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2019年7月

「なし」はいつまでも「なし」ではない

病気の診断のために精査をすると、最終的に「異常あり」「異常なし」の区別をつけてくれます。

「あり」という診断を受けるとそれに対して何とかしようとするけれど、「なし」の診断をつけられたときが問題です。たとえば不整脈、緑内障、糖代謝異常・・・「むかし検査を受けたら『問題ない』といわれたので」という理由で、健診時に精査の指示を出しても無視する人がなんと多いことか。

眼底検査で『乳頭陥凹拡大』があると緑内障の危険性があるために眼科受診を指示します。眼圧が上がらない『正常眼圧緑内障』が日本人には多く、この病気は加齢黄斑変性症と並んで日本人の失明の主な原因になる重要な病気です。だから、精査の指示を出すのですが、病気は徐々に進行するもの・・・5年前に「問題ない」と云われたとしてもそれが今後の「問題ない」を保証するものではありません。わたしたちは、以前に精査を受けて「問題ない」と云われたことを承知の上で、それでもそろそろもう一度診てもらったほうがいいと判断したときに要精査の指示を出します。だから、そのときには改めて受診してほしいものです。

境界型糖尿病も同様です。「まだクスリは要らない」と云われたことを楯にその後の受診をしないばかりか、「糖尿病ではない」と云われたからといって放ったらかす。その結果として数年後には目も当てられないほどの糖尿病に進行してしまう。「もう糖尿病になっているので受診してください」と説明しても、「オレは糖尿病ではないと云われた」と主張する人・・・そう珍しくありません。困ったものです。

「あり」という診断を受けたものは精査は1回だけで十分です。でも、「なし」の診断は数年経てば”過去の思い出”と思ってほしいものです。

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心臓ヨガ

先日、大阪で行われた日本心臓リハビリテーション学会の会場に置かれていたチラシをいくつかもらってきた中に、『心臓ヨガ』がありました。

心臓リハビリテーションに活かせるヨガとは?」「・・・兄の心臓突然死を経験し、その想いを形にしたプログラム『心臓ヨガ』」「何かあってからではなく、何もないうちから出来ることを。」 日本ポジティブヘルス協会」

これだけのチラシ。

何があるのか、想像がつくようでつかない内容。そりゃ、ネット検索してしまいますよね。チラシの真ん中にQRコード・・・ついスマホをかざしてしまいますよね。

心臓ヨガ

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説明している人に実感がない?

『死の四重奏』というのを知っていますか? 肥満、糖尿病、脂質異常、高血圧の4つが揃っていると心筋梗塞など命に関わる心臓病に罹る危険性が普通の人の35倍にまで跳ね上がる、というものです。これは動脈硬化に対する予防医学の基本なのですが、これを受診者の方に説明する立場の医療者である保健師さんや医者までもが勘違いして居るのではないかと思います。彼らは、「今のままの生活を続けていると、将来心筋梗塞になったりする危険性があるんですよ」と説明しているようなのです。

『死の四重奏』はそんな甘い概念ではありません(メタボ健診の基準と混同しているのではないかと思います)。『死の四重奏』は、「いま目の前で、あるいは今日の帰り道で、突然心筋梗塞になって倒れても誰も驚きませんよ」というレベルのものなのです。

『境界型糖尿病』の概念もみんな間違えています。「まだ今は予備軍だけど、早く生活を変えないと将来糖尿病になるかもしれないよ」という甘い云い方をしている人がなんと多いことか。実際には、この境界型糖尿病(糖代謝異常)の時期に動脈硬化が一番加速度を増して進行する時期なのです。そんな怖い時期なのに、糖尿病になってないからくすりすら処方してもらえないのです。「まだ、くすりは要らない(まだ軽症)」のではなく、「くすりももらえないのに病気が進行するから、死に物狂いで生活療法をしないといけない時期」なのです。もっと悪くなってくすりをもらえるレベルになったら、もう少し落ち浮いた時期になれるのです。

説明者に実感がわかないのは、皆が若くて自分に関係ないから? とにかく実感がわかないままに説明しているから、その重篤感が伝わらず、「まあ、そのうちに」と云って逃げられることになる。それがものすごく残念です。

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『健康』は当たり前?

わたしが医学生だった頃、『病気』の講義は受けたけれど『健康』や『予防』の講義をまともに受けた記憶がありません。夜中まで演劇部だったわたしは、講義をサボったり授業中に爆睡することは少なくなかったから知らないだけかもしれませんが、おそらくそうではなく、むかしは”普通にしていれば健康でいられる”時代だったからだと思います。医者の仕事は『病気を治すこと』以外にはありえなかったのです。

10年くらい前、日本抗加齢医学会に入会したときに「そんな怪しい学会なんかやめた方がいい!」「おまえの医者としての品位を疑われるぞ!」と親しい医者仲間にマジメに忠告されたものです。それが、今や一般市民だけでなく医療者の間でも予防の概念が普通に受け入れられる時代になりました(まあ、いまだに旧態依然とした態度の医者は居ることは居ますが)。

一方で、「病気になりたくない」という理由でくすりを飲むことを拒む輩がたくさん居ます。「できたらくすりは飲みたくない」「学会が基準を厳しくしたために病人が増えてしまったのだ」・・・それは予防の概念からすると悪いことではないのかもしれないけれど、意地を張らずに早くくすりを飲んだ方がはるかに健康的な生き方ができるだろうに、と思われる人がたくさん居ます。「くすりを飲むと病人」「健康な人はくすりは飲まない」という誤解はどこから来るのかと云えば、やはり旧態依然とした『病人は社会から脱落した人』という考え方が残っているからなのでしょう。

語弊があるかもしれませんが、「くすりを飲まないで、もっと頑張る」と主張している人に限って、大した努力はしていません。ポーズとして形だけちょっと努力したくらいではカラダはビクともしません。砂山の砂取りゲームで云えば、中央に立つ旗を倒す勢いでごっそり砂を取り除くようなそんな頑張り方をして初めて『くすりを飲む』という行為と同等レベル・・・「人間はそんな努力なんて絶対にできないか、できても絶対に継続できない。だから、そんな人でも健康になれるようにするために”くすり”があるのだ」と、臨床医は「それみたことか」という顔をして云います。そのドヤ顔を見るのは超アタマにくるけれど、そんな医者をギャフンと云わせられるほどの努力を「努力」と云うのだということは知っておいた方が良いでしょう。

今は、そんな時代なのです。わたしが医学生だった頃に教わった常識が通用しないのと同じように、むかし、子どもの頃に親や先生に教わったであろう医療常識も全く通用しないと思った方が身のためです。

 

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「感謝」の真意

先日、フェイスブックを眺めていて、ある人の文章に目がとまりました。組織の中で一番大切なのは「感謝」の気持ちだ、という話。上司が、部下に仕事を頼んだとき、そこに「感謝」の気持ちがないと、あら探しをしたりダメ出ししたりしてしまう。「感謝」の気持ちを持っていれば、そんなことは決してない。組織が成長できるのは、「感謝」のできる人間が集まったときだ、と。

「感謝」の重要性は20年以上前からわたしの耳にも入ってきて、知識としては理解できていました。毎朝、仏壇で手を合わせるときにも「ありがとう」という言葉を何度も口にしました。思い当たる人の一人一人に「ありがとう」と云いましょう、という本を読んで。それが素晴らしいことだと分かりますし、それを済ますと気分は良い。仕事でも、若いスタッフに何をしてもらっても「どうもありがとう」という言葉を口にするようにもしています。妻に何かしてもらっても必ず「ありがとう」と云うのが口癖。

ただ、それでも、「感謝する」という気持ちを持つことの真意は本当は理解できていなかったのではないかという気がします。それが、この人の文章を読んでいて、「ああ、これか」とどこかで合点がいく自分を感じました。自分の人生に関係するすべての人の行動のひとつひとつが、今の自分を形作ってくれています。「感謝」は形でするものではなく、ココロでするもの。昔は意識して「ありがとう」と云っていた自分が、最近は無意識に「ありがとう」と云っている。周りのひとりひとりがお願いしたことをきちんとやってくれて、相談したことにきちんと答えてくれたから、今の自分があることをココロからきちんと分かっている。そんな自分って、大人になったな、とこっそり思う。他人に仕事を任せられると云うことは、自分が大人になったということ。他人を信じられると云うことは、他人のするひとつひとつに感謝できているということ。

うん。なんかこの感動をうまいこと表現できないから、これでやめます。とにかく、すべてのことに感謝できるようになりました。

 

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『特発性冠動脈解離』

中年女性が発症する特発性冠動脈解離の特徴は?
~冠動脈疾患リスクが見当たらないのに起こる心筋梗塞

30〜50代の女性で、高血圧、脂質異常症、動脈硬化などのリスクが見当たらないにもかかわらず、突然、強い胸痛や急性虚血を発症する特発性冠動脈解離(SCAD)という病気、皆さんは知っていましたか。1931年に発表されていたそうですが、不勉強で恐縮ですが、わたしは今回初めて認識しました。閉経前の女性の狭心症や心筋梗塞はれん縮によるものがほとんどで、特に高血圧や糖尿病などの合併症を有しないとなると、わたしが循環器救急の現役だった頃には”若年女性”と云うだけで除外診断をされていた記憶があります。

国立循環器病研究センターを含む国内20施設の2000年から2013年までのAMI患者約2万人を対象とした調査で、SCAD患者は63例で0.31%だったが、50歳以下の女性130例に限ると45例(35%)を占めていたそうです(Int J Cardiol. 2016 Mar 15;207:341-8)し、日本循環器学会がまとめた『急性冠症候群ガイドライン2018年改訂版』では、「CAG で典型的な解離所見を確認できる例は25〜43%であり、55〜70%の症例では明らかな内膜のフラップがなく、びまん性かつ辺縁が滑らかな狭窄所見のみが認められる。非典型例では、CAG 中に冠動脈イメージングを使用することによって冠動脈壁内の偽腔の存在を確認することが、診断の補助となる」とあります。患者の半数に精神的ストレス、2割に身体的ストレスがあるそうで、「ストレスによるカテコラミンの急激な変動が血行力学の急変動を招き、脆弱な血管に負担を与えた可能性も少なくないのではないか」と説明されていました。

もう、救急の臨床現場に戻ることはないでしょうから、SCADという病態を知ったところでその知識を活かせる機会はもうないかもしれませんが、医者としてこんな病態のあることは覚えておきたいと思います。


 

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おまえはどこぞの社長か?

「出たくもないのに、立場上出なければならないと云われるから会議に出るんだから、きちんと時間外申請してもいいですよね」
と聞いたら、

「会議に出たいとか出たくないとか、そんな区別は必要ありません」
と答える担当者。

「バカじゃないの?この人は日本語がわかってないんじゃないの? 自分から出たくてたまらない人のことなんてどうでもいいんじゃ。『時間外申請できる人は、出たくないと思っている人だけか?』と聞いているわけじゃないんだから!」
と勝手に苛つくわたし。

「え、あれはただの冗談のつもりで云っただけですけど」

・・・おまえは、先日グダグダ会見をしたどこぞの会社の社長か? 

どうでもいいことだけど、こういう言葉のやりとりは、きっとその場の空気を読み取って話しているかどうかに尽きるのだろうな、とつくづく思いう次第です。

 

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遺影撮影

夕方のテレビで、生前の終活のひとつとして遺影撮影をする話が出ていました(『徳さんのアナタの“終活”拝見します 』2019.7.23、日本テレビ系)

終活として遺影を撮る。写真館できれいにメイクして撮る人、思い出の場所にカメラマンに出張してもらって撮る人・・・亡き夫と過ごした自宅だったり、自分のクリニックの仕事姿だったり、亡き夫と一緒に見た夕日の前だったり・・・その生き生きとした笑顔の表情が輝いていました。「いい顔してるなぁ」と独り言。

自分の遺影を、自分の一番思い入れのある場所で撮影する?

テレビを見ながら、そう考えたとき、わたしの思考が一瞬止まりました。さて、自分にはそんなところはあるだろうか? 自分が生きてきた奇跡の中で、自分の遺影としていつまでもこの世に残すとしたら、どこを選ぶだろうか? ・・・全然浮かばない。一番好きなところ、一番ココロが落ち着くところ、あるいは夫婦の思い出の場所、学生時代の青春の証を刻んだ場所、ココロをトリコにさせて何かに夢中になった場所・・・「ないわけがないやろ!」って? いやいや、本当にどこも浮かばないのだよ。

ボクの、人生って、何だったのだろう? ちっと悲しくなりました。

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敵は内蔵脂肪よりも脂肪肝!

男性は肥満がなくても脂肪肝に注意

『日本人男性は肥満でなくても、脂肪肝があると筋肉のインスリン抵抗性を来し、糖尿病になりやすい』『内臓脂肪が蓄積していても、脂肪肝がなければインスリン抵抗性はみられない』・・・配信されてきたCareNetに紹介された、順天堂大学大学院代謝内分泌内科学・スポートロジーセンター准教授の田村好史氏らがJournal of the Endocrine Society 5月20日オンライン版に発表した内容は、意外に重要なことだと思いました。

メタボや糖尿病の人が運動不足や食べ過ぎで余ってしまった脂質を皮下脂肪ではなくて内蔵脂肪や脂肪肝として蓄積することは『インスリン抵抗性』として多くの人(専門家も一般市民も)が耳にしたことのある情報です。ところが、このインスリン抵抗性を引き起こす原因が内蔵脂肪の巨大化に起因するのか脂肪肝に起因するのかが明確ではなかった(わたしはどちらかといえば内蔵脂肪の暴走が主犯格だと理解していました)のです。それを検討したのがこの報告なのですが、それによると『内臓脂肪の蓄積がなくても、脂肪肝がある群では骨格筋のインスリン抵抗性が認められたのに対し、内臓脂肪が蓄積していても脂肪肝がなければ、インスリン感受性は良好であることが分かった』『内臓脂肪蓄積+脂肪肝群と脂肪肝単独群のインスリン抵抗性には差がみられないことも明らかになった』というのです。

太った人がダイエットを試みてかなりやせたとしても脂肪肝は最後まで消失しない、ということはよく経験します。それは運動などで一気に蓄積エネルギーが減少したのを身体が危機的状態と判断して前よりも貯め戻す対応をするようになるからだと理解して、受診者さんにも話していました。そうじゃなかったということでしょうか。とにかく、『肥満のない日本人男性では、内臓脂肪の蓄積よりも脂肪肝が筋肉の代謝障害と強く関連する』ということを意識して、減量に取り組むように働きかけることにしましょう。

 

 

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『8月7日』という日

来る8月7日に、2年ぶりくらいで町の公民館での講演を依頼されました。そろそろ準備に取りかからないといけないのですが・・・。

そんな8月7日は、妻が甲状腺の手術を受けてからちょうど1年め。「まだ1年か。もう遠い昔だったような気もするのに・・・。まだ1年か」と妻が先日しみじみつぶやいていました。手術の前から考えると、怒濤の14ヶ月でした。

そんな8月7日ですが、実はこの日は、わたしを今の病院に引っ張ってきてくれた元ボスの命日です。「今年は23回忌になります」と元ボスの奥様からの年賀状で知って、「命日はいつだった?」とスタッフに聞いてみたら、「平成9年8月7日です。9-8-7で覚えていました」って。このボスの誘いがなければ熊本の地に骨を埋めることにはならなかったでしょうし、妻と結婚することもなかったでしょう・・・『8月7日』は、何か大きな縁を感じる日です。

H先生が、陰でこっそり妻の手術を守ってくれたのかもしれません。久しぶりに夫婦でお墓参りをさせていただこうかと思っています。

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草刈りの危機感

昨日は、働き方改革の一環の有給休暇。この日を利用して、南阿蘇にあるうちの土地の草刈りをしに行きました。

夏は草の伸びるのが特に早いから、1ヶ月に1度は草刈りをしにいかないととんでもないことになります。阿蘇の山の中だとはいえ昨日は想像以上に蒸し暑く、熱中症にならないように気をつけて何度か休憩をとりましたが、それでも想定以上に汗がしたたり、法面などの草刈りをしていたら動悸が出始めました。百五十坪近くある土地を草刈り機を駆使して一人で刈り終わるには2時間はかかります。 最後の方は、少しもうろうとするほどでした。

作業をしながら、「自分の命を守るためには、途中でもいつもと違うと感じたらそこですぐに止める勇気が必要です」とテレビで云っていたのを思い出しました。熱中症になったことのあるタレントさんが「まだ大丈夫だ、と思ってても突然おかしくなるからね。もうそうなったら、自分ではどうしようもなくなるからね、早めに止めないと危ないんだよ」と云っていた・・・わたしもそんな講演を一般住民の方にしたことがあります。

でも、実際にその立場になったら、その決断はかなりむずかしい。もう八割方済んでいるから、もうちょっとで終わるんです。ここで止めたとしたら、次に続きをするためにここに来るのは1ヶ月以上後になるし、誰かが代わりにしに来るなんて事は絶対にない。結局、自分がしなきゃならないのです。そう考えたら、もうちょっとがんばっちゃっても大丈夫なんじゃないの?と思うのが普通だという気がします。冷静に考えると、たとえ猛暑だとはいえ、たとえ老体をむち打って法面を斜めに草刈り機を持ち挙げてやったとはいえ、10年前には感じたことのない胸のきつさと動悸・・・これは高血圧が引き起こしている”普通じゃない状態”じゃないか?ということは、循環器内科医であればわかっているはず。冠動脈の石灰化も著しいのだから、止めるか休むかしなければならないんだけど、ねえ。

でも、止めきらんかったです。何事も起きなくて、よかった。

 

 

 

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階段の危機感

先日、学会参加のために大阪出張した際、いつものように駅では階段を探して上っておりました。大きな旅行かばんを抱えたり引き摺ったりする時を除いて、わたしは必ず階段を利用することにしています。そういえば、新大阪駅のメインがエスカレーターなのはわかりますが、新しくなった大阪駅にもメインのスペースはエスカレーターのみで、大量の人がそこに集中するのには閉口してしまいました。

今回は小さな手提げかばん一個で身軽に出張してきたので軽快に階段を上っていたのですが、ある程度上ったところで急にふらつき始めて後ろに倒れそうな不安感に襲われました。職場では4階の診察室まではいつも階段を使いますが3階以上になるとふらつくようになってきたので手すりを握って上るようにしていますが、駅や公共のビルの階段を上っていてこんな感覚になったのは初めてだったのでとてもショックでした。小脳梗塞を患っているからか体幹の筋力が落ちているからか、その現象自体は自分でそれなりに納得しているのですが(だから手すりを握るのですが)、駅の階段で起きたことがショック。大きな駅なので必ずしも手すりのある場所を通れるとは限りません。今回も真ん中あたりを歩いていてグラっと・・・たぶん、実際には倒れたりはしないのです。今までも一度もそんなことは起きていないのですから。でも、「倒れるのではないか」と感じるふらつき感(本当はふらついてもいないかもしれない)は本当に自分の心を不安にさせるに十分なのです。

とにかくすごくショックでした。我が家のワンたちが、毎日軽快に階段を飛び跳ねて上がり下がりしていたのに、ある日、歳を取って階段を踏み外した瞬間から、怖くなって走り上らなくなった・・・あれがこれと同じようなショックなのだろうな。

くそう、負けてたまるか!

 

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『働き方改革』

いつもの定期コラムが発行されました。今日、発行されたものを手にして、「こんなこと書いたっけ?」と思ってしまったわたしって・・・。とりあえず、転載してご紹介します。

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『働き方改革』

最近、24時間営業を謳うスポーツジムが増えてきました。夜遅くまで働いたり不規則な仕事だったりで、なかなか運動の時間が作れない人のニーズに応える形で生まれたのだそうです。「だって、運動は身体に良いのでしょ? 日頃なかなか運動できないから、夜中にジムが開いているのはとても助かります」と、黙々と筋トレに励む若い男性にインタビューしているのを見たことがあります。でも、本当に夜中に運動するのが身体に良いのだろうか。昼行性である人間にとって、夜中は昼間使った交感神経を休ませながら副交感神経が細胞修復や情報整理をする重要な時間のはず。なのに、その時間まで交感神経に働かせたら、単に心身が疲れるだけじゃないのかしら?

テレビでも雑誌でもネットでも健康情報が飛び交っているおかげで、人はあちこちから自分の気に入った情報を仕入れてきて、「これが健康に良いらしい」「これは大して効果がないらしい」などと自分なりの解釈をします。あるいは自分のポリシーに従って(という言い訳で)専門家の言うことに耳を貸さなかったりします。人間をひとつの『会社』と考えるなら、脳が『経営者』で身体は現場の『社員』・・・常にトップの指示に従って現場が動くわけですが、経営者が理不尽な指令を出すことで現場が悲鳴を上げるということはよくある話です。「γGTPは酒のせいだから心配ない」「生活は前と変わってないのだから、今回の悪化は生活習慣のせいではない」「ちょっと糖が出ても夜は腹一杯食わないと眠れないからしょうがない」「ストレスだらけだから肺気腫くらいでタバコはやめられない」・・・せっかく現場の悲鳴を検査データに託したというのに、トップはあえて社員の訴えに無視を決め込むようです。

私は若い頃からスジの通らないことはどんな上司にでも食ってかかっていましたが、世間の優秀な社員さんたちは、たとえトップの突然のご乱心に困り果てたとしても楯突くことなく、何とか自力で解決させようと努力します。それこそが優秀な社員の証なのでしょうが、そういう人が「もう処理能力の限界です」と訴えながら燃え尽きる。『健康経営』という言葉を耳にしますが、健康経営の基本は、経営者が現場をきちんと把握していることです。たとえ脳が「身体に良い」と信じていても、身体がノーと言うなら、なぜ自分の身体ではノーなのかを考えなければなりません。真面目に働く身体から出るシグナルは最後の警告です。脳がそこで何らかの対策を施してあげなければ手遅れになります。

周りに対してはどれだけ嘯(うそぶ)いてもいいから、自分の身体だけは大事に考えてあげてほしい。国の施策の『働き方改革』は形だけのものになりそうですが、こんな時こそ自分と会話して、自分の体内の『働き方改革』を実のあるものにしてほしいと願います。

 

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上昇志向

久々の梅雨の晴れ間だったので、朝から庭の草取りをしました。

昔は、地面の芝の間にハチが巣を作ったりするくらい鬱蒼と伸びるまで草取りはしませんでしたが、最近は毎月するのでそんなことにはなりません(かなり芝が薄くなってきて、そこまで伸びること自体ができなくなったせいかも、ですが)。毎月地面に這いつくばって草を抜いていると、雑草の分布に変化があることに気づきました。去年までどこからともなく飛んできて一気に蔓延っていた雑草が、一本もなくなっている。毎回地道に抜き取っていたものの、こんなに急に居なくなるとそれはそれで不安になるものです。まあ、それは良いとして、そんな雑草Aが居なくなったのでこれで我が家の庭は平穏に戻ると思いきや、今年は雑草Aが居た場所をすべて雑草Bが占拠していました。「こいつ、どこから来たんだろう? 雑草って貪欲に生きているよなあ。偉いなあ」とか独り言いいながら、とりあえず全部抜き取ってやりました。

庭のフェンスには蔦が巻き付いています。この季節、一番うんざりするのは草よりもこの蔦。新芽が上へ上へと伸びています。刈っても刈っても数日後にはまた上へニョキニョキ。「偉いなあ」と刈り取りながらわたしはいつも感心します。敵ながら、ここまでの上昇志向はすばらしい。いつも上を目指して空に向かって飛び立とうと試みている姿にリスペクト。わたしなんて、どうやって着地するか、どうやって最後を迎えるか、そんなことしか考えていないというのに・・・まあ、それでももちろん出る芽はとことん刈り取りますけど。

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老夫婦

日本心臓リハビリテーション学会に出席するために今日は早朝から新幹線で大阪まで行きました。

7時の新幹線改札後のベンチに座ってコンビニのにぎりめしを頬張っていましたら、目の前を足早に老夫婦が通り過ぎていきます。リュックサックをからって(「背負って」が正しいらしい)前を颯爽と歩くのは奥さん。その5メートル後を足を引きずりながら重い手提げを二つ抱えて前のめりになって必死に追いかけるのは旦那さん。

いずこも同じ夫婦の姿。うちも若い頃、いつも前を歩いていくのが妻で後ろから見失わないように必死で追いかけるのが私でした。一度、街中でそんな姿を職場のスタッフが見つけて、「ほほえましい姿」と云ってくれましたが、妻はそれを恥ずかしがってそれ以降横を歩くようになりました。

ただ、この旦那さんはかなりのお歳のように見受けられ、歩くのも必死のようだから、急いでいるのだろうけれど「奥さんもう少し歩調を合わせてあげればいいのに」と他人事ながら気になりました。ところが、かなり前を歩いていた奥さんが電光掲示板を見上げながらおもむろに立ち止まり、それから後ろを振り返って旦那さんの手を取って今度は長い新幹線ホームに続くエスカレーターにエスコート。自分より前に旦那さんを行かせて、仲睦まじく私の視界から消えていきました。

旦那さんは足が不自由だから、「自分がリードしなければ」と少し前を歩いて下見していたんですね。基本的に、年を取れば取るほどに女性の方が元気になり、男はどんどん置いていかれます。「うちの夫は家では何もしないから」と云われていたのが、さらに進んで「うちのじいちゃんは何もできんから、私がしっかりしなければ」と万事抜かりなくプロジュースするのが高齢女性の姿。ありがたきことです。

いつの世も、女性が世界をリードする。男は偉そうに祭り上げられながら女性の掌の上で虚勢を張る。これが一番平和な姿なのでありましょう。朝早くから、良いものを見させていただきました。

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上を向いて歩こう

これからわたしは意識して、上を向いて歩くように心がけようと思います。

          ♪上をむぅいてぇ、あ~るこぉおぉ~♪

は坂本九さんの往年の名曲『上を向いて歩こう

これは、涙がこぼれないように上を向いて歩くひとりぼっちの夜のはなし。それではありません。先日、わたしがワンと散歩している時に妻が写真を撮ってくれたのだけれど、そこに写るわたしの姿が、うつむいて萎んで見えたのです。いつも胸を張って歩くように心がけてはいるけれど、独りで物思いに耽ったり考えごとをしたりしながら歩いていると、わたしの目線はいつも下を向いています。どんなに胸を張って腹を引き締めるように意識していても、目線が下だと結局うつむいた情けない老人に見える。

前を向いて歩こうとはするのですが、前を向いて歩いていると、考え事はできません。視界に入ってくる情報が勝手に頭に流れていって、思考の邪魔をします。少し前に、『チコちゃんに叱られる!』で解説されていました。「何かを考える時、人はどうして斜め上を向くのか」~この時の答がたしかこれでした。意図的に前を向いて歩くと、視界に入った人から怪訝な顔をされることもあります。わたしがその人を睨んでいるように見えるのでしょうか。

そんなわけで、シャイなわたしは自ずと下を向いて歩くようになっていました。そうか、前じゃなくて、上を向いて歩けば良いんだ。そういう結論に達したわけです。下を向かないと、落ちているお金を見つけたり、ウンチを避けたりはできなくなるかもしれないけれど、傍から、明るい老人に見えることを期待しましょう。

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試せばいいじゃん!

生活習慣病を中心に人間ドックの結果説明をしていると、
「そろそろ禁煙を考えている」とか、
「ダイエットにいいと云われている方法がテレビでやっていたが、あれは本当に効果があるのか調べている」とか、
そんな戯言(たわごと)を云っているのをよく聞くが、それを聞きながら、「気になるんだったら、つべこべ云わずにとりあえず今すぐ試せばいいじゃん!」と思ってしまう。

こういう云い方をする人は、きっとやらない(あるいは、やりたくない)人だということは経験上知っているので、基本的に聞き流すようにしています。

みんな効率ばかり考えているから、せっかくするなら失敗したくないからとか言い訳するけれど、一生のことをここで決めるわけじゃないのだから、試してみることはすぐにでも始められるでしょ? 『Xデー』なんて、そんなもの要りません。「禁煙するなら次の何月何日から始める」と宣言するのが成功のコツ」とか昔教わったけど、きっとそんなことはない。たしかに自分で決めて宣言したXデーから派手に始めた方が退路を断つことができるけれど、バンジージャンプで飛び降りるタイミングみたいなもので、だからこそなかなか第一歩が出ずに、「今、考えている」なんていう単語が生まれることになるのだと思います。そんなのじゃなくて、とりあえず今やってみたら良いんじゃないの? 気軽にこっそり始めておけばできなくても言い訳する必要もないし、もう一度でも二度でも何度でもやり直せます。うまくできたらラッキーだし、「実は前からトライしているんだ」と自慢ができる。

私のダイエット宣言日なんて今までに何度もありますよ。私は毎年12月~2月だけダイエットをします。最初は15キロ痩せました。翌年は10キロ、次は8キロ、5キロ、最近は2キロ減れば良い方です。最近はなかなか減らないのでダイナミックじゃなくなりました。でもね、だんだん減らなくなったのは、リバウンドしなくなったからであって、決して最近が情けないのではありません。

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わかりにくい説明

「先生の説明は、ものすごくわかりにくいですよね」

ある人間ドック受診者の女性に結果説明やら生活のアドバイスやらをしたときに面と向かってそう云われて、心がうちひしがれそうになったことがあります。日頃、「先生の説明はとても具体的でわかりやすい」と云われることの方が多かったので、「先生の説明は具体性がないから、一体何をしたら良いのかわからない」と云われて困惑しました。概念論ばかり話されても・・・「結局、これを良くするためには、何を食べてどんなメニューの運動をどの程度したらいいんですか?」という不満だったのだろうと推測します。

「結局、わたしの当面の問題点はこれとこれで、これに対して治療するほどではないけれど食事を良く噛むってことですね」と自分で整理して総括する人もよくいますが、「ん~、必ずしもそういうわけじゃないんですよね~」とひねくれ者のわたしはよくいちゃもんを付けます。「それをしたからといってうまくいくとは限らないんです」と云うと、「じゃあどうしたらいいんですか!」と逆ギレされたこともあります(笑)

よく外来でとても教科書的な簡便な指導をする先生がいますが、たぶんあれは、自分でやったことのない者の最低限の知識(「こんなこと医者がする仕事じゃねえし」とか思っているかも)で話すからそうなるのであって、自分でいろいろ経験したり、あるいはいろんなパターンの人に指導をした経験値が多くなればなるほど、物事はそんなに簡単じゃないと云うことを知っているから、なかなか紋切り型の云い方はできないものです。もっとも、どこぞのカリスマ講師やカリスマトレーナーさんはもっともっと明快で簡潔な指導をします。自分のやり方に自信とポリシーを持っているからでしょう。自分のやり方でうまくいかない場合は、「相手が自分の指導通りにやってないから」と云い切れる人。それはそれで正しいのかもしれないけれど、世の中の多くの人はそれが単純で厳しい決め事であればあるほど続けられないものなのです。少なくともわたしは、「自分の云う通りにやったら絶対に改善します」と云い切るだけの自信はございません。「わたしの場合はこうやったらうまくいったよ」という駒はたくさん持っていますが、それを他の人がやったってうまくいくかどうかわからないし、続けられるかどうかもわからないのだから、そんな話をして責任を取るようなことはしたくない。だから、わたしのやり方はわたしだけの奥義として他言無用と位置づけております。

 

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『プレゼンティーズム』

働く人たちに対して、メンタル不調の人を早めに見つけ出して対処してあげることで、離職やうつ病発症だけでなく、自殺や生命に関わる病気を起こさせないようにすることを目的に、ストレスチェック制度が始まって数年になります。これは、会社や自治体などの管理する側が現状を把握して健全な職場になれるように対処できる意義もありますし、検査(質問票の回答)を受けた人の各々が自分のストレスの状態を客観的に知ることができる意義もあります。

最近は『健康経営』というワードもよく耳にするようになりましたが、健康経営とは「経営者が従業員とコミュニケーションを密に図り、従業員の健康に配慮した企業を戦略的に創造することによって組織の健康と健全な経営を維持していくこと」と定義されているようです(健康経営研究会)。

わたしはある企業の産業医をしているため、自分の職場で自らのチェックを受ける立場であるだけでなく、チェックを受けさせてそれを集計分析して高ストレス者を選定した上で希望者には面談をする立場でもあります。

そんな中で、最近クローズアップされ始めている概念が『プレゼンティーズム』です。メンタル不調のために欠勤したり病気療養したりする人たちをアブセンティーズム(病欠状態)と呼ぶのに対して、実はそんな人は氷山の一角で、水面下にはもっと多くの予備群(アブセンティーズムの前段階)の人たちがたくさん潜んでいる・・・たとえば遅刻が多かったり、やる気喪失状態の人、あるいは何らかの不調を抱えて出勤し、士気と業務遂行能力が低下している状態の人など・・・これをプレゼンティーズムと呼ぶのだそうです。見るからにやる気がなかったり調子悪そうで「早く帰って休んだら?」と云いたくなる人はまだわかりやすいですが、プレゼンティーズムの実態が捉えられにくいのは、そんな態度をあからさまに表に出さないように努めてがんばろうとする人がたくさんいるからでしょう。これを把握できるような質問も追加されたりするのですが・・・さて、勤勉でプライドの高い日本の労働者のプレゼンティーズムの実態把握は本当にできるのでしょうか。

 

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がんを体験した「こころ」

国立がん研究センター中央病院の清水研先生の講演スライドは、私のココロをわしづかみしました、時間が経つにつれてうまくここにまとめられなくなってきたので、いただいた資料から、いくつか語録(スライド)を書き写してみます。

●その出来事を体験していない私達が「悲惨」と思うような状況に置かれたとしても、当事者は適応していく力を持っています。

●『悲しむということ』(感情の「みかた」:堀越勝)
 ・悲しいということは、こころが痛い状態。「何かを失ったよ」ということを教えてくれます。
 ・人の前で涙をみせることはみっともないことではない。涙はこころの痛みをやわらげてくれます。
 ・ひとり忍び泣くよりも、誰かの前で泣けることの方が大事。こころの痛みは誰かに受け入れられたときに最もやわらぎます。
 ・悲しみをゆっくり味わうことで、わたしたちは、人にやさしくなれます。
 ・もしこの世に天国があるとしたら、それはあなたが安心して涙を見せられる場所だと私は思います。

●『怒りとゆるし』(感情の「みかた」:堀越勝)
 ・怒りは自分の領域が侵されたときに発動する感情。怒りを感じないようにすると、自分が何者かわからなくなり、生きる喜びを失います。
 ・怒りに対処する第一のステップは、こころに傷があることを認めることです。
 ・次に自分の怒りについて告白すること。怒りの告白のあとには必ず悲しみが伴います。
 ・この作業は苦しいですが、やがて終わりがやってきます。ゆるすとは、相手ではなく自分自身を変える作業です。

 

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スピリチュアルペイン

先日、久しぶりに日本健康文化振興会の生活習慣病指導専門職セミナーに参加してきました。

今回のテーマは『がん医療の最前線』・・・医者になって35年以上、研修医時代を除けば一番興味がなかった『がん医療』について、予防医療に従事する者としては少しは勉強しなければならないかなと思って参加したのですが、「がん検診」は胃がんと大腸がんに特化していたし、「がん治療」はほぼ肺がんについてだったのでちょっと残念でした(どれもうちの施設では大部分が行われていることばかりでしたので)。でも、最後のセッション『がん患者の心理を理解する』(国立がん研究センター中央病院 精神腫瘍科 清水研先生)はとても勉強になりました。

それは、『スピリチュアルペイン』・・・生きがいの喪失、今までの価値観の崩壊、世界観の崩壊・・・もはや生還はむずかしい進行がんを宣告された患者さんが、今まで生きる糧にしてきたすべてのものを失う感覚を指すのだそうです。人は生きていく上で、こうやってこんな人生を送りたいというビジョンがあるのだけれど、それがある日突然、回復不能ながんの宣告を受けた途端に、すべてが崩壊する。「今日、だれとどんな体験をしたか」「それが広い宇宙の中で何の意味があるのか」「自分の今日一日は何だったのか」「自分の存在は意味があるのか」・・・普通だったら考えることもなかったであろうそんなことを考え、”つらい考えや感情が巡る時期”を経て”自分が病気になったことの意味を考える”ようになり、そして新たな世界観を得るようになるという。不幸にしてそこまでに至れなかったとき、うつ病になった自殺を選ぶことになるのだそうです。

 

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歩かなくなった

大雨でどうなるかと心配しましたが、無事に東京に着きました。

さて、出張したときのわたしのルーティーンは、「歩くこと」。ホテルにチェックインしたらその後に周辺を小一時間以上徘徊し、ホテル周辺を把握します。朝は目的地まで30分以内なら迷うことなく必ず歩くことにしていました。そうしないと、一日中カラダが重くなった気がしてココロも冴えないからです。

という感じだったのに、今回は全然その気になれない。今回のホテルは京急線直結の都営地下鉄の駅から歩いて1分で、途中にセブンイレブンがあるから、ここでお弁当を買い込んでチェックインしてからずっと部屋の中。明日のセミナー会場もここから地下鉄で一回乗り換えたら降りた駅に直結の建物の中。普通なら、乗換駅で降りて意図的に外を歩いていくことを選ぶでしょう。そのパターンが歩くのにちょうど良い距離なのに、今のところ歩く気は全然ありません。「明日は朝から雨が降るらしいし、蒸し暑いだろうから汗かくと勉強に集中できないだろう」とても良い言い訳を見つけてしまったからです。

あー情けなや。

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電子タバコは汚い?

多くの電子タバコ製品に病原菌が混入か、米調査
『米ハーバード大学T.H.チャン公衆衛生大学院のDavid Christiani氏らが、米国で汎用されている75製品の電子タバコを詳細に調べたところ、多くの製品には真菌や細菌といった病原菌が混入している可能性が高いことが分かった』(Environmental Health Perspectives 4月24日オンライン版)

電子タバコの使用でインフル感染リスク増?
『インフルエンザウイルスへの感染を防ぐには、咳やくしゃみをしている人から遠ざかる以外にも、電子タバコの使用をやめた方がよいかもしれない 』(米ノースカロライナ大学チャペルヒル校環境医学・喘息・肺生物学センターのMeghan Rebuli氏ら:米国胸部学会(ATS 2019、5月17~22日、米ダラス))

アメリカで相次いで報告されてきたこのアプローチの仕方は、まるで麻薬患者の注射器並みの扱いなのかしら?とちょっと苦笑いしながら読んだのですが、特に後者のインフルの報告はちょっと興味深いところがあります。これは対象者全員に弱毒性インフルエンザウイルスを接種して反応を見たわけですが、『免疫機能に必要な一部の遺伝子やタンパク質の発現は、非喫煙者に比べて電子タバコの使用者では低下していたのに対し、喫煙者ではそのような低下は見られなかった。さらに、特に女性の電子タバコの使用者で、免疫機能の低下が示唆された 』という。これを元に、『電子タバコの使用者で認められたウイルスに対する免疫反応の調節不全は、感染症やワクチンに対する感受性を高める可能性がある』『今回の結果は、電子タバコを使用すると、特に女性で感染症のリスクが高まる可能性を示唆している』とまでコメントされているのは、面白い。

だから、入歯並の抗菌管理をしない限り、電子タバコはめちゃくちゃ汚いんだってことよ!

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