会は素晴らしい時代なのかもしれません。

ドアが自動ドアで、トイレに入っても蛇口に手を近づければ触らなくても水が出てきて、そのまま手を器械に突っ込むと風が出てきて手を乾かしてくれる。何も接触しなくていいなんて。この、インフルや胃腸炎が猛威を振るっている昨今では、人が触ったモノに触れることなく日常を過ごせるのが如何に安全で健康なのかを痛感することしきり、ではあります。

職場の病院を昼休みに見回り運動する習慣のわたしですが、鬼門は手すりだけではありません。随所にあるドア。近付くだけで開いてくれる自動ドアは佳し。押すだけのドアもまあ端の方を触ることで何とかクリア。でもドアノブを触らないと開けられないドアの前ではちょっと躊躇してしまいます。最近のドアノブは回すヤツじゃなくて押し下げるタイプが主流だけれど、それでも10センチほどのその小さなドアノブは、皆が同じポイントを押すしかない構造なのだ。こればかりは如何ともしがたい。

社会に出てみると、電車の切符売り場もお金を財布から取り出して自販機に投入して目的のボタンを押して切符を取り出して・・・その工程でどれだけ不特定多数の手を経てきたモノに触れることになるか。電車の手すりやつり革。エレベーターに乗っても(わたしはほとんど使わないけれど)、目的階のスイッチを押さねばならぬ。そりゃあ、無尽蔵に手洗いしたくなるわな。

昔の方が、今より無頓着にあちこちをベタベタ触りまくっていたし、うがいや手洗いなんかしていなかったのに、今ほどインフルが怖い存在ではなかった気がするのですが、それはなぜでしょう。今のインフルは昔のインフルより耐性ができて強くなったのだろうか?それとも、「インフルなんて風邪がひどくなったようなもんさ」と誤解していたのがかえって良かったのか? 「無知の方が強い」ってこと、たしかにあるからねぇ。

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『繋がっていること』

もう断ろうかと思っていたけれど、ちょっと急な要り用があって原稿料欲しさに継続を引きうけてしまった連載コラム(笑) 1月号が発行されてしまいました。もうネタがないので、姑息ですが、これからは、ここのブログに出したものをアレンジしまくってアップしたいと思います。今回は1年以上前に下書きしたモノをこっそり盛り込みました。

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『繋がっていること』

昨年秋の週末、夕方から南阿蘇で行われたイベントに参加しました。熊本地震でキャンパスを失った大学生や地元の皆さんが中心になって一昨年の春に開催した復興イベントの第二弾です。晩秋の阿蘇の夜はさすがに肌寒かったけれど、全国各地から集められたメッセージを貼った無数の灯籠の灯りが暗闇の中に揺らめいて、とても凛とした空間を作り出していました。

もうすぐ、未曾有の大地震から3年になります。この世のものとは思えないような歪んだ風景が更地に変わり、そこに新しい建物が建てられたり、あるいは主を失った地面が雑草に埋もれたり・・・眼に映る街並みは昔のそれとはまったく別物になりました。そこには3年前には別の空間があり、各々の生活があったはずだけれど、もはやその事実すら記憶から消えていこうとしています。仮設の新しいコミュニティの中で明るさを取り戻した人もいれば、みなし仮設のアパートで孤独死した方の悲しいニュースもありましたが、今ではそんな話題すらほとんど表に出なくなりました。自分の意思とは無関係に大きな力で変えさせられた人生の渦の中で、“独り”が如何に弱いかを痛感しています。

「切れたモノを繋ぐのはものすごく難しい。でもほんの少しでも繋がっていたら次に進める。そんな想いでこのイベントを企画しました」・・・くだんの復興イベントを開催した初代実行委員の学生さんが想いを語るのをラジオで聴いたのは一昨年の春でした。その通りだ! 完全に切断されてしまった神経をつなぎ合わせるのは神の手を持つスーパードクターでも容易ではないけれど、少しでも繋がっていればそこから生き返る可能性がある。切り倒された樹木は枯れるけれど、深い傷を負っただけの木はむしろ前より逞しく生い茂る。ラジオから流れる熱い想いを聴きながら何度も相槌を打ったことを鮮明に覚えています。関わり合いが消えてしまったら終わり・・・被災後に避難所巡回をした時に“声をかけること”が如何に大きな力になるかを実感した私なのに、想いは徐々に萎えていきました。被災した直後は、今まで挨拶すらしたことのない近所の若者や老夫婦と身内の様に肩を寄せて励まし合ったのに、あの時の“お節介と図々しさ”の大切さを忘れてしまおうとしています。

夜風が冷たくて、暗闇の中にしゃがんで灯籠のひとつひとつのメッセージを読んでいるうちに寒さが骨身に凍みてきましたが、屋台の温かいスープをいただきながら隣に座る見知らぬ家族とあいさつを交わしたら、思いがけず温かい気持ちになりました。“繋がる”ということ、その意味を改めて考える機会をいただいて、わざわざ遠くまで足を運んで良かったなと思いました。

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果糖は悪玉か?

もうひとつ。興味のある栄養のはなし。

高カロリー飲料やお菓子はなぜ危ないか メタボや糖尿病の原因糖質が判明

”清涼飲料や菓子類などに含まれる「果糖(フルクトース)」が、2型糖尿病や肥満、心血管疾患のリスクも高めているという研究が発表された”というものですが、はて、犯人は『果糖』ですか?

いやちょっと驚いているのは、果物に含まれる糖質=「果糖(フルクトース)」は、ブドウ糖のように血糖値を跳ね上げて糖代謝を悪化させることはない、と云われていたような気がしたからです。この本文の中に、「フルクトースは、ほとんどが肝臓で代謝されるため直接には血糖を上げないが、肝臓で中性脂肪などに変換され、余分なものが脂肪として貯蓄される」とか、「フルクトースは果物にも含まれるが、果物それ自体が2型糖尿病や肥満を引き起こすことは少ない」「フルクトースを含む果物は、それらが過剰なカロリーを供給するのでないかぎり、血糖コントロールには有害な影響を及ぼさない」という記述がありましたから、わたしの知識は間違いではなかったようです。

ただ、問題は現代社会で果糖(フルクトース)を摂取する源は、多くはコーラやジュースなどの清涼飲料や、お菓子やスイーツなどの加工食品だということのようです。「フルクトースは、ジュースや菓子などに含まれるコーンシロップ(果糖ブドウ糖液糖)が主な摂取源で、フルクトースを単体で摂取することはほとんどない。これらの高カロリーの加工食品の多くは、栄養的に貧しく、血糖値に有害な影響をもたらす」ということは、要するに、直接の敵は果糖ではないということなんじゃないのかしら? 

まあ、最終的に、だからといって、「スクロース(砂糖)の替わりに用いる低カロリー甘味料は、糖尿病や肥満のある人も安心して利用できるものです。低カロリー甘味料は食事のカロリーのコントロールや、体重のコントロールに有効です」という方向に結論を出しているのには到底わたしは同意できません。

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超悪玉脂肪酸

相変わらず毎日のように供給される栄養学の情報。ホント、情報に翻弄されてしまいます。私たちですらそうなのだから、一般市民の皆さんは大海に浮かぶ小舟のようにただただ漂うだけの現代社会なのかもしれません。

今年になって配信された情報の中からちょっと気になったモノを紹介してみます。まずは、これ。

知らずに食べている超悪玉脂肪酸、動脈硬化学会が警鐘
”超悪玉コレステロール”はsmall dense LDLという小さなLDLコレステロールのことですが、”超悪玉脂肪酸”といえばトランス脂肪酸のこと。もう10年以上前からその筋では騒がれていましたが世間で認知度を高めたのは数年前だったでしょうか。よく、マーガリンとバターの比較で論じられてきました。トランス脂肪酸は液体の植物油を工場で食品加工して固形油に変換する時に生じるものです。「脂肪は動物由来よりも植物由来の方が動脈硬化を起こさない」という理由でバターよりマーガリンの方がもてはやされていたのに、マーガリンは製造過程で液体植物油を固体に変換するためにトランス脂肪酸が生じることが報じられて以降、急に「やっぱりマーガリンよりバターの方が健康的だ」という風潮に変わったりしたことを覚えているひとも多いのではないでしょうか。

「トランス脂肪酸と飽和脂肪酸を同量摂取して比較した場合、トランス脂肪酸は飽和脂肪酸と比べ動脈硬化の発症を10倍も増やし、糖尿病の原因となるインスリン抵抗性の悪化などを引き起こす」
「現時点では日本人において、直接その有害性を証明した根拠が少ないという理由で、日本では超悪玉脂肪酸が普通に食品に含まれていても許可されている」
「トランス脂肪酸摂取量がLDL-C値や中性脂肪値と正相関、HDL-C値と逆相関することがわかった」
「トランス脂肪酸の血中濃度とBMIや年齢の関係を見ると、高齢者(75歳以上)ではメタボ有無による差はないが、若年層(60歳未満)のメタボ群では有意に血中濃度が高値を示した」

まあ、トランス脂肪酸は動脈硬化を進めることに疑う余地はなく、食品製造の過程でそれを作らせない努力をするべきであることは明白なのですが、含有成分表示が義務化されているアメリカと違い、日本は曖昧な表示。どうも、農林水産省が消極的だからのようですね。「農林水産省は、ホームページに“食品中のトランス脂肪酸を減らす努力をしています”と記載していながらも、“トランス脂肪酸だけを必要以上に心配せず、脂質全体の摂取量に十分配慮”と記しているので、トランス脂肪酸摂取による健康被害に根拠がないとも読み取れる説明文を掲げている」という指摘がされていました。

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気になるとどこまでも

わたしの居住区でも、いよいよインフルが猛威を奮い始めました。まわりには本人や家族が罹ってしまったというヒトだらけです。まるで、ゾンビに侵された街に住んでいるような心境です(笑)

基本的には過剰な消毒をすることを否定しているわたしです。病人を相手にしているわけでもないのに一般家庭で消毒液などを日常的に使う家庭の若者ほどアレルギーやアトピーの体質が多いことは明白で、必要もなく消毒することで、本来バリア機能のしっかりしていた皮膚を無意味に傷つけているのだから、せめて一般家庭では流水でしっかり手洗いするだけにしてほしい、と思っている派です。

でも、そんなわたしでも、やっぱり最近はそうも云ってられなくなりました。小脳梗塞があって下肢筋力が老化してきているから、階段の昇降では手すりを握らないとふらふらして不安でたまらないのですが、その都度、この不特定多数が触りまくった階段の手すりとか、大丈夫なのか?と考えます。街のスーパーや量販店に行って買い物かごや買い物カートを握っただけで、インフルが移るとしたらこんなんじゃないか?とか考えてしまう。インフルは飛まつ感染なのだから、患者さんの唾や鼻水が飛び散らなけりゃ大丈夫と思いがちだけれど、そんなヒトが買い物中や街中歩行中にくしゃみや鼻水を両手で触ったとしたら、絶対に移る。それを自分の口に当てなけりゃ大丈夫だけれど、家に帰るまでに、スマホはいじるし、ヘタすると袋菓子なんか食うかもしれない。無意識に顔なんか掻くクセがあるかもしれない。

なんてなことを妙に気にし始めたわたしであります。今日は試しに職場の階段の手すりに触らずに歩いてみようとしたけれど、数段で断念。そんなの無理だ。結局自分の診察室に帰ってきてから早速サニサーラ(アルコール手指消毒剤)たっぷり付けてべちょべちょにさせて一安心。これで、月末のお江戸の学会出張やらその次の週の関西出張やらを控えていることを考えると・・・超憂鬱であります。感染しない方が異常じゃないの?って。

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食べる、を考える(2)

(つづき)

見失わないでほしいのは、やはり糖尿病になったりコントロールの悪い高血圧症が続いたりすれば心筋梗塞や脳卒中は明らかに起こりやすくなりますし、LDL(悪玉)コレステロールが多くなれば動脈は壊れやすくなりますし、メタボのお腹は確実にアデポネクチンを減少させるのですから、そういう現代病にかからないですり抜けていく努力はしておいた方が無難であることに何の変わりもないということです。

でも、そのための食事や運動の仕方をこれほどまでに毎日テレビや雑誌で繰り返しているのは、やり過ぎではないかという気はします。もしや国の施策なのかもしれません(むかし”メタボ”を普及させるために意図的にマスコミに露出を増やさせたように)が、ちょっとマニアックになりすぎてはいないでしょうか。「あれが良い」と医者が云えばそればかりに飛びつき、「それは違う、むしろ良くない」と云われれば突然それを止め、「いやいやそんなことはない」と反論が出れば、「本当はどっちなんだ?」と半ギレになる。まじめな国民性のなせる業なのかもしれません。「病気にならないために人生を送っているわけではない」ことを忘れないで、「健康的な生活は自分の楽しみを犠牲にするものではない」ということを意識しながら、エンジョイして欲しい。そう思うばかりです。

納豆がカラダに良いのは、だれもが分かっていること。なのに、昔、有名な健康番組で納豆の効果を謳ったらスーパーの納豆が全部品切れになるくらいのブームになったのに、データねつ造が発覚した途端に納豆を買う人がいなくなった・・・あれは、まさしく日本人の国民性を物語っている気がします。最近やっと、再び納豆の良さが普通に語られるようになりました。良いモノは良いんです。別に納豆がキライな人が無理して食わなくても良いけれど、納豆が好きな人は堂々と食ってください。ねばねば食材に悪いものなんてありません。

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食べる、を考える(1)

糖尿病学会が食事療法の在り方について大きく見直す方向であることは先日ここに書きました。すでに欧米では、コレステロールについても脂質の食事制限は大きく緩和され、基準値の見直しもされました。今、生活習慣病に対する食事の摂り方の指針が抜本的に変えられようとしています。それはなぜかと云えば、検査値を良くするために生活や食事に厳しい制限を加えて、いままでその筋の専門家やエライヒトが学問的な理論や経験則から考えて決めていた基準値を達成できたとしても、引き起こされる病気自体の改善やそれによる心筋梗塞や脳卒中などの合併症の軽減にあまり効果がない(あるいはむしろ悪化する)という臨床結果が次々と発表されたからです。

それでは何のために努力してきたのか。もちろん、病気の発症予防とか、医療者が好きな”重症化予防”とかのための努力であり、それが目的で保健師さんたちはココロを鬼にして受診者や住民の各々に叱咤激励してきたわけですし、当の本人も日々健診結果の数値を良くするために食いたいモノも食わずにしたくもない運動をせっせと行って修行僧のような人生を強要されてきたわけです。特保にひっかからないように必死にやせようと努力もしたでしょう。各学会を代表するその筋の専門家たちはテレビで必ず「病気にならないようにするには・・・に注意しましょう」「・・・すればやせられます」という口調で運動と食事と睡眠の大切さを口にしますし、以前とは比べものにならないくらい健康番組があふれていて、しかもどの番組も、「健康長寿にはこの食材がいい」とか「〇〇には△△という栄養素が含まれているからカラダにいい」とか、どっかの研究所か専門学校の講義かというくらいに細かいことを、『健康』信者として何でも盲信する視聴者に対してまことしやかに語っています。ところが、予防のための食事の摂り方の理論そのものが覆されそうになっていて、そのために何でも信じていた国民はみんなアタフタする羽目になってしまったわけです。  (つづく)

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若返り

わたしは、自分で云うのも何ですが、年齢より若く見えると思います。さすがに皮膚が萎んできたので「50歳です」とは云われないけれど。子どもや孫がいないから、社会的に”おとうさん”とか”おじいちゃん”とか呼ばれるプロセスがなかったことも大きな要因だと思いますが、その他には、職場の私を取り巻く環境に若い人ばかりいることも大きな要素でしょう。連続性のある仕事の中で、自分は若い頃のまま歳を経ただけだという感覚がいまだにあって、だから「先生、カラダ大丈夫ですか? あまり無理されませんように」とか云われるとちょっとムッとしますし、他の医療機関を受診したときなどに「明らかに年寄り扱いしとるやろおまえ」と思える態度を医療スタッフから取られると心外な気持ちになるモノです。それともう一つ、中学時代の同級生の宴会にことある事に参加していることも要因でしょうか。同じように歳は取っているけれど、幼なじみと楽しく歓談しているとすぐに当時の若かった頃の感覚に戻ってしまうからです。昨年は半世紀ぶりに小学校の同級生とも会えました。まさしく、会話は当時を思い出すエピソードばかり。こういう振り返りは明らかに脳を若返らせます。

さて、この2つ・・・『周りが若いから引っ張られて自分が若いと錯覚する』というのと『若い頃の友人と何度も会って気持ちが若い頃にさかのぼる』というの・・・どちらが若返り効果としては上なのでしょうか。若い人たちと話していると若いエネルギーを吸収できている実感はあるけれど、代わりに時々浴びせられる”あなたは本当は年寄りよ”ビームが思いの外痛かったりします。同級生と小学校や中学校時代にココロが戻るのは楽しいけれど、結局最終的に出てくる話題は持病や病院通いのことや老後の不安や親の介護の問題・・・途端に現実に引き戻されるのも常です。

ま、若さを保とうと思ったら、周りが何と思っていようと、「ワシは若い」と云い切る意気込みと執念!ですかね。

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食事療法の見直し(2)

(つづき)

●荒木 厚氏(東京都健康長寿医療センター/日本老年医学会):J-EDIT試験の結果から、「ビタミンD低下はサルコペニア、ビタミンB2やカロチン摂取低下は認知機能低下、タンパク質摂取低下は筋肉量および下肢機能低下などのフレイルに関連する」
「タンパク質1.0g~1.5g/kg体重の摂取がサルコペニアの予防に大切である」と指摘。
「後期高齢者はタンパク質摂取が低い群で死亡リスクが高くなる。さらに、緑黄色野菜の摂取量がHbA1cや中性脂肪値にも影響する」とも指摘。

●山田 悟氏(北里大学北里研究所病院糖尿病センター):「現在の治療法は、高血糖ではなく肥満の治療法である。非肥満患者に肥満治療食が提供されていてナンセンスである」
「理論的意義も実際の有効性も安全性も担保されていない」
ハーバード大学におけるメタボリックドミノの新モデルでは、糖質の過剰摂取が最上流として着目されており、「日本人の糖尿病食事療法にエビデンスのある、多様な食事法の導入を目指していくべき」と提言。

●綿田 裕孝氏(「食品交換表」編集委員会委員長):食品交換表は、「現代社会において簡単に使いやすい、いろいろな食習慣・環境の人が使えるという定義どおりのものになっているかどうかは疑問が残る」と指摘し、管理栄養士の40%は食品交換表は利用しないという。
なぜなら、「食事療法の対象となる患者のうち、調理する習慣がない、調理ができなくなった、中食・外食・コンビニ利用者が約90%占めるなど、現代の患者背景を考えると、調理を基盤とした食品交換表を使用するのが困難である」から。

何とも、わかりやすい指摘ばかりです。そのうち、これを元にして「糖尿病診療ガイドライン2019」が策定されるでしょうから、乞うご期待。

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食事療法の見直し(1)

年末にCareNetから配信された日本糖尿病学会の『食事療法に関するシンポジウム』の報告記事<食事療法の見直しへ日本糖尿病学会が動き出す>を痛快な気持ちで読みました。

これまでの糖尿病治療に対するアンチテーゼが提案されていました。全部は紹介できないので、面白かったコトバだけコピペしてみます。

●宇都宮 一典氏(食事療法に関する委員会委員長):「これまで、標準体重を基に一律に総エネルギー摂取量を設定してきたが、エネルギー必要量には個人差が著しく、個々のさまざまなデータ(脂質、血圧など)の改善度を評価し、順守性もみながら設定すべき」
そもそもBMI22を基準にする根拠がない。国際的には、下記のようなエビデンス。
1)患者の死亡率が低いBMIは20~25の幅があり、また、75歳以上の後期高齢者の場合、そのBMIは25以上
2)体重が増えるほど消費エネルギーは増加し、肥満者ほどエネルギー設定との乖離が増す

●勝川 史憲氏(慶應義塾大学スポーツ医学研究センター):「糖尿病患者のエネルギー必要量は健康な人と差がない、もしくは5~6%程度高め」であり、「現在の過少なエネルギー処方が、減量の不良や高齢者の虚弱に繋がる」可能性がある。
「太った人の食事調査ほど当てにならない」ともコメント。
「戦後間もない時代はMサイズの卵が80kcal/個だったのが、現在は同サイズが100kcal/個へと大きくなっている」というコメントも面白い。

(つづく)

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けんか腰のヒト

人間ドックの業務をしていて感じるのですが、昔のようにけんか腰で食ってかかるヒトがいなくなった気がします。もちろん、事務方やフロアアテンダントのお嬢さんや保健師さんに対しては頭ごなしに怒鳴ったりブスッとして返事もしないヒトがたくさんいることは知っています。そんなヒトでも、医者を前にすると何も云わないということは昔からよくいわれています。それでも以前は、わたしが結果説明をしていたり診察をしたりするときに、突然切れるヒトとかずっと不機嫌そうな態度のヒトとかがそれなりにいたのです。それなのに、ここ数年、そんなヒトにひとりもお目にかからない。

たまたまそういうヒトに当たらなかっただけなのかとも思うけれど、もしや、わたしが自分の思っている以上に年寄りの風貌になってきたからなのではないかとか考えたりします。若造の頃の方が云っていることに自信はあったけれど、相手からすると鼻につく偉そうな云い方だったのではないか。歳と共に知識に対する自信が失せてきているから自ずと言葉遣いが柔らかくなって、あたかも経験のある名医に説明を受けているような錯覚にとらわれているのではないか・・・そんな気がしています。それはそれで困ったモノだ。買いかぶってはいけない。こんないい加減な人間の云うことを素直に粛々と聞いてもらった挙句にありがたがってもらうと、本当に恐縮してしまいます。

先日、高校の時の恩師(現在は大きなお寺の住職)から電話をいただきましたが、齢80歳になる恩師の云うには、「坊さんのはなしは、若い者より私のような老いぼれが話した方がありがたみがあるらしい」とか。医者はそうであってはいけませんが、少なくとも受診者さんより年上であることは強調しておこうかな。

何はともあれ、お金払って聞いてくれるわけだから、もっとマジメに勉強しなければいけないな、と思う今日この頃であります。

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爪切り

実質的に本日が2019年の仕事始めでした。

朝礼の後、持ち場の4階に上がろうと階段にさしかかったところで、指の爪がちょっと伸びていることに気づいて引き返しました。事務所のわたしのデスクに置いてある爪切りでパチンパチンと音を立てながら爪を短く切るのが、わたしの年頭の初仕事になりました。

爪を切りながら、ふと遠い昔に読んだOLさんの上司に対するグチ話を思い出しました。 「朝来たら、何もせずに朝刊を読んでいたかと思ったらおもむろに爪を切り始める定年前の上司。仕事中に爪なんかつむな! 爪くらい、家でつんでこいよ!」とかいう厳しいグチ。なるほどなぁ、とか思いながらそれを読んだ記憶が蘇って、朝からひとりで苦笑い。

まあ、仕事柄、職場で爪切りをする同僚や上司は少なくなく、特に外科系の先生方は頻繁に爪切りをしていました。一日の仕事の始まりが爪切りという習慣のドクターもたくさん知っています。いや、別に今日のわたしの行動を正当化したいわけではありません。年末から、指を見る度に「爪切らなきゃ」と思っていたのです。で、「帰ってから切ろう」「これが済んだら切ろう」と思うのだけれど、その都度すっかり忘れてしまう・・・その繰り返しだったのです。だから今日は、階段を上り始めてから敢えて引き返しました。「今やらなかったら、また絶対に忘れる」と思ったからです。

この歳になると、本当に、その刹那刹那で脳細胞は”覚えておく”という行為を事も無げに放棄します。「それ、今じゃないといけないの?」とよく妻が不満げに反論しますが、少なくともわたしの場合は、「今思ったことは今解決させなければもう1分後には消えてなくなっているのだ」と肝に銘じて、「今じゃないといけない」と確信を持って行動することにしております。

 

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体重はいつ減る?

体重って、いつ減るのだろう?

そういう疑問を抱く事はありませんか。そもそも、『体重はいつ増えるのか?』ということも話題になりますが、こっちは何となくわかる。『質量保存の法則』に従えば、食べた直後の体重は食べたものの重さ分だけの足し算だけど、これが水分とエネルギーに分かれていき、エネルギー分は使えば消えるし、使わなければ脂肪細胞に換わっていざという時のために蓄えていくのだから、地道な蓄積・・・毎日マジメに貯金するコツコツタイプの増え方だと想像がつきます。

でも、減るのはいつか?を考えると、ちょっと悩みませんか。ダイエットを頑張って、徐々に痩せるのだとしても、増える時のように直線的に減っていっているわけではないことは実感で分かります。減る時はあるとき、ポンと減る(まあ、増える時の方が早いけど)・・・わたしは密かに、夜寝てる間に細胞内の収支計算があって、コンピュータの断片整理みたいな処理が行われて減っていくのではないかと考えています。いや、学問的なことは存じませんけれど。

フィトネスジムで運動の前後で減った体重はすべてが単なる水分だし、睡眠不足になるとグレリンとかレプチンとかのホルモンが暴走して太りやすいとかいうし、じゃあ、体重測定は夕方の夕食前に測るのが一番軽いのかというとなんかそうでもない印象を受けます。

でも、正月休みに朝食食わずに朝一で測っても軽くなかったなぁ。

 

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小吉

今年も正月2日に初詣。うちの地区の氏神様は雨宮神社。その元締めの健軍神社でおみくじを引きました。

小吉

    軒のはの 
    嵐の風は 
    さわげども
    春を覚ゆる
    家の内哉

心を平和にして 親類縁者に交われば 争い事もなくなってよく一家和合し他所には困ることがあっても自分の家は春風が吹く様です 他人の為に尽くしなさい

願望 思いのままです他人の世話よくせよ
旅行 早くしてよろし
商売 利あり損はなし
学問 決心が足りない勉学せよ
相場 買え先で利あり
争事 勝つ 人に頼むが吉
病気 なおる よき医者にたのめ

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基本的に、これからのわたしの役目は『自分は大丈夫だから、とにかく”他人に尽くせ”』ということですよね。そのためには、
『学問 決心が足りない勉学せよ』ですよね。

で、他人に尽くしながら、
『争事 勝つ 人に頼むが吉』
『病気 なおる よき医者にたのめ』
他人に頼れってことですよね。

御意。

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