やさしい運転
最近の、想像を絶する激しい交通事故ニュースの頻発。単なる操作ミス(踏み間違え)だけでなく、思い込み運転や、路地の飛び出しや・・・自分の運転生活の中でも気をつけてみると本当に危険なことだらけなのだと気づきます。今まで大したことが起きてなかったのが奇跡なのかもしれない。
そんなことを再認識させてもらえる昨今の凄惨な事故。「心底こわいな」と思えたおかげで、たしかにわたし自身の運転に明らかな変化が出てきた気がします。「運転がやさしくなった」気がするのです。もともと乱暴な運転をする人間ではないし、運転技能に自信がないからこそ過信はしない方だと思っていましたが、山道を走ると80キロ以上出すのが当たり前だったし、交差点の歩行者信号が点滅し始めるとついアクセルを踏んでしまっていた気がします。最近はこわくてアクセルを強く踏み込めなくなったせいで、さほどスピードも出しません。それ以外にも、路地のたびに「誰かが出てくるぞ」と想定しながら運転するし、まっすぐの道でも対向車がよそ見して飛び出してくるかもしれないと思うようになったし、歩行者信号が点滅してきたら、停まる覚悟で減速するようになりました。割り込みしようとしているから車間距離を詰めるとか、対向車線で右折しようとしているからアクセルを踏み込んで行かせないようにするとか、普通にしていたなぁと思うと、あえて減速して先に行かせるようになった自分に、「かなりやさしくなったぞ」とほくそ笑んでしまいます。
よく考えると、他人を一切信用しなくなった自分って何かさびしい気もします。でも、せかせかしてもしなくても大差ないことに気づいて、”余裕の自分”に悦に入っている部分もあります。
それにしても、いまだにぶりぶりスピードを出す輩がわたしを追い越していくのを見ていると、飲酒運転による大惨事が繰り返されても一向に飲酒運転がなくならないのと同じように、まったく他人事なんだな、と痛感します。
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