片付けられない大人
片付けられない人がいます。使ったモノを元の位置に戻せないのです。ただそれだけのことだと端から見ているとよくわかります。ここにあった方が便利だ。すぐにまた使うから。後で戻しておくよ・・・いろいろ言い訳はするけれど、結局は元の位置に戻すのが面倒くさいからやりはしない。「今の位置を定点にすれば良い」 と考えるようだけれど、次に違うところで使ったらまたそこから戻さないからいつの間にか現在地がどこなのか分からなくなる。
こういうことは、本人の性格とかの問題ではなく、教育の問題。子どもの頃の家庭の躾(しつけ)の問題。「わたしはちゃんとうるさく指導したのよ」と親は云うかもしれないけれど、本人はそんなことはわかっている。分かっているから叱られればするけれど、そうでなければしないわけだから、やはり教育の問題だと思います。
躾(しつけ)とは、無意識でもできるように刷り込まれた日常所作であって、叱られるからイヤイヤやっただけでは到底身につかないものなのであります。
最近は、『自主性を重んじる』とか『本人が嫌がることは無理強いしない』とかいうのが教育だという風潮なのだけれど、大人になっても片付けられず、社会人になってもゴミの山に埋もれてしまうような人間になるとわかっていても、何も云わずに傍観する覚悟が親御さんには本当にあるのだろうか。ま、最近は親も片付けられない人が多くなってきたから、躾(しつけ)そのモノの概念が存在しないのかな。
いや、ふとある人を眺めながらそんな気がして、書いてみた。
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