「感謝」の真意
先日、フェイスブックを眺めていて、ある人の文章に目がとまりました。組織の中で一番大切なのは「感謝」の気持ちだ、という話。上司が、部下に仕事を頼んだとき、そこに「感謝」の気持ちがないと、あら探しをしたりダメ出ししたりしてしまう。「感謝」の気持ちを持っていれば、そんなことは決してない。組織が成長できるのは、「感謝」のできる人間が集まったときだ、と。
「感謝」の重要性は20年以上前からわたしの耳にも入ってきて、知識としては理解できていました。毎朝、仏壇で手を合わせるときにも「ありがとう」という言葉を何度も口にしました。思い当たる人の一人一人に「ありがとう」と云いましょう、という本を読んで。それが素晴らしいことだと分かりますし、それを済ますと気分は良い。仕事でも、若いスタッフに何をしてもらっても「どうもありがとう」という言葉を口にするようにもしています。妻に何かしてもらっても必ず「ありがとう」と云うのが口癖。
ただ、それでも、「感謝する」という気持ちを持つことの真意は本当は理解できていなかったのではないかという気がします。それが、この人の文章を読んでいて、「ああ、これか」とどこかで合点がいく自分を感じました。自分の人生に関係するすべての人の行動のひとつひとつが、今の自分を形作ってくれています。「感謝」は形でするものではなく、ココロでするもの。昔は意識して「ありがとう」と云っていた自分が、最近は無意識に「ありがとう」と云っている。周りのひとりひとりがお願いしたことをきちんとやってくれて、相談したことにきちんと答えてくれたから、今の自分があることをココロからきちんと分かっている。そんな自分って、大人になったな、とこっそり思う。他人に仕事を任せられると云うことは、自分が大人になったということ。他人を信じられると云うことは、他人のするひとつひとつに感謝できているということ。
うん。なんかこの感動をうまいこと表現できないから、これでやめます。とにかく、すべてのことに感謝できるようになりました。
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