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草刈りの危機感

昨日は、働き方改革の一環の有給休暇。この日を利用して、南阿蘇にあるうちの土地の草刈りをしに行きました。

夏は草の伸びるのが特に早いから、1ヶ月に1度は草刈りをしにいかないととんでもないことになります。阿蘇の山の中だとはいえ昨日は想像以上に蒸し暑く、熱中症にならないように気をつけて何度か休憩をとりましたが、それでも想定以上に汗がしたたり、法面などの草刈りをしていたら動悸が出始めました。百五十坪近くある土地を草刈り機を駆使して一人で刈り終わるには2時間はかかります。 最後の方は、少しもうろうとするほどでした。

作業をしながら、「自分の命を守るためには、途中でもいつもと違うと感じたらそこですぐに止める勇気が必要です」とテレビで云っていたのを思い出しました。熱中症になったことのあるタレントさんが「まだ大丈夫だ、と思ってても突然おかしくなるからね。もうそうなったら、自分ではどうしようもなくなるからね、早めに止めないと危ないんだよ」と云っていた・・・わたしもそんな講演を一般住民の方にしたことがあります。

でも、実際にその立場になったら、その決断はかなりむずかしい。もう八割方済んでいるから、もうちょっとで終わるんです。ここで止めたとしたら、次に続きをするためにここに来るのは1ヶ月以上後になるし、誰かが代わりにしに来るなんて事は絶対にない。結局、自分がしなきゃならないのです。そう考えたら、もうちょっとがんばっちゃっても大丈夫なんじゃないの?と思うのが普通だという気がします。冷静に考えると、たとえ猛暑だとはいえ、たとえ老体をむち打って法面を斜めに草刈り機を持ち挙げてやったとはいえ、10年前には感じたことのない胸のきつさと動悸・・・これは高血圧が引き起こしている”普通じゃない状態”じゃないか?ということは、循環器内科医であればわかっているはず。冠動脈の石灰化も著しいのだから、止めるか休むかしなければならないんだけど、ねえ。

でも、止めきらんかったです。何事も起きなくて、よかった。

 

 

 

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