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2019年5月

うながす

早く記事を書きたいのだけれど、いつもの連載コラムの締め切りが明後日。焦っておりまする。

ところで、先日愛車で阿蘇路を超えている最中のラジオで、ちょっと気になったことがありました。どこぞの若いアイドルさんの番組。とてもしっかりしたMCをしていたのですが、「○○をそくして・・・」と言うのを聴きながら、「それ、何?」とひっかかり、文面を思い返して、すぐに「促す」を「そくす」と言ったんだと気づきました。そても自然なしゃべり口調だったけどきっと準備された原稿を読んだのだろう、とは思ったのですが、完全なる収録なのだから、後でいくらでも修正できるだろうに。ということは、この間違いをスタッフは誰一人として気づいていないということなのだろうか?自分で原稿を書いたであろう放送作家の先生すら気づいていないのだろうか? そんなことが普通に通り過ぎていくなんて、困ったもんだ・・・とジジイは独りで嘆いたのであります。

とりあえず、今日はこんな感じで。

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女優業

先日、あるテレビ番組を見ていたら、有名人・芸能人のそっくりさんとして”素人”の方が何人も出てきました。彼らに「ご職業はなんですか?」という問いかけをしたら、「役者です」というお嬢さんもいれば、「女優業をやっております」と答えるお嬢さんもいて、なんか可笑しかった。

「役者です」と女性がいうのは、「芝居をやっています」と答える人と同類で、おそらく舞台俳優。わたしが大学時代にやっていたようなあんな感じでしょう。それに対して、「女優業をしております」という答えは、映画やドラマといった映像系の仕事をしている、という区分けでしょうか。どちらかというと、”役者”より”女優”の方が仕事に対するプライドが高いようにも感じられ、前者の方が男性的(体育会系)たくましさを感じなくもない。おそらく、わたしがそんな世界(夜な夜なほこりまみれの練習場で練習して、汗臭い日常の中で生活していた、役者もやれば裏方もやり、男だ女だと分け隔てなく動き回った、あんな世界)が好きだからかもしれません。

 

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ゴミ袋

朝散歩をしていたら、脇の歩道に食べかすの入ったコンビニ袋が捨ててありました。ここに間違って袋を落とすことはまずありますまい。意図的にだれかがここに捨てたのでしょう。

「なんで、こんなところに平気で捨てられるのだろう?」・・・すぐ近くの公園内にはゴミ箱があるのにここにポイ捨てする、どうしてもこういう人の感性が理解できないのですが、もし目の前でこのゴミ袋を捨てている人を見かけたとしたら、注意をするだろうか? と考えてみました。逆上されるとこわいから正義感だけでは声をかけることはできないなと思うのと同時に、「こんな輩に注意したところで、絶対に反省もしなければ止めもしない」と思うと「云うだけ無駄だ」と穿って考えてしまいます。それをたまたま気づかずに落としたのだとしても(絶対に無いなと思う位置に落ちてましたけど)、確信犯的に捨てたのだとしても、悪いことだと思っていてもいなくても、きっとこの人はまた同じ事をする。

叱られるから止めるとしても、叱られなければやるに違いない。「そのゴミを自分の家の庭に捨てられたらどう思う? 許せなくなるでしょ? それと同じ事だよ!」と云ったとしたら、「だから、自分もやめよう」と思うだろうか? いやいや、「自分は、他人に迷惑を掛けているわけじゃないし」と云うに決まってる。

散歩をしながらこんなことを考えてしまう自分って、小さいな(笑) そして何よりも、気づいていながらそのゴミ袋を拾ってゴミ箱に持って行ったりしない自分は、他人を非難できる器でもなんでもないわ。

 

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やさしい運転

最近の、想像を絶する激しい交通事故ニュースの頻発。単なる操作ミス(踏み間違え)だけでなく、思い込み運転や、路地の飛び出しや・・・自分の運転生活の中でも気をつけてみると本当に危険なことだらけなのだと気づきます。今まで大したことが起きてなかったのが奇跡なのかもしれない。

そんなことを再認識させてもらえる昨今の凄惨な事故。「心底こわいな」と思えたおかげで、たしかにわたし自身の運転に明らかな変化が出てきた気がします。「運転がやさしくなった」気がするのです。もともと乱暴な運転をする人間ではないし、運転技能に自信がないからこそ過信はしない方だと思っていましたが、山道を走ると80キロ以上出すのが当たり前だったし、交差点の歩行者信号が点滅し始めるとついアクセルを踏んでしまっていた気がします。最近はこわくてアクセルを強く踏み込めなくなったせいで、さほどスピードも出しません。それ以外にも、路地のたびに「誰かが出てくるぞ」と想定しながら運転するし、まっすぐの道でも対向車がよそ見して飛び出してくるかもしれないと思うようになったし、歩行者信号が点滅してきたら、停まる覚悟で減速するようになりました。割り込みしようとしているから車間距離を詰めるとか、対向車線で右折しようとしているからアクセルを踏み込んで行かせないようにするとか、普通にしていたなぁと思うと、あえて減速して先に行かせるようになった自分に、「かなりやさしくなったぞ」とほくそ笑んでしまいます。

よく考えると、他人を一切信用しなくなった自分って何かさびしい気もします。でも、せかせかしてもしなくても大差ないことに気づいて、”余裕の自分”に悦に入っている部分もあります。

それにしても、いまだにぶりぶりスピードを出す輩がわたしを追い越していくのを見ていると、飲酒運転による大惨事が繰り返されても一向に飲酒運転がなくならないのと同じように、まったく他人事なんだな、と痛感します。

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宇宙の果て

先日の『チコちゃんに叱られる』で、「夜が暗い理由は、宇宙に果てがあるから!」というのがありましたね。「宇宙が無限大なら星が幾重にも重なるから暗黒の闇は訪れない」というもの。

その理屈の是非はまあいいとして、『宇宙の果て』という単語を聞くと、遠い昔の子どものころを思い出してしまいます。わたしは、夜空を眺めるのがきらいでした。とても怖かったからです。あの空の向こう側には何があるのだろう? そう考えると、そもそも、”空の向こう側”って何?という疑問がのしかかってくる。不思議と青空を眺めていても何も感じないけれど、夜空の星を眺めていると、ついそんなことを考えてしまうものであります。

”宇宙の果て”の向こう側には何がある? ”果て”は境界線だから境界線があるということは、宇宙の果ての向こう側には宇宙ではない何かが存在することになる。宇宙という世界を俯瞰図で客観的に眺めたときに、宇宙の外側を包むものはどんなものなのだろう。その宇宙の外側を包むものには”果て”があるのだろうか? その宇宙の外側を包むものの果ての向こう側には何があるのだろうか?

そう考えた瞬間、そもそも、”この世”って何? という難題が突然目の前に出現する。自分や宇宙や宇宙の果ての向こう側やそんなものは一体どんな空間の中に浮いているのか、そして、自分や自分を取り巻くすべてのものの”存在”というもの自体は、そこにどういう位置関係で関わってくるのか? 自分たちの生きている今、って、そもそも何?

小学校に上がるか上がらないかの小さな子どもだったころ、そんなことを考えて独りで勝手に怖くなって、小芝居を打つかのように小さく首を振って家の中に駆け込んだものでした。

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原点回帰の願い

初めて参加できた循環器病予防医学会学術集会で目を引いたのは、やはり現場で活躍する保健師さんや管理栄養士さんなどの積極的な発言でした。こんなことを云っては何ですが、こういう場でのドクターはどっちかというと年寄りの重鎮か病気治療にしか興味がない若手医師かしかいない感じですが、パラメディカルの人たちは、予防医療の最前線で自分が住民や職員の健康管理を担っているという自負に満ちあふれています。彼らのキラキラ輝く姿を遠目で見ながら、これが大切なのだと感動すら覚えた次第です。

奇しくも、たまたまこの日の夜はうちの職場の歓迎会があり、わたしも夕方には学会場から駆けつけて参加しました。皆、優秀な新人ばかりで、あいさつや自己紹介もとてもしっかりしていました。で、そのときに思ったのです。

彼らは、”たまたまここにいる”のではなく、保健師さんはわざわざ「保健師になりたい」と思って資格を取ったのだし、管理栄養士さんや健康運動指導士さんや検査技師さんも然り、事務職のホープたちも何らかの志があるからこそうちの施設ような難関を受験したのでしょう。「何でも良かったけど、たまたま・・・」ではこの職業にはなれないのです。ところが、こういう大きな組織の中に入ると、えてして組織を整然とまとめること、業務を滞りなく形成することこそが最優先にされがちで、そのことに忙殺されてしまって、自分の最初に持っていた志が二の次になってしまうことがよくあります。そんなとき、「自分は何のためにこの資格を取ったのか?」ということを一度原点に立ち返って考えてほしい。「自分がやりたい!」と願っていたことを見失っていないか確認してほしい。そう思います。

予防医療の世界はいろいろな職種がチームを組んで平等に仕事をする世界です。でも、各々は各々に専門分野のスキルをもったエキスパートであるというプライドはなくさないでほしい。そう願ってやみません。

 

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じいさん医者を励ます会

先日、久留米で行われた循環器病予防学会+臨床高血圧フォーラムに行ってきました。とても面白く興味をもって2日間勉強してきました。

2日目のランチョンセミナー『知らんぷり高血圧の撲滅』をされた旭川医大の長谷部直幸先生のお話の中で、印象に残ったのは(もちろん講演内容は全部印象に残っています。高血圧の基準が引き下げられても世論や患者さんの顔色見ることなく、躊躇せずにしっかりと降圧を目指して厳しい診療をしてください!という内容)、「女医さんの方が男性医師が診るより降圧成績が有意に高い」という事実です。

高血圧症の治療について、男性医師が診るよりも女性医師が診た方が降圧成績が良いというデータは、なぜなのか? 長谷部先生は先生なりの考察を加えていましたが実は理由は不明のようです。女性の方が情に流されずにガイドラインに忠実に厳しく治療をする人が多いからなんじゃないの? 厳しく、「~すべきです」っていう人が多いからだとわたしも一瞬思ったのだけれど、それがイヤなら受診しなくなるはずだし、陰で捨てる人も増えるはず。それでも通院して改善しているのだから、男性よりコミュニケーション力が本当にあるのかもしれません。

それはそれでいいとして、「男性医師より女性医師が良い」かつ「高齢医師より若い医師の方が治療成績が良い」のだそうですよ(むかし、わたしがまだ若造だったころは「若いのは頼りにならないからやっぱり診てもらうなら経験のある年配の医者がいい」と云われ、「こんな若造に指示なんかされたくないわ」などと治療を拒否られたものですが、今は違うらしい)。「じいさん医者は存在価値まで疑われて立つ瀬がない」のが実情なのだと長谷部先生も嘆いていました。わたしもまさしくそんな一人であります。「若い先生には、Young Investigator's Awardなど、優秀な研究者に与える賞があるんだから、じいさん医者にもがんばった者を表彰するAwardもあっても良いのじゃないか」「”若手医師を励ます会”があるならむしろ”じいさん医者を励ます会”も作ってほしい」という、冗談とも本気ともつかない先生のコメントに、独りで相づちを打ったのであります。

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1975年型日本食のすすめ

日本食の理想形は「1975年型」

配信されてきた『保健指導リソースガイド』の中で、こんな記事を見つけました。201610月に配信されたものですのでかなり古いニュースですが、とても興味がありましたので紹介します。

”東北大学の研究グループが、1975年頃に食べられていた日本食を食べると、肥満の解消や、悪玉コレステロールや血糖値の低下、ストレスの軽減、運動機能の向上などの効果を得られることを確認したと発表した。”というもの。”現代と過去の日本食をマウスに摂取させ、もっとも健康効果の高い日本食をどれかを調べたところ、1975年頃の日本食が肥満を抑制し、加齢にともない増える2型糖尿病、脂肪肝、認知症を予防し、寿命を延伸することが判明した”のだそうです。

何しろ『日本食』といっても、戦後すぐの食事からバブル期の飽食時代を経て、現在のグローバル世界の食事まで千差万別です。その中で、1975年頃の食事内容が一番健康的だったというのはすごくうれしい。なぜなら、1958年生まれのわたしは、ちょうど理想的な食生活の時代に思春期を経験したことになるから・・・もっとも、ちょうど1975年ころ、わたしは超肥満児で体重は今より15キロ以上重かったのですが・・・理想のバランスでも食べ過ぎたら元も子もないってことですかね(笑)

日本人の寿命を延ばすのに一役買ったといわれる1975年型日本食の特徴、「さまざまな食材が少しずつ入っている」「煮る・蒸す・生が調理法の主流」「大豆製品や魚介類、果物・海藻・きのこが主流」「卵・乳製品・肉も適度に摂取」「だしや発酵調味料をうまく使い」「一汁三菜が基本」が、自然に盛り込まれていたのが良かったそうです。「だってそのころは、そんなものしかなかったのよ」と母が生きていたら云ったかもしれません。そういえば、子どものころ肉屋にお使いにいくときには、「『牛肉100グラムください』って云うのよ」と云われたのを思い出します。家族4人で100グラムの牛肉・・・当時はこれで十分だったのでありましょう。

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一歩間違えば

昨日の琵琶湖脇の悲惨な交通事故のニュース。最近、頻繁に想定の範囲を逸脱した凄惨な事故ばかり起きますが、昨日の事故は本当に悲惨。直進車に対向車が不注意に右折して衝突し、ぶつけられた直進車が横断歩道の前で信号待ちしていた保育園児の列に突っ込んでいったというもの。「右折車の運転手が逮捕され直進車の運転手が釈放された」そうですが、どっちが良いとか悪いとかそんな問題ではなく、何の関係もない幼子が亡くなっているという事実はどっちも重く受け止めていただきたいものです。直進車がどの程度のスピードで運転していたのかは存じませんが、「このバカ、まさか曲がってくるんじゃなかろうな」という対向車への警戒意識があれば、もう少し小さな事故ですんだのではなかろうか、と思う第三者の私。

でも、実は、必ずしも第三者ではないのであります。かれこれ15年くらい前、家の近くの信号機のある交差点を青信号で直進していた時、私は左から突っ込んできた軽トラに衝突され、そのまま斜め右前方向に吹き飛ばされて交差点横の信号機に激突しました。相手も青だったと主張しますが、朝日に向かって走っている運転手に信号の色など(あるいは信号があったことすら)見えなかったはずです。結果として愛車は大破し、私はいまだに頚椎ヘルニアと腰椎ヘルニアの症状に悩まされています。

「今考えると、本当によかった。あの時あの交差点に誰かが信号待ちしていたら、今回の事故のように絶対に人身事故になったはずだもの。このニュース見て、すぐにあなたのあの事故のことを思い出して背筋が凍ったよ!」と妻がつぶやきました。その通りだ。あの時、信号が点滅しはじめたから大急ぎでスピードを出して交差点に入った、あの行為さえしなければ、あんな事故は起きなかったはずだ。今回も、右折した運転手が悪いのは事実だけれど、直進車が「そんなヤツもいる」と身構えていたら事故は起きなかったかもしれない・・・そっちに思いが向いてしまいます。

その後、交差点の大きさや信号機の有無に関わりなく、交差点では絶対にスピードを落とすようになり、交差点では誰かが飛び出してくるのが当たり前だと身構えるようになりました。世の中の皆がそうであってほしいと思うのだけれど、完全に赤信号に変わってしまった交差点を猛スピードで通り過ぎる車に何度遭遇しただろうか。

 

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超当たり前のことではあるけれど。

心房細動を防ぐ生活習慣、3階なら階段で/日本循環器学会

 第83回日本循環器学会学術集会が3月末に開催されたばかりなので、吹田研究を用いて心房細動になりにくい理想的な生活習慣を割り出した国立循環器病研究センターの報告を紹介します。同センターでは2年前に心房細動罹患予測確率を計算する吹田心房細動リスクスコアを開発しており、今では臨床現場では広く使われています。

理想の生活習慣の因子別による心房細動罹患調整ハザード比(95%信頼区間)の結果だけ抜粋して転記します。
**********************
- 健康的な食生活:「大豆製品(豆腐換算で半丁/日程度以上)」「野菜300g/日以上」「魚5回/週」「減塩(6g/日未満)」「清涼飲料水を控える」の5項目のうち3項目以上満たした場合、0.51(0.30~0.85)
- 健康的な身体活動:「3階に上がるときに階段を利用する割合」が6割以上ある場合、0.72(0.53~0.98)
- 健康的な睡眠時間:「6時間以上」で0.77(0.59~0.99)
- タバコを吸わないこと:0.71(0.53~0.95)
- 適正飲酒以下(男性:1合/日以下、女性:半合/日以下):0.61(0.44~0.85)
**********************
上記5項目のうち、0~1項目しか満たしていない人を基準にすると、3個満たすと心房細動発祥リスクが3分の1に、4個以上満たすと4分の1に減るのだそうです。

「心房細動なんて他人事」「心房細動なんて病気、聞いたこともない」と思っているあなた。現代社会ではとても多い不整脈であり、脳卒中や心不全を引き起こす危険性が極めて高い病気だと云うことをこの機会に知ってください。「心房細動にならないために人生を送っているわけではない!」と思いながらも、よく読んでみると大したことは書いてないから、普通に今すぐにでもできることばかりですし、いわゆる”生活習慣病予防”の項目と何ら違わないわけで、「大層な話ではないな」というのがわたしの正直な印象です。

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『働き盛りが危ない』ということ

長時間労働で中年男性の心筋梗塞リスク増-JPHC研究

 Circulation Journal 3月6日オンライン版に掲載されたらしい記事を Care Netに紹介されました。

『日本人の中年男性は、1日11時間以上の長時間労働をすると心筋梗塞の発症リスクが高まる可能性があることが、国立がん研究センターなどの多目的コホート(JPHC)研究で示された』『1日の労働時間が「7時間以上9時間未満」だった群と比べて、「11時間以上」だった群では急性心筋梗塞の発症リスクが1.63倍であることが分かった(P<0.05)』というものです。ただし、『会社勤めをする人では、長時間労働により急性心筋梗塞リスクは2.11倍に上ったが、会社経営者や自営業の人ではこうした関連はみられなかった』そうであり。1993年から10年間追跡した研究なのですが、『追跡を開始した時点で50~59歳だった人では、長時間労働によりこのリスクは2.6倍に上ることも明らかになった(それぞれP<0.05)』と。

対象者は追跡開始時に40~59歳だった男性だから、わたしも微妙にかすっている世代ですが、1993年~2012年の研究だから、まさしく猛烈社員世代の時代。当時は長時間労働当たり前、睡眠時間削ってでも働け!という時代。現代に同じ研究したらもう少しはよくなっているかもしれません。”働き方改革”が叫ばれる昨今は、むしろ”会社勤めの人”より、”会社経営者や自営業の人”の方が発症リスクが高くなっているかもしれません。

何はともあれ、そんな働き盛り世代の過労が危険だ!と云っているのなら、救急医療に携わる医者や医療スタッフたちの過労を容認する法律は、ヤバくないですか? 医療従事者の正義感だけに頼るには限界がありますぞ! と、救急医療から離れて久しいわたしは他人事のように書いてみる・・・申し訳ありません。

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令和初日に気づいたこと

10連休の折り返し地点。

休みに関係なく働いている皆様や病気で闘病中の方々のことを少しばかりおもんばかりながら、わたしもわたしの決めたスケジュールを粛々とこなしています。想定外のこともなく(あえて云えば、想定以上に雨の日が多かったことくらい)、毎朝いつものように起床し、いつものように仏壇に手を合わせ、愛犬の朝ご飯と洗濯物干しを済ませた後に日々のスケジュールをこなし、夜更かしすることもなく、早々に床につく毎日。

こんなに規則的に日々の生活をこなしてるというのに・・・『忘却とは忘れ去る事なり』か。

今まで当たり前に思っていたことが、記憶から落ちているのにふと気づく。

まず、「明治は何年まであった?」というクイズ番組をみながら、「そんなの常識じゃん・・・」といってみたけれどハタと困惑。「あれ?何年だっけ?」・・・正解は45年・・・その答を聞いてもピンとこないわたし。そんなことも思い出せないわたし。すごく不安になるんですけど・・ちょっと苦笑い。

とか思っていたら、今日、新しいショックな出来事。「職場のパソコンのパスワードを全く思い出せない!」 これは笑い事ではありません。自宅のパソコンのパスワードが『○○○○』だから・・・あれれ、あれれ。本当に思い出せません。遠い昔のは何とか思い出したけど、セキュリティ保持のために6ヶ月ごとに替えるように云われていて、なんてレベルではなく、たぶん6文字か7文字なのだろうけれどその中の一文字も浮かばない。

ま、あと4,5日あればどこかで思い出すだろう、と緩く構えている自分の考えが甘いかどうかは、週明けに分かるでしょう。

 

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