感謝の気持ち
「あたまを撫でてやった」
「あたまを撫でさせてもらった」
「握手をしてやった」
「握手をしてもらった」
単に、「あたまを撫でる」「握手する」という同じ行為なのに、人間の行動に対する自分のきもちの有り様が、そのままコトバの表現として出てくるとまったく違うものになる。ことさら日本語は英語よりもココロが現れる。
上から目線・下から目線、目上・目下という区別を無意識にしてるのだろう。どの表現を自分が発したか(たとえ口に出さなくてもアタマの中で考えただけでも同じだろう)が、相手をどう捉えているかという自分の本心である。大人の人間関係ではむずかしいけれど、それでは、我が子に向かってはどうだろう。「~してやっている」と思ってはいないだろうか。成長していくにつれて本当はいつのころからか「してもらっている」という立場になっていくはずなのに、いつまでも我が子は自分の持ち物と思ってはいないだろうか。
我が家には子どもがいないので、自分は愛犬に向かってはどうだろうかと考えてみた。「あたまを撫でさせてもらった」「おなかをさすらせてもらった」・・・いつも大きくしっぽを振ってキラキラした目で慕ってくる愛犬に向かって、自分はそんな気持ちを持つことができているだろうか。愛犬はわたしが癒やしてあげているのではない。いつでも、あきらかにわたしが癒やしてもらっているのだ。
生まれ変わった(還暦)日から1年。今日、満1歳の誕生日を迎えるにあたって、「まだまだだな」とあらためて思った次第です。
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コメント
お誕生日おめでとうございます。
いつも、主人と拝読しています。
私も健康に携わる仕事をしているので、先生のブログはとても興味深く勉強になります。
これからも楽しみにしておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
投稿: ともきゅう | 2019年4月27日 (土) 11時21分
ともきゅうさん
わざわざコメントありがとうございます。
1年前までと違って、気まぐれで超徒然ですし、さほどアカデミックなことは書かないように心がけています(というか、実は考えるのが面倒だから)ので、あまり、ご参考にされませんように(笑)
でも、最近、こんな肩の力を抜いたいい加減なヤツが健康を語ってもいいんじゃないのかな、と確信を持てるようにはなりました。
これからもどうぞよろしくお願いします。
投稿: ジャイ | 2019年4月27日 (土) 22時37分