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2019年6月

塩分と高血圧の関係

ミネラル添加の飲料水で血圧が低下する?

『米エモリー大学ロリンス公衆衛生大学院のAbu Mohammed Naser氏らが行った研究で、少量の塩分を含む飲料水を飲む人は、真水を飲む人よりも血圧が低い可能性があることが分かった。同氏らは「飲料水に含まれるナトリウムではなく、カルシウムとマグネシウムが血圧の低下に関連した可能性がある」と指摘している』 (Journal of the American Heart Association 5月7日オンライン版)『少量の塩分を含む飲料水を飲む人たちでは、真水を飲む人たちに比べて収縮期血圧の平均値は1.55mmHg低く、拡張期血圧の平均値は1.26mmHg低』かった

 という報告について、CareNetで紹介されていました。これ、高血圧症の治療薬を服用してるわたしのような患者にはとても興味があるのですが、そもそもアメリカの報告ですから(アメリカはもともとミネラルを日頃からあまり口にしない人種ですから)、もともとミネラル大好き(というか無意識にカルシウムやマグネシウムを多量摂取している日本人では、これが当てはまるのかどうか?という疑問はあります。

それでも、『塩分=ナトリウム』の発想に根本から異議を唱えているこういう理論は、とても好きです。

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隠居練習

今日は土曜日だけど休みです。前年度までは、『週休二日』は名ばかりで、4週1休くらいの勤務でしたが、最近は割と休ませてもらえるようになりました。土曜が休みだと2日間も続けて働かないので感覚がおかしくなって、日曜の朝には「あれ?今日は、本当に休みなの? 出勤しなくても大丈夫なの?」とものすごく不安な気持ちで自問自答します。「そんなの、わたしなんか毎日よ」・・・1年前に手術を受けるために仕事を辞めて以降ずっと家に居る妻は、「今日が何曜日か分からなくなる。薬を飲んだかどうか分からなくなる」と云って一週間用のピルケースを買って使っているくらいです。

これに加えて、働き方改革(まあわたしは以前から意地でも月一回は無理矢理有給休暇を取得していますが)と振替休日(土曜働いた分を時間外のカネではなく、振休で補えという、わたしはテイの良い”ただ働き”だと昔から主張していますが、だれもが聞き流す)があって、なんかいつも休んでいる感覚にあります。しばらくはそんな生活が「堕落していく」ように感じて落ち着かなかったのですが、それにも慣れてきました。休みでもいつも同じ時刻に起床して、洗濯物干して、ゴミを出して、ワンの朝飯をあげてから朝散歩・・・それでも朝10時頃になるとすることがなくなる。以前はそんな時間ができると本を読んだり、パソコンをいじったり(仕事から帰ったらすぐにパソコンを立ち上げて寝るまで座っていました)していましたが、最近は長時間座っているのも疲れてしまうので、すぐにソファに移動してぼーっとテレビを観るかスマホをいじるか・・・。

「きっと、あなたが定年退職したら毎日こんな感じになるんでしょうね」・・・退職後キャンドル作家になった妻は自分のアトリエに入って自分の好きなことをやりながら、そう云いました。「きっと今のうちに定年後のシュミレーションをして、心と体の準備をしておけってことだろうね」と。たしかにそういうこと、あるかもしれませんね。ということで、さてさて、これから何をしようかしら。

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睡眠に関わる問題

夜間に照明やテレビをつけたまま寝る女性は肥満になりやすい

 『睡眠時には、部屋の明かりを消して暗くすることで、肥満リスクを軽減できる可能性があるという研究が発表された。就寝時に部屋を暗くすることで、女性が肥満や過体重になるリスクが減少する』『部屋で明かりをつけっぱなしにしたり、テレビを見ながら眠ることが、体重増加や肥満のリスクを高めている可能性があるという研究を、米環境衛生科学研究所(NIEHS)が発表した(JAMA Internal Medicine)』

女性に限定している報告が多いのは、もともと女性だけを登録するコホート研究がアメリカには多いからで、この研究は国立環境衛生科学研究所が実施する”環境リスク要因と乳がんの発症との関連”について調査しているコホート研究(シスター研究)に参加した、4万3,722人の女性(35~74歳)を対象に行われたものだそうです。

結局、『寝室でテレビや電灯をつけっぱなしにしている女性は、睡眠中に部屋を暗くしている女性に比べ、5年間で体重が5kg以上増えるリスクが17%上昇し、BMIが10以上増えるリスクが13%上昇した』というのですが、「灯りを点けて寝ていると太りやすい」という理由は世間で有名なブルーライトの問題によるメラトニン分泌異常や体内時計の乱れに関連する、ということのようです。寝る前にスマホやPC画面の光を目に当てると体内時計が朝と判断するから質のよい睡眠を得られない、ということは周知の事実でしたが、直接目で灯りを見るのではなく、目をつぶっていても皮膚の上から身体に人工光を当てるだけで睡眠の質に悪影響を与える、という結果はなかなかのインパクトだと思いました。

温室で促成栽培をするときに昼夜を問わず灯りを点けて、夜も昼だと勘違いさせて成長を促す、というのと同じことなのでしょうか。

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高齢者のやせ問題

日本の高齢者、痩せと糖尿病が認知症リスクに

 今回のCareNetの記事はJAGES(Japan Gerontological Evaluation Study:日本老年学的評価研究)のコホートデータを用いた山梨大学の横道 洋司氏らの研究(Journal of Diabetes Investigation誌オンライン版2019年6月17日号)を報じたもので、『わが国の高齢者において、痩せていること(BMI 18.5kg/m2未満)と糖尿病が認知症発症のリスク因子であり、BMIが低いほど認知症発症率が高い』『認知症発症率が最も高かったのは高血圧症を持つ痩せた高齢者で、次いで脂質異常症を持つ痩せた高齢者であった』とのことです。

日本人の高齢者にとって「やせ」はかなり深刻な問題になってきています。いわゆるフレイルとかサルコペニアとかいった負のサイクルだけでなく、認知症にも関与してくる問題だからです。一方で、若い世代のメタボやサルコペニア肥満といった「肥満」の問題が「やせ」の問題に移行するターニングポイントが一律ではなく由々しき問題を引き起こしてもいます。テレビでは「高齢になったらやせないように肉を食え!タンパク質を摂れ!」とやたらと奨励するものだから、結果として糖代謝をおかしくし、内蔵脂肪を増やしてしまったり腎機能を落としてしまったりする、メタボが改善できないまま老年期に突入してこれ幸いにと再び食事制限を止めてしまう輩がいる。その一方でもっと太ってほしいけれど若い頃から食が細くて、無理して食ってもすぐにおなかを壊してしまう虚弱体質の人には、こんなデータを突きつけられてもいかんともしがたい。「食べたくないけど太らないといけないと云われるから薬と思って食べている」という高齢者の中に、今まで正常だった生活習慣病関連のデータが一気に悪化した人のいかに多いことか。

日本人の「やせ」問題が本当に問題なのは、そんなジレンマが根底にあるからなのではないかと感じています。

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虫の知らせどき?

昨夜、床についたらずっと左肩が痛くて寝るに寝れない状態がしばらく続きました。

「痛い」と云って起き上がったものだから、すでに眠っていた妻が眼を目を覚まして、「だいじょうぶ? 狭心症とかじゃないよね?」と心配してくれました。発作性のものではなくきっと心筋梗塞や狭心症のような虚血性心疾患ではないなと判断できたから横になったものの、深部からの痛みなので動脈解離とかは問題ないのか?などと冷静に分析しているうちに眠りについていました。で、今朝目覚めたら、左肩はどうもないけど右肩がズキンズキンするほど痛い。クビを挙げるとたちまち痛くなる。これは持病の腱板断裂の症状ではなく、これまた持病の頚椎症の症状の再発が考えられます。仕事中も改善しないので読影をしながらストレッチを繰り返したり、鎮痛剤を飲んだりして対処しました。1年前から時々できる左足の裏のできものもまた再発して歩くのに痛みが出てきました。とりあえずバンドエイドで対処中。

そういえば、数日前には大量の血尿をする夢を見ました。痛くもないのにトマトジュースのようなおしっこが大量に出てくる夢。尿管結石が持病のわたしは血尿は何度も経験しているけれど、このおびただしい出血はそんな生やさしい病気ではなさそうだ。きっと膀胱がんかなんかが潜んでいるのだろう、と自己診断したところで目が覚めました。おそるおそる本当の小便をしてみたらごく普通のおしっこだったので、胸をなで下ろした次第。

その翌日にも変な夢を見ました。自分の車を動かそうとしてアクセルを踏むけれどあまり動かない。バックに入れるけれどあまり動かない。困って車を降りてみたら、前輪のタイヤが外されてギャッチアップされていました。もう少しでギャッチが崩れ落ちそうになっていました。

そんな、夢ともうつつともつかない変な感覚がここ1週間わたしを悩ませているのですが、これはもしや何かの暗示? 近いうちに我が身にとんでもないことが起きるから注意しろ!ということかしら? それとも、体内に変なものができているから注意しろ!という警告か何かじゃないかしら? 

そんなこんなで、妙に弱気な今日この頃です。

 

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足すか引くか

毎朝、四階の診察室に向かうのに非常階段の方に歩くわたしと視線を逸らしながら若いスタッフたちはこぞってエレベーターの来るのを待っています。2011年の東日本大震災の後には日本中に節約機運が高まって、「極力階段を使いましょう」運動をやってましたが、いつの間にかこんな感じ・・・もうこういう光景にも慣れました。

そんな若いスタッフたちを眺めていると、これがジェネレーションギャップなんだろうなと実感します。足すか引くか、感謝か当たり前かの問題です。わたしたち昭和の人間は、階上にあがるには階段しかなかった世代で、ビルにエレベーターやエスカレーターができて初めてそのありがたみに感謝したものですが、平成以降の皆さんは生まれた時からエレベーターかエスカレーターがあるのが当たり前の世代で、下手をすると”動く歩道”まで当たり前にできていたわけで、たまに階段しかないアパートや雑居ビルに出会うと「信じられない!」と嘆くわけです。

人生の途中からできたものと生まれたときからあって当たり前だったもの。テレビも、今や白黒テレビが希少価値だから、”カラーテレビ”というワードは死語らしい。わたしたちがテレビで東京オリンピックを観たころ、カラー放送なんて開会式とごく一部の競技だけだったはず(しかも一般家庭には普及してないから、うちはとなりの開業医のお宅に上がらせてもらって天然色の開会式をありがたく観させてもらった)なのに・・・。電話機のマークもその本体を知っているのは年寄りだけだとか。

コンビニが24時間開いていて当たり前の世代とコンビニ自体が大人になってから生まれてきた世代。セブンイレブンとかまさしく7時から11時(23時)まで開いているお店だったわけで、それでもすごいと思っていました。でも、高い(定価)。街のスーパーの方が安い。でもせいぜい8時(20時)までしか開いていない。わざわざコンビニで定価で買うなんて勿体ないから、どうしても夜に買わないといけないものだけコンビニでやむを得ず買ったものです。皆に「金持ちやのう」とか云ってバカにされていました。

物価・・・わたしたちは毎年社会の経済水準が上がるとともに物価は上がるものだとわかっている世代。それに対して、今の若者世代は生まれた時がすでにバブルが弾けた後でそれ以降物価は下がることしか経験してきていないものだから、商品が値上がりすることにものすごく抵抗感を持つのだそうだ。

さてさて、どっちが幸せなのだろうか。


 

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イナズマ

NHKの『日本人のおなまえっ!』を見るのが楽しみなのですが、昨日の番組で『稲妻』が出てきました。

これを説明するのに、『イナズマ』と、さもそれが当然なような顔をして(泉谷しげる『黒いカバン』の口調で・笑)表示していました。”稲”+”妻”なのに『イナヅマ』じゃないのはなぜ? というか、そのことを番組の中で全く触れなかったのはなぜ? という当たり前の疑問が湧いてきて悶々とした気持ちになりました。

早速スマホで検索してみました。文部科学省発行の『「現代仮名遣い」に関する内閣告示及び内閣訓令について』で、「いなずま」と表記すると定義されてるのだそうです。本来、『稲』+『妻』の合併した文字は各々の字に由来して、『イナ』+『ヅマ』とすべきだと思われるのだけれど、そうではなくて『イナズマ』と表記する理由は、『稲妻』の意味が(本来の由来は何であれ)”稲”でも”妻”でもなく、カミナリが発する光と音のことをいう一つの単語だからだそうです・・・『現代語の意識では一般に二語に分解しにくい』から。同じ”妻”を使っても、『人妻(ひとづま)』などとは違うと云うことですね。たしかに、『世界中』は『セカイジュウ』であって『セカイヂュウ』とは表記しないのに全然矛盾を感じていなかったです。それでも、『イナヅマ』『セカイヂュウ』と書いても間違いではない、という注意書きがあるそうです。

ちなみに、なぜ雷のことを『稲妻』と書くようになったのか、雷を『神鳴り』と読むのか、などの由来は・・・Wikipediaでも読んでください。

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ガマンしているんだ?

先日、テレビで有名なシェフがインタビューを受けていて、日々の栄養バランスについて語っていました。

「ボクはいつも健康のために食事の栄養バランスのことは注意していますよ。でも、たまにはおいしいものを食べたいから外で食べることもありますけどね」

それを聴くレポーターさんがえらく感心していましたが・・・そうか? おかしくないか? 予防医療を専門にする医者の目で分析すると、この発言には大きな間違いがある・・・料理のプロであり、人気シェフだと云うその彼の言葉に耳を疑いました。

「たまにはおいしいものを食べたい」というのは、つまり毎日の食事は栄養バランスを考えるあまり、そんなにおいしいとは思っていないということを意味するのか? つまり栄養バランスを考える食べ方は”がまん”を強いている、と料理のプロが考えているということになる。たまに食べる「おいしいもの」とは一体どんな料理のことを指しているのだろう?

このインタビューを聞いて、ちょっと(いや、かなり)落胆しました。「いや、そんなつもりじゃなかったんです」とどっかのチンピラ大臣が云うようないいわけをするかもしれないけれど、きっとこれが本心なんでしょう。「世間に受けるから”ヘルシーな料理”を心がけているけれど、こんなのちっともおいしくないし」と思っているんでしょうか。

残念です。

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健康カルタ

8月に頼まれた講演の「題名が早くほしい」と云われました。何も内容も考えていないのになあ、と思いながらもちょっと考えてみた。

ま、題名なんて何でもいいから、その気になったら健康カルタでもできそうなくらいいくらでも考えつきます。

●『健康』は理屈では買えない
●ムダに動け、ムダに食うな、サッサと寝ろ!
●反省とため息は老化のエサ
●人間は、諦めたときから年寄りになる
●ガマンの向こうに健康はない
●楽しくなければ人生の無駄遣い
●「いつまでやるの?」「いつまでもでしょ!」
●ピンピンコロリと往けるように
●変人のススメ
●若えもんが心配だモン!
●食事は感謝を持ってありがたくいただく
●人間に運動欲という欲はない!

とりあえず、こんだけ送っておきました。最終的には、何になるのでしょうね。

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『後ろを振り返る』

7月発行のコラムのために2つ書いたうちのボツになった方をアップしておきます。まあ、たぶん次回か次々回にネタが無かったらこれが引っ張り出されるのは必至ですが(笑)

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『後ろを振り返る』

 

私は散歩が好きです、というよりも歩くのが好きです。だから寒くても暑くても、たとえ仕事から疲れて帰ってきても、できる限り愛犬と散歩をします。ただ、うちの愛犬は毎日きっちりと同じ道の同じ側の歩道しか歩こうとしないので、散歩はいつも同じ景色の繰り返しでした。ところが先日、いつもの散歩中にふと後ろを振り返ったら、驚くことが起きました。いつも歩いている見慣れた風景のはずなのに、そこには今まで見たことのない景色が広がっていたのです。まるで初めて来た場所のような、あるいはパラレルワールドに入り込んだような妙な感覚にとらわれました。皆さんはそんな経験をしたことはありませんか。

険しい山道を登る時、眼前に伸びる一本道しか目に入りません。それが険しければ険しいほど一生懸命に前を向いて黙々と上っていきます。でも、途中で一休みして後ろを見たら眼下に広がるパノラマに感動することでしょう。今、自分は本当にここを通り抜けてきたのかな、と不思議な気持ちになります。私の散歩中の感覚もそれに似ていました。いつも通り過ぎるお店の大きな看板の裏側に書かれている小さな文字だとか、単なる上り坂だと思っていたら下を小さなせせらぎが流れている橋だったとか、いままで存在すら知らなかったことに気づいた時に、驚きというより新しい発見の嬉しさを感じました。

『後ろを振り返る』ということ・・・今まで全然意識しなかったけれど、これはとても大事なことのような気がします。それは、毎日の生活でも仕事でも日頃の考え方でも、何にでも当てはまります。反省のためではありません。「あれをしなければならない」「こうすべきだ」と一心不乱にまっすぐ前を向いてがんばっている皆さんに申し上げたい。自分の前に伸びる道は遙か向こうまで細い一本の筋に見えるかもしれないけれど、自分の後ろにできた足跡は決して一本の筋だけではなく、自分を頂点にして末広がりに広がった風景の中にあることに気づくでしょう。知らないうちにこんなにたくさんの経験をしてきた結果として今があるのだと気づくでしょう。前だけ向いていたら見えなかったものが自分の後ろには想像以上にたくさん隠れていたことに驚くはずです。これに気づかないのは、人生の半分を捨てているようなもの。日々がんばっている皆さん方、時には自分のやって来たことをちょっと振り返ってみてください。絶対に新しい発見があると思います。

そんなことを思って感動していると、「何やってんじゃ?」という顔で私を覗き込みながら、「早く行くバイ!」と私の持つリードをグイグイ引っ張っていく愛犬。一瞬にしていつもの景色に戻されるのでございます。でも、その瞬間にも、私たちの後ろにはそんな風景がきっちりと私たちを追いかけてきて、時を刻んでくれていることでしょう。

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これは由々しき問題

「生活にゆとりのない」家庭は食育に関心がない 子供の孤食や栄養バランス不足に親の生活習慣病が影響

 『富山大学は、食育に関する新たな調査結果を発表した。「生活にゆとりのない」家庭の親は食育に関心がない傾向があり、とくに母親の生活習慣が「悪い」と、親が食育に関心がなく、栄養バランスを考えない傾向にあり、子供の孤食も多いことなどが示された。また、子供のメディア利用時間が長いほど、朝食の欠食や間食が増える傾向があることも分かった』・・・富山大学地域連携推進機構地域医療・保健支援部門が、富山県教育委員会との連携事業として実施された文部科学省スーパー食育スクール事業の追加調査として実施し、Journal of Epidemiologyに掲載されたデータだそうです。

(1)「生活のゆとりがない」家庭は、親が食育に関心がなく、栄養バランスを考えない傾向にあり、子供は野菜を食べない
(2)親の生活習慣が悪いと、親が食育に関心がなく、栄養バランスを考えない傾向にあり、子供の孤食も多い
(3)子供のメディア利用時間が長いほど、子供は朝食を欠食し、野菜を食べず、1日2回以上間食をする

これは、簡単に想像つく結果ではあるけれど、深刻で社会的な由々しき問題です。食育なんかに目を向ける余裕がないということです。むかし、日本中が貧乏だったころ、生活が苦しくて食べるものもままならなかったころでも、「自分は食べられなくても、せめて子どもだけは食べさせたい」と努力したのが母親だったのではなかろうか。子どものことを考えない母親は実質的にはほとんどいないと思うけれど、ただ、「まずは自分」というのが今どきのお母さん、というのも事実。自分が遊ぶために子どもを夜中でも連れ回すとか、自分が食べたいから子どもにも同じものを作るとか、自分が夜更かしするから子どもの夜更かしも許すとか・・・大人になれない親が増殖していくのは、その親の親であるわたしたち世代の責任なのかもしれません。

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超加工食品?

超加工食品の高摂取で死亡リスク増大

 CareNet配信のこんな記事を読みました。

『超加工食品を1日4サービング以上摂取すると、死亡のハザードが相対的に62%増加し、1日1サービング増えるごとに死亡リスクが18%増加することが、スペイン・ナバラ大学のAnais Rico-Campa氏らの調査で示された。研究の成果はBMJ誌2019年5月29日号に掲載された。既報の成人を対象とした前向きコホート研究により、超加工食品の摂取は、がん、過敏性腸症候群、肥満、高血圧のハザードの上昇と関連することが知られている』とのこと。

超加工食品を高摂取する群の特徴は、太っていて、喫煙者が多くて、教育レベルが高く、生活習慣病の家族歴がある人が多かったそうですし、間食や長時間テレビを見る割合が高く、パソコン使用時間や昼寝時間が長く、脂肪摂取が蛋白摂取より多いという特徴もあるのだとか。まあ想像のつく結果(教育レベルの高さは仕事の忙しさと座位業務が多いせいかしら)だからそれはそれで納得しているのですが、この『超加工食品』ってどういうのだろう?と思いまして。『最も多かったのは加工肉(15%、ハム、ソーセージ、チョリソ、サラミ、モルタデッラ、ハンバーガーを含む)と砂糖入り飲料(15%)で、次いで乳製品(12%、カスタード、アイスクリーム、ミルクシェイク、プチスイスを含む)、フレンチフライ(11%)、ペストリー(10%、マフィン、ドーナツ、クロワッサンや他の非手作りペストリー、菓子類を含む)、クッキー(8%、ビスケット、チョコレートクッキーを含む)の順であった』というのですが。

他の文献検索すると、『米国糖尿病学会(ADA)によると、「超加工食品」とは「糖分や塩分、脂肪を多く含む加工済みの食品。保存料などを添加し、常温で保存できたり、日持ちを良くしてある食品」のこと』とあり、『調理済みの「超加工食品」の多くは栄養価のバランスを著しく欠いている。高カロリー、高脂肪、高塩分だが、他の必要な栄養素であるビタミンやミネラル、食物繊維などはあまり含まれていない』のだそうな。

毎日こんなのばっかり食うのはそりゃ身体に悪かろう。だって、もともと身体がそんなの体内に入れるようには想定されていないんだもの。まあ、魅惑の誘いなのだろうことはわからんでもないが、たまに食うからうまいんじゃないのかしら。

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眠れない

こんな感じは初めてでした。

数字前の夜、疲れたので床についたものの、まったく眠れる感じがしなくて焦りました。うたた寝してしまって眠れなくなったとか、イライラした昼間のことを思い出して興奮したり、直前みたスポーツ番組の劇的結末に興奮冷めやらないまま床についたとか、翌朝早朝から仕事だから緊張したとか、胃潰瘍や円形脱毛ができるほどのうつ病になったときとか、今までにも眠れずに悶々としたことは数えられないほどあったのだけれど、昨日のはそんなのではない。心も身体も疲れ果てて「眠りたい」のに、交感神経だけがもぞもぞと動き続けて変な動悸が打つ。なんか胸が変な感じ。自分はこのまま心筋梗塞かなにかを起こして翌朝目を覚まさないのではないかと思うような不安感に苛まれました。

そういえば、ここ半年ほど、妻がよく「眠れない」という悩みを訴えていたけれど、あれがこれなのかな。寝る前に緑茶を飲んだり夕食後にコーヒーを飲んだりするとてきめんに眠れなくなると云って、ノンカフェインの麦茶をいつも携帯している。自分はそんなデリケートな身体じゃないからと笑っていたけれど、自分の交感神経もカフェインに反応するようになってしまったのかしら。

とにかく、こういうパターンの睡眠不足は、翌日の一日をものすごく重いものにさせます。なんとかせねば。

 

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何も変わらないことを確認することの大切さ

昨年、甲状腺がんの手術を受けた妻が、時々しみじみと云います。「やっぱり、定期受診って大事なんだよね。15年近く前からある甲状腺のう胞・・・毎年同じように予約して受診して検査して『はい、変わりませんね』と云われて帰ることの繰り返し。仕事を休んで受診した挙げ句に毎回5000円近いお金を払うって、もったいない気がしていつの間にか行かなくなったんだよね」と。「どうせ、変わらないし」ということで5年ほど受診をサボっていたら、新しいところに新しい悪者が生まれていました。そんな話を受診者さんに話すと皆さんが「そう、そうなんですよ。どうせ行っても変わらないしって思うんですよ私も」と相づちを打ちます。

眼底検査で眼底出血があった糖尿病の受診者さんに眼科受診を促すと「いつも行っても何もしてくれないんですよ」と苦笑いしました。「いや、ちゃんと診てくれているはずですよ。何も悪くなっていないことを確認するために受診するのですから」とお答えしました。たしかにそうですね。『何も変わっていないことを確認するために定期的に病院受診する』って、わたしたち医療者は当たり前だと思っていますが、当事者にとっては「そんなもったいないことはできたらしたくない」ですよね。

むかし、友人の兄弟がお父様の勧めでわざわざ遠方から人間ドックを受診しに来たことがあります。フルコースで検査してほぼ問題なかったので「良かったですね」と云ったら、「結局、金をドブに捨てたようなものだったってことですね」と本音とも冗談ともつかない意見を云って帰って行ったことがありました。健診や人間ドックこそ、”健康であることの確認”ですから、正常であることを確認するために金を払うということへの抵抗感がある限り、人間ドックは愚の骨頂なのでありましょうか。

甲状腺がんは概ね静かなものが多いのだとはいえ、今回はたまたま異常所見を見つけられ、「紹介状を書かない限り受診しないから厳しく判定してくれ」とわたしが同僚に云ったから受診したわけですが、「何もなくてもぜひとも毎年定期的に受診して、『何も変わっていなくて良かった』ことを都度都度に喜ぶことが大切」というのが当事者である妻からの切実なメッセージでした。

 

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チョイス

わたしの職場の同僚が、旦那さんの誕生日祝いをしたいので良いお店を知らないか?と相談してきました。今は、ちょうど旦那さんがわたしの実家のある街に数ヶ月間仕事で住んでいるのです。

早速わたしは、中学時代の同級生に連絡しました。地元でリーゾナブルな食事を取ろうと思うなら、彼に聞くのが一番。今回も、すぐにお勧めのお店を教えてくれました。

そういえば、彼は
「おいしい食事をおいしく食べたいので、おいしい食事に合うお酒を選ぶ」
って云ってました。

その点わたしは、
「おいしい酒をおいしく飲みたいから、おいしい酒に合う料理を選ぶ」

根本的にまったく違う価値観だけど、最終的には同じ事なのかもしれない(笑)

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フェイクミート

今朝のテレビ番組で『フェイクミート』の存在を知りました。

『フェイクミート』(肉代替食品)は、文字通り肉の代わりに大豆などを使ってハンバーグなどを作るわけですが、最近は味も見た目もまったく肉を使った場合と遜色ないのだと云っていました。本物の肉を使うより、タンパク質が維持できるのに脂肪分とカロリーが半減するからヘルシーなのだそうです。「これはもう、どこから見ても肉です!」と皆が絶賛していました。

「へえ、そうなんだ」とか思いながら、もともと肉より豆腐の方が好きなわたしはそんなに感動するほどの話ではなかったのですが、ふと考えたことがあります。このフェイクミートとやらの食材、タンパク質とかカロリーとか脂質とかそういうメインの栄養素以外はどうなのだろう? お肉に含まれるビタミンやミネラルやはこのフェイクミートでもちゃんと補充されているのだろうか。世の中の自然界にある食材というものは、メインのもの以外のすべての栄養素の組成には必ず意味がある。そこの部分がなければそれはお肉ではない。そこまでフェイクできているのだろうか、と。

むかし、塩の代用として『食塩』が誕生したころ、自然界から生まれた塩は供給が安定できないし金がかかるけれど、これが工場で作れるなら安価でできる。ということで、「塩=NaClだ」という理屈で生まれた”シオ”が、本当は「塩」ではないということを教わったときにものすごいショックをうけたことを思い出します。自然界にある「塩」には、ナトリウムとクロール以外の無数のミネラル成分が含まれているから「塩」なのであって、NaClと「塩」は全然別物なのです。それがこの『フェイクミート』でも云えるのではないか。だとしたら、存在の意味はあまり大きくはないのではないか、と思うのであります。

やっぱり、『フェイクミート』は、お肉の代用ではなくて『フェイクミート』という大豆料理だと主張した方が良いのじゃないのかな。

 

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