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『繋がっていること』

もう断ろうかと思っていたけれど、ちょっと急な要り用があって原稿料欲しさに継続を引きうけてしまった連載コラム(笑) 1月号が発行されてしまいました。もうネタがないので、姑息ですが、これからは、ここのブログに出したものをアレンジしまくってアップしたいと思います。今回は1年以上前に下書きしたモノをこっそり盛り込みました。

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『繋がっていること』

昨年秋の週末、夕方から南阿蘇で行われたイベントに参加しました。熊本地震でキャンパスを失った大学生や地元の皆さんが中心になって一昨年の春に開催した復興イベントの第二弾です。晩秋の阿蘇の夜はさすがに肌寒かったけれど、全国各地から集められたメッセージを貼った無数の灯籠の灯りが暗闇の中に揺らめいて、とても凛とした空間を作り出していました。

もうすぐ、未曾有の大地震から3年になります。この世のものとは思えないような歪んだ風景が更地に変わり、そこに新しい建物が建てられたり、あるいは主を失った地面が雑草に埋もれたり・・・眼に映る街並みは昔のそれとはまったく別物になりました。そこには3年前には別の空間があり、各々の生活があったはずだけれど、もはやその事実すら記憶から消えていこうとしています。仮設の新しいコミュニティの中で明るさを取り戻した人もいれば、みなし仮設のアパートで孤独死した方の悲しいニュースもありましたが、今ではそんな話題すらほとんど表に出なくなりました。自分の意思とは無関係に大きな力で変えさせられた人生の渦の中で、“独り”が如何に弱いかを痛感しています。

「切れたモノを繋ぐのはものすごく難しい。でもほんの少しでも繋がっていたら次に進める。そんな想いでこのイベントを企画しました」・・・くだんの復興イベントを開催した初代実行委員の学生さんが想いを語るのをラジオで聴いたのは一昨年の春でした。その通りだ! 完全に切断されてしまった神経をつなぎ合わせるのは神の手を持つスーパードクターでも容易ではないけれど、少しでも繋がっていればそこから生き返る可能性がある。切り倒された樹木は枯れるけれど、深い傷を負っただけの木はむしろ前より逞しく生い茂る。ラジオから流れる熱い想いを聴きながら何度も相槌を打ったことを鮮明に覚えています。関わり合いが消えてしまったら終わり・・・被災後に避難所巡回をした時に“声をかけること”が如何に大きな力になるかを実感した私なのに、想いは徐々に萎えていきました。被災した直後は、今まで挨拶すらしたことのない近所の若者や老夫婦と身内の様に肩を寄せて励まし合ったのに、あの時の“お節介と図々しさ”の大切さを忘れてしまおうとしています。

夜風が冷たくて、暗闇の中にしゃがんで灯籠のひとつひとつのメッセージを読んでいるうちに寒さが骨身に凍みてきましたが、屋台の温かいスープをいただきながら隣に座る見知らぬ家族とあいさつを交わしたら、思いがけず温かい気持ちになりました。“繋がる”ということ、その意味を改めて考える機会をいただいて、わざわざ遠くまで足を運んで良かったなと思いました。

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