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2019年8月

50年に一度

今朝は久々に朝日が出て穏やかな朝だったのに、お昼頃には突然大嵐がやってきて、まるでスコール(というより台風か)。たとえ傘を差しても外を歩くのは到底無理という感じ。前線が若干南下したからこうなったのだとしたら、この間だけでも北部九州の雨は一休みといったところなのでしょうか。

「50年に一度の・・・」とか「100年に一度の・・・」とかいうのが、「五十歩百歩」とか「百戦錬磨」とか言う場合のような”多い”ということの強調ではなく、ちゃんと統計上のデータから出した言葉だと言うことは先日検索して知りましたが、それでも、ここ5年のうちに「50年に一度」が多すぎる

どんなにインパクトのある表現でも、これだけ頻発するとちょっと色あせる。”未曾有の大災害”そのものが、地震も含めて頻発してるから、わたしたちにとっては当たり前になりつつある恐ろしさ。

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高齢になってからスタチンやめるべからず?

<75歳以上でのスタチン中止はNG>

 "心血管疾患(CVD)の初発予防目的でスタチン系薬を使用していた75歳以上の高齢者が使用を中止すると、継続していた場合と比べて心血管イベントのリスクが上昇することが、約12万例を対象としたフランスの住民コホート研究で示された。フランス・Assistance Publique-Hôpitaux de ParisのPhilippe Giral氏らがEur Heart J(2019年7月30日オンライン版)に発表した。"
(Medical Tribune 2019.8.21配信)

心血管疾患発症を予防するために、その危険因子である脂質異常症に対してスタチン系薬剤を服用するかどうか、特に「スタチンの長期服用によって認知症発症の危険性が増加する」というデータが巷にあふれ出るようになって、医療現場でも混沌としているのではないかと思います。認知症のことが自分の問題として身につまされる高齢者にとっては本当に悩ましく、勝手に服用を止めた人も少なくないと聞きます。以前、ここでも書きましたが、そもそも心血管だけでなく脳血管疾患予防の意味も含めてコレステロールのコントロールをするためにスタチンを服用しているのに、副作用としての認知症が怖くて服薬中止して結局脳梗塞など起こして認知症になるのでは本末転倒・・・。

今回のこの報告は、ずっと服用していた人が歳をとってから止めると、一気に心血管疾患のリスクが46%も上昇したという脅しにも似た報告なのですが・・・これ、そもそも若い頃から服用していた人の話です。高齢になってから服用開始した人の効果がどうとか、初めから未治療の人と比べたらどうかとか、そういうありがたい比較があった方が説得力がありましょう。「歳をとってから薬を止めたらひどい目に遭うぞ」というのは「やめられないのなら最初から薬なんか飲まないに越したことはない」という、高血圧や糖尿病で半世紀前から謳われている都市伝説のたぐいになる懸念を感じました。

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だからどうしろというのだろう?

中年~晩年期の高血圧症、認知症リスクが増大/JAMA

”中年期~晩年期に高血圧症の人や、中年期に高血圧症で晩年期に低血圧症の人は、中年期~晩年期に正常血圧の人に比べ、認知症を発症するリスクが約1.5~1.6倍高いことが明らかにされた。米国・ジョンズ・ホプキンズ大学のKeenan A. Walker氏らが住民ベースのコホート試験で明らかにした。晩年期の血圧値と認知機能の関係は、過去の高血圧症やその慢性化によると考えられている。また、高血圧が続いた後の晩年期の血圧低下は、不良な認知機能アウトカムと関連している可能性も指摘されていた。JAMA誌2019年8月13日号掲載の報告。”(Care Net 2019.8.22配信)

具体的なサマリーは省略しますが、こういう報告は、結局どうしたらいいと提案しているのでしょう? 高血圧症の人は薬剤管理で正常血圧にコントロールしたら認知症リスクが低下するというのか、晩年に低血圧になったら薬使ってでも血圧を上げるのが得策だというのか、あるいは治療中であれなんであれ高血圧症の人と晩年低血圧の人は認知症になりやすいから、脳トレに取り組んだり生活習慣リズムに人一倍注意したり、ちょっとおかしくなったら早々に専門医を受診しろというのか。

40歳過ぎから高血圧の治療をしているわたしにとってはとても重要な検討結果なのですが、肝心なところがわからないので、とても消化不良です。
 

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正義は残酷

世間を騒がせる”煽り運転”

昨今流行の”逆走運転”や”踏み違え暴走運転”とかと違って、”煽り運転”は、自分勝手な正義感という大義名分があるからとても厄介。煽り運転する輩は、昔なら暴走族のヤンキーがオレオレでイキがっている姿の印象があるけれど、今は自分なりの「わたしが正しい」の感情が生まれるからやらかす。「まず相手が非常識な運転をしたから、あいつを懲らしめてやった」と彼らは必ず主張する。「追い越し車線なのにチンタラ運転しやがって」「突然割り込みしやがって」「急にブレーキ踏みやがって」・・・オレが悪いんじゃない。正義のために、神に代わってオレが懲らしめてやっているだけだ、と自分なりの大義名分を主張する。その後ろ盾があると思い込むことによって、「自分は正義の使者だから何でもやっていいんだ」と勘違いするわけだ。恐ろしい。

これはおおよそクレーマー心理と同じ。たとえば、今朝コンビニで買ったサンドイッチのパンが乾燥してパサパサだったとする。「あーあ、今日は外れに当たったな」とわたしなら諦めてしまうのだけれど、このときに「同じ金払わせてこんな不良品を売るなんて、詐欺だ!」と腹を立てて突然店員に食ってかかって怒鳴り散らす輩がいる。これも、正義の使者としての自分を正当化している姿。

日本人は、マジメな国民なだけに、こういう錯覚に陥る病人が多くなりやすい。そんな気がします。

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愛犬の生き方

『食べたいときに、食べたい量だけを食べる。食べたくないときには食べない』が一番自然だ」ということをずっと唱えながら、実際にそれを実行できないわたしに比べ、我が家の愛犬(ビアデッドコリー♀11歳弱)は仔犬の頃からそれを地でいくサーチュイン犬

ここ1週間くらい、一日1食しか食わないことが続いています。最近の猛暑で夏バテ気味なのは明白です(昨年もこの時期は食いませんでした)が、何度かフードの皿をにおいには行くから食欲がないわけでもないようです。待っていたらもっと魅惑のおやつをくれそうだから駆け引きしている? いやいや、うちの夫婦はフード以外のモノは決してあげない(初代のワンとその娘のときは、お腹を壊したのをきっかけに点滴を余儀なくされてやむを得ず食いつきの良い芋を与えたことや、肝臓腫瘍になった晩年に鶏肉をあげたことはありましたが)ことくらいちゃんと心得ている賢い子です。なにが彼女の食欲スイッチか分かりませんが、あるとき急にフードの皿に近づいてきて一気に食ってしまいます。それが朝の起床時のこともあれば夜中のこともあり、わたしたちの夕食の時間のこともあり、彼女の中の秩序が何なのか、わたしたち人間にはさっぱり分かりません。

でも、とにかく、『食べたいときに食べたい量だけ食って、食べたくないときには一切食べようとしない」を続けながら、毎日元気に散歩をし、毎日立派なウンチをしますから健康そのものです(ちなみに、彼女がお腹を壊すときは、だれかがこっそりおいしいお菓子を食べさせたときのみ。犯人はだれだか察しがつきますが)。まあさすがにこの季節に一日1食だとカラダは瘦せていきますが、散歩でへばることもほとんどありません。

「あんた、絶対長生きするよ」・・・散歩中に時々うれしそうに見上げてくる彼女に声をかけながら、わたしたち人間の方が暑さですっかりへばりそうです。

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今どきの食

先日、平日の昼下がりに産業医研修会として『食から始める健康生活』(中九州短期大学 稲田美和子氏)を受講してきました。こんな時間の食育講義なんて医者は一人も居ないのではないか、わたしとマンツーマンの講義になったらどうしよう?とか思いながら会場に行ったら、もうすでに会場はほぼ満席でした。開業の先生方はこの時間の方が夜より参加しやすいのでしょうか。

予防医療を語る中で、医師もきちんと食育の知識は持っておくべきだと思って休みを取って受講したのですが、残念ながらわたしの知っている知識以上のものはありませんでした。もう少し、若い子どもたちへのアプローチとか高齢者への管理とかに特化してもらえると良かったかなと感じました。

その中で、ちょっと驚いたことが2つありました。ひとつは、最近の若い人は『ご飯を炊かない』ということ。ひとむかし前は、米研ぎを知らない女子がいると驚いていたことがあります。「米を洗う」というので「米は研ぐ」でしょと反論したら、「最近のお米はサラッと洗うだけで十分なんです」って云われて、それが無洗米なのだと知った(そんなものが存在することすら知らなかった)。でも、今はそうじゃなくて、家でコメを炊かないのだそうです。朝はパンだし、昼は職場のお弁当だし、夜は外食だったり炭水化物オフだったりするから、と。「じゃ、家でご飯を食べたいときにはどうするの?」と聞いたら、「コンビニでレトルトのご飯買ってきて、レンジでチン!です」って。「たまにはちゃんとご飯を炊いてみなさい。全然おいしさが違うわよ」と諭したら、「そもそも家に炊飯器なんかない」と云われたと、先生は嘆いておられました。まあ、たしかにそうかもしれません。一人でたまにしか作らないご飯のために数キロの米を買っても困るだけかも。虫もつくかもしれないし・・・。そんな時代なのですね。

そしてもうひとつ。野菜や果物の旬が変わってしまったこと。「私たちは、『トマトは夏野菜の代表』だと常識的に思っていましたが、それを大学の講義で話したら、生徒さんが『トマトは冬の野菜です』って反論。『何云ってるの? トマトの旬は夏です』と云うと、スマホで検索して『先生、ほら。トマトの旬は冬って書いてますよ』って」と・・・カルチャーショックもいいところです。「スイカの旬は『春』!」って・・・これは熊本に来たらなんとなく分かりましたけど、でも、スイカの旬はやっぱり。夏ですよね。この話をしたら、「熊本のスイカが春のゴールデンウイークの頃を旬にするようになったのは最近のことで、昔からの”露地もの”はやっぱり夏のモノだよ」と妻が解説してくれました。

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健康と健全

今日は、2年ぶりの健康講話。まあ、好きに話せば良いらしいから気は楽ですけど、でも夕方まで仕事した後に90分も話せるかしら。

わたしがここで話したかったのは、「健康」と「健全」の違い。

WHOによると、『健康とは、単に病気ではないとか、虚弱ではないとかいうものではなく、肉体的にも、精神的にも、社会的にも、すべてが満たされた(安寧な)状態にあることをいう』と定義されていました。健全については、『身体と精神の両方が健やかなこと。考え方や行動に偏りがなく、調和がとれている状態』と、書いてありました。

これ、何が違う? 一緒? こんなことで悩んでいたときに、所ジョージさんのコラムがフェイスブックに出ていました。

『たとえばの話、体にいいって聞いたものを並んで手に入れたとする。人より先に手に入れて、サプリメント飲みながら仕事する、みたいな。でもそれって不健全じゃん。

「健康」より前に「健全」を考えないと。トースターで焼いたパンをそのままかじって家を出るんじゃなくて、皿を置いて、紅茶を淹れて、バナナを添えて。ゆっくりした雰囲気のなかで食べるってことが健全なの。

面倒くさいけど、皿を洗うとか、雑巾を絞るとか、そういう刺激が大事。冷たい水は触らない、いいところだけを口に入れる、っていうのは健全でも健康でもないと俺は思うのね』

これ読んで、合点がいきました。今日の講話は、これでいきましょう。

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うたた寝と居眠り

晩酌して、夕飯後に「ちょっと休憩」とばかりにソファに座ると、すぐに意識を失ってしまいます。仕事中に読影などしていると異常に眠くなってふと気づくと意識消失していることがあります。この2つは、何かが違う。同じようで何かが違うと思うのですが・・・本当は寝てはいけないときに寝てしまうという罪悪感がある、という点では同じ。でも、前者はもともと休憩する予定だったのだから・・・。

そんなことを考えているときに、そういえば『仮眠』という言葉もあるなと思いつきました。「昼食後に20分間の仮眠をするのが一番健康にいい」と、今は亡きボスがよく実践していました。『仮眠』と『うたた寝』、それと『居眠り』・・・これはどう違うのだろうかと思って検索してみました。わたしは、「寝ようとして眠るのが『仮眠』で、寝たくないのに眠ってしまうのが『うたた寝』」だと思っていましたが、何かちょっと違うみたい。

『仮眠』は「睡眠を確保するために意図的に一時的に眠ること」だそうだから、これはまあ正しい。

ただ、『うたた寝』と『居眠り』の違いに認識違いがありました。『居眠り』は「眠ってはいけない状況で座ったまま眠ってしまう」ことで、『うたた寝(転た寝)』は「横になって寝転んだ状態で眠る状態で、眠ってもいい状況で熟睡する」ことなのだそう。ということは、まさしく、冒頭の例では、前者が『うたた寝』で後者が『居眠り』ということになるのでしょうか。

『うたた寝』はしても誰からも文句は言わせない(しょうがない)という認識のようだけど、夕食後に眠る予定などなかったのに爆睡してしまう自分って自己嫌悪以外の何物でもないだがなぁ。

 

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