« モチベーション | トップページ | 社会人として »

老化の波

先日、大阪国際会議場で行われた学会に参加してきました。大阪駅から会場まで、堂島川沿いの遊歩道を歩いていると、朝からウオーキングする老夫婦や小さな犬を散歩させるご高齢の男性をたくさん見かけました。朝の大阪駅界隈が腕を組みあった若者のカップルや大きな荷物を引き摺った外国の若い観光客の喧騒の中にあったのとは全く対照的で、そこには長閑でゆったりとしか進んでいないであろう時間の流れがありました。長閑といえばのどかですが、失礼を承知で表現するならば、どこか魂が抜けてしまった抜け殻のような姿にも見えないことはない。滅多に着ないスーツを着て足早に歩く自分からはそんな風景が別世界の他人事のように思え、眼に映る高齢者の男女が自分とは無関係に思いながらその場を通り過ぎました。自分に関係あるとしてもそれは遠い先のことだろう、と。

でも、よくよく考えると、それは、家の中で過ごすペットのイヌが自分をニンゲンだと勘違いしているように、自分の目から見える周りの風景が二十代の頃と変わらないものだから自分は歳をとってないと勘違いしているだけのことで、おそらく彼らはわたしとさほど変わらない年恰好。休みの日に普段着で近くの公園を朝散歩しているときのわたしだったら、側から眺めて見たとき、きっと彼らと全く区別はつかないだろう。そんな歳になったんだということに気づいて愕然としました。最近、なにもかもが面倒くさくなって、イライラしたりギラギラした目つきをしたりすることを卒業したことを「悟りを開いてきた」と表現しているけれど、いやいや、それはあの”毎日が日曜日”的な老人の世界と同じではないかということに気づかないふりをしているだけではないのか! 

くそう、そんなこと絶対に認めたくない。「こう見えて、おれはまだまだ若いんだぞ!」と言い張っていないと負けてしまいそうになるけれど、絶対に負けたくなんかない。でもそれだったら、何か、若者の証明をしなければな。焦りながら、そんなことを考える今日この頃なのであります。

|

« モチベーション | トップページ | 社会人として »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« モチベーション | トップページ | 社会人として »