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2019年3月

遍路と般若心経

先日、NHKのブラタモリで四国巡礼一番札所の画像が流れ、タモリさんが巡礼の装いで歩いている姿を眺めていました。

長い間、わたしの最大の夢は、『四国巡礼の旅をする』ことと、『般若心経を理解する』こと、でした。「定年退職したら何よりもまず四国遍路の旅をしたい」、とずっと云ってきました。なのに、この番組を観ていても全然気持ちが浮き上がらない。どうしたのだろう。あれほど憧れていたのに。そんな自分の気持ちの変化に戸惑っています。

どうしてこんなに心境の変化があったのだろう。たぶん、簡単にいえば、「面倒くさくなっている」ということですが、「人生に対する志(こころざし)が萎えてきた」「どうでもよくなってきた」ということなのかもしれません。困ったものです。

いいことではないかもしれませんが、単に「悟りを開きたい」という願望が失せてきているだけの可能性もあります。いつも、何かをせねばと急いていた気持ちが1年前くらいからあまり感じられなくなり、次の講演のための準備とか原稿書きの準備とか、仕事の段取り作りとか日進月歩の医療知識を勉強しなきゃとか、そんな想いが明らかに失せています(依頼される仕事を可能な限り断っていることも原因でしょう)。その分、煩悩がなくなっていっているとも云えます。現世でもっと貪欲に生きていきたいという気持ちが煩悩だから、それでいけば、食欲、性欲、出世欲、金欲・・・どれも失せてきている昨今のわたしは、四国巡業の夢を面倒くさいと思うようになたことも、然(さ)もありなんなのかもしれません。 

合掌(笑)

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なぜ痛い?

わたしの職場の若いスタッフが朝から腰をかがめて仕事していました。「どうしたの?」と聞いたら、数日前に急に腰が痛くなって立ち上がれなくなったのだそうです。特に何をしたというのでもないのに、前の日にソファでうたた寝していたらこうなったのだ、と。「先生、なんででしょう?」と質問されました。

まあ、別に”ぎっくり腰”というのはそういうものなので慢性的な姿勢の無理が原因だろうとは思うのですが、そういえば、そういうわたしも若いころは、「なぜこうなった?」と悩んだものです。それを考えると、いつの間にかゆるくなったなぁと思います。「そんなもの(=痛くなった理由)、一つであるはずがないじゃないか」と思うわけです。いろんなきっかけといろんな理由が重なり合って今の自分の症状があるから、彼のような若者と違って、「あれをしたからこうなった」ということはまずない。日頃のあれとあれ、過去に患ったあれとあれ、それに今回のこれが加わって今があるんだろうな。と素直に思える今日この頃です。

人生、「慣れる」てとても大切なことだよ、とくだんの彼には伝えたい。ま、とりあえず今のぎっくり腰症状を乗り越えないと、ね。

 

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ゼロトレで運動NG?

ダイエットといえば今、旬なのが『ゼロトレ』ですかね。Reset to zero・・・長い間にカラダの各部位が本来あるべき位置からずれてきているために体調や体型が狂ってきたのだから、本来あるべきポジションに戻す、ということを目的としたトレーニング法。骨盤体操などもその系統に入るのかもしれませんが、理論的にはいろんなところで云われてきている、いわば正論。これがブームになったのはもちろんテレビで紹介したからでしょうが、あまたの他の方法と一線を画しているのは、明らかに簡単できつくないということでしょうか。なにしろ、今パーソナルトレーナーさんの元で定期的にリハビリに通っているうちの妻までもが先日のテレビを見て毎日こつことやり始めましたから(続くと良いな。そして、効果が出てくると良いな)。

やり方は、くだんのテレビ番組の関連記事を検索するか、提唱者の石見知見さんの著書でも読んでみたら良いと思います。見ていても理にかなっていると思いますし、痩せるとかウエストが細くなるとかいうこと以上に、これを続けることによって姿勢が良くなるなら超ラッキーだと思いますから、是非続けてみてください。

で、で、です。この方法で姿勢がきれいになってウエストが細くなって体重が減ってかっこいいカラダを得ることができたとしたら、「運動はしなくていい」と思いますか。そもそも、”運動欲”という欲は存在しないといわれている中、何のために運動をしているかに関わってくることなのでしょうが、近くの公園を黙々と歩いている老若男女、特に妙齢の女性たちが修行僧のような形相で歩く姿を眺めるにつけ、「この人たちは絶対に歩かなくなるな」と思うわけです。ゼロトレで代謝が良くなってモデルのようにやせたとしても、それだけでは骨格筋が退化するのは間違いない。運動の効用は、筋力アップだけではなく、老化防止、認知症予防からがんの発症予防/再発予防、生活習慣病予防、骨粗鬆症予防などなど挙げるとキリがありません。これがゼロトレで得られるというEBMはまだ今のところありません。石見さんもまだお若いからピンとこないかもしれませんが、これをやった上で毎日の運動を続けることの重要性も一緒にアピールしていただけると幸いです。


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つかまりスクワット

30日間の健康プログラムも今年で5回目らしい。以前のように10kg前後の減量はできなくなったけれど、今回も当初の目標通り、体重3kg減、体脂肪率1%減は達成することができました。嬉しい限りです。

いつも以上に特段節制(この場合は”摂生”よりも”節制”が適していると思う)しているわけでもないのに右肩下がりの直線のグラフを描くことができたのは、今回は『つかまりスクワット』を取り入れたことが原因のひとつかもしれません。

つかまりスクワット』・・・『名医のTHE太鼓判』というTV放送で紹介されたのをたまたま見たのです。ロコモ対策というよりも、これをすることで筋力アップできてスリムなカラダになる、という謳い文句が気に入ってついつい実行。今になってマジメにネット検索して読んでみたら、少しやり方が違っていました。これからはきちんとやってみることにします。ちなみに、ヒップアップ効果とか転倒防止効果とかは書かれているけれど、どこにも「やせる」とは書かれていませんでした(笑)

せっかくだから、『つかまりスクワット』のやり方を書いておきます(詳細は自分で調べてください)。
1.椅子やテーブルにつかまって、「1,2,3」と声に出しながらカウントしてゆっくりお尻を落とし、そこからもう一度「1,2,3」とカウントしながら元の姿勢に戻す。
2.膝はつま先より前に出ないように注意する。
3.1日に15回×3セット(まとめてしても、分けてしてもよい)行う。

「3週間で劇的な変化が期待される」と書いてあるけれど、それほどでもなかったのはやり方が間違っていたからなのかしら。


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ブルーベリーかアントシアニンか

ブルーベリーの“青”、薬剤に匹敵する血圧低下と関連

CareNetから配信されたMedscapeからの記事。 「100g相当のブルーベリーを1日2回4週間摂取すると降圧薬の効果と同等の収縮期血圧低下をもたらした」という研究がイギリスで報告されたらしい。そこから、研究者らは「抗酸化作用のある化合物で、赤色、紫色、青色の植物に色を与える色素であるアントシアニンが、遅くとも2週間で内皮機能を向上させる、この血管系への有益な効果に関与していると考えている」とコメント。

最近は、自然界の食品(植物や海草や魚など)の健康に及ぼす効果が見直されてきています。それはそれですばらしいことで、野菜を食べたり魚を食べたりすることへのモチベーションが上がることでしょう。でも、こういう研究から導き出される結論は、「ブルーベリーを積極的に食べよう」ではなく、「アントシアニンを積極的に摂ろう」ということになり、「それなら手っ取り早くアントシアニンのサプリを飲めばいい」となることが必至。遠い昔、「塩分の主体は塩化ナトリウムだから」という理由で工場で食塩を作って”塩”だと名乗ったのに似ています。食塩と塩はまったく違うもの。主成分以外に含まれる微量元素や混ざりものの成分が一緒に働いてこその”塩”だということで、少しくらい割高になっても自然界の塩の方が身体にいいから使いたいという人が増えたことを忘れないようにしたいものです。

「アントシアニンは、食用植物に赤色、紫色、青色をもたらす水溶性色素である」と同氏は説明した。「したがって、アントシアニンはブルーベリーのみで認められるわけではなく、さまざまな食品中に存在する。加えて、数百種類のアントシアニンが存在し、そのうち本報告では63種類の血漿中代謝物が調査されている」「本研究が指摘する最も重要な点はおそらく、植物性化学物質を多く含む植物ベースの食事を選択して健康的な食生活を送ることが、とくに全体的な健康に有益であるということである」というこの研究に対するコメントが正直な研究者の感想なのかもしれません。

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ココログトラブル発生中? 

19日から働き方改革とやらで6連休。これを利用して記事をまとめて書こうと思っていたところで想定外のココログトラブル。

19日のサーバーメンテナンスの後、20日に管理ページを開けようとしたら「ページが見つかりません」という無機質なアラーム。がーん!全部消されちゃったのかなあと血の気が引きましたが、まあ、「1年前に止めたつもりのブログだから、また新しいの作り直せってことかな」とか独り言。

ココログホームページをあちこち探っていたら、サーバー不足で不具合中で順次回復中とのコメント発見。「不親切やのぉ。それならそれで、登録してあるメアドに状況を連絡してよ~」と改めて独り言。

ただ・・・そうはいっても一向に使えるようにならないので、20日はあきらめました。21日になってもあまり状況は変わらない感じなのだけど、再びホームページ開けてみたら、「もうすべて解決した」って書いてあるじゃないですか。「え、うちのは?」と今までのうちで一番慌てましたがな。

ま、とりあえず使えるようになりましたので、明日からまたぼちぼち書いてみます。お付き合いください。

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煽りたい気持ち、わかる。

朝、仕事場に向かう道中、交差点で信号待ちをしました。わたしの前に軽自動車が停まっていたのでその後ろにつきましたが、そやつが青信号になって前に出た瞬間、ウインカーもつけずに突然当たり前のように左折しやがりました。想定外の動きに驚いて急ブレーキを踏みながら、「何、やってんだー!」と叫んでしまいましたが、その車のドライバーは気にする様子もなくマイペースにチンタラ運転。しばらくイライラしながらこの不届きな軽自動車の後ろについて運転していましたら、また信号停車。で、今度は青信号になっても動く気配がない。しばらく待っても動かないのでクラクションでも鳴らそうかと思ったところでやっと動き出した。どうも、スマホをいじっていたようだ。

「ふざけてんじゃねえぞ!おまえだけの道じゃねえんだぞ!」とドライブレコーダーが作動していることも忘れて叫んでしまったわたし・・・あのときは正直なところ、怒りを通りこして殺意すら湧いていました。切れそうになったところで、ふたたびウインカーなしで突然右折して反対側のコンビニに入っていったのでやり過ごしました。世間で問題になっている”煽り運転”は、煽った側だけが矢面に立たされているけれど、こんなパターンも少なくないんじゃないかしら。

絶対に無理だろ!というタイミングで強引に横から割り込んできたと思ったら、お礼の意思表示をしないだけじゃなくて流れに乗ることなくマイペース運転する輩だとか、あからさまに携帯電話を耳に当ててだれかと話しながら運転していると思ったら、突然ブレーキ踏んだりするヤツとか・・・正気の一般市民であっても、切れるか切れないかは本当に紙一重だと思います。血気盛んな年齢を通り過ぎているとはいえ、今まで問題を起こさないでいたことは奇跡なのかもしれない。

でも、こういうことがあった日は、より一層心安らかに日々を過ごすように心がけなければならないなと自分を戒める余裕が、わたしにはまだある。

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手で書くことは絶対に大事!

先日は少し時間に余裕があったので、なかなか書けないでいたこのブログの記事を書き溜めました。

パソコンにではなく、メモ用紙に殴り書き・・・むかしはいつもそうしていたのです。旅先や仕事場の仕事の合間に、時間ができたときに思い立ったことをそのまま徒然(つれづれ)なるままに書きしたためておいて、家に帰ってからパソコンに書き写す作業です。でも、スマホやiPadが手元にあり、いつでもそれをメモ書きできるようになってから、手書きの文章をめっきり書かなくなっていました。これはめちゃくちゃ効率が悪いのです。一旦書いたモノと全く同じ事をもう一度清書する形になるし、パソコンと違って書き直しが面倒くさいし。

でも、先日、久しぶりにボールペンで文章を書いてみて、わかりました。やはり、手で書かないといかん! 何しろ、文字が出てこなくなっている。パソコンが勝手に変換してくれるものだから、簡単な漢字すら微妙に分からない。おぼろげなイメージが湧くけどきちんとした文字が頭の中に浮かび上がってこないの。結局、スマホで検索して「ああそうだった」と思うわけ・・・これ、マジでヤバいでしょ。きちんと文字を思い浮かべてきちんと一画一画手書きする作業をしないと、頭が溶けていく~! 

と、この文章も手書きした原稿をパソコン清書したやつです。

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あるく、さがす、うつす

インスタグラムやフェイスブックにわたしの写真がアップされない日はない!というくらい、最近の還暦オヤジはすぐにスマホで写真を撮影してはアップします。だから、独りで散歩しているとき、何かいい被写体がないかとキョロキョロしながら探し回しています。「こんな写真、だれも興味はないだろうなぁ。いつもの山と犬と花と(家の帰り着いたら、お酒と郷土料理と)」・・・呆れて苦笑いしている友だちたちの顔も容易に思い浮かべることができます。

でも、先日、雨の中を独りで散歩しながら、ふと思いました。もし、何も考えずに、ただただ”健康のために”黙々と粛々と足元を眺めながら歩いていたら、どんなに味気ない人生になっていただろう、と。何よりも、前を向いて、あるいは空を見上げて、はたまた足元の花々を愛でながら、水鳥たちや庭の木々から季節も移ろいを感じられるのは、そこに『被写体探し』という大きな目的があるからに他なりません。むかしの自分だったら絶対に目に入ることはなかった雑草や水の滴りや、遠巻きにこっちを眺めるノラ猫や、楽しそうに語らいながら走って通り過ぎていく若者たちや、そんな日常をカメラに捕らえることによって、全然違う世界をわたしは生きることができているのだ、という想いが強いです。

いつもいつも同じ場所から同じ風景を写してアップするという行動も、それはそれで大変なのです。体調が関係するのです。何ら変わらないから、昨日のを今日アップしても何らかまわないし、きっと誰も気づかないでしょう。でも、それでもアップするのは、いわば、わたしの生存証明みたいなモノです。

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価値って何かな?

あの2度めの大地震で家の中のものが何もかもグチャグチャに倒れ込んでしまった義母の家に入り、倒壊するのではないかとヒヤヒヤしながら中のものを引っ張り出して、要るものと捨てるものに分別作業をしたとき、わたしは大量のモノを捨てさせました。

「お義母さん、この布団セット、捨てますよ!」
「それはとても高価な良いものなのよ! だから大切に仕舞っていたのよー!」
「でも、何十年も使ってないんだから、もう二度と使われることはないと思いますよ。こんなのが家の中に大量にあったら、今度また同じような地震が襲ってきたときに確実に下敷きになって死んでしまいますよ。思い切って、この機会に捨てましょ!」

そんな戦いの末、とても悲しい目をして頷いた義母でしたが、今では以前以上に大量のモノを買い込んで荷物の山の中で生活しています。

そういえば、我が家も、東京に住んでいた頃にバブルの機運に任せて買った高価な外国食器の数々・・・大切に仕舞っていたらあの地震で半数以上が割れてしまって使うこともないまま処分しました。日頃使っているコンビニの景品のような食器はどれひとつ割れていないというのに。

テレビで、高名な作家が作ったという湯飲みや器が何百万円もの価値があり、「とても良いものですから大切に保管してください」と専門家たちが色めき立って話しているのを眺めながら、「あの食器を作った人は、誰かに使ってもらうために丹精込めて作ったんじゃないんだろうか。いかに使いやすいかを考えて試行錯誤を重ねながらやっと満足いくモノを作り上げたというのもあっただろうに、それを後生大事に箱に収めて仕舞い込まれたんじゃ、報われないよな」と、ついつぶやいてしまいました。

使ってこその価値・・・我が家にはお宝になるような高価なモノがなくて幸せでございます。

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震災遺産とフラッシュバック

あの日から、今年で8年目を迎えました。もう8年、でもまだ8年。復興半ばの東日本の現状を、今年も各マスコミが特集番組を組んで放送したり、ニュース枠で取材ビデオを流したりして伝えていました。8年経って、なんとか立ち直ってがんばっている人たちのたくましい姿の一方で、まだ8年経っても何も前に進んでいないように見える街、あるいはインフラはほぼ回復したのに前の住民は帰ってくる気がなく、これから一から街作りをし直さなければならない地区など、いろいろな風景をテレビ画面は映し出してくれました。

わたしがこの季節になると必ず感じることは、「これってどうなのだろう?」という複雑な想い。あの大震災の悲劇が過去のものとならないように、人々の心から忘れ去られることのないように、今も復興半ばなのだということを万人の心に刻むことは重要なことなのだけれど、あの時の光景を何とか忘れたいと思う当事者たちにとっては、毎年のこの報道は辛いだけのものになるのではないか? そんな想い。

1ヶ月後には、3年前の熊本大地震の報道が同じように連日テレビで流れることでしょう。たとえ、あの日の歪みまくった地獄絵図の風景やその後のがれきの山に変わり果てた街の風景を意図的に画面に出さないように配慮してくれたとしても、わたしの脳裏にはあの地面に這いつくばって逃げ惑った景色が鮮明に蘇ってきます。我が家の愛犬は、今でも小さな地震が起きるたびにわたしたち夫婦に抱きついて全身を震えさせながら悲しい目でみつめてきます。

風化させてはいけない惨事。でも、忘れようとしても毎年いやでも思い出させられてフラッシュバックを繰り返すことに耐え続けなければならない人々・・・似たような経験の当事者の一人としては、とても複雑な想いなのであります。

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書けません

復活宣言して、「週3、4日は書きます」と云ってはみたものの、書けない。

わたしのiPadには、題名とキーワードだけはメモとして残しています。改めて見て「何のこっちゃ?」と思う(云いたいことを思い出せない)ものはさっさと削除していますが、それでもすでに10個以上の題材はストックされています。時々、「書かねば」と心を奮い立たせてパソコンに向かうのですが、ことばが出てこないんです。人生経験とともに貯め込んでいったボキャブラリーが頭の中から消え去っていくのに一気に加速度が増してきた感じで、さびしいわぁ。

若いころと同じように、散歩中や運動中やお風呂に浸かっているとどんどん良い文章が浮かんでくるのですがペンを持ったりパソコン画面に向かった途端に消えていく。いっそ、携帯用レコーダー持ち歩いて録音しようかとも思うけど、この歳で独り言いいながら歩いていると通報されるかもしれん。

書けなくなったもうひとつの理由は、長時間座っていられないこと。椅子に腰掛けるとすぐに腰が痛くなるし、ノートパソコンだから覗き込む体勢が肩こりを誘発。かといってソファに座ってiPad やスマホで書いているとすぐに眠ってしまうし・・・。

は~。いい訳書き並べていてもしょうがない。書けなくなったからこそ、できるだけ書かねばなりますまい。それは、リハビリの意味で。大病を患った書家が、リハビリのために書き始めるのと同じ。人様に見せるには恥ずかしすぎるものでも、勇気を出して書いてみましょうか。

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