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『健康』は当たり前?

わたしが医学生だった頃、『病気』の講義は受けたけれど『健康』や『予防』の講義をまともに受けた記憶がありません。夜中まで演劇部だったわたしは、講義をサボったり授業中に爆睡することは少なくなかったから知らないだけかもしれませんが、おそらくそうではなく、むかしは”普通にしていれば健康でいられる”時代だったからだと思います。医者の仕事は『病気を治すこと』以外にはありえなかったのです。

10年くらい前、日本抗加齢医学会に入会したときに「そんな怪しい学会なんかやめた方がいい!」「おまえの医者としての品位を疑われるぞ!」と親しい医者仲間にマジメに忠告されたものです。それが、今や一般市民だけでなく医療者の間でも予防の概念が普通に受け入れられる時代になりました(まあ、いまだに旧態依然とした態度の医者は居ることは居ますが)。

一方で、「病気になりたくない」という理由でくすりを飲むことを拒む輩がたくさん居ます。「できたらくすりは飲みたくない」「学会が基準を厳しくしたために病人が増えてしまったのだ」・・・それは予防の概念からすると悪いことではないのかもしれないけれど、意地を張らずに早くくすりを飲んだ方がはるかに健康的な生き方ができるだろうに、と思われる人がたくさん居ます。「くすりを飲むと病人」「健康な人はくすりは飲まない」という誤解はどこから来るのかと云えば、やはり旧態依然とした『病人は社会から脱落した人』という考え方が残っているからなのでしょう。

語弊があるかもしれませんが、「くすりを飲まないで、もっと頑張る」と主張している人に限って、大した努力はしていません。ポーズとして形だけちょっと努力したくらいではカラダはビクともしません。砂山の砂取りゲームで云えば、中央に立つ旗を倒す勢いでごっそり砂を取り除くようなそんな頑張り方をして初めて『くすりを飲む』という行為と同等レベル・・・「人間はそんな努力なんて絶対にできないか、できても絶対に継続できない。だから、そんな人でも健康になれるようにするために”くすり”があるのだ」と、臨床医は「それみたことか」という顔をして云います。そのドヤ顔を見るのは超アタマにくるけれど、そんな医者をギャフンと云わせられるほどの努力を「努力」と云うのだということは知っておいた方が良いでしょう。

今は、そんな時代なのです。わたしが医学生だった頃に教わった常識が通用しないのと同じように、むかし、子どもの頃に親や先生に教わったであろう医療常識も全く通用しないと思った方が身のためです。

 

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