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2019年10月

それは本当に朝に報道すべきこと?

「そんなこと、今はどうでもいいわ!」と独りごとをいいながらナビのTVチャンネルを動かす。それの繰り返しで、結局Eテレの”はながっぱ”に落ち着いたりする。

朝の出勤途中の運転中のよくある光景です。運転中は画像が出ないので声だけですが、それでも聞きたくない内容が朝から続くとうんざりします。
「福島県の大雨で○○川の支流が氾濫して被害が起きました。実は支流流域には避難指示がでていなかったのです。その理由は・・・」
「先日のあおり運転でガラケー女として誤報された女性の情報を拡散した市議がフェイスブックで謝罪会見。その云い訳は・・・」

「どうでもいい内容だ」と云いたいのではありません。「その内容、朝に伝えなきゃいけない内容なの?」と思うわけです。明らかにイラッとさせる内容なのです。どうしてこれからさわやかな気分で仕事に向かおうとしている人間をいらだたせる必要があるの?と思うわけです。昼間や夕方の報道なら別にかまいませんが、朝の報道には似つかわしくなさ過ぎる!と思うわけです。きっと内容は前日の夕方に放送したモノと同じでしょう。「朝しかニュースを見られない人が居るから」という大義名分をかざしながら、せっかく取材したものだから使い回さないと勿体ないという理論なのだと思います。上の二つの話題、”朝しか見られない”くらい忙しい人にあえて朝伝えなければなりませんか? 先日も書きましたが、朝は伝えなければならない内容だけにしてほしい。未曾有の大災害で被害の実態がどうだとか、昨日何人の遺体が見つかったとか、今後ふたたび大雨が降りそうだ、とかいう情報はきちんと伝えて欲しいけれど、それと三面記事的話題とは棲み分けることくらい簡単にできるでしょう。

緒方さんや八千草さんのような著名人の逝去を悼んで過去の功績を綴ることは朝にいくらいやってくれてもかまわないから、どうか、ニュース報道ではない、人の心を煽るような内容は、極力朝には流さないでもらいたい。

そう思う次第です。

 

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肥満はやはり健康の敵のようである。

肥満は、アディポネクチンなどを介して2型糖尿病や高血圧のリスクを高めるとか、炎症反応を介して動脈硬化を助長するとか、そういう間接的な心疾患リスクの上昇が問題なのだと云われてきましたが、どうもそれだけではないみたい。「太っていることは決して悪いことではない。瘦せているよりも小太りの方が健康で長生きだ」という理論をずっと主張している専門家も少なくありません。そこに、ここのところあちこちから肥満についての研究報告が出てきました。最近Care Netで紹介されたものを2つ載せてみます。

肥満は動脈壁に直接ダメージを与える?

英オックスフォード大学心臓血管内科教授のCharalambos Antoniades氏らの研究報告で、『肥満の心疾患患者では、動脈周囲の脂肪組織で「WNT5A」と呼ばれるタンパク質が多く産生され、血管内に有害な影響を与えている可能性があることが分かった』『肥満患者では血中のWNT5Aレベルが著しく高いことが分かった。また、WNT5Aは特に動脈周囲にある脂肪組織から大量に放出されていることを突き止めた。さらに、WNT5Aレベルが高い患者では、その後3~5年の間に、動脈内にプラークがより速く蓄積することも明らかになった』というもの(Science Translational Medicine:2019.9.18)。このタンパク質が肥満者から多く産生されて直接血管を傷つけるから有効な薬剤開発を期待しているようではありますが、『「新たな治療につながる可能性があるため、肥満と心疾患が関連するメカニズムの解明は重要だ」とした上で、薬物治療よりも健康的な生活習慣を重視すべきだと強調している』という部分は評価できると思います。

肥満と腸内細菌の関係に新知見-ポイントは「食用油の代謝」

 『腸内細菌が多価不飽和脂肪酸を他の脂肪酸に変換する過程で、宿主のエネルギー代謝を調節しており、その能力次第で肥満が改善または悪化する』『腸内細菌叢は食事中に含まれている多価不飽和脂肪酸の代謝を制御しており、高脂肪食によって誘発される肥満や炎症に関与していることがわかった』というもの。東京農工大学大学院農学研究院応用生命化学代謝機能制御学の木村郁夫氏らの研究です(Nature Communications:2019.9.5)。ん~ちょっと待って。これ、なんかちょっと面倒。だからどうしたらいいの?というのが、なんか良く理解できませんでしたので詳しくは書きません。すみません(笑)

 

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ジイさん化阻止計画

休みの日の朝、ワンの散歩をしていると数多の老若男女とすれ違います。朝散歩は概ねそれなりの年齢の人が多いのですが、最近は注意しないと自分より若かったりする。遠目に見てあのじいさんは歳の割に元気だななんて思っていると、すれ違いざまに確認したらちっともじいさんじゃなかったりする。遠目に見てこんな朝の公園には不釣り合いの若いお嬢さんが歩いていると思っていると、近づくにつれてうちの奥さんと同じくらいの年格好なんだなと驚くこともある。そういえば、路面電車で座っていると目の前に老人が立ったので代わってあげようかと目を上げるとどうみても自分の方が年上だと思うから声をかけるのを止めたこともあります(声かけるとかえって失礼ではないかと思って)。

自分は、自分で思ってるほど若くはないということを自覚させられる今日この頃、だからこそ自分が周りからジイさんに見られないように努力すべきだ!と心に誓った今日この頃なのであります。遠目の立ち居振る舞いをいかに若く見えるようにするか、自分でジイさん化阻止計画を立てました。

まずは、
1.前を向いて歩く:先日ここで宣言したとおりです(『上を向いて歩こう』2019.7.12)。下を向いて考え事をすると萎んだジイさんになる。考え事は上を向いてしよう。下を向くのは愛犬に話しかけるときだけにしよう。
2.掌を前に向けて歩く:手の甲を前にすると肩が内旋して前屈みになるけれど、掌を前にすると肩が開いて胸を張ることになるのです。両手を前に向けるだけで前屈みは治ります。見た目がちょっと変ですけど(笑)
3.やや大股で歩く:大股で歩くのは良いのですが、大股で歩きながら大きく手を振る格好は、みるからに「健康のために歩いています」という姿になります。これはジイさんの専売特許。傍目を気にせず不自然な動きをするのはわたしのポリシーにそぐわない。だから控えめにやや大股。
4.遠目で若く見られるためには、服装も大事。じじむさい服やヨレヨレの服を着るのだけはやめよう。妻が地味な(わたしに似合わない)服を買わせないから還暦過ぎのオヤジにして若作りの形や色の服しか持たないけれど、これを違和感なく着こなす意識は必要。わたしの人生に『オシャレ』は存在しなかったのだけれど、今までのままで着こなしていきたい。

そして表情。
5.わたしは真面目な顔をしていると不細工で怖いらしい。でも笑っていると可愛くて爽やからしい。自分の写った写真をみるとたしかにその通りだと思う。十分自覚しています。だから思い出す限り、笑おう。意味なくニヤニヤしていると変な人に思われるから、いつも意識して口角を上げるようにしよう。

よし。

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くすぐったくない

先々週、うちの職員健診で若いスタッフの診察をしていたらある若い看護師の男性がすごい不機嫌な顔をして「私ダメなんです」とクビ元の触診を拒否しました。先週は、ご高齢の女性が突然ケラケラ笑いながら私の手を振り払い、「こそばいい!」と叫びました。

そう、最近は、老若男女を問わずクビを触ってもくすぐったがらない人ばかりです。だから、久しぶりに露骨な反応をされてたじろいでしまいました。5年前にここで書いた(「くすぐったい?」)のを思い出しましたが、この5年間でその傾向はもっと明確になった気がします。クビ元の触診は「いい加減で形だけしている医者がいる」というアンケートの苦情があったので、かなり念入りに行うようにしています。なのに本当に皆さん無反応です。15年前にはかなり気を遣って触診をしていたのに、最近は”くすぐったい”という概念自体を忘れていました。

本当にくすぐったくないんでしょうね。5年前に仮説を立てた通り、最近の若い人は子どもの頃に親御さんや兄弟からくすぐられた経験がないのだろうこと、確信に変わりつつあります。ただ、くすぐったがらなくなったのは若い人だけではないのです。大の大人も概ねくすぐったがらない。ご高齢の方もくすぐったがらない。大人だからがまんしていることも考えられないわけではないのですが、がまんすると力が入るので、触診している側はすぐに分かるものです。わたしの技術の進歩はないわけではないでしょうが、何か人類の皮膚感覚が鈍磨してしまっている(日本だけかもしれないけれど)ことがメインの理由のような気がして、ちょっと不気味です。

だから、クビ元触るとカラダをくねらせて”きゃっきゃきゃっきゃ”笑い始める子どもたち見てると、救われた気持ちになりますね。

 

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日記書き

このブログは1年半前から気まぐれ日記にしたから書かなくても気にならないけれど、もう一つのブログは日記帳代わりなので意地でも毎日続けてきました。ところが、ここのところ書き忘れる日が何日か出てきました。忘れるのではないけれど、仕事から帰ってパソコンを開けてビール片手にちょっとメールの整理しながら夕飯食って、ちょっとソファに移ってテレビ観ているうちに意識消失してしまうんですね。で、夜中に目覚めて、「ま、いいか」と思ってしまう。もうすぐ満12年めを迎えるこのブログ、当初は出張先では書けなかったからアップ率100%にはちょっとだけ足りないけれど、そんな日記帳だったのですが・・・。

で、「まあいいか、どうせ自分の日記帳なのだし、金もらって何か書いているわけじゃないのだし」と諦めそうになったのですが、ふと「認知症予防のコツとして、2日前に何をして何を食べたかを思い出すのが大切」というテレビ番組を先日見たばかりだったことを思い出しました。「そうか、今更でも思い出すのは大事なんだな」と思ったので、遅ればせながら2日前の日記と1日前の日記を思い出しながら書いてみました。酔っ払いながら夕飯食っているので、2日前の夕ご飯のメニューを思い出すというのはとても大変なのですが、必至に思い出してみました。幸い、宅配サービスのメニューじゃなかったので「そうそう、ケンタッキーフライドチキンにしようかと云いながら結局麻婆豆腐を作ってくれたんだった」と思い出すことが出来ました。

なんか、大したことじゃないのかもしれないけれど、きちんと数日前のことを思い出そうとする機会がなくなっていた(どうも、「面倒くさい」が先になっていたみたいで)から、妙な爽快感がありました。「面倒くさい」はこれからの最大の敵だということも再確認しました。

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『ココロの体力不足』

最近とても遅筆になってギリギリまでかかった連載コラムの原稿・・・やっと今日発行されました。男性更年期(LOH症候群)のことを書こうと思って書き始めたのに、なんか自分のグチになってしまいました。

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『ココロの体力不足』

「ヒトは、あきらめた時と面倒くさくなった時から一気に歳をとり始めるので、毎日負けずにがんばりましょう!」

これが人間ドックの結果説明時に〆として使う私の決め台詞なのですが、最近そんな私のココロの体力が低下してしまって、何をするのも面倒くさくてたまりません。その気になればちゃんとできるのが自慢でしたが、まったく“その気”になれないのです。みるみる出てくるお腹をさすりながら、「まあ還暦過ぎたオヤジならこんなもんじゃないの?」「同世代の中ではがんばっている方だと思うよ」と自分を納得させるわけです。腰回りに切れがなくなったことよりも、自らのゆるゆるのココロに喝を入れられなくなった自分が情けない今日この頃です。

やる気スイッチに一番影響を与えるホルモンがテストステロンだと言われています。テストステロンは男性に多く、男らしさを引き出すので“男性ホルモン”とも呼ばれていますがもちろん女性でも作られますし、最近は女性の方が多いのではないかと感じることもあります。このホルモンは、冒険(新しいことへのチャレンジ)、社会性(縄張り意識)、競争(順位や達成感)に関与し、“社会の中の自分”を意識させるホルモンなので、ボランティア活動や寄付活動をしたり、公正・公平の気持ちが増してインチキや嘘つきを許せなくなったりするのが特徴です。おそらく、巷にはびこる“煽り運転”や常軌を逸した“クレーマー”の本質はこれ・・・独りよがりな正義感のもと、「私が神に代わってお仕置きしてやる!」と大義名分をかざす・・・これは明らかにまちがったテストステロンの表れ方です。一方で、あの赤鉢巻きのスーパーボランティアさんの献身的な活動こそがテストステロンのなせる技の典型なのだと思います(ちなみに、赤色はテストステロンを増やす色として有名です)。

そして、このホルモンが減少すると意欲が低下し集中力がなくなり、チャレンジする気が失せ、人間関係そのものが億劫になり、認知機能が低下したり動脈硬化が進んだりします。それはまさしく最近の私。“丸くなった”“心が広くなった”と言われてほくそ笑んでいましたが、それはつまりテストステロン減少の表れでしかない・・・煩悩の誘惑にココロを揺さぶることもなく、理不尽な仕打ちに報復する気にもならないというのは、それはそれで「人間としてどうよ?」という複雑な気持ちになります。

『元気潑剌と生きていきたければ、煩悩の渦の中でもっとワクワクすべし!』・・・どなたか、萎みつつある私のココロを再びメラメラと燃え上がらせて何かせずにはおれなくさせる、そんな妙薬をご存じありませんか?

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日常で心得ていること~忘れる

絶対にしなければならないこと(マストなもの)は、自分の目の前の見えるところに出しておかなければならない。「しなければならない重要なモノだから」と思って袋に入れて持って帰っても結局そのことを忘れているので袋を開けないで、翌日そのまま職場に持って行ってから袋を開けてみて、「あ、そうだった」と思い出すわけです。

もうこの繰り返しには慣れました。わたしの脳細胞のキャパはとっても小さくなっています。脳平野の大部分がもう枯れて土も生えていないのかもしれません。私はすぐに忘れるから、「忘れないように」と通り道に置いておいても忘れてしまう・・・外した時計とか、スマホとか、ハンカチとか・・・まあ、置いたことを忘れていること自体を忘れていることもあるのが辛いところ。「なんでこんなところに私のスマホが?」と一瞬思うけれど、さすがにすぐに、「ああそうだ、忘れないように、さっき服を着替えるときにここに置いたんだった。情けない!」と思い出す。

まだ思い出すだけマシですが、袋の中を見て、「何、これ?」とか云いだしたらもうやばいと思う。それがなんかそう遠くない将来の様な気がしてきて不安な今日この頃なのであります。

 

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日常で心得ていること~どんなに眠くても朝は起きる

先日の日曜日の朝、妙に眠くて頭が重く、とりあえず目覚まし時計が起こすのに合わせて起き上がりはしたけれど、このまま階下のソファでもう一眠りしたいなと心底思ったことがありました。前夜はいつもより早くに床についたけれど、ラグビー観戦やゴルフ観戦やサッカー応援やで酒を飲み過ぎたせいできっと深い眠りになれなかったのでしょう。だから、正直なところ、平日通りに朝6時に起きたことを後悔しました。

こんなことは平日でもよくあること。やらなければならない仕事が終わらずに夜中の2時頃床についたとか、早寝したけど何度も目覚めて熟睡できなかった日の翌朝とか。でも、私はとにかく定刻で起き上がることにしています。それは休日でも同じ。起きておしっこに行った後、いつものようにワンを庭に出したり朝ご飯をあげたり、洗濯物を干したり分別ゴミを出しに行ったりしているうちに、きっちり目が覚めて頭もすっきりすることを知っているから。日曜日も、結局そのままワンの朝散歩などしてきたら嘘のように冴えてきて、夜まで元気よく動き回ることができました(昼下がりに15分ほどうたた寝しましたが)。

生活リズムのリセットは必ず朝、朝日を目に浴びることで体内時計をリセットさせることから始まります。理屈はよくわかっているし、睡眠の質をあげるためには絶対に守るべき基本中の基本なのですが、やっぱり、どうしても起きなければならないわけではない休日の朝は、葛藤がありますね。若い頃ほどは眠ることへの渇望感は少なくなりましたし、むしろ長く寝ると腰が痛くなるから起きざるを得ないのですが、「とりあえず起きる」という行動さえできれば、その後の一日がいかにスムーズになるか、体感としてわかる今日この頃です。

 

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日常で心得ていること~夜中には考えてはいけない

闘病中の同級生が亡くなって3年目を迎えました。独り者でしたが病気宣告を受けて以降も自分のことは自分でけじめを付けるための金は貯めてきたと云い、最後の看取りまで想定した人生を全うしました。それでも、そんな彼でも、最期は独りで生活するのはむずかしく、実姉夫婦の住む九州に帰ってきて姉家族に見守られながら亡くなっていきました。

昨夜、そんな3年前のことをベッドに入ってから思い出してしまい、姉夫婦や子・孫たちと一緒に写っている幸せそうな写真をふと思い出した時、私の頭は全く違う方向に向かって思考し始めました。自分の場合はどうか? 私が看取るにせよ看取られるにせよ、残された夫婦の一方はほとんど身寄りがいない。うちの姉夫婦には息子が2人いるが未だに独り者だし、妻は一人っ子で年老いた母はもうその頃には居るまい。さて、葬式はいいとしても、墓はどうする? 妻はかねてから散骨してほしいと云っていた。そもそもうちの墓は後を守る人間が居ないから、私の生きているうちに墓じまいをしておいた方がいいのだろうか。自分は無縁仏になってもかまわないけれど、妻が残されたらどうしようか。本家に墓を併せてもらったりできるのだろうか。そんな相談は誰にしたら良いのだろうか? 親しい友人でも他人の家のことには介入しないだろうな(その前にそんな相談ができる友人自体が居ないかも)。

そんなことを考え始めたら頭が冴えわたり、その後に途方もない不安感の波が襲ってきました。最近、時々夜床についた時や夜中に目覚めた時に突如襲ってくるこの不安の波。妻にも云えない、兄弟にも云えない、友人知人にも云えない・・・その孤独な不安感に苛まれると大きなうねりに飲み込まれそうになるのです。

「いかん。今、これを考えたらいかん」と独りごとを口にした私はあえて目を見開いて真っ暗な天井を眺めながら心を無にする努力をします。そうしながら、静かに意識が薄れていくのを待つのであります・・・だいぶ、処世術を心得てきました。

 

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左側に傾いていく

先日人間ドックを受診されたご高齢の女性。ご家族と一緒に受診されたので意思の疎通が難しいのかと思ったら、とてもインテリジェンスが高く耳もしっかりしていてしっかりと受け答えされました。彼女(およびその家族)の主訴は、『頻回の転倒』・・・一度足を引っかけて転倒して以降、すぐに何度も転倒するようになった。脳外科医でCT検査など受けたけれど問題がなく、「歳のせいだ」と云われるのが納得いかないから脳ドックを受けに来た、というものでした。なんか立って歩くと左側に引っ張られていく感じがしてふらつくのだそうです。耳鼻咽喉科で平衡感覚の検査や起立検査など受けてみたけれど「耳鼻科的には問題ない」と云われたとか。でも、何か原因があるはずだ!と思うのだそうです。

うちで行った脳MRI検査でもMRA検査でも年齢相応の萎縮や動脈硬化所見以外は目立った所見は見当たりませんでした。とりあえず、人間ドックのようなサラッと浅く広く流すような検査では何もわからないので、脳神経内科などを受診してもっと事細かに神経学的診察などを受けた上で説明を受けた方が建設的だと説明しました。

ただ、雰囲気的にはどの科に行って検査しても異常は見つからないような気がしました。この歳で一回強い転倒をしてしまうとその時に身体全体が軋んでしまいます。それが、若いときのようには元に戻らなくなるものです。もしも、進んだ医療の現場で徹底的に原因探しをしてみても原因が見つからなかったら、原因究明にあまり固執せず、今の症状がどうやったら軽くなるか(消えたらもっとよい)と云うことを教わった方が前向きに生きていけると思うのです。そういうことをしてくれるのは理学療法士さんの仕事です。医者は自分の専門領域に原因が見当たらなければ「何もない」と云うだけです。もっと身体全体のトータルコーディネートを考えてくれる人にアドバイスをもらう方が良いように思いました。

原因究明を求めて人間ドックを受けて、高い金を払った挙げ句に「大した問題はない」「症状の原因になりそうな異常は見当たらない」と云われた受診者さん(とご家族)が落胆した表情で部屋を出て行く・・・何の問題もなかったことを喜べない空気の中で、とても、申し訳ない気持ちになりました。

 

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