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2020年1月

酒はやっぱり百薬の長

飲酒が「百薬の長」になる条件とは

Medical Tribune 2020年1月28日号に紹介された記事です。こういう話にはつい目が行ってしまいます。酒は『適量飲めば百薬の長』とは云われますが、”適量”という量がほとんど生殺しの量なので酒好きにはちょっと大変です。しかも最近は”適量”より何も飲まない人の方が良いというデータもちらほら出てきて雲行きがちょっと怪しい。

そんな中で、京都山城総合医療センター生活習慣病内科の堤丈士氏らによるこの検討はちょっとうれしい。詳細は書けませんが、見出しだけコピーしておきます。
●アルコール摂取群でHbA1cは有意に低値
●醸造酒より蒸留酒で腎機能は有意に良好
●「適量の蒸留酒」が百薬の長の条件

”「2型糖尿病患者におけるアルコール摂取は、LDL-Cを低下させる可能性が示されたが、eGFRの観点からは醸造酒よりも蒸留酒を勧める方が良いのではないだろうか」と考察。「可能であれば蒸留酒を適量摂取することで、安静時心拍数を下げ、酒が百薬の長となりうる可能性が示唆された」”というのが堤先生の総括のようです。

ちょっと驚いたのは、”LDL-Cは非摂取群(89.0mg/dL)や適量摂取群(91.8mg/dL)よりも過剰摂取群(81.7mg/dL)では有意に低かった(いずれもP<0.05)”という結果。エチルアルコールは量に正比例してHDLコレステロールが上昇する(だから酒で上がるHDLコレステロールコレステロールは『善玉』ではないという人もいる)と昔から云われていますが、なんと「酒を飲めば飲むほどLDL(悪玉)コレステロール値が低下する」という。そんなこと、全く知りませんでした。

ただしこれ、2型糖尿病の患者さんの話です。糖尿病ではない自分でも当てはまるはずとばかりに飲み過ぎませんように。LDLコレステロールは酒の肴の種類や量も影響受けますし。とか書きながら、この話を肴にして焼酎をちびちび飲めそうだな(笑)
 

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そうじ好き

「あんたがしっかり教育せんで甘やかしとるけん家事もせん嫁になるのよ」

むかし、新婚の頃に義母がわたしに向かってそんなことを云ったことがありました。「何云っとるんじゃ。あんたこそが子どもの頃にちゃんと教育しとらんからそうなったんじゃろうが!」と思ったのを覚えています。

わたしは「そうじが好きです」と云い切れます。休みがあれば家中をそうじしないと気が済みませんし、庭も草取りもゴミの整理もきちんと済ませて初めて落ち着く性分です。でも、小学校の頃はそうじ嫌いでした。自分の部屋はゴミ屋敷のように散らかっていました。それがそうじ好きに変わったのはいつの頃だったでしょう? 決して親に「そうじしろ」と云われたわけではありません。あれは独り暮らしを始めた予備校の頃でしょうか? 身の回りをきちんと片付けると気持ちが整理できて前向きに生きていけること、それによって成績も急に上がって来たこと、そんなことがきっかけになったのではなかったかと思います。周りに強いられることなく自分からそうじするようになった人間にとって、そうじできない人の気持ちはあまり理解できません。どうして使ったモノを元の位置に戻さないのだろうか。どうして斜めになっているものを縦横に揃えないのだろうか。それは、タバコを吸わない人にはタバコを吸わずにおれない人の気持ちがわからないのと同じかもしれません。

ただ、だからといって妻が片付けられないことを非難する気はありません。以前にここでも書いたことがありますが、クリエーターである妻とスイーパーであるわたし。うまいことお互いにないものを補い合っているわけで、それで十分だと思います。毎朝起きてから洗濯物を干して出勤したり夜に乾いたものを畳んだりするのもわたしが担当することが多いのですが、それが義母には気に入らないことなのだそうです。外から、近くの人が見て、「あそこは旦那さんが洗濯物干してる」って驚かれると云うのです。そんなこと、別にどうでも良いことです。だって、わたしの子どもの頃に洗濯物を洗濯機にかけて洗う担当はいつも父でしたし、朝早くに起きて炊飯器のスイッチを入れるのも父でした。それに何の違和感も感じたことはありません。そりゃ、妻が自分でしたがっているのにそれを取り上げてしまったのなら申し訳ないけれど、そうじ好きな人が好きなことをして何が悪い?という思いは、今でも何ら変わりません。何かおかしいかしら。

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コトバの力

今日、NHKのEテレで『夏井いつき 俳句の種をまく』という番組を見ました。昨年末に放送されたものの再放送のようでした。

テレビ番組でブレイクしたおかげで、今や知らない人は居ないと云っても過言ではない俳句の先生。俳句なんかに興味もなかったひとたちにも俳句を身近に感じるようにしてくれた功労者と云えるでしょう。そんな夏井先生を追いかけるドキュメンタリーの中で、俳句に出会ったおかげで生きる糧をもらった人たちがクローズアップされていました。引きこもりの男性や子育てに疲れた主婦や闘病中の男性が俳句に自分の生活を投影することで生活を生き生きさせる姿、あるいは、むかしのイヤだった自分の経験を忘れるのではなくて俳句のタネにして昇華させようとする若い女性など。

俳句は季語が面倒くさいし、陳腐なコトバしか浮かばないのであまり好きではありません。一生懸命考えて一句作ったところで、それが何になる?どこぞのコンクールに応募してたとえ賞をもらったとしても、それは自己満足なだけでしょ?と正直思っていました。テレビでタレントさんが詠む句を聞くのが楽しみになり、運転中のラジオで応募された俳句を聞くのも苦にならなくなってきましたが、それでも自分で詠む気にはなったことはありません。ただ、この番組に出てきた人たちの生き様のように、人生の苦難を癒やし、生きることの杖になれるものであれば、17音のコトバ遊びも良いなと感じました。コトバを選ぶ。句を作る。一番しっくりくるコトバを探す。そんな作業は、もしかしたら絵を描くとか陶芸をするとか云う世界よりも今後の自分のココロの充実のために一番合っていることかもしれません。

そんなことを思いながらしみじみと番組を見終わった後、今度は大相撲放送にチャンネルを替えました。幕尻の高齢平幕力士が下克上して初優勝しそうな緊迫の場所で日に日に人気があがっています。今日はその千秋楽。滅多に見ない大相撲放送を見ました。最近、大相撲放送を見なくなったのは、解説者の親方連中のコメントがイライラするからでした。皮肉を云ったり、「こんなんじゃ駄目だ」とダメ出ししたり、「まだまだ精進しなければ」と指導者のマジメな意見を続けたり、見ていて楽しくなかったからです。かといって褒め殺しなのもまたわざとらしい。スポーツ解説ってとてももずかしいものです。そんな中、昨日の解説をしてくれた荒磯(元稀勢の里)さんの解説がわたしのココロに嵌りました。声も聞きやすいけれど話す内容がすべて前向きでポジティブな意見ばかり。こんな解説ばかりだったら、相撲人気がまた出てくるだろうな。というか、わたしもこんな考え方の人間になりたいと思いました。

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地球温暖化?

今朝、フェイスブックの『思い出』を眺めていたら、2018年の朝の通勤中の車の写真を載せていました。

『みるみる下がったけど、今朝はコレが限界のようだ。寒いことに変わりないけど、去年の今朝の気温(マイナス4度)に負けてちと悔しい(笑)』というコメントとともにマイナス3度の写真。そして2017年1月25日の写真は、もちろんマイナス4度の写真(『❄️更新❄︎』というコメントとともに)。さらにその1年前には雪が降っていました。

ここは南国熊本。それでも、盆地気候なので冬はこんなもんです(というか、こんなもん”でした”)。それが、今朝の出勤時の車の気温表示は12度。昨日は15度。雨がシトシト降っているから暑くはないけど(一昨日は暑くてセーター脱ぎました)それでもほとんど春。「いやいや、異常気象だとか地球温暖化とか云うけれど、云うてももうすぐ2月だから突然寒波が来て突然あちこち積雪して、『例年通り』とか云うんやろ」と、心は信じていないんです。3月初めに急に寒波が来て大学受験の時に雪の中だった40年以上前の思い出をここに書いてもしょうがないけれど、そんなトラウマもあるのだけれど・・・今年は少なくとも2月いっぱいはこんな暖冬なのだと天気予報が云っていました。

だからこそ異常気象なのでしょうけれど、なにかこの過去の写真を眺めながら、思ったことがあります。

『「昔は”冬”というめっちゃ寒い季節が日本にもあったんだよ」と、しみじみ云う時が来るかもしれない』ということ。1月の朝に15度なんてことが特別ではなくなるのではないか。来年も再来年もこんなもので、「今年も気温は最近の例年通りです」ってなるのかもしれない。

いまや、60年生きてきた自分の経験などまったく通用しない時期がくるのかもしれません。

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日本人だけど

Care Netで配信された健康記事を2つ。今や生活習慣病は腸内フローラ。そして世の関心の中心は認知機能。これらに大変トピックな記事がありました。

コーヒー摂取で腸内環境が改善?

"コーヒーを摂取すると、腸内細菌叢のバランスが改善する可能性があることが、米ベイラー医科大学消化器内科准教授のLi Jiao氏らが行った研究で明らかになった。研究の詳細は、米国消化器病学会(ACG 2019、10月25~30日、米サンアントニオ)で発表された。"

ダークチョコを毎日食べると認知機能が向上

"ダークチョコレートを毎日食べると、神経成長因子(NGF)という蛋白質が増加し認知機能も向上するという研究結果が報告された。しかもチョコレートの摂取を中止した後もしばらく認知機能が高い状態が維持されるという。ただしホワイトチョコレートにはこの効果はないとのことだ。島根大学医学部環境生理学の住吉愛里氏らの研究によるもので、「Nutrients」11月16日オンライン版に掲載された。"

どちらも、以前からどこかで聞いたことのあるようなデータですが、内容に対してわたしはあまり深入りはしません。お好きな方には好都合な検討結果でしょうけれど、コーヒーもダークチョコレートもわたしはあまり好きではありませんから、「カラダに良いから」といってこれを無理して口にする可能性はあまり高くないと思われるからです。

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漢字

先日、身内の勉強会で『脆弱性』を『きじゃくせい』とプレゼンしていた先生に、後で「先生、それは『ぜいじゃくせい』と読むんですよ」と云ったら、「わー恥ずかしい!」とリアクションしてくれました。「そうそう、そうやって、これから間違わなくなるんですよ」と思いました。

『漸増』を『ざんぞう』と読んだり、割と学者さんやドクターは漢字が読めない。学会の演題発表や特別講演などでも、間違った云い方を何度も口にしているのがすごく耳障りなのに誰も反応しないのは、皆がそれでいいと思っているのか、間違っていることは分かっているけれど別に本題とは違うことだからと聞き流しているのか・・・みんな意外と「どっちでもいいんじゃない」と思っているのじゃなかろうか。何しろ、最近は『ざんぞう』で検索しても『ぜんぞう』に修正した状態で説明が出てきますし、『漸増(ぜんぞう)の誤用』とか丁寧に解説してくれたりするご時世だから、返って覚えられないのでしょう。こういうのは、自ら文字を書かなくなった弊害の一つでもありましょう。でも、漢字は文字そのものに意味があるのであって、まったく意味の違う読み方を誤用して平気なのはいかがなものか(しかもそれが全国区の大きな学会とかで)と思うのであります。むかし、『漸近線』を『ざんきんせん』ってずっと連呼していた大学時代の教授がいましたが、だれか指摘してあげただろうか。『漸増』『漸近線』・・・『漸(ぜん)』は『徐々に』の意味(漸増:徐々に増える、漸近線:徐々に近づく)であり、『暫定』・・・『暫(ざん)』は『しばらく』の意味。こういう機会に意味から一緒に覚えたら、きっと一生忘れないと思うのです。わたしはそうやって覚えました。『徹底的』の『徹』と『撤退』の『撤』とかも。

ま、『脆弱(ぜいじゃく)』の場合は、さすがに『きじゃく』では文字変換してくれません(『脆』は『もろい』という意味だから『き』の読みは存在しませんから)でしたが、「『ぜいじゃく』の読み間違い」と出てくるのには驚きました。というか、感動すら覚えました。

 

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痴漢と同じ

「『大学センター試験の日の電車は痴漢やり放題だ!』てSNSで流されて問題になっているんだってよ」と、朝から妻がお怒りであります。
「信じられないよね。ていうか、『痴漢』そのものをすること自体が理解できない!」
という。

「それは欲望に理性が勝てなかったってことだからなぁ。ほら、ダイエット中のあなたの目の前に魅惑のフルーツがあった時に、『あ~、がまんできない! 本当は駄目だけど、ちょっと食べちゃおうかな』って言って食っちゃうのと同じなんじゃないの?」
と言ったら、
「まー信じられない。ということは、あなたは簡単に痴漢するかもしれないってことなの?」と笑う。
「なんじゃそら?」
「だって、あなたは毎晩、目の前のお酒をガマンできないでいるじゃないの。痴漢するのはあれと同じ事なんでしょ」

「私にはあいつらよりはもうちょっとだけ理性があるから煩悩に勝つだけの良識が、まだあるぞー」
「どうかな~。人間、歳とるとガマンが効かなくなるものだからね~。危ないね~。」

って。くそ~!

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寝過ぎは脳卒中リスク

今や、がんを含む生活習慣病を管理する上で最も重要なツートップは『腸内細菌叢(腸内フローラ)』と『睡眠』。この2つを固めておけばおおよその病気は克服できると思われます。でもそうなるとこれに関する研究発表があちこちで出され、そして真実が何なのかしばらく混沌としてくる。今回はCare Netに年末に掲載された中国の華中科技大学のXiaomin Zhang教授らの報告(Neurology 2019.12.11オンライン版)について紹介します。

「寝過ぎ」で脳卒中リスク増?

”高血圧や糖尿病、喫煙習慣などの脳卒中のリスク因子を考慮しても、一晩の睡眠時間が7時間以上8時間未満だった人に比べて、9時間以上だった人では脳卒中リスクは23%高いことが分かった。”
”昼寝の時間が30分以内だった人と比べて、90分を超えていた人では脳卒中リスクは25%高かった”
”一晩の睡眠時間が9時間以上と長く、かつ昼寝の時間も90分を超えていた人では、脳卒中リスクは85%と最も高いことも明らかになった。”

育ち盛りの子や思春期の若者が休みの日に24時間以上寝ていたなんてことは良く聞きますが、高齢になって長時間睡眠をするということは、睡眠の質が悪い(脳や代謝系の病気があるのでなければ、ほとんどの場合は寝ているようできちんと眠っていない・・・睡眠時無呼吸症候群などのように)ことに他なりません。長すぎる睡眠の方に「睡眠時間が長すぎるから眠くても起きるべきだ」と云いたいわけではないので、体内時計をリセットするためにとりあえず朝早くに起き上がるところから気をつけてみましょう。そして昼寝は20分くらいで目覚めるように目覚まし時計でもセットしましょう。

ただ一つだけ気になるのは、”睡眠時間が6時間未満と短くても、脳卒中リスクへの影響はみられなかった。”というものです。確か、睡眠についての常識はV字(あるいはU字)パターンで、「睡眠は長すぎても短すぎても危険」ということではなかっただろうか?「ショートスリーパーは短命」が常識だと教わったのですが。 

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「『感謝』の真意」

定期的に書いている機関誌のコラムが発行されました。

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「『感謝』の真意」

「感謝する」ということは、相手をリスペクト(尊敬)することだと思います。何に対しても感謝できる人は心も身体も安定しているわけで、心身の健康や予防医療の観点からもとても重要ですし、最近よく耳にする『アンガーマネージメント(怒りの制御)』にもつながります。若い頃にすぐにカッとして周りを攻撃していた私は、いろいろな人から「感謝する」ことの大切さを教えられてきました。でも頭では理解してもそれをきちんと身につけるのは容易ではありません。「感謝する」は理屈ではないからです。

「頭を撫でてやった」「頭を撫でさせてもらった」
「手を握ってやった」「手を握らせてもらった」
同じ行為なのに、相手に対する自分の心の有り様を言葉にするとまったく違うものになります。上から目線・下から目線、格上・格下という区別が無意識になされるので、選んだ表現によって相手をどう捉えているかという本心がわかります。「してやっている」と思っていたわが子は成長とともにいつの間にか「してもらう」立場になっているはずなのに、いつまでもわが子を“自分の持ち物”と思っている人が少なくありません。愛犬にはどうでしょう。「頭を撫でさせてもらった」「お腹をさすらせてもらった」・・・しっぽを大きく振ってキラキラした目で慕ってくる愛犬に向かって、自分はそんな気持ちを持つことができているだろうか。愛犬は私が癒やしてあげているのではなく、いつでも私が癒やしてもらっているはずなのに・・・。

先日、フェイスブックの記事を眺めていて、ある人の文章が目にとまりました。「社会で生きていく上で一番大切なのは『感謝』の気持ちだ」という話。「上司が部下に仕事を頼んだ時、そこに『感謝』の気持ちがないと必ずアラ探しやダメ出しをする。『感謝』で満たされた人は決してそんなことはしない。組織が成長できるのは、『感謝』することのできる人が多く集まった時だ」という内容でした。自分の人生に関係する人のすべての行動が今の自分を形作る上で重要な役割を担っています。「感謝」は形(理屈)でするものではなく心でするもの。昔は意識して「ありがとう」と言っていたのに今は無意識に「ありがとう」と言えるようになった。周りが自分の依頼したことをきちんとやってくれ、相談したことに応えてくれたからこそ今の自分がある、と思える。他人に仕事を任せられるということは、自分が大人になった印。他人を信じられるということは、他人の行動のひとつひとつに感謝できているという証・・・10年前には絶対思わなかったそんなことを実感として捉えられるようになった自分を、「少しは成長したかな」とこっそり褒めている次第です。

 

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文字を書きましょう。

自分の手でまともに文字を書いたのはいつでしたか?

そんな質問をしたくなる昨今。「最近、えんぴつやボールペンできちんと文字を書く機会って、減ったなぁ」と思ったのは昨年の9月のことでした。令和元年の昨年、『令和』と書いた記憶がまったくありませんでした。たしかに最近は西暦で書くことが多くなったこともありますが、何をするにもパソコンやスマホでキーを叩く機会しかなくて、走り書き程度のメモ以外で手書き文字を書かなくなった気がします。

わたしたち世代は、手書きで文字を書かないとバカになるぞ!と教わってきました。昔は受験勉強では文字を何度も書くことで頭に入れたものですが、最近はそんなことはしないらしい。授業中の板書すら書き写さないと聞きます(というか、黒板に文字を書くのではなくてパソコン授業も普通らしい)。同じ事を書くとしても、パソコンでキーを叩くのと手書きで文字を書くのとでは使うアタマが全然違うのです。書くという作業では、漢字や英語スペルやを思い出しながら手を動かすし(パソコンはアバウトな入力したらパソコンが考えて候補を挙げたり検索したりしてくれます)、『てにをは』のベストな組み合わせを考える必要(パソコンは使い方が間違っているとアラームが出ます)があります。

でも、昨年思ったのはそんなことではありません。実は、夏に思いがけない昔の知人から暑中ハガキが届いたのです。そこには、昔なつかしい丸っこい文字で近況が書かれていました。ワープロでも書けるような内容なのに全部が手書き。宛名も手書き。「手書きの文字っていいな」と思ったのはそんな時でした。活字では伝わらない暖かいものが手書き文字には溢れているのです。達筆とか下手だとかそんなことを気にしてついキーを叩いてしまうし(まあ、LINEやメールの方が簡単だというのもありますが)、公文書では「手書きは失礼」と云われるのだけれど、でも、今度手紙やハガキを書くときはできるだけ手書きにしたいなあと思った次第です。

とかいいながら、今年の年賀状も、一言書き足す以外は宛名も含めて全部印刷にしてしまいました(笑)

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酒に弱いものが生き延びる

酒に弱い日本人が増えるよう「進化」 遺伝情報から判明

働き改革の有給休暇中にスマホのメモを整理していたら、こんな記事がクリップされていたので読み返してみました。2年ほど前の朝日新聞の記事です。

”日本人の遺伝情報を調べたところ、お酒に弱い体質の人が増えるよう数千年かけて「進化」してきたことが、理化学研究所などの分析でわかった。詳しい原因は不明だが、アルコールに弱い体質が何らかの理由で環境への適応に有利に働いたとみられるという。”(2018.4.26朝日新聞オンライン版)

日本人は欧米人に比べてアルコール分解酵素の分泌がとても少ないことは昔から有名です。だから、日本人は欧米人よりはるかに酒に弱い。わたしが周りの人に比べて『酒に強い』家系だと云ったところで欧米時の比ではないということですが、その理由がこの遺伝的有利さによる進化の過程だということのようです。

”弱いタイプの酵素をつくる遺伝子のそばに、まれにしか見られない多数の変異が集まっていることが判明した。子孫に遺伝情報が受け継がれる際に、変異がこの遺伝子と共に失われずに蓄積してきたことを示しており、弱いタイプの酵素をもつことが有利に働いた証拠の一つとみられる。”

つまり、その『変異』遺伝子が環境を生き延びるための進化の証であり、それを次につなげていくために『酒に弱い遺伝子』を使ってそれにしがみついて継承させているということでしょうか。”酒に弱い”ことが生き延びるために有利なのではなく、その周辺にしがみついている変異遺伝子が重要なのだということなのでしょう。たしかに最近、若い子たちの”飲めない(下戸)”タイプが急激に多くなっています。ということは、いよいよ自然淘汰の何らかの大きな環境変化が近づいているということですか? やっぱり妻(下戸)は生き延びる人で、わたしは十把一絡げのその他として藻屑に様に消えていく人なのでしょうなぁ(若いころから、ずっと感じていたことですが)。

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4月生まれが危険?

春と夏に生まれた人は心疾患による死亡リスクが高い?

 知らなかったけれど、『北半球においては春と夏に生まれた人で死亡リスクが最も高くなる』ことは常識なのだそうです。それを家族歴や社会・経済的地位なども調整して検討した結果が、米ハーバード大学医学部ブリガム・アンド・ウイメンズ病院のEva Schernhammer教授らによってBMJ(12月18日オンライン版)に掲載されました。

 それによると、”春と夏に生まれた人では、秋に生まれた人と比べ、心血管疾患による死亡率がわずかではあるが有意に上昇””11月生まれの人に比べると、3~7月に生まれた人で心血管疾患による死亡率が高く、最も死亡率が高いのは4月、最も低いのは12月”だったという。ちょっとショックな結果を見てしまいました。わたしの誕生日は4月25日なのです。

”「はっきりしたことは分かっていないが、季節による食事内容や大気汚染レベルの違い、出生前および幼少期に浴びることができた日光の量などが要因である可能性がある」” なんて書かれているけれど、南国九州の地で生まれ育ったわたしにとってはそんな理由付けでは納得はできませんし、「運命だ」と諦めるにはちょっとね・・・。子どもの頃に、暗くなるまで外で遊び回ったのが悪かったのかしら(笑)で、そんなことが分かったとして、何に注意したら良いのかしら。秋に生まれた人よりも高血圧や糖尿病になりやすいというデータではないのにも関わらず、そんな生活習慣病にならないように人一倍注意しろ、というのでしょうかしら。

すみません。自分に直接関係すること云われると、ムキになってしまうもので。

 

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炭水化物論争

主食の炭水化物は50~55%を摂るのが最も健康的

”「食事で摂るエネルギー量の50~55%を炭水化物から摂るのがもっとも健康的」であることが1万5,400人以上を対象とした研究で明らかになった。炭水化物の摂取量は多過ぎても少な過ぎても、死亡リスクの増加と関連しているという。「炭水化物はバランス良く、適度に摂取することが大切です」と、研究者は指摘している。””「低炭水化物ダイエット(低糖質ダイエット)」については、減らした炭水化物を大豆などの植物性のタンパク質と脂肪に置き換えた場合は死亡リスクが低いことも分かったが、タンパク質と脂肪の多い肉などの動物性食品を食べ過ぎると、効果を期待できない”(保健指導リソースガイド2020.1.7号) 

「炭水化物はしょせん”水”と”炭”しかない実態のない物質。動けばすべてエネルギーとして消えてなくなるもの」というのが私の認識なので、まあ、至極当たり前の結果が示されたと思いながら読みました。このデータは1年半前にランセットに報告されたものらしいから、知っている人は知っているデータ。相変わらず「ダイエットのためには炭水化物を摂らないのがベスト」という都市伝説が君臨し、さらに極端になろうとしていることへの警鐘なのかもしれません。炭水化物は多すぎても少なすぎても危険・・・それは分かっているけれど中途半端ができないのがマジメな日本人のサガなのですよね。

炭水化物を減らした分をタンパク質で補うのだけれど、それが植物性タンパクではなくて動物性タンパク中心になってそれが多すぎると返って危険だというデータはすでに教育的に刷り込まれているから受け入れやすいかもしれないけれど、植物性タンパクだけの食生活が必ずしも健康長寿を示さないというデータも出ており、やはり「キョクタンはシアワセを招かない」「リクツをこねくり回してもカラダは健康に誘われない」というのが真実なのではないかと思うところです。

 

 

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happy people live longer

得体のしれない不安感が、夜中の暗闇の中で、時々私を襲ってきます。隣で寝息を立てる妻や愛犬の存在すら打ち消すほどの孤独感が自分を覆い尽くすのです。世の高齢者のうつとはこんな感じなのだろうとか思ったりします。でも、自分がこんなことで得体のしれない不安感に苛まれていること自体が、本当は自分や自分を取り巻くみんなが幸せな人生を歩んで来たからなのだろうなとも思います。

そんなことを思っているときに、ちょうど日本抗加齢医学会の機関誌『anti-aging medicine』が私の手に届きました。冒頭のインタビュー記事『巻頭言』に”ごきげん”が口癖の慶應大学眼科教授坪田一男先生がインタビュアになって”happy people live longer”の概念を最初に提案されたエドワードディエナー先生との対談記事が載っていました。「健康が幸せの条件ではなく、幸せであること自体が健康をもたらす」という概念を多くのエビデンスをもとに提唱してこられた先生の言葉を読みながら、でも結局は「幸せな人生は良好な人間関係から発するのだ」ということを悟り、つまりはこれからの自分の不安は「深い人間関係の範囲があまりに狭かったこれまでと今からの人生への不安」なのだと気づきました。

これから自分や家族ががんになったらとか、脳梗塞になったらとか、認知症になったらとか、そういう不安はあまり持っていません。そんなものになっても寄り添う者さえいれば不幸にはならないと思っているから。それよりも断然怖いのは「独りぼっち」。

それを退避するために何をしたらいいのか。なんとなくわかっているようで実は具体的には何一つ浮かばないから第一歩が踏み出せないでいる、そんな私の独りごとの二日間でした。

 

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不安

昨日の朝、また、夜中に目覚めて眠れなくなりました。夜に小便に何度も起きるのはいつものことです。1時間ごとに目覚めて大量の排尿をすることもありますが、寝床に戻ったらすぐに寝付けるので翌日眠くてたまらないということは滅多にありません。

でも、真っ暗闇の部屋の中を独りで歩いているときにふっと不安感がよぎってしまうと、もうそれに囚われてしまうのです。これからの人生のこと。生活できるかどうかとか病気になるのでは?とかいう心配は最近はあまりなくなりました。金がなくなったり大病を患っても何とかなるだろうという気持ちになれるようになったから。でも、死に行くまでの孤独感の事を考えると途端に不安感しかなくなります。年老いたお義母さんが亡くなったら独りっ子の妻はきっと悲しみに暮れるだろう。義母はとても元気だけれど、きっとその日はそう遠くない。ベッドの横のケージの中で寝息を立てている愛犬も、きっと私が定年退職する頃までは生きてはいないだろう。毎回元気にフードを貪る彼女の姿を思い浮かべる時、この家を建てた直後から家の中にある2つの大きなケージは主を失うことになるだろう。その時、ポッカリ空いたスペースに耐えられるだろうか。

そして、残された夫婦2人、どちらにもほとんど身寄りがなく、深く付き合っている友人も多くはない。どちらか一方が亡くなったら、残された方はちゃんと生きていけるだろうか。プライドの高い妻は顔には出さないかもしれないけれど、独りぼっちの生活で今のような張りを持って生活できるだろうか。私は1人残された人生になっても何もしたいことがない。毎日キチンきちんと整理整頓して規則的に運動しているのも、妻を含めて周りに関わってくれる人がいるからでしかない。基本的に世間と繋がっているようで繋がっていない私は仕事をやめれば遁世の世界に入って行きそうだ。でも人知れず死んでいく、というのは現代社会では意外に難しいことだろう。妻の遺品をきちんと整理したらその後何を糧にして生きていくのだろうか。私が妻より先に死んでしまうのが楽だけど、残された妻は世間の未亡人様のように今より元気溌剌な余生を過ごすことができるだろうか。時々不安感を口にする彼女は決して心の中を曝け出すことをしない性格だから、一層心を閉ざしていくのではないか。親しい友人や親戚は居るけれど、彼らには彼らの家庭があるから、それに遠慮してしまう私たちは似たもの夫婦。

そんなことを考えていると、1時間や2時間は簡単に過ぎてしまう。何か世間様にもっと深く関わる事に携わっておかないといけない。退職しても仕事つながりではない繋がりを世間に持っておかねばならない。そんな思いは、逆に焦りしか生み出さなくて、「何にも興味がない」と本当に思う私はこれからどうしたらいいのだろうか。

 

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認知症リスク

最近、何かと認知症と絡めてくる。「これを食べると認知症予防できる」とか、「これをすると認知症になりやすい」とか。その中で、高コレステロール血症治療薬のスタチンが認知症を助長するというデータが出てきて、動脈硬化治療のためにスタチンを服用していた患者さんの心をザワつかせたのは2年くらい前のことでした。最近になって、アンチのデータがきちんと出てきています。わたしも、サプリ代わりに飲んでいるわけじゃないのだから、変な雑音に惑わされることなくきちんと服用を続けてほしいと思っておりました。

スタチン使用と認知症リスク~900万人超のメタ解析

”「スタチン使用は、認知症リスクの有意な低下と関連していることが示唆された。このような結果を検証する今後の研究は、患者、臨床医、政策立案者にとって有用な情報となるであろう。さらなるエビデンスが確立するまでは、スタチンは心血管疾患の治療で承認されている薬剤であることを、臨床医は意識しておく必要がある」"

そんな中、酒やタバコの認知症に関するデータの方が興味はあります。先日、CareNetで配信された喫煙との関連記事を紹介します。

喫煙と認知症リスクの関連、禁煙後何年で消失?

”禁煙は認知症リスク減少に有益ではあるものの、禁煙期間に依存することがわかった。本研究では、禁煙後9年以上経過した場合に認知症発症との関連が消失し、認知症リスクを減らすためには中年早期に禁煙する重要性が示唆された ”(Journal of the American Geriatrics Society誌オンライン版2019年11月1日号)

ARIC研究という前向きコホート研究だそうです。タバコが認知症リスクになるのかどうかという研究ではありません。タバコは認知症リスクなのです。タバコを止めてから何年したら認知症リスクがなくなるのか?という研究なのです。高齢になって止めてもすでに認知症が発症してからでは遅いのです。「認知症が怖くてタバコが吸えるか!」という御仁は勝手に吸っていればいいと思いますけど(間接喫煙には気を遣ってください)。

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末吉

1月3日は、熊本地震で倒壊した国指定重要文化財の楼門の組み立てが始まったばかりの阿蘇神社にお参りしてきました。地震の後、初めて行くことができました。完全復旧までにはまだ4年かかるそうです。ここで引いた「幸福おみくじ」は『末吉』でした。書いてあることが、なんか重苦しいのだけれど、でも先日の『大吉』よりも現実味がある気がしました。ただ、残された人生はそう長くない気もするので、そんなに悠長には構えておれないなぁ。

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なんとなく全てに行き詰まりの感を覚える運気です。精いっぱい努力しているのにその努力が報われない。成果が手に入らない状況でしょう。長い人生にはこういう時期もあります。焦らず、苛立たず、ここは一つの試練の時と心得て頑張りましょう。春は近い。明るい見通しがほどなく開けます。

仕事・交渉・取引:ここで急いで結論を出そうとしても駄目。
   流れが有利ににかわるまでねばる心のゆとりが欲しいもの。
愛情・縁談・恋愛:こちらから溺れてしまう危険性がある。
   相手の本質をよく見極めること。縁談は長びけばまとまり難い。
健康・病気・療養:現状を保てば心配ない。
   病気は表面的な症状とはまた別な病因があるかも。
   医師をかえるのも一つの方法。
学業・試験・技芸:いつしか本来の目標を見失っていないか。
   実力に相応した目標と方法をとらねば危ない。がんばれ。

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適材適所

与えられた仕事をきちんとできないと、『できない人間』というレッテルを貼られるのではないかという不安が生じ、なかなかプライドが邪魔をして「わたしにはできません」と答えられない社会人が増えていると聞きます。その結果、職務に対する期待を全うできないままにメンタル障害になる。なんとも勿体ない人生です。

ある成績優秀な新人ナースが患者さんの願い事を聞いてくれないと苦情を云われ、そのことで師長が注意をすると、「わたしは何も間違ったことはしていないのに・・・」と不満気な表情をしたそうです。「あなたは患者さんの気持ちを汲んであげたいとは思わないの?」と聞くと、「これまで『他人の気持ち』などわかろうとしたこともありませんし、それはわたしの仕事に必要だ思ったこともありません」ときっぱり答えたそうです。

 むかし(今でもそうかもしれませんが)、救急現場では一刻一秒の判断が人の生死に関わるので、テキパキできる人が「できる人」、すぐに対処できずにモタモタしている人は「できない人」と云われていました。前者の方が後者より「優れている」と云い切った医者もいました。でも、その「できない人」と救急現場の医師や師長に思われていたナースや研修医が、一般病棟に入院している患者さんの横に寄り添ってじっと話を聞いてあげている姿を見ると、この人を「できない人」と考えるのは間違いだと確信したことを思い出します。一方で、毎日のように救急現場で本領発揮している医者が退院サマリーを大量に貯め込んでいたり、数日受け持ち患者さんに会いに行ってない、ということもありました。

これらは、「優れている」とか「劣っている」とかいう問題ではなく、「向いている」「向いていない」の問題です。ヒトには自分の性格に合った仕事というのがあります。適材適所・・・救急医療で本領発揮できるならあとは何でもできるとか、医療現場で一流の医療者は健診や人間ドックなどの現場をこなすことなんて簡単だとか、そういうの、全然間違いです。そういう多様性の中で皆(特に上に立つ立場の人間)が広い視野に立って見極めてくれさえすれば、もっともっと活かされて溌剌と生きていたであろう人はたくさんいるだろうと思います。

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大吉

正月2日に、近くの神社にお参りに行きました。いつものようにお参りの後にお神籤を引いたら、『大吉』でした。

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渦を巻く 谷の小川の丸木橋
  渡る夕べの こゝち するかな

初めは危ない谷の小川の橋を渡る様な心配事があるが驚き迷うことはありません。後には何も彼も平和に収まります。凡て小さい事も用心してすればよろしい。

願事:出来かねる様に危惧をおぼえるが後調(ととの)う
待人:さわりあり 来たらず
失物:出がたし 下にあり
旅行:吉日をえらべ
商売:買うのは損 控えよ
学問:安心して勉学せよ
病気:信神すれば治る

<神の教え>

拝め、拝まば自ずと胸に、神のひかりが澄みとおる

疑いながらでも拝め。拝む内に分かって来る。ラジオの電波の様に、目に見えず、手にはとれぬが、神様は厳としてそこにおわします。其御光り、其御いずが、拝む人の心の琴にはひびいて来る。さし込んで来る。神様のおかげは、拝む人の身体に集まって来る。

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