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2019年9月

個人情報

わたしの働く施設には毎年人間ドックを受けてくれる受診者さんのために会員制システムがあります。その方が受診される前日にはスタッフが集まって問診情報やドックの検査結果を見ながらカンファレンスを行います。そんなときに思うのですが、最近は保健師さんも他のスタッフもほとんど受診者さんの具体的な生活情報を聞き出す気がありません。おそらく、相手が云うことをそのままメモしているだけ? あるいは当たり障りのないレベルの聞き方しかしないから、相手も簡単な返事しかしない、それをメモしているという感じ。

「この人何している人?」
「詳しくは知らないんですけど、個人で会社を興された社長さんっぽいです」
「何の仕事?」
「詳しくは知りません」
「身体を使って仕事しているの?」
「昔は自分で動いていましたが、今は息子に任せているのでほとんど遊んでいるそうです」
「遊んでいるって、具体的に何しているの?」
「何もしてないそうです」
「何もしてないって、朝から何してるの?」
「何もしてないって云ってましたから・・・」

私たちのように一日中座っている仕事もあれば、一日中動き回っている仕事もあります。同じ会社でも部署によって全く活動量は違います。現場監督だと一言で云っても、小さな工場もあれば敷地を動くだけでも大変な広さの現場もあります。わたしの知人の瓦屋さんは、最近息子に仕事を任せて今は遊んでばかり・・・毎日のようにゴルフ三昧していますが、重要な用件がある時は出向いていきます。人間が生きていく上で、「何もしない」という行動は存在しません。寝ているのもテレビを観ているのもペットと散歩しているのも孫の相手をしているのも本を読んでいるのも、たぶんみんな「朝から何もしていない」と答えるでしょう。そのどれかで、全く活動量も違えば生活リズムも違う。

最近は”個人情報”とやらのために、「事細かに聞いてはならない」と思い込んでいる人がたくさんいますが、その細かいことを聞き出さないでオーダーメイドの保健指導なんてできるのか?と思います。その必要性を話しながらしつこく聞いて、「そんなこと答えたくない」と云われたらそこで止めればいいことで、会員制に入って来られる方は、もっと自分のことを知ってほしい(それを分かった上で自分に合ったアドバイスが欲しい)と思っている人の方が多いはずなのですから、勇気を持ってもっと積極的に質問して欲しいものです。

 

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運転中に思うこと~あおり運転?

昨日の帰り道でした。

特別渋滞もしていない国道バイパスを職場から自宅に向けて運転していたら、いつの間にか私のすぐ後ろにぴったりと付く軽自動車。逆光でよく見えなかったけれど運転者はおじさん風。「なんちう運転しとるんじゃ」と思いながらいつもの交差点で右折車線に入ったら、軽自動車も付いてくる。さらに農免道路に左折してもピタッと付いてくる。さっきよりさらに近づいている感じ。

「げ、まさかこれがあおり運転ってやつ? でも、なーんも変な運転してないぞ。前の車と車間距離保ちながら流れに乗って運転しているだけだぞ。何の理由もなくこれ以上あおってくるなら、路肩に止めて追い抜かせてから追いかけて同じことをしてやるぞ!」とココロを固くして、ふとバックミラーを見たら、くだんの軽自動車、忽然と姿を消していました。途中に曲がる道なんかあったかなぁ、と思いながらも「まあ何も起きなくてよかったな」と胸を撫でおろした次第。

後で考えると、たぶん同じように帰宅途中であったであろう軽自動車の運転手さん、いつも前の車にピタッと付く運転をしているのだと思う。それが運転癖なのだと思う。自分ではそんなにくっついているとは思ってないのだと思う。ときどきそういう運転している車を見かけます・・・あれが自分の安心できる車間距離なんだと思う。でも、その運転が誤解を招いて、後ろに付かれた運転者がカチンときたら、最近話題になる異常なまでのあおりが始まるのだろうと思いました。「相手が危険な運転してきたから」という理由、なんかわからないでもないな、と・・・。

わたしの通勤ルートが片道一車線の路肩もない狭い道でよかった。おかげでわたしをオオカミに変貌させずに済みましたから。

 

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通勤中に思うこと~信号無視

通勤途中やドライブ中のココロの動きのあれやこれやはこれまでにも何度も書いてきましたが、最近また通勤途中に考えることがありました。

信号が30メートルくらい前で黄色に変わったのでブレーキを踏んで止まろうとしたら、となりの車線の後ろから来たトラックがスピードを上げて交差点に突入して、すでに完全に赤信号になっている交差点を通り過ぎました。で、その後にさらに1台、くっつくかのように通り過ぎました。

「あぶねえなぁ。完全に信号無視じゃん。そんなに急いでも大した違いはないのに」・・・装着しているドライブレコーダーに録音されるようにちょっと大きめの声で独りごとを云うわたし。案の定、青信号になって走り出したらくだんのトラックにはすぐに追いつきました。わたしは安全運転を貫くんダ~ン、と独りで悦に入って運転。

ところがその5分後、右折車線走行中にちょっと長めの矢印信号が黄色になりました。やばい! 思わずアクセルを踏んで交差点に入る直前に黄色から赤に変わりましたがそのまま前の車に続いて全赤の交差点を右折してしまいました。何事もなかったかのように運転を続けながら、「今のはさっきのトラックみたいな信号無視じゃない。だって、黄色のうちに交差点に入ったのだから」と独りで自分に云い訳しているのに気付いたときに、思わず苦笑いしてしまいました。

端から見ると明らかに五十歩百歩だと思われるから「それ、一緒じゃん」というと、口を尖らせながら「違うよ、全然違うよ!」と反論する妻に閉口したことが何度もありますが、今回の出来事はあれと同じだなと素直に認めます。自分でどれだけ云い訳をして正当な理屈付けをしたとしても、自分が「あれはいけないことだな」と感じたこととほぼ同じことをしてしまったら、やはり反省しましょう。昔、無理な右折でバイクと接触事故を起こしてしまったときに心から反省して誓ったこと今一度思い出しましょう。”わたしは安全運転を貫く”んです。

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通勤中に思うこと~テレビニュース

出勤中に愛車のナビをテレビに合わせておくと、画面は出ないが声は聞こえてきます。この時間のカーラジオは概ね録音されている決まりきった番組が流れますが、テレビはどの局も朝の生ニュース番組。

そこでいつも思うことがあります。「朝から、あまり神経を逆立てさせる内容は報道しないでほしい」ということです。どこぞの住民トラブルで云い争っている画面だとか、煽り運転の怒鳴り声だとか、あるいは問題を起こした渦中の人物への突撃インタビューだとか・・・想像しただけでイライラ、ドキドキする内容・・・怖くてすぐに番組を換えもののどこに合わせても同じようなことしか流れないから、結局NHKのEテレに落ち着くのが日常。そんなものは1,2時間後から始まるワイドショーで存分にやってくれ。ゆっくりと穏やかな気持ちで出勤して、「これから一日がんばるぞ!」という時間帯に視聴者の交感神経をムダにいらだたせて、何の得があるというの?

一日の始まりが不愉快だと一日中気分が悪いモノです。この時間に流すべき内容は他にあるでしょ。若いお嬢さんがゴルフで世界一になったとか、日本代表が試合で快勝したとか、被災地で派遣されていた自衛隊員が実を粉にして働いてくれて住民が感謝しているとか・・・探し出せば明るいニュースなんて絶対に見つけさせるはず。朝早くから、内容に関係なく『インパクト』を求める風潮は、「なんか違うぞ!」と思う今日この頃です。

 

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「ウォークビズキャンペーン」

歩いて熊本地震の復興支援!ウォークビズキャンペーンで組合員の健康増進を

 ”「あなたの一歩を熊本の明日に!」をキャッチフレーズに、健康保険組合連合会(健保連)の「ウォークビズキャンペーン」が今年度も行われる。これは参加者が期間中に歩いた歩数分に応じ、熊本地震復興の寄付金が熊本県へ送られるもので、今年で3回目。
 個人の自主的な健康づくりを促すインセンティブ事業の一環で、歩くことで自身の健康増進はもちろん災害の被災地支援にもつながる、という特徴がある。健康増進と社会貢献を同時に行えるとあって、健康無関心層が取り組みを始めるきっかけにもなりやすく、昨年より多くの健保組合がキャンペーンに参加することが期待されている

定期配信されてくる保健指導リソースガイドの2019.9.12配信号でこんな記事が紹介されました。健保連がこんな活動をしていることを初めて知りました。今、各企業や自治体は組合員や市民の各々が健康の取り組みをするためにいろいろなインセンティブを準備して取り組んでいます。以前紹介した大分の『歩得』は、歩いた歩数や健康イベント参加有無に応じてポイントを獲得して提携しているお店の商品が買えるというもので、サッカー応援仲間の友人は有効利用しています。私が産業医をしている企業でも、年1回全社を挙げて健康への自己チャレンジを行って表彰など行っています。

ただ、こういう取り組みがなかなか奏功しない大きな理由は、一番取り組んで欲しい『健康無関心層』を動かすだけの力がないことです。私も、ちょっとお店で安くモノが買えるとか、皆の前で表彰してもらえるとか、その程度では面倒くささを凌駕できないからです。その点、この健保連の着目点が面白い。自分が歩いた分だけ『熊本地震への復興支援になる』ということ・・・日本人の特性をうまく利用している気がします。自分のためにするのは面倒くさいけど、それが人のためになるというならしないでもないぞ。単に寄付するというのはどこか偽善者っぽくてイヤだけど、自分が動いて稼いだモノだし匿名だし、大した量じゃないけど自分も社会貢献した満足感も得られるぞ。良い取り組みだと感心しました。自分が熊本地震の当事者でもありますし。

この事業を監修した東京都健康長寿医療センター研究所の青柳幸利氏(運動科学研究室長)は「誰かのため(震災復興への貢献)に歩くということが、参加者の方の歩くことへの意欲を高めるという効果が現れた結果」と評価し、さらなる参加者の増加に期待を込める”というには、まさにその通りだと思います。

自分が熊本地震の当事者でもありますし、自分も参加しようかなと思って調べてみたら、なんと、うちの職場は健保連に入ってないので参加資格がない! これはショックだ、健保連の組合員でないと参加資格がない(個人参加はできない)なんて。残念。ま、当事者のわたしが云うのもなんですが、東日本大震災や九州北部豪雨や今の千葉の災害や、日本中で支援しなければならないところがいっぱいある中で、なんで熊本だけ?と思う人もおりましょう。ま、でもこういうのは、一点に限定した方ががんばれる気はしますね。健保連組合員のみなさん、本当にありがとうございます。

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「ない」というあきらめ方

いつも整理することしか考えていない”スイーパー”であるわたしは、断捨離に躊躇しません。3年使わないものは一生使わないと思っています。たまに「昔うちで買って使っていた●●はどこ?」と聞かれ、「それは押し入れの隅かどこかにあったかも」と思うようなこともありますが、「いや、もう捨てちゃったから、たぶんない!」と答えることの方が多いです。

今、職場ではコンピューターのシステム更新が行われようとしていて、古いデータをどうするか(特に画面上に残しておくべき情報かどうか)を検討されていて、わたしのところにも専門領域に関することを聞きに来ます。特に5年くらい前までは行われていた心臓検査だとかその時の返信コメントだとかをどうするか?という内容・・・スイーパーであるわたしの答は明白です。「今使われていないデータは、もう一生使わないのだから、捨ててください」。もちろんデータバンクとしてはどこかに残るのでしょうが、「10年前の検査データはどうだったっけ」とかいってデータをさかのぼって探す可能性とかないですか?と聞かれるので、「ない。少なくともわたしはない」と即答します。なぜなら、「システム更新の時に昔のデータはすべて捨てたから、調べたくても、ない」とあきらめているから探さないのであります。

いつ使うかわからない(使う可能性はないわけじゃないけど、使わない可能性の方がはるかに高い)ものを保存し、いつでも書き込めるように”箱”を残しておくということは、それだけデータが重くなり、必要もないのに毎回そのデータ群をコンピュータが探しに行くのです。ヒトも機械も無駄な労力を浪費することになるのなら、「ない」という潔いあきらめ方を選んで今をすっきり生きていける方が良いのではないか、というのがわたしの考え方です。

だから、わたしの家には”お宝”と思しき品は存在し得ません。わたしがこれから先ビッグデータを駆使して日本中をアッと云わせるような大研究をする可能性もゼロです。スイーパーはいつも身の回りをすっきりスリムにさせておかねば、ね。

 

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受診勧奨リーフレット

8倍危険!未治療高血糖者に受診促す

 ”糖尿病患者における腎臓病重症化予防が全国的に大きな課題となる中、コウノトリの放鳥で知られる兵庫県豊岡市では、独自の取り組みを行っている。公立豊岡病院内分泌・糖尿病内科の岸本一郎氏らが同市の特定健診データを解析したところ、同じHbA1cが8.0%以上でも、治療を受けている人に比べ、受けていない人では腎機能低下のリスクが8倍以上高いことなどが分かった(糖尿病2019;62:347-354)。同氏らは、これらの研究結果を端的に示したリーフレット(図1~3)を作成し、該当者に届けて、医療機関の定期受診を促すことを検討している。”(Medical Tribune 2019.9.10配信)

岸本氏らは「腎臓病予防の観点から、血糖値が高い未受診者に定期通院をしてもらうことが特に重要。高血糖を放置することの危険性を市民に呼びかけていきたい」との考えを示している。

この豊岡市の取り組みはとても重要なことであるととともに、とてもショッキングな研究結果だと思います。「あなたは糖尿病ですよ」と云われ、あわてて病院に行ったけれど「まだ薬はいらない」と云われたからという理由でその後二度と病院に行かない人のいかに多いことか。そして翌年以降、健診でひっかかっても「以前に受診して問題ないと云われたから」という免罪符をかざして受診を拒む人たち。彼らに外来通院を促すのはとても骨の折れる作業です。こういうデータのリーフレットが送られた報告書と一緒に同封されていたら、少しは行動変容する可能性があるでしょう。それほどにインパクトのあるリーフレットですね(どこかにここでリンクできるデータがないかと検索したけど見当たりませんでした。残念)。

 

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野菜だけ食うと脳卒中になる?

肉や魚より菜食で脳卒中リスク高

"英・University of OxfordのTammy YN. Tong氏らが行った前向きコホート研究The EPIC-Oxford studyによると、肉食の人に比べ魚食と菜食の人は虚血性心疾患リスクが低いことが分かった一方、野菜食の人は出血性脳卒中などのリスクが高いことが明らかになったという(BMJ 2019; 366: 14897)" (Medical Tribune 2019.910配信)

イギリスのデータではあるが、こういうデータが独り歩きすると『野菜だけ食っていると血管がもろくなって脳卒中が増えるから、ちゃんとタンパク質は取るべきだ』という意見が幅を利かせるようになるのが常。でも、検討結果をよく読むと、肉食群と比べた魚食群および菜食群の虚血性心疾患と全脳卒中それぞれの発症リスクでは、虚血性心疾患のリスクは魚食群とともに菜食群でも有意に低下しています。また、出血性脳卒中の発症リスクは菜食群だけでなく魚食群でも肉食群より増加しています(ハザード比:魚食群1.14、菜食群1.20)。結局、『心臓には魚や野菜、脳には肉が良い』という話になって、『物事、極端はよろしくない』ということになってしまうのかしら。日本には厳格なるヴェジタリアン(ヴィーガン)はあまりいないと思いますが、なんか、この検討結果、もしかして対象が狩猟民族であるイギリス人だからというだけなんじゃないか?という疑問も湧いてきて(農耕民族である日本人なら逆の結果だったりして)、正直なところ「参考程度に聞き流そうかな」という気分です。
 

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専門医制度

今では、当たり前のように医師には専門医制度があって、それを取得できて初めて「その分野では一人前」と認めてくれるという感じになっています。でも、実は偉そうに『循環器内科医』です!と名乗っていますが、わたしは専門医資格を持っていません。日本循環器学会にも日本心臓病学会にも所属していますが、専門医資格は持っていません。

ちょうど30年弱前、『専門医制度』が発足する頃、過渡期にすでに循環器を専門に働いていた医師には、決められた書類と実績を提出すると特例で資格を付与される時期がありました。わたしにもその資格はあったのですが、ちょうどそのころわたしは東京の放射線科に内地留学の形で勤務していて、その詳しい情報がもらえなかったこともあり一切の手続きをしませんでした。所詮、専門医資格をもらったところで、学会の金稼ぎと格付け競争でしかなく、将来開業するとかどこぞの教授になるとかそういう野心がない限り意味はなかろうと思いました。その後、新たに試験を受けて専門医資格を得るためには、まず内科学会の専門医資格がいると云われ、そもそも内科学会自体に入っていない(研修医時代の助教授や講師が口をそろえて「そんな学会に入っても会費が高いだけで意味はない」と云われていたもので)ので、すべてを断念したという次第。

たしかに、わたしに専門医資格がないのが昇級の障害になったという話も聞きましたが、それ以外には特別困ったことはなく、日々粛々と心電図判読をしたり、心臓発作の緊急時対応を悠然としたり、別に肩身の狭い思いはしておりません。ただ、冒頭で書いたように、何かに付け専門医資格の有無を聞かれ、それがないと”うさんくさい医者”(資格もないのに専門面している、みたいな)みたいに見られることも時々あるのがちと気にかかる今日この頃であります。いいんだもーん。「資格がないと心電図判読させない」と云われたら、即辞めてやるんだも~ん(笑)

 

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イヌを飼いましょう

犬の飼い主は心血管リスクが低い

 ”ペットを飼っている人、特に犬の飼い主はペットを飼っていない人と比べて心血管疾患(CVD)のリスクが低いことが示された。チェコ・St. Anne's University HospitalのAndrea Maugeri氏らが、同国ブルノ在住者の心血管の健康状態を2013年から5年ごとに追跡しているKardiovize Brno 2030研究のデータを解析した結果をMayo Clin Proc Inn Qual Out(2019; 3: 268-275)に発表した”(Medical Tribune 2019.9.6発信)

この検討で使われているのが『CVHスコア』というもの。これは、”米国心臓協会(AHA)が提唱する心臓の健康指標Life's Simple 7の7項目(BMI、食事、身体活動度、喫煙状況、血圧、血糖値、総コレステロール値)を、それぞれ0点(不良)、1点(普通)、2点(最適)で採点し合計したもの(範囲0~14点)”だそうです。その結果、犬を飼っている人は、何も飼っていないか他のペットを飼っている人に比べて、とくに身体活動度と食事内容、および血糖値が最適スコアだったそうです。

こういう報告はとてもうれしい。最近は飼いやすさの観点からイヌよりネコの方が人気があるそうで、なんかちょっと肩身が狭かったのですが、ヨーロッパの報告だとは云え、ペットの中でも特にイヌを飼っている人限定で「動脈硬化疾患になりにくい」という結果が出たのだから、手放しで胸を張ってワンとの生活を楽しみましょう。

ただし、”ペットを飼っている人は、ペットを飼っていない人に比べて喫煙率が高かった”ていうのはちょっと・・・。ペットがいるんだから副流煙のこと、ちょっと気遣ってほしいものですな。

 

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自撮りで血圧測定?

スマホ自撮りで血圧測定が可能に? カナダで新技術を開発

スマートフォン(スマホ)で自分の顔の動画を撮影するだけで、簡単に血圧を測定できる技術を開発したと、トロント大学(カナダ)発達神経科学のKang Lee氏らが「Circulation: Cardiovascular Imaging」8月6日オンライン版に発表した。この技術を用いれば、顔の血流を画像化するだけで血圧を予測できるという。高血圧であると心筋梗塞や脳卒中の発症リスクが高まるが、自分が高血圧であることを知らない人も多い。同氏らは「自宅でより簡便に血圧スクリーニングが行えるようになれば、多くの命を救えるかもしれない」と期待を示している”(Care Net 2019.9.9公開)

カナダおよび中国で登録した計1,328人の正常血圧の成人を対象に、この技術による血圧予測の精度を調べた結果、計算モデルでは収縮期血圧を95%、拡張期血圧は96%の高い精度で血圧を予測できることが分かったのだそうです。

とうとうこんな時代になりましたか。高血圧は全く症状がないまま突然命に関わる病気を引き起こすことが多いのに、自分が高血圧であること自体を知らないヒトが多いという問題点があります。たしかに、皮膚の色や室温、照明、顔の角度の違いなどで値は変わるかもしれないけれど、少なくとも高血圧患者のスクリーニングとしては期待できるツールではないかと期待します。ぜひ、日本で使われるようになったら、わたしの顔で試してみてほしいです。何ポーズでも撮ってみせますよ。

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困ったモン~無意識の怖さ

「あれ?鍵掛けたっけ?」
「ガスの元栓閉めたっけ?」
「電車に乗るときにカードリーダーにICカードかざしたっけ?」
「仏壇のろうそく消したっけ?」

わたしの生活の中で、こんな不安にかられることは多々あります。すべてが毎日の習慣のために無意識にやってしまっていること。だから、逆に記憶の中に画像として戻ってこない。あるいは戻ってきてもそれが今日なのか昨日なのかが定かではない。

こういう不安に駆られるときは概ね問題なく無意識のうちにいつものようにルーチンをこなしているのですが、時々(最近は頻繁に)「昨日、お風呂の入り口の鍵掛けないまま寝たでしょう!」「こないだベランダが開いたままになっていたよ」と妻に非難されるのです。全然記憶にないこと・・・無意識のうちにいつものようにやっているつもりなので、「おかしいな、ちゃんとやったはずだけどな」と反論すると「現に、開いてたんだからそんなはずはないよ」と証拠を突きつけられてしまう。

無意識の日常行動というのは、歳とともに欠落した脳細胞がイタズラして時として失敗してしまいます。自信がないからチェックシートを付け始め、そのうちチェックシートに付けたことを忘れ始め、ひとつひとつ確認する行動すらしなくなるとき、ヒトは認知症になるのだろうな。世間の同世代の友人知人たちがみんな抱え込んでいるのが自分の親たちの認知症問題・・・「戸締まりはまだいいが、火の元だけは怖い」とみな口をそろえて云う。

自分も他人事ではなくなってきていることに落胆しています。まだ、自分の行動に自信がないだけマシだけど・・・くわばら、くわばら。

 

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心と身体の疲れパターン

アラフィフの男性受診者の方が、結果説明の最後にぼやきました。

「最近は、毎週月曜日は元気潑剌で仕事にでかけるのだけれど、火曜日から徐々に疲れを溜めてきて、週末はもう動けないくらいヘトヘトになるんです。特に何をしているというわけでもないのに・・・どうしてなのでしょうか?」と。

仕事のストレスや年齢的な肉体の疲労蓄積など、考えることはたくさんあり、多くの老若男女の働く皆さんが同じような悩みを抱えているのだと思います。それが『働き過ぎ』の現れだといわれ、そのために『働き方改革』とやらが遂行されるようになったのでしょう。

「でも」・・・わたしは答えました。
「でも、逆に月曜日が一番心の重い人がいます。『サザエさん症候群』と呼ばれるやつで、週の初めになるとまた仕事に行かなければならない憂鬱さに苛まれ、がんばって働くうちに週末になるにつれて徐々に元気を取り戻すパターンの人。こっちの方が遙かに重症なんです。それに比べたらあなたの悩みは、まだ何とかなりますよ」と。

わたしはどうかと云うと、どっちでもありません。月曜日も金曜日もあまり変わりません。週末が近づくことで「やっと休める」という気分になることがあまりないのです。もちろんわたしのスケジュール帳は遊びの予定で週末から埋まっていきますが、別にそれがウイークデーのストレスの発散になっているというわけではありません。遊びや家の掃除・草刈りなどは楽しみではあるから毎週末に早朝からハイテンションで動き回っています。一方で、仕事に生き甲斐を感じてウイークデーもがんばっているというわけでもないけれど仕事がイヤで憂鬱だというわけでもありません(まあ、長い会議は朝から憂鬱ですがじっと耐えればいつか終わります)。だから、月曜が一番元気で翌日から徐々に疲れて金曜にはヘトヘトになる、と云っていたくだんの男性のメリハリがなんかうらやましい気もしないではないのであります。「昔、若い頃は、たしかにそうだったなぁ」と。

 

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運動会の後片付け

最近は何かと細かいことにすぐ中傷や干渉が入り、どこからともなく何の関係もない人がクレームを入れる時代。そして自治体や企業などにクレームが正式に入れば基本的にはそれに対応をしなければならず、無視しようものならSNSやマスコミを通して世論が黙っていない時代・・・本当に大変です。そのため、昔だったら気にもしなかったいろいろに対して、妙に考えることが多くなりました。

夏の頃、職場のとなりにある小学校の校庭で、授業時間中に運動会用のテントたたみを子どもたちだけでせっせとやっている光景を、トイレの窓から眺めていましたが、「これって、いいのか?」とつい疑問に感じてしまいました。昔だったらごく普通の光景なのだけれど・・・猛暑+炎天下の校庭+授業中+運動会のテントの後始末+子どもたちだけで・・・教育と云えば教育だけど、不当労働と云えば不当労働。熱中症の危険性を考えると危険と云えばきわめて危険だから、父兄から文句が出てもおかしくない光景という気もする。

昨今、何かに付けこんなことばかりで、祭りの音や運動会のマイクの声を騒音だ!とクレームが入れば音を出さなくし(それでも花火大会はうるさいという理由で中止になることはあるのだろうか? うちの犬は大パニックを起こすから近くで花火大会が催される日は早々に避難しますが)、子どもたちが放課後に外で遊ぶと危険(連れ去りや大気汚染で)だから外で遊ぶことが禁止になったり、子どもにおしゃれをさせたいから制服や髪型の規制に文句を云ってもまかり通ったり・・・あーこういうグチを書くこと自体が年寄りなのかしらね。

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読影気分

わたしの仕事の半分は検査の読影です。当日人間ドックを受診される方の心電図判読、胸部レントゲン読影、眼底検査読影などを午前中のうちに済ませる必要があります。多くて150件くらいですが、最近は業務シェアで他のスタッフも手伝ってくれるので各々8090件くらいでしょうか。

それを説明や診察業務の合間に粛々とこなしていくのですが、ひとしきり読んだ後に一覧表の片隅にある人数表示=<読影済み/全件数>を見ると、日によって進み方(の感覚)が全く違うのに気付きます。かなり読んだはずなのにまだ1/4も進んでいない時もあれば、気付かないうちにほぼ終わろうとしている時もあります。毎日の読影速度には差はないはずなので、これはまさしくその日の私の体調バロメータ。「進んでない」と感じる日はやっぱり疲れているのでしょうね。読影するのにノリノリで鼻歌交じりでする日なんて一度もありませんが、やはり「もう」と思うときと「まだ」と感じるときでは、その日一日の気分が全然違います。どうせ同じ量の仕事をしなければならないのなら、毎日が「もう終わったよ」と感じるような日でありたいものです。

ま、残念ながら疲れている日とそうでない日で前日から朝に掛けて何が違うのか明らかな傾向が見いだせていません。深酒したとか、睡眠不足感で出勤したとか、そういう日はわかりますが、気分よく出勤したにもかかわらず進み方(の感覚)が遅い日は、気の進まない会議が夕方に控えているとか、気の進まない業務が午後にあるとか、そんな日ばかりでもないんです。何なんでしょう。少なくとも自分の身体から発する警告なのでしょうけれど・・・。

 

 

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やはり、医療は信頼関係

家庭医への共感で2型糖尿病死亡リスク半減

”"共感"が治療の有効性に影響を与える具体例が示された。2型糖尿病患者は、診断から1年以内に共感度が高い家庭医を受診することにより、その後の10年間に死亡するリスクが半減する可能性があることが、英国の地域住民ベースの前向きコホート研究で報告された。英・University of CambridgeのHajira Dambba-Miller氏らがAnn Fam Med(2019; 17: 311-318)で発表した。"(Medical tribune 2019.8.22配信)

2型糖尿病と診断後1年間の家庭医への共感の経験と、その後10年間の心血管イベントや全死因死亡発生率との関連を検討したイギリスの報告ですが、家庭医に対する共感度が高かった方が臨床的に良好な経過をたどるということがわかったという。もちろん、とても優秀な医者だから治療がうまくいってその結果信頼できた可能性もあるのでしょうが、そういうことを踏まえた上で今回の結論が導き出されているはずです。どれだけ世界的に有名でとても権威のある医者でもウマが合わないとか上から目線の横柄な態度をとられていつも受診時には萎縮してしまう相手より、世間では藪医者呼ばわりされていても自分の訴えにはいつも耳を貸して共感してくれる医者の方が、主治医としてははるかにすばらしいし、そういう医者に巡り会えた患者さんは幸せ者だと心から思います。当たり前のことが辛抱強い追跡でやっと評価されて本当にうれしいです。そう。医学は科学かもしれないけれど、医療は単純な科学や数学の論理ではない、と結論つけたい。

「医学は学問であり科学であるから、そんなヒューマニズムのような定量できないものは意味がない」とか、「そんな科学的でないことを云っているから医学は科学ではないとか揶揄されるのだ」とか批判する人がおり、一方で「検査の結果の真実はひとつなのだから、あてにならない人間の評価よりAIなどの機械の客観的な評価の方がはるかに信用できる」という患者さんも増えてきました。人間関係の重要性を感じて医者の道を選んだわたしにとってはとても悲しい時代になったなと感じていたので、今回のような報告が医療雑誌に発表されたことはとてもうれしく思います。

PS) consultation and relational empathy(CARE):家庭医により①安心感が得られた②自分の話を引き出してもらえた③真剣に話を聞いてもらえた➃1人の人間として認め、関心を持ってくれた⑤不安を十分理解してくれた-などの10項目から成る。なお、CAREのスコアは高いほど共感度が高いとされる。
 

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困ったモン~老眼鏡

先日4日くらい連続休暇をいただいた後くらいから、急に目が見えなくなりました。もともと老眼が進んできて、健診結果の報告書や会議の資料が見えにくくなってきていることは自覚していました。日頃はコンタクトレンズなので、コンタクトレンズした上で掛ける老眼鏡を使っていましたが、まあ眼鏡がなくても何とかなるというレベルでしたし、何より面倒なのは、書類を読むための老眼鏡をしていると卓上のパソコン画面の画像(レントゲン写真や心電図や)がぼやけて見えなくなるから、読影作業時は眼鏡を外す必要があったのです。

それが、休み明けに仕事をしようとして戸惑いました。数字がよくわからない。文字が文字として見えない。あ、その前に夜運転中に送られてきたラインの文字が暗くて読めない(もちろん停車して確認しました)のに驚きました。あわてて老眼鏡を付けたらよく見えたので、明らかに老眼が進行したわけでしょう。で、一番驚いたのは、その老眼鏡でパソコンを見たら、前はぼやけてよくわからなかった画像がものすごく鮮明に見えたこと。目って、こうやって突然に悪化するものなのですね。

初めて老眼鏡を付けたときには、目の前の小さな文字はくっきりとよく見える代わりにちょっと脇の風景を見ようとしたら何も見えないことにおののき、「俺の目はとうとう壊れてしまった」と嘆いたものですが、今度は壊れた目がさらに壊れて行くのに、何か素直に受け入れようとしているわたしがいる。もう怖いものなんて何もないぞ! 

 

 

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困ったモン~忘れ物

我が家の風呂の入り口に『鍵を確認してください』というプレートが掛けられました。妻がホームセンターで買ってきたようです。我が家の風呂は湿気がこもらないように使用後には窓を全開にさせて入り口のガラス戸で施錠する構造になっているのですが、その施錠をわたしがすぐに忘れるようなのです。「そんなことないよ。ちゃんと掛けてるよ」と昔は反論していましたが、「現に朝洗面所に行ったらいつも鍵がかかってないじゃない」と妻に云われるのを繰り返すうちに自分でも自信がなくなってきました。毎回じゃないんです。注意された翌日、翌々日は「ガチ」とわざとロックする大きな音を出して自己確認するのです。でも、その数日後には「あなた、また閉めてなかったでしょ」と注意され、「どうしてこれができないの?」とあきれられる今日この頃なのであります。

最近はそれだけではありません。玄関の鍵もかけ忘れて朝を迎えることが少なくありません。翌朝のゴミ出しの準備とかして出た後に閉め忘れるみたい。先週末には職場のオンコール当番だったにもかかわらずスマホを充電器に載せっぱなしで忘れて遠出してしまったし、しかもそこに傘を置き忘れたことを今日気づいたし、洗濯物を畳むために使った茶の間の電灯を消し忘れて朝を迎えたりもしました。ワンを庭に出した後、テラスのガラスドアの鍵かけ忘れとか。

「あとでまた使うから」と思ってそのままにして、そう思ってそうしたこと自体を忘れてしまうわけです。若い人にはこんなこときっと理解できますまい。しっかり気をつけておけば忘れたりするはずがない。気合いが足りないのだ、と思っているに違いない。でも、気合いだけじゃ無理なんです。きっと脳細胞が無くなっていくんです。「いつも忘れるから今日こそ忘れないぞ」と自分に云い聞かせてテーブルの上に置いたものを、一瞬となりのパソコンをいじっただけで忘れてしまうこと。「きっと忘れるから、必ず見る玄関に置いておこう」と準備して、結局そのまま外出したこと・・・きっと同世代のヒトにはあるあるのはずなんです。

困ったモンです。忘れてしまうことではありません。「それは老化だからしょうがない」と開き直ってしまう自分の心が、困ったモンなのです。

 

 

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9月になりました。

復活させてはみたけど、なかなかアップの回数を増やせません。人が何かを続けようとするとき、「○○しなければならない」という足かせがあることってとても重要なんだな、とつくづく思います。

なかなか文章の神が降臨してこなくて難産になってしまった依頼原稿をやっと書き上げたので、今月はがんばって先月の倍はアップできるようにしましょう。”毎日”に復活は到底ムリだけど・・・。

 

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