包容力
この春に、3年ぶりくらいで2つの靴を新調しました。日常で履くスニーカーと仕事で履くスニーカー。私の足は幅広甲高なので、普通に足の大きさ(長さ)の表示だけでは足に合うかどうかわかりません。メーカーによってもデザインによっても、素材の硬さや伸びによっても全然違うからです。だから、靴を買うときはなかなか自分の足に合うものに巡り会えません。どこで妥協するか、という場合もあります。だから、今回買った靴のサイズとメーカーは2足とも別物です。
で、自宅用は問題なかったのですが、仕事用を翌日職場で履いてみたら・・・ちょっとしっくり来ない。歩いてみると左足の甲が痛い。きっと靴の一部がわたしの足の甲の血管か神経を圧迫しているんだろうと推測します。少し紐を緩めてみたり位置を少しずらしてみたりいろいろやりながらごまかして履いてみました。今までの経験上、これをだましだまし履いて解決する場合としない場合がある。どれだけ有名ブランドの高価な靴であっても解決しないときにはしない。その場合は残念だけれど履かなくなる。歩けない靴は致命的です。でも、今回のコンバースの白いスニーカーは数日のうちにわたしの足にフィットするようになりました。何がどうなったのかはわかりませんが、どれだけ歩いても全然痛くないばかりか、足に吸い付くようにぴったり填まり込んでいて、感動すら覚えます。わたしの足が靴に合わせたのではなく、明らかに靴が私の足に合わせて変化してくれた感覚。よかった。おかげで毎日、快適に仕事ができています。
で、そんな靴を履きながら自問自答するのです。今の自分にはこの靴のような包容力があるか、と。「これはこうじゃなきゃいけない。自分はこうするのがベストだと固く信じているのだから、そう簡単に信念を曲げるべきではない」・・・少なくとも若いころのわたしはそう信じて突っ張って杓子定規に生きてきました。「正義は正義、正義はいつも正しい」というのが信念でした。「それがいやなら、相手が変わるべきだ!」と。今はかなり柔らかくなったと自負していますが、柔らかければそれでいいのかといえば決してそうではない。ゆるゆるの靴ではかえって履きづらくて疲れてしまいます。オーダーメードではない靴がたまたま出会った足にきちんとフィットするようになるのは、容易なことではないと思うのです。そんな、靴のような人間になりたいものでございます。
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